人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

霊学の二つの相

2019-06-24 11:14:43 | スピリチュアル?
神智学、人智学と言われるスピの一群は、その名が示す通り、実に学的に、体系的に霊界など見えない世界について説いています。
ルドルフ.シュタイナーの主著「神智学」などは、まさにその好例で、見えない世界を構成しているのは、霊界、魂界で...それとどう関わるのかよく分からないが、第一から第七とかいくつかの階層的領域がある...、といったように見えない世界を見える世界のように描写して見せています。
この種の学問では字義に囚われるのは、あまり意味は無いでしょうが、ここでは魂界、魂というものが、現界と霊界、肉体と霊体(霊的体様というものが果たして有るのか?)の中間に位置付けられているらしいです。魂...自我、霊我(シュタイナーはこういう表現も多用している)、あるいはアートマン...
個人的なことですが、私は魂というものがどうゆうものか、全く知らずに、いやむしろ、知る必要も感じないで使っております。
それが肉体だろうと、霊体だろうと、真我だろうと、魂は魂なんです。あれこれ思考を巡らすんじゃなくて、"魂から"感じられるものが、そういうもんだと感じているのです。
ここから言うと、正直シュタイナーのその、あまりにも客観的な、第三者的見地というものを強く感じさせる筆致からは、魂からの感銘をほとんど受けません。
もっとも、このどこまでも冷徹なこの霊学では、そういう情動的なものに訴えることは、必要の無いことなのでしょう。
しかーし...一ヶ所、"おお、こ、これはi"と、私の内部が思わず唸った文章を見い出しました。
「霊界では一切が絶え間のない、活動状態を保ち、止むことのない創造行為を続けている。物質界に存在するような休息とか停滞とかいうことはここには存在しない...」
これは私も目の当たりにしているi 全く同感...それが霊界なのか、どうかは知らないが、人生の裏側にあるのは絶ゆまぬ生成なのです。
動いているのですi 静止していない、静視することが出来ない、実体、実態があるように、そこに固定されて在るものは何も無いという感じなのです。
(おおっと待ったi この言葉は鵜呑みにしちゃなりませんi...これは"決まったものなど何も無い"というニュアンスでもあるので、静止しているように感じるものもあるのですi)
このシュタイナーの言葉は、自らその面妖なまでの、見えない領域についての体系的な表現を揺るがすことになりはしないでしょうか?
少なくとも私は傍観者のように、それを対象を見ているように見ることは、困難だったのです。
いや、ホントはもっとややこしくて、植物人間みたいに傍観するしか出来ない私が居るのですが、彼はその永遠の創造とも言うべきものに、主体的に関わっていません。
その生の真の主体はその彼とは別なる私に変わっていたのです。
何がややこしいって、全く現世のように思われたままの有り様でない、ということです。
こういうことはすべてのスピについても言えることでしょう。
霊界は、ワンネスの世界は、かくかくしかじか...そうなってるんですi...って、何で言えるのか?
見えない世界の本当の真相とは...それは象徴的表現、比喩をもってしか言い表すことが出来ないということではないでしょうか?
然るに、何とその界隈には決めつけた言辞で溢れかえっていることかi
参考程度にとどめときゃいいものを...(先の私の個人的感想も同様ですよ)
こういうことを踏まえれば、シュタイナーのこうした霊学も、決して図式化出来ないようなことを、逆説的に描いて見せ、一つの表現形態として読めて、面白いところもあります。
コメント
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