OUT OF TIMES
結局、偉そうな自己犠牲精神にのっとって歩いて行った僕は、田島さんの娘さんが望んだように裁判にかけられることはなかった。リョウが全ての事件の主犯は自分であり、他の者は自分が巻き込んだだけだと言い張ったからだ。
おかげで僕は、しばらく警察の厄介になっただけで釈放された。
僕は田島さんを何度も訪ね、謝罪を繰り返している。娘のレイナちゃんは未だに僕のことを許してくれていないが、田島さんとは結構良い関係を築くことができていると思う……多分。
数週間後、パールさんは意識を取り戻した。
十三回目の生還を遂げたパールさんは、僕らを見て「くだらない……」と呟き、少しだけ涙を流した。
カウボーイはリョウの刑事裁判における証人の役を買って出たが、別に重い罰を望んでいるわけではないようだ。結局は周囲の動きに押される形で賠償請求に踏み切った田島さんも、必要以上の請求はしなかった。
カナと僕は、世間で言うところの『恋人同士』の関係を行っている。『行っている』と言ったのは、彼女が最初に条件を出したからだ。その条件は、一年ごとに関係を継続するか終了させるかを話し合う、というものだった。
彼女は自分にとって不利益になる者と付き合っても意味がない、どちらか一方でも好きでなくなったらすぐさま関係を終了させるべきだと言った。でも絶対に私と付き合って損はさせませんから、と言ったカナの照れたような表情は、とても可愛らしかった。
僕はこれまで人と関係することを恐れていたが……彼女との関係だけは壊したくないと思っている。
僕はカナに、努力する、と答えた。
先輩は、努力する、と言ってくれた。
私はこれまで数人の男性にこの条件を出したことがある。でも皆、うるさいことを言う女だと思ったのか、真剣に取り合おうとはしなかった。酷い時には、それ以上話をすることもなく別れを突きつけられたこともあった。まあ、その時はそんな男と長く関係を続けなくて正解だったって思ったけど。
私としては先輩との関係はこれまでになく真剣なものだったから、関係を悪化させる可能性のある条件を出すのには少しためらいがあったのだけれど、これだけは譲れない条件だった。そして先輩は、私の出した条件に少し戸惑いながらも、照れたような微笑みを浮かべて、努力する、と言ってくれた。
「うまくできるかどうかわからないけど、努力するよ」
……と。
そう言った時の先輩の表情は、本当に綺麗だった。
リョウは刑務所の中で退屈しない生活を送っている。僕を含めて数人の者がひっきりなしに面会に来ているからだ。
この前はジンの姿も見た。彼は毎回、リョウに会ってもらえないらしいが、それでも懲りずにやってきている。一度話しかけた時、顔の傷は大したことはない、と言っていた。その瞳からは僕に対する敵意は消えていなかったけれど、もう、僕たちが対立するようなことはないだろうと思う。
カナの友人のクミという女の子ともよく会う。彼女のことは一度だけ見て知っていたが、再会した時は見違えるほど綺麗になっていたので驚いてしまった。彼女は差し入れのお菓子の詰まった袋を握り潰しそうになりながら、お願いだからカナにだけは自分がここに来ていることを言わないで欲しいと言った。
僕はカナから、しばらくはクミに私が彼女の行動を知っていることを言わないでいて欲しいと意地悪な表情で頼まれていたので、黙って同意しておいた。
私は自分の我侭を押し通す為にあんな条件を出したわけじゃない。ただ、やっぱり恋愛っていうものは、どちらか一方から与えるだけではいけないと思う。
私は先輩にできる限りのものを与えようと思う。先輩の方から私との関係を終了させると言い出す可能性もあるんだから。
そうそう、私は春休みを利用してアメリカに行こうと計画している。できれば先輩にも一緒に来て欲しいけど……そうすると、クミはダメだろうな。まあ、そんなに気にする必要もない。お互いに、もうそろそろ独り立ちしてもいい頃だと思うし、彼女とは世界中の何処にいてもネットを通じて話ができるんだから。
……母とは少しずつ話し合う機会を増やしていこうと思っている。
リョウと僕は短い面会時間の中で取り留めのない話をする。最近の街の様子とか、流行っていることとか……カナのこととか……やはり女の子のことについては彼の方が色々と詳しいようだ。
裁判の時、リョウは田島さんやその他の被害者の人達に向かって頭を下げて謝った。いつになるかわからないが、必ず償いをすると。
リョウについては様々な意見が飛び交っているが、僕は彼のことを本当に格好いい男だと思っている。
……きっと、これからも。
