森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

2002年12月03日

2007年12月03日 | あるシナリオライターの日常

 午前0時30分、就寝。
 午前8時30分、起床。

 午前10時30分、出社。
 パソコンをカスタマイズ。キーボードとモニタを掃除。CRTモニタ用フィルタを装着。
 昼食後、密かに作品講評の続き。ベスト候補5作品、ワースト候補6作品を選出。残るはそれぞれ3作品に絞り込む作業。
 企画書5本目、一向に進まず。気分を切り替えるべく6本目に着手。みるみるうちにメインヒロイン二人分の設定が浮かぶ。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 『みずいろ』OVAをレンタル、観賞。
 ──薄々予測してはいたが、大幅にクオリティが低下。
 凄まじいまでの展開の早さに心情描写が追いついていない。これでは雪希が性悪娘にしか見えない。

 『プロジェクトX』を観つつ食事。
 レンと二人で「ざまあみろ」と笑う。

 午後10時30分、海藤にメール。
 午後11時30分、就寝。

第二話「黄色い煉瓦で造られた交差点の話」 1

2007年12月03日 | 僕達の惑星へようこそ

 PM.2:37

 昼時を過ぎたせいか、ファミリーレストランの中に人は少なかった。
 適当な席を探そうと店内をざっと見回した僕の耳に、ラジオの洋楽番組の音に混じって、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ええっと、sinの二乗足すcosの二乗は1であって……」
 見ると、窓際の四人がけの席に一人の少女が座っていた。陽の光に背を向ける形で頬杖をつきながら参考書を読んでおり、短めに揃えられた黒い髪が濃紺のブレザーの上に影を落としている。テーブルの上には何冊かの参考書とコーヒーカップが置いてあった。
 少女は僕の視線に気づいたのか、少し吊り目っぽい大きな目をこちらに向けた。
「あっ、ウソ、先輩じゃないですか!」
「やあ……カナちゃん、久し振り」
 僕は女子高生……若松加奈に手を振った。
 カナは僕と同じ予備校に通っている、名門私立女子高校の三年生だ。彼女は通っている高校の名前と、それにつり合うだけの容姿で有名だった。
 実際、彼女の容姿はテレビなんかで見る同じ年頃のアイドルやタレントと比べても見劣りしないほどで、色白の肌にかかるストレートの黒い髪と控えめな宝石のような瞳……それと薄桃色の小さな唇がとても魅力的な少女だ。
 彼女に誘われ、僕はドロシーの同意を得て三人で同席することになった。
「すごーい、美人! ねえ先輩、この人先輩の彼女ですか?」
 カナはドロシーを見て歓声を上げた。
「違うよ、こいつは宇宙人で僕の命を狙ってるんだ」
 僕は着席しながら真面目な顔で言った。
「アハハハハ、そうなんですか?」
 戸惑うかと思ったが、カナは笑い出した。普段は落ち着いた子だが、今日は妙にはしゃいでいる。
「そんなところね。よろしく、地球人さん」
 ドロシーも席に座ってカナに微笑んだ。もっとも彼女の場合、先にメニューの方に手が伸びていたが。
「宇宙人っていうと、何処から来たんですか? バルカン?」
「多分、クリンゴンだ」
「……それ、酷いですよ」
 僕とカナが交わした会話の響きから、ドロシーは自分がからかわれていることに気づいたらしい。少し怪訝そうな表情でメニューから目線を上げた。
「ああ、クリンゴンっていうのは映画に出てくる宇宙人なんです。怪物みたいな戦闘民族の……」
 カナの説明を聞いて、ドロシーが僕を睨みつける。僕はウェイトレスが運んできたコップに手を伸ばすと、誤魔化すように音をたてて飲んだ。
「……すいません、何か気まずい雰囲気ですね。先輩は私につき合ってくれただけなんですよ」
 カナは僕らの様子を見て心配そうに言った。
「私、トレッキーなんです。ああ、トレッキーっていうのはスタートレックのファンのことなんですけどね、でもなかなか詳しい人がいなくて。それで先輩とはよくスタートレックについて話すんですよ」
 しばらく説明を続けた後、カナは照れたように笑ってつけ加えた。
「個人的にはDS9のシリーズが好きで……あ、シスコ艦長は理想のタイプなんです」

