森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

第9話

2009年05月27日 | マリオネット・シンフォニー
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 プラントとアイズの押し問答は、アイズの勝利に終わった。
 根負けしたプラントと共に村中の配電設備を点検して周り、すべての作業を終えた頃には、既に東の空が白く輝き始めていた。
 今からでも休むように言われ、プラントと別れたアイズだったが、
「って言われてもね~」
 割り当てられた部屋でベッドに腰かけ、窓越しにぼんやりと発電所を眺めていた。
「こんな時間まで起きてたから、すっかり目が冴えちゃったわ。かといって、何かすることがあるわけでもないし……」
「ん……あれ? アイズさん……」
 隣のベッドで眠っていたトトが、アイズに気づいて目を覚ました。
「ごめん、起こしちゃったわね」
「いえ、こちらこそ一人で先に寝てしまって。帰ってこられてたんですね」
「うん、割とすぐにね。今、目が覚めたところよ」
 心配させないよう、小さな嘘をつく。
 トトは起き上がると、アイズの隣に腰かけ、同じように窓の外を眺めて言った。
「いい所ですね、アイズさん」
「そうね。景色は綺麗だし、いい人ばかりだし。トトだって、お兄さん、お姉さん達に会えて嬉しいでしょ?」
「はい」
 トトは頷くが、その表情はあまり明るくない。
「でも……どうしてでしょうか。何だか胸騒ぎがするんです」
「まあ、ここも色々あるみたいだしね。けど、大丈夫だよ、きっと」
 アイズはトトをぎゅっと抱き寄せ、自身の不安を打ち消すようにニッと微笑んでみせた。

 着替えを済ませると、アイズとトトは寝室を出て居間に向かった。
 二人にあてがわれたのは、ドールズ達が共同生活を営む家の一室だった。ちょうど一つだけ空き部屋があり、ベッドも物置に余っていたので、空き部屋に運び込んで相部屋にしたのだ。ちなみにルルドはナーの部屋にいる。
 居間に入ると、まだ誰も起きてきていないようだった。
 トトと目線で会話をし、皆が起きてきたときに驚かせようと、なるべく静かに朝食の準備を開始する。
 そこに。
 玄関扉を突き破りそうな勢いで、ロバスミが息を切らして駆け込んできた。
「大変です、発電所にあいつらが!」


第9話 前奏曲<プレリュード>


「アイズさん、やはり無理をしないで休んでいたほうが……」
「大丈夫です、脚には自信ありますからっ!」
 アイズとプラントは、発電所に向かって森を疾走していた。
 ロバスミの話を聞いて反射的に家を飛び出して間もなく、同じく異変を聞きつけて発電所に向かう途中のプラントと合流したのだ。
 アイズは全身汗だくになっているのに、プラントは呼吸一つ乱していない。この人どういう鍛え方をしてるんだろう、とアイズは思った。これまで陸上競技で負けたことはなかったのに。
 と、二人の頭上を飛び越えて、カシミールが前方に着地した。
「プラントさん、村への連絡は完了しました。すぐにみんな来ます」
「すまないね、カシミール」
「急ぎましょう」
 言うなり、カシミールの背中がグングン小さくなっていく。花畑でも駆けるかのような軽やかな足取りだが、一歩で10mぐらい進んでいそうだ。
「うわ~。あんなに細いヒールの靴を履いてるのに……」
 先程感じたプラントの逞しさに対する畏敬は何処へやら、結局は地道に地面を駆けるしかない互いの姿に、妙に親近感を覚えるアイズだった。
 
