『荒らし』に遭ったblogです^^

『荒らし』はネット上で利害に反する書き込みをした人を攻撃する行為です。ネット監視会社、支持団体・自営等々があります。

疲れた時に行った木浦共生園

2011年02月28日 | 雲の日記

   雇用をつくれ! 仕事をつくれ!

    消費税増税に反対!





 皆さーん、こんばんはぁ~!^^  

雪混じりの雨が降った寒い一日になりました。本当に寒いです。こんなに寒暖差が激し
いと体調を崩す人がいても変ではないです。充分にご注意下さいね。保温が大切です。

さて..今日の話は、政治・経済から離れて『kumoの日記』にしますので、興味のない
方は飛ばして下さい^^

最近は嬉しいことに『タイガーマスクの善意』のお蔭で寄付に対する国民の理解が増し
ています。少しでも多くの人が気軽に『寄付行為』を行ってくれたら嬉しいです。

私は前に韓国の木浦(モッポ)にある児童養護施設「木浦共生園(モッポコンセンウォン)」
を訪ねたことがあります。日本にも縁がある所為か、日本人の訪問も多い施設です。

★木浦共生園

種   類 : 養護施設
運営主体  : 社会福祉法人共生福祉財団
園   長 : 鄭 愛 羅
設立日  : 1928年10月5日
設立者   : 尹 致 浩
所在地   : 韓国全羅南道木浦市竹橋洞473番地 
TEL.061-242-7501,FAX.061-243-7503

1928年、キリスト教伝道師で“乞食大将”と呼ばれた尹致浩(ユンチホ)が七人の
乞食たちと生活を共にした。木浦共生園の始まりである。博愛精神に徹した日本人田内
千鶴子は彼と結婚し終戦後も残って孤児達の養育に専念した。韓国動乱で夫が行方不明
になり、あらゆる困難を乗越え、生涯2千名の孤児を育て“韓国孤児の母”と慕われた。
韓国民間社会事業の中では最も古い歴史を持ち、現在まで3700名が共生園を立って
いった。
故・田内千鶴子園長の生涯は日韓合作映画「愛の黙示録」に映画化され日韓両国に多く
の感動を伝えている。
参照URL: 
http://www.nomusan.com/~tabi/korea/2003.04/2003.04gongsaengwon.html


私も施設を訪問しました。釜山からバスで5時間30分かかります。木浦(モッポ)は
『珍島の海割れ』で有名な珍島(チンド)に渡る港町としても有名かもしれませんね^^

兎も角、(ソウルから)遠かったです。

私は予め見学の希望を伝えてあったので、事務所で簡単な説明を受け、園内を見学する
ことが出来ました。此処は本当に自由に見学出来ます。これは(私には)需要な判断基準

になります。全く見せたがらないところの一部は(寄付などを)貰うために形だけ福祉
施設にしているところもあったからです。

その木浦の共生園を訪問した後から、定期的に冊子が送られてくるようになりました。
先日送られてきた、その冊子に素敵な言葉があったのでお知らせしようとます。

(引用始まり)
1984年6月、朝日新聞『論壇』に
50年を韓国で暮らし、孤児の母と慕われ、母は韓国人になり切っていた。だが、病に
倒れ、意識のうすれる中で私に言った言葉は、日本語で『うめぼしが食べたい...』
あった。

私の胸は詰まる。あの日、あの時の母のように在日1万人のハラボジ(おじいさん)・
ハルモニ(おばあさん)達が日本の土になろうとする時、韓国語で『キムチが食べたい』
と、そうつぶやくのではないか、と。
...
(引用終わり) (在日韓国老人ホームを作る会の冊子より)


私は田内千鶴子さんの最後の言葉に、胸が詰まります。韓国人になりきっていても..
日本人であることは、無意識の中であればあるほど..出てしまうのでしょう。

何故、この言葉が胸に詰まるのかと言えば、それは韓国人が日本を嫌いだと分かって
いるからです。 観光客に親切な韓国人ですが、それは表向きの顔です。

韓国人が、どれ程日本が嫌いか..知れば知るほど悲しい気持ちになっていた時だった
ので、今よりもっともっと日本人が露骨に嫌われたいた時代に韓国の地方都市で生き
た日本人女性に興味が湧いたからでした。

日本人がかつて韓国人を差別・迫害したように、韓国内では日本人がどのように扱わ
れるかは、想像が付くと言うものでしょう!(当時の話ですよ^^)

日本と韓国の溝の深さに衝撃を受けていた時だったので、尚更、会いたかったのです。
少なくとも、日本人を捨てなければ生きていけなかったと私は想像します。日本人の

食卓の常備菜(象徴)である『梅干し』など..絶対に食べたいと言ってはいけないと
思っていたのでしょう。死の間際だけ日本人に戻れたのだと、私は勝手に想像してい
ます。

1945年に太平洋戦争は終わりました。

それから、どれだけの年月がながれたでしょうか??

それでも私が行った時の韓国は、日本に対しては..まだ『戦後』でしたね。
(残念ですが)本質は今も変わってないと思います。(そう簡単には変われないですよ)

例え、どんな理由にしても『戦争』をしてはいけなんだなとつくづく思います。

『子々孫々まで恨みに思うぞ!』という気持ちにまで相手を追い詰めてはいけないと
つくづく思います。

日本は終戦から現在まで66年の間、ただの一度も戦争で外国人を殺していない。

これは素晴らしいことだと思いませんか? 出来れば、これからも殺したくないです。

誰からも恨まれたくないです...