 カナに興味を抱く男は多かったが、カナの方は一向にそんな連中には興味を示さなかった。彼女は本当に気に入った相手にしか心を開かないタイプだったからだ。まあ、その態度が却って彼女の人気を高めているのだから美少女とは得な生き物だと思う。
 しかし、多くの人は彼女が良家の子女だからこのような態度をとるのだと思っているようだが実際には少し違う。これは僕を含めて数人の人間しか知らないことだが、彼女は非常に変わった……いやユニークな思考回路を持っているのだ。
「数学の先生がですね……あ、そいつタコみたいなおじさんなんですけどね。明日いきなりテストをするって言うんですよ。しかも三角数の! 私達は文系なのに、まったく何を考えてるんでしょうね? あの先生、禿げてて夏なんか頭から湯気出してるんですよ。いっつも『暑い、暑い』って、こっちが暑苦しくなっちゃいますよ。それに細かいことばかり注意してネチネチ苛めるんです。私のクラスに髪の毛染めてる人がいるんですけどね、その人なんか可哀想ですよ。あの人未だに髪の毛染めてる奴は不良だーなんて思ってるんですね」
 カナはそこまで一息に喋ると冷めたコーヒーを飲み干した。口調は悪いが、それほど悪意のこもっていない喋り方で、話すことを楽しんでいる感じだ。
「髪の色とか服装とかで、人間が悪いかどうかなんてわかるわけないじゃないですか。ねえ、そう思いません?」
「まったくだよ」
 僕はカナに解答を頼まれた数学の問題に目を通していた。問題自体は簡単なものだったが、僕は参考書を見つめながら別のことを考えていた。
「……で、どうなの? 仕事の方はうまくいってる?」
 僕の言葉に、カナの目がスッと細くなった。
「……ま、ボチボチですね」
 僕達の雰囲気が変わったので、ドロシーが不思議そうな顔をしてカナと僕を見つめた。
 カナは小悪魔のような目でドロシーを見ると、隣の椅子に置いてあった鞄を持ち上げてテーブルの上に置いた。
 一見すると普通の通学用鞄だが、よく見てみれば素人目にも相当に高価なものだということがわかる。カナは鞄の蓋を開けると、表紙に『K&K』と書かれた分厚いファイルを取り出した。
 ファイルには、よく集めたなと思うくらいにスタートレックのシールが貼られており、中にはびっしりと細かい文字が並んでいた。
「今週は月曜日と水曜日に一人ずつ、木曜日にがんばって三人……この日は学校が創立記念でお休みだったんですよ。それから何と今日の午前中に一人! 私って本当によく働いてますよね」
「……大したものだよ」
 僕が思ったままに呟くと、
「そんなこと言ってくれるのは先輩だけですよ……」
 カナはファイルを眺めながら呟いた。
 ドロシーは横からファイルを眺めていたが、どうやらその内容に気づいたらしい。
「……売春……か」
 カナはファイルを閉じると、花がほころぶように微笑んだ。
「ビジネスです」