 やがて、発電所が近づいてきた。
 発電所の上空には、黒く巨大な十字架型の空中戦艦が浮かんでいた。それに乗ってきたらしい黒服の男達が、周囲を何重にも取り囲んでいる。足下まで届く黒いローブを身に纏い、何人かは銃器を携えているようだ。
 先に到着したカシミールは、彼らと話をしている様子だった。
「あの人達は?」
「太陽教団の方々ですよ」
「プラントさんの宗派ですか?」
「いえ、本来この土地の者とは交わらない存在です。ここより更に奥地に、彼らの修行地があるのです」
「その皆さんが戦艦持って何の用なんですか?」
「ご近所付き合いで揉めてましてね」
 プラントはアイズに動かないように言うと、歩いていってカシミールの隣に立った。すると、教団側からも数人の男達が進み出て、携えていた文書を読み上げた。周囲の者達とは服装が違う。どうやら位の高い、神官に位置する男達のようだ。
 彼らの目的は発電所の撤去と、責任者の謝罪だという。この発電所は我々の聖地を汚すものである、と彼らは主張した。
「お願いします、このまま立ち去ってはいただけませんか?」
 カシミールが告げても、神官達に引き下がる気配はない。むしろ敵意を増したように見える。
 彼らは明らかに、カシミールに対して警戒の眼差しを向けていた。しきりに「人形のくせに」「人造の生命体が」などとささやき合っている。
「前回もお話ししましたが、この施設は政府の事業によるものです。これ以上、妨害行動を続けると仰るのでしたら、こちらも相応の対処をしなければなりません」
「そうですね。以前より政府に要請していた監察官が、ちょうど昨日、村にお見えになりました」
 プラントが告げると、神官達に動揺が走った。
「あなたがたの行動は、すべて監察官を通して政府に報告させていただきます。どうぞ、戻って政府からの連絡をお待ち下さい。計画に意見があるのでしたら、その際直接政府に伝えていただくのがよろしいでしょう」
 神官達がにわかにざわめき始める。
 と、突然空中戦艦から、スピーカーを通したような大声が響いた。

『ハ~イ、皆さん、お待たせ~! す~ぐに行くから待って~てね~!』

 声を聞いて、神官達が活気を取り戻す。どうやらかなりの実力者が降りてくるらしい。
 そしてカシミールは、驚いた後、露骨に顔をしかめた。
「ジューヌ……! あのバカ、どこで何をしているのかと思ったら……!」

 皆が見つめる中、戦艦から一人の少女が飛び降りてくる。
 彼女が着地すると、何処からともなくファンファーレが流れた。
「ま、後は私達に任せておきなさい。このジューヌ様にね」


 少女は楽団の演奏者とも、サーカスの団員ともつかない奇妙な服装をしていた。無数のピンやビーズで髪を留めており、良く言えば斬新、悪く言えば奇抜な髪型をしている。

「どこから流れたんですか? さっきの音楽」
「彼女は<楽器>ですから……アイズさん、待ってて下さいと言ったでしょう」
「あはは、すいません」
 プラントの背後に隠れながら、アイズは誤魔化し笑いを浮かべた。

「さて……バカとは何よ、カシミール! 仕事の邪魔しないでよね!」
 ジューヌと呼ばれた少女は、無駄に優雅な手つきでカシミールを指さした。
「よりにもよって、太陽教団に味方するなんて……何を考えているのよ」
「ビジネスよ、ビ・ジ・ネ・ス」
 ジューヌは大げさに天を仰いだ。
「姉妹間の愛情も、失われた祖国への郷愁も……すべては時の流れの中に立つ、砂の城のごとし」
 ジューヌはそこで言葉を切った。小さなため息と共に、残りの言葉を吐き出す。
「もう、どうだっていいのよ。そんなことは」
「それが、貴女の出した答えなの?」
「そ~いうこと」
 ジューヌは右手をひらひらさせながら、発電所に向かって歩き始めた。周囲を取り囲んでいた男達の人垣が、彼女の歩みに従って割れる。
「悪いけど、発電所は壊させてもらうわよ」
「やめなさい!」
 カシミールが叫ぶが、ジューヌは立ち止まらない。

 しかしカシミールの言葉は、ジューヌだけに向けられたものではなかった。

「この裏切り者!」
 カシミール、そして男達をも飛び越えて、白蘭がジューヌに襲いかかる。
「ふん、この世間知らずが!」
 白蘭の振るった剣をかわすジューヌ。彼女は一旦距離を取ると、白蘭に向けて右手を突き出した。
 金管楽器の音色を凝縮したような、強烈な音が響く。同時に、白蘭の足元の地表が弾け飛んだ。音の塊をぶつけた、そう形容するしかない攻撃だ。
 白蘭は土煙の中から飛び出すと、再びジューヌに切りかかった。