面会時間が終わって僕達が別れる時、僕は決まって指で銃の形を作り、リョウを撃つ真似をする。リョウは笑って心臓の辺りを押さえ、撃たれた真似をしてみせる。
僕らにはそれで十分だ。
僕らの旅も、まだ始まったばかりだ。
PM.11:23
田島亮介は数杯目のグラスを少しずつ傾けながら、隣に座っている男を横目で見た。
三年前に妻が亡くなって以来、幼い娘と二人暮らしになった田島は、仕事が終わったらまっすぐ家に帰るようにしている。しかし今日は何となく、昔馴染みの飲み屋に顔を出してみる気になったのだ。
隣の男は別の町から出張して来たらしい。早い時間から浴びるように酒を飲み、誰彼かまわず当たり散らしていた。
「わかりますか? こんなことじゃダメなんですよ! こんなことじゃ、この国は本当にダメになってしまう」
田島はあまり真剣に男のことを相手にしていなかったが、遂に手に持ったグラスを振り回して割ってしまい、その破片で左の頬を切ってしまったのを見て、仕方なく男の体を支えて声をかけた。
「どうしたっていうんです? ほら、血が出てる」
田島は店の者に掃除用具と医療用具を持ってくるように頼むと、男を椅子に座らせた。
「ダメなんですよ……こんなことじゃダメなんです」
酔いの為か、男はさして痛みを感じている様子もなくブツブツと呟き続けている。
「何がダメなんです?」
田島は男の三日月形に裂けた頬の切り傷を見ながら尋ねた。運良く薄皮一枚を切り裂いただけのようだ。これならじきに塞がるだろう。
「僕はね、信じてるんですよ。人と人との間には確かな信頼関係が必要だって……いや、違う。そうあるべきなんですよ。人間というのはね」
「それは私も思いますね」
田島は店員を待ちながら呟いた。
「幾ら社会が情報化されたと言っても、結局は社会というものは人間が動かしているんですから……」
「違う! そうじゃないんだ!」
男は突然叫び出し、血走った眼で田島を睨みつけた。
「そうじゃない。僕が言っているのはそんなものじゃなくて、もっと根幹的な繋がりなんだ。本当にお互いを必要とする関係、二つに別れた磁石が引き合うような……打算や計算のない関係が僕らには必要なんだ」
最後の『僕ら』は、『僕』に置き換えても良かったかもしれない。
男は掠れた声で喋り続けた。
「僕らには……本当の心の平安が必要なんだ。一時しのぎの快楽や、金で買ったような愛情なんかあってはならないんだ」
「ごもっとも、ごもっとも……」
田島は少しうんざりしながら相槌を打った。
「貴方の言いたいことはよくわかりますよ。私にも小さな娘がいますがね。やはりしっかりとした人間関係の中で育って欲しいと思いますよ」
しかし男は田島の話を聞いている様子もなく、うつむいて低く呟き続けていた。
「僕だって人並みの恋愛や人生を楽しみたいんだ……それなのにあいつらときたら僕のことをまるで珍しい動物か何かのように見やがって……僕はお前らみたいな奴らと親密な関係なんか持つ必要はないんだ。お前らが僕のことをどう思っているか知らないが、僕だってちゃんと人を愛せるんだ。ただお前らと関係を持ちたくないだけなんだ。いつか誰かが現れるんだ……誰かが。そして僕らは完璧な関係を築くんだ……完璧な……」
男はそこまで言って、急に怒りに顔を歪めた。そして今までの考えを振り払うように腕を振り回した。田島が慌てて腕を避ける。
「畜生! どうして、どうして僕らは誰かを必要としなければならないんだ!?」
男は叫び、立ち上がり……バランスを崩して床に倒れた。
「……まったく……」
田島は男を床に座らせた。
「何を言っているのかよくわかりませんが、人と人との関係なんて妙な縁で繋がっているものですよ。私の死んだ女房とは見合い結婚でしたが、結構うまくいっていましたし……まあ、こんなことは貴方にはどうでもいいことですかね」
田島は店員が救急セットを持ってきたのを見て、ではお大事に、と言って店から出ようとした。
「……なあ、どうして人は誰かを必要とするんだろうな?」
小さな声で男が呟いた。
「さあ、それが人間ってものなんじゃないですか?」
田島は振り返って答えた。
「それに、貴方がどう思っているかは知りませんけど、私はまだこの世界に失望しきってはいないんですよ」
店員は男の傷の手当てをしようとしたが、冷たく敵意を感じさせる目でじろりと睨まれたので、仕方なく割れたグラスの掃除にとりかかった。
男は床から立ち上がると、よろめきながら近くの席に座った。そしてコートのポケットから紙切れを取り出した。
そこには、『明日、午前十時に駅前で。K&K』と書かれていた。
「僕だって、運命的な出会いってものを信じてるんだ……」
男は呟き、金を払って店を出た。
夜空には月もなく、雨が降りそうだった。
-了-