 PM.2:45

「最近は法律ができちゃって、仕事がしにくいんですよ。おじさん達も怖がってるんですよね……それで友達に頼んでネットでお客さんを探してるんです。まあ、その分お金の払いはいいから、こっちは楽なんですけどね」
 料理が運ばれて来たので一時中断した話はカナによって再開された。カナは僕達と一緒に頼んだケーキをフォークで壊しながら話を続けた。先程の彼女の台詞ではないが、その口調は有能な実業家のようだ。
「知り合いには大きな組織に後ろ楯をしてもらって集団でやってる子もいるんですけど。やっぱり恐いですからね、そういうの。でも、個人でやるのも大変なんです」
「何か企業努力でもしてるのかい?」
 僕は運ばれてきた定食を申し訳程度に口に運びながら尋ねた。今日は朝食も抜いたし運動もしたので珍しく空腹だったのだが、カナの話を聞いていると食欲がなくなってくる。
 僕の隣では同じ定食を二つ注文したドロシーが平然と食べている。多分、このペースでいけば僕より早く食べ終わるだろう。
 ……一体どういう胃袋をしてるんだか。
「そうですね。やっぱり、他よりサービスがいいんじゃないですか? 色々と……ね。でも、同じ相手とは何回もしません。愛人とかそういうのは嫌いなんです。あ、そうだ先輩、この制服どうですか? 専門店で買って来たんですけど、やっぱり男の人の意見も聞かなきゃいけないと思うんですよ。おじさん達は可愛いって言ってくれたんですけど、あんまりアテになりませんからね」
 道理でいつもと制服が違うと思った。
「そうだな……うん」
 僕は返事に困って何気なく呟いた。
「君は凄いね……いつもそう思うよ。でも」
「でも。何ですか?」
 瞳を覗き込むように尋ねられ、僕は自分でもよくわからない返事をした。
「……僕は、女の子は砂糖とスパイスでできてると思ってたよ」
 えっと、これは何だったっけ?
 ……そうだ、確かマザーグースの歌の一節だったような気がする。まずいな、嫌味だと思われるかもしれない。
 しかしどういうわけか、カナは虚ろな目をして呟いた。
「……私も、そう思ってました。やっぱり先輩も、売春なんかしてる子は変な子だと思いますか?」
「いや、別にそうは思ってないよ。ただ、一歩間違うと危険な仕事だし……君の体のことも気をつけないと」
「体にはちゃんと気をつけてます! 避妊だって完璧だし、エイズだって、ちゃんとチェックしてます!」
 カナは強い口調で反論した。大きな目が更に見開かれ、色白の肌に赤みがさす。カナは一瞬息を止めると白い糸きり歯を噛み合わせた。
「私の体は私の物です。どうしようと私の勝手じゃないですか!」
 カナの声がどんどん大きくなる。まるでこらえていた感情が爆発したように。今までのカナがとても明るい態度だったので、僕は余計に驚いた。
「それとも何ですか? 将来の結婚相手の為に綺麗な体でいろって言うんですか? 俺はお前を愛しているから他の男と寝るのは許さない? それって変だと思いません? 愛っていうのは恋人の体を所有することですか? それは私の体を買うのとどう違うんです? 私の体は私の物です、親の物でも恋人の物でもありません。どう使おうと勝手じゃないですか!」
 カナは凄まじい勢いで捲し立てると、力尽きたようにうなだれた。店内の他の客や従業員が、僕らの方を盗み見ながら何事か囁きあっている。
「……何かあったのかい?」
 僕は可能な限り穏やかに尋ねた。普段の彼女はこんなに感情を表に出す方ではない、どちらかと言うと感情を隠す方だ……こんな彼女は初めて見る。
 カナは不意に顔を持ち上げると唇を歪めた。
「今朝の客がですね、こう言ったんですよ。身体を売るなんて最低だ、お前みたいな奴がいるからこの国は悪くなったんだ、って……お前なんか死んじまえって」
 カナはしばらく口を噤んだ後、再び唇を歪めて笑顔を作り、強い口調で吐き捨てた。
「こんな朝早くから女子高生を買ってる奴に言われたくはないですよね!」
 それからカナは僕の隣に視線を向け、ドロシーに尋ねた。
「……ねえ、貴女はどう思いますか?」
 ドロシーは一旦食事の手を休め、箸を口元に寄せてこんなことを言った。
「貴女はどうして売春をしているの?」
「……お金……かな?」
 少し考えてから、カナが答える。ドロシーは納得したような表情を見せると、再び定食に箸を伸ばした。
「金儲けの為だったら、客に何を言われても我慢しなさい。それがビジネスってものよ。もっとも、自分には売春婦としてのプライドがあるって言うんだったら話は別だけどね」
 カナは少し口籠ったが、しばらくして微笑んだ。
「……そうですね、私も甘いこと言ってましたね」
 カナはため息混じりに呟いた。
「でもね、お金だけじゃないんです。私、夢があるんですよ」
「初めて聞くなあ。何なの?」
 僕の問いに、カナはいつもの笑顔に戻って答えた。
「笑わないで下さいね、私、エンタープライス号に乗りたいんですよ」
 カナは不覚にも少し笑い声をもらしてしまった僕を軽く睨むと、テーブルの上の参考書を指で叩いた。
「人生で大切なことって何だと思いますか? 数学の問題を解くこと? いい学校に進むこと? それとも結婚して家庭に入って専業主婦になって、子供を生んでオバサンになって夫の我侭に耐えること? 冗談じゃないですよ」
 カナはしっかりとした口調で続けた。
「私、思うんですよ。折角の人生なんだから、自分の好きなように生きてみたいって。女だからとかそういうんじゃなくて、自分の能力で何処まで行けるか試してみたいじゃないですか。私、高校を卒業したら家を出て、貯めたお金で海外に行こうと思ってるんです。それで今、英語を勉強してるんです」
「それは凄いなあ」
 僕は本心から呟いた。
 カナは薄く微笑むと遠い目をして呟いた。
「でもやっぱり、理想の職場はエンタープライス号だな。だって、地球の危機が救えるんですよ? あーあ、あれに乗れるなら私、物理だって勉強するのに」
 二つ目の定食をほぼ食べ終わったドロシーは、そんなカナを見て微笑んだ。
「いい夢を持ってるわね。でも、それだったら売春はやめておきなさい」
「どうしてですか?」
「女を買うようなバカと一緒にいるとせっかくの夢が汚れるわ。大丈夫、急がなくても貴女はちゃんと成長できる。バカな男の金なんか貴女の夢には必要ないわ……そうでしょ?」
「……そうでしょうか?」
 カナは少し考え込んでいたが、やがて瞳を輝かせて言った。
「そうですね!」