「ああ、もう始まっちゃってますね」
 近くの岩陰に避難していたアイズとプラントの隣にナーがやってくる。その後ろには疲れ果てた様子のロバスミがいた。村と発電所を走って往復したのだから無理もない。
「白蘭は大丈夫かな?」
「接近戦なら白蘭のほうが強いと思います。ジューヌ姉様も戦闘向きのタイプではありませんから」
 答えつつ、ナーは周囲を探るように見渡した。
「一対一なら……ですけど」

 戦いは続いた。ナーの言葉通り、接近戦では白蘭に分があり、徐々に追い詰められていくジューヌ。
 その時、
「白蘭、後ろに跳んで!」
 ナーが叫ぶと同時に、別の方向から白蘭に向かって音の攻撃が放たれた。かろうじて直撃を免れたものの、体勢を崩した白蘭が地面を転がる。
 再び距離を取るジューヌ、その隣に一人の青年が並ぶ。
「フェイム! 何やってたのよ、遅いじゃない!」
「うるさいな、これでも精一杯急いで来たんだ」
 フェイムと呼ばれたのは、まだ幼さの残る青年だった。容姿と裏腹に口調は荒い。
「とりあえず、ある程度の調べはついた。今はこいつらを何とかするぞ」
「当然よ!」
 フェイムが右手を突き出し、鏡合わせになるように、ジューヌが左手を重ねる。
 二人は同時に叫んだ。
『連携・開始!』

「何が起きたの?」
「彼はフェイム……『コピー』の能力を持つ兄弟です」
 険しい表情を浮かべ、ナーが説明する。
「コピーした能力の出力はオリジナルの7割程度ですが、オリジナルと連携すれば戦力は数倍になります」
 ナーの言葉通り、戦いはジューヌ・フェイムの優勢に転じていた。絶妙なタイミングで繰り出されるフェイムの援護が、ジューヌの攻撃力を倍増させている。
「くっ……!」
 遠距離攻撃ができない白蘭は、咄嗟の判断で神官達を背後に取った。今まさに音の攻撃をしようとしていたジューヌが、慌てて手を止める。
「やるわね、白蘭……! フェイム、足を狙って動けなくするわよ!」
「お優しいことで」
 ジューヌの指示に、フェイムは呆れたように呟いた。
 
「5秒程使わせてもらいますからね……ええ、5秒で充分です。心配しないで下さい、博士。ジューヌは私の妹です」
 カシミールが通信を切るのと、白蘭がジューヌ・フェイムの攻撃を受けて弾き飛ばされるのが同時だった。距離が開き、しかも上空に飛ばされた白蘭に向けて、二人の手が振り上げられる。
「まずい……!」
 カシミールが動くよりもわずかに早く、強烈な音の塊が白蘭に向けて放たれた。

 次の瞬間、凄まじい突風が巻き起こった。

「なに!?」
 驚くジューヌとフェイム、そしてカシミール。
 音の攻撃は突風に乱されて威力を失い、白蘭の身体も弾かれたように横に逸れる。
 そのまま落下するかに見えた白蘭を空中で受け止め、見事に着地を決めたのは、風を操る一人の青年。
「な……! ど、どうしてアンタが!?」
「大丈夫ですか? 白蘭さんでしたね」
 スケアは白蘭を立たせると、ジューヌとフェイムに視線を定めた。
「そんな、まだ動ける状態じゃ……」
「大丈夫です。貴女が治療してくれましたから……それよりも、来ますよ!」

