人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

謎の要人との出会い(前)

2022-10-28 10:05:39 | 回想
昭和53年10月、私は当時関わっていた、「新しい文明を造る会」という仮名の、学術団体というか、イレギュラーなサークル主催による、飛騨高山にある神サマ関係の間ではよく知られているパワースポット、「位山」における一大行事に参加したのでした。
そのサークルは、その年の春、発足当初は、研究テーマとして精神世界とかオカルト関係全般を対象として、これといった方向性、特色の無い、要するに何をしているのか分からない団体だったのですが、その時には、前記の通り神サマ関係、大本教系に連なるような神道霊学の色を強めていたのでした。
私も半分くらい?は、そういう世界に足を突っ込んでいたのは言うまでもありません。
で、その古来より霊山の誉れ高い地にあって、如何なる行事が行われていたかと言うと...私の理解を超えること故、詳しくは申し上げられませんが、形としては神祀りに過ぎないのですが、その統一された願いは、どうやら、太古の神を世にお出しすることに向けられているらしいことは分かりました。
そして、”日月の神”のみ顕れかどうか分かりませんが、行事が終わった直後、雲を押し開くように、日と月が同時に顕わになるという奇瑞にも恵まれたのでした。私には忘れ難い光景です。
前置きが長くなりましたが、この道中のバスでほとんど私と臨席だった方が50代くらいの知的な紳士なのでした。
どういう経歴の方かは全く分かりませんが、そういう所へ客人みたいな扱いで参加しているのだからある重要なお役を担った神サマ関係の人、”ご神業者”らしいことが...しかし、どうも通り一辺では無さそうな...というようなことが想像されました。
道中、色々親しく話を聞きましたが、一介のビンボー学生に過ぎず(参加者では私が最年少だった?)、ずっと年配だったにも関わらず、敬語で接してくれていたのには恐縮しました。
そして、その話ぶりからあの関係の人特有の、ある種の”神がかった“ようなクセなどほとんど感じさせない、バランスの取れた性格が伝わって来るのでした。
とにかく、神サマごとに限らず、宗教的なこと全般に並々ならぬ知識を持っている、様々なその団体も遍歴している、貴重な体験も豊富のようなことが容易に伺われるのです。
学者タイプには違いないが、この人は一体どういう人物で、その広い宗教的、精神的な研究にあって、専門に携わっているものは何なのか?...当時、位山に雲がかかっていたように、求道の帰着点を見い出せずにモヤモヤとしていた私の精神に、元なる、まことの神が顕わになるようにも、光明に与るヨスガともならないか、と興味を掻き立てられずにおれなかったのでした...。
(続)
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