 PM.3:28

「……さっき言いかけたことだけどさ……」
「何でしたっけ? さっきの話って?」
 カナは僕のそばに寄ると首をかしげた。
 僕達は遅い昼食を終えてレストランを出ていた。ドロシーは少し離れたガードレールの上に座っている。
「ほら、さっき、君が変だと思うか? って聞いて僕が答えた時のことだよ」
「……ああ、体に気をつけろってやつですか? あの時はすいません、私、ついカッとなって……」
「いや、それはいいんだ。で、あの時言おうとしたのは健康のことじゃなくてさ、君自身のことなんだよ」
「……私自身のこと?」
「そう、君のこと。僕はさ、君のことは本当に強いし頭もいい子だと思うよ。社会に出ても絶対に成功すると思う……だからこそ、売春はやめた方がいいと思うんだ。だって勿体ないじゃないか。もし何かあったらどうする? 君が今朝会ったっていう男もそうだけど、世の中には君が考えている以上に変な男がいっぱいいるんだ。 そういった連中は、君が体を売っているバカな女だと思って何をしてもいいと考えてるんだよ。もし殺されでもしたら取り返しのつかないことになる。だから、悪いことは言わない、今は安全な仕事をした方がいいよ」
 カナは途切れ途切れに呟いた僕の言葉を真剣に聞いていたが、ふとこう尋ねた。
「私……ちゃんと立派な大人になれるかな?」
「どうしてなれないって思うんだい?」
「…………」
「大丈夫、僕がカーク船長だったら絶対に君をスカウトするよ」
 カナは僕の言葉に微笑み、それから少し悲しそうな瞳で僕を見つめた。
「先輩の言葉はアテになりません。私、先輩がリョウさん達としていること知ってるんですよ」
「…………」
 カナは体を寄せてきた。彼女の黒髪が僕の胸に当たり、暖かな体温が伝わってくる。
「……私、先輩のこと心配です。先輩は人には優しいけど、自分のことを何かで縛っているようで……私、さっきの先輩の言葉は先輩自身に一番必要なことだと思います。何て言うか……先輩はもっと我侭になってもいいと思うんです」
 そう言うと、カナはパッと僕から離れて微笑んだ。
「御忠告ありがとうございます、先輩! 私、もう売春はやめます!」
 カナは『売春』という言葉が誰かに聞かれてはいないかと慌てて周りを見回す僕を見て、本当に可笑しそうに笑った。
「ねえ先輩? 私がもしエンタープライス号に乗ることになったら、先輩も一緒に来てくれますか?」
 僕の心の中に甘いピンク色の光が射した。……彼女と僕が一緒に行くって?
 だが僕の答えは、最初から決まっていた。
「……僕にそんな資格はないよ……」
 カナは一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに元の表情に戻った。
「先輩、今日はスケアクロウでパーティーがあるんですよね。私も行きますから待ってて下さいね」
 そう言うと、カナは用事があるとかで去っていった。

 PM.3:36

「……うん……そうなの、やめるの……ここら辺が引き際かなって思ってさ。うん……ありがと、いきなり言ってごめんね。……ううん、そんなことないよ。ねえ、今度遊びに行こうね、クミも部屋に閉じ籠ってちゃダメだよ。……そうだ、さっき先輩に会ったよ。ほら予備校でいつも窓際に座ってる人……そうそう、結構カッコイイ人……えっ? リョウさんって……やめときなさいよ、クミはヤバい男ばっかり好きになるんだから。だから拒食症になんかなるんだよ。……アハハ、ゴメンゴメン……でもさあ、今思ったんだけど、リョウさんと先輩って似てるよね。……うーん、そうだなあ」
 歩道を歩きながら携帯電話をかけていたカナは、足を止めて空を見上げた。おぼろげにオレンジがかり、薄く雲がたなびいている。
「……うん、目が似てるかな? 二人とも寂しそうな目をしてるね。まるで檻に閉じ込められた野生の獣みたいに……」
 その時、カナの背後から金属音が響き、赤い空き缶がすぐ脇を転がっていった。
 振り返ると、少し離れた所に二人の女がいた。二人はカナを睨んでいたようだったが、やがて走り去った。
「…………何、あれ?」
 カナはしばし携帯からのクミの声に答えるのも忘れて立ち尽くした。
 そしてそれから、全然関係ないがスケアクロウにはこの前買ったセーターを着て行こうと思った。