 話は後回しにし、戦い始めるスケアと白蘭。接近戦を得意とする白蘭に、風の魔法で音の攻撃を妨害することができるスケアの連携攻撃は、ジューヌとフェイムのそれを上回った。
「何なんだ、あいつは!」
 フェイムが叫ぶ。
「相性が悪すぎる! 風を操る奴がいるなんて聞いてないぞ!」
「……クラウンよ」
 ジューヌが呻く。
「知ってるのかよ?」
「ええ、知ってるわ……とてもよく知っているわ」
 ジューヌは、血が滲むほどきつく唇を噛んだ。
「退くわよ、フェイム」
「何言ってんだ、これからじゃないか!」
「退くって言ったら退くのよ! クラウンにはあんたじゃ勝てないわ!」
「勝手に決めるな! 俺は万能の力を持つ最強の人形だ!」
 言い争いに注意が逸れた隙を見逃さず、スケアが風を放つ。フェイムはかろうじて避けたが、ジューヌが既に退却したことに気づくと、渋々引き下がって姿を消した。
 
「は、話が違うぞ!?」
 残された男達は、ジューヌ達が撤退したのを見て大きくざわめいていた。
「どういたしましょうか?」
「ここまで来て引き下がれるか!」

「あ~、太陽教団の皆さん」
 プラントが男達に呼びかけた。
「そろそろ村の皆が起きてくる頃だ。今日のところはお引取り願えませんか?」
「他教の者が……」
 言いかけて、男達が口をつぐむ。
 いつの間に来ていたのか、プラントの背後には武器を携えた村人達が立ち並んでいた。更に後ろにはモレロが、上空にはベルニスの操縦する飛行機が滞空している。
「カシミール君も言ったが、私達は争いごとを望みはしない。少なくとも、貴方達が望まない限りはね」
 モレロが無言で近くの大岩をつかみ、担ぎ上げて歩いてくる。
 男達は慌てて後ずさると、そのまま一目散に退散していった。
「モレロ君、もういいよ」
 プラントはモレロの肩を叩いた。
「ついでだから、その岩を向こうに持っていってくれないかな。前から邪魔だと思ってたんだ」
「了解です」
 
「素人にしてはよく訓練された動きだ」
 船底のカメラ越しに村人達を見ながら、ベルニスは呟いていた。昨夜のパーティーでは相当量の酒が振舞われたというのに、早朝からこれだけの統率された行動が取れるのは、日頃から危機意識を持って訓練しているからだろう。
「そして……あれがプライス・ドールズとクラウン・ドールズか。凄まじいな」
 カメラの照準を、村人達からドールズに移す。
 コックピットのモニターには、今まさに地面に倒れたばかりのスケアの姿が映し出されていた。

「あたしのせいだ……!」
 意識を失ったスケアを抱き締め、白蘭は必死で治癒魔法を施していた。
「あたしが手を抜いたから……戦える状態じゃなかったのに……!」
 いつもは気丈な瞳から、大粒の涙がこぼれる。
「過ちに気づいたのなら、それを償えばいいわ。手遅れになる前にね」
 カシミールが優しく告げる。
 白蘭は涙を拭うと、そうね、と頷いた。
「ナー! ロバスミ! スケアさんを運ぶわよ!」

「償えばいい……か」
 白蘭達が大騒ぎしながらスケアを運んでいくのを見つめ、カシミールは呟いていた。

「大丈夫でしたか、アイズさん」
「そのうち怪我しちゃうよ、お姉ちゃん」
 気がつくと、アイズの近くにはトトとルルドが来ていた。
「ん? いや、今回は別に、私は何もしてないから」
「さっきのお二人は……№15『ジューヌ』姉様と、№17『フェイム』兄様ですね」
 悲しげな表情で、二人が去っていった方角を見つめるトト。
「兄弟同士で戦うなんてことが……あるんですね」
「家族だからって全員が仲良くできるなら、とっくに戦争はなくなってるよ」
 ルルドが呟く。
 フジノとのことを思い出しているのだろう。そうアイズは思ったが、
「可愛くないことを言わないの」
 ルルドの頭を軽く小突くと、不満げに頬を膨らませるルルドの肩を抱き、トトと3人で村に向かって歩き始めた。

 少し後。
 ジューヌとフェイムは、小型の飛空挺で太陽教団の神殿に降り立った。
 教団の本拠地は、アイズ達のいる村からさほど離れていない山の頂にある。望遠鏡を使えば互いに見えるほどの距離だが、両者は険しい渓谷によって分断されており、徒歩で直接行き来することはできない。
 神官達の乗る十字型戦艦はまだ戻っていなかったが、ジューヌは神殿内の自身にあてがわれた部屋に入ると、早々にフェイムを追い払って椅子に座り込んだ。
 割り切ったつもりになってはいたが、親とも言える存在を裏切り、兄弟姉妹と敵対した事実が心に重く圧し掛かる。
 そして、あのクラウン。
 姿は少し変わっていたが、間違いない。“あの”クラウンだ。

 思い出が脳裏を駆け巡る。
 懐かしくも悲しい、今は存在しない国で過ごした日々の光景が。
「カシミール、あんたはどうするわけ……?」

 その時、部屋にあった電話のベルが鳴った。
『私だ』
「……毎回凝った演出で連絡してくるわね、エイフェックス」
 受話器から聞こえてきた声に、ジューヌはため息をついた。この電話は何処にも繋がっていない。ただ机の上に置かれているだけの骨董品だ。
 
 エイフェックスと名乗る謎の男にジューヌ達が雇われたのは、ほんの一ヶ月ほど前のことだ。ペイジ博士の元を離れ、フェルマータの南部で何でも屋をしていた二人に、エイフェックスは接触してきた。
 彼についてはわからないことだらけだが、軍需産業に関わっていることは確かだ。この太陽教団において、彼がすべての武器を調達しているのだから。
 ドールズを毛嫌いする者達の中にありながら、ジューヌとフェイムが好意的に受け入れられているのは、二人もまたエイフェックスが用意した“武器”だからだ。
「発電所の破壊は失敗したわよ」
『構わんよ。予想通りだ。君達はその間に例の件を進めてくれればいい』
 事態が長引けば、その分より多く武器が売れるということだろう。
『しかし、武器を売るなら宗教関係だな。あんな趣味の悪いデザインの戦艦に乗ってくれるのは彼らくらいのものだ。在庫処分ができて良かったよ』
「あれはレンタルだって言ってなかったっけ?」
『素人が扱って、貸し出した時と同じ状態で戻ってくるはずがないだろう?』
「……あくどいわね」
 声からすると、かなり大柄で体を鍛えている壮年の男性ってところかな、とジューヌは考えた。低くて渋い声だが、子供っぽい無邪気な響きが混ざっている。こっそり村の連中にも粗悪な武器を提供しようとしたら見事に突っ返されたよ、と彼は楽しげに語った。
 何を考えているのかわからないが、声に人を動かす力があるのは確かだ。今回の件も、彼の依頼でなければ引き受けなかっただろう。
『さて、今日は別件で頼みがある。もうすぐそちらに到着する者を出迎えて、彼女らに協力して欲しいんだ』
「誰が来るの?」
『それは会ってのお楽しみだ』
 ということは、自分の知っている者か。
 一体誰が、と考える間もなく、神殿の外に数人乗りの小型船が到着する。フェイムと共に迎えに出たジューヌは、船から降りてきた者達の姿を目にして顔色を変えた。
「カ、カルル姉様!? それに貴女……まさかフジノ、フジノなの!? 信じられない、二人とも死んだとばかり思っていたのに……!」
「本当、お互いに無事でよかったわ……」
 カルルが不気味に微笑む。
「早速だけどジューヌ、手伝ってくれるわよね? あのクラウンと、カシミール、モレロ、カトレア、ナー……それから妙な黒髪の小娘よ。あいつらを皆殺しにするの……」
「え? み、皆殺しってそんな」
「先生だって、あのクラウンが憎いでしょう?」
「フジノ……」
「お久し振りです。お変わりありませんね」
 場違いな程に明るい笑顔を見せ、丁寧に御辞儀をするフジノ。
「先生?」
「黙ってなさい、フェイム」
 カルルとフジノのまとう異様な雰囲気に、ジューヌは背筋が冷たくなるのを感じた。
 二人とも、最後に会ったのは10年以上も昔のことだ。フジノに至っては成長して容姿が変わり、すっかり大人になっている。しかしそれでも、目の前の二人は、彼女の記憶にある二人とは決定的に何かが違っていた。
 そんなジューヌの様子など気にならないといった様子で、フジノは自身の後ろに隠れていた小さな女の子に自己紹介をさせた。




「ルルド・ツキクサです。よろしくお願いします」




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新型インフルエンザ

2009年05月22日 | Weblog
 昨夜、京都市で豚インフルエンザの感染者が確認されました。

 そして今日、5月22日。
 息子の通う幼稚園から一週間の休園が通知されると共に、本日予定されていた遠足が中止となりました。
 雨天時に延期すべく5月26日に設けられていた予備日も休園期間に含まれるため、完全なる中止です。

 息子は年長組です。
 年少時は遠足当日・予備日ともに雨天であったため、今回同様に中止となりました。

 3年間の幼稚園生活で、遠足に行けたのは1回きり。
 あまりにも。
 あまりにも不憫でなりません。

 大阪市では、修学旅行出発直前に駅で中止を言い渡された中学生もいたとのこと。
 弱毒性にも関わらず国民の不安を煽ったマスメディアの暴走と、強毒性インフルエンザ用のガイドラインをそのまま適用した政府の不見識に憎しみすら覚えます。


 新型インフルエンザ?
 マスコミ型インフルエンザの間違いじゃないですか? 

第8話

2009年05月20日 | マリオネット・シンフォニー
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 ヴァギア山脈の南西部を、一機の飛行機が飛んでいた。
 機能的に洗練されたフォルムの、赤い飛行機だ。機体にはフェルマータ合衆国の国章が刻まれており、それが国家機関に属するものであることを示している。
「ああ。……ああ、わかってる。うん。そうか、もうすぐか」
 コックピットでは二十代後半の男が誰かと通信していた。片手で操縦桿を握り、もう片方の手には二枚の写真を持ち、穏やかな口調で話している。
「心配はいらない。それまでには必ず帰るから……ああ……ん? これは……」
 目前のレーダーの反応に気づき、男は話を中断した。前方およそ10kmの空域に、不自然な飛行物体の一団がある。
「ああ……いや、何でもないよ。そろそろ次の村に着くんだ。また連絡するから」
 男は通信を切ると、持っていた写真を見比べた。
 どちらにも同じ、可愛らしい少女が写っている。一方は元気よく笑っている写真、もう一方は無数の花に埋もれて目を閉じている写真だ。
 男は表情を引き締め、写真を小物入れに放り込んで操縦桿を握り締めた。

 前方の飛行団体は、微妙に航路を変更しつつ飛んでいる。
 レーダーが示すそれらの行く先には、一機の飛空艇の存在が確認できた。


第8話 風が歌う村


 川沿いの町を脱出した翌朝。
 アイズ達を乗せた飛空艇【南方回遊魚】は、ヴァギア山脈の北端へと向かっていた。
 ちなみにネーナやグッドマンがいたトゥリートップホテルのある森林地帯は山脈の南端、難所として有名なヴァギア山脈の中では最も交通の便が発達している場所である。

「ごめんね。なんだか騙したみたいになっちゃって……」
「いいえ、私がいけないんです。何も知らずに、ハイムのことを『悪い人達』なんて言ってしまったから」
「あはは……それは否定しないわ」
 朝の穏やかな風に吹かれる、甲板の上。
 流れる景色を眺めながら、アイズとトトは話をしていた。
 フジノを説得するためにハイム出身であることを明かし、トトの信頼を損ねたかと考えたアイズだったが、トトは首を横に振った。
 ハイム出身者の全員が悪いわけではない。アイズのことも、勿論スケアのことも信じていると。
 ちなみにスケアは一時かなり危険な状態だったが、ビャクランの治療を受けて、どうにか一命をとりとめていた。
 が、夜のうちに経緯を聞いたビャクランは、フジノを支持した。
「患者の命を救うのは私の仕事だから、見殺しにするような真似はしないけどさ。私はフジノさんにつくからね」
 と。

「ビャクランはリードランスの騎士に憧れているんです」
 昨夜、皆で改めて自己紹介を済ませた後、ナーがこっそり教えてくれていた。
「暇さえあればリードランスのデータを引っ張り出して……中でも特に、フジノさんには憧れているんですよ。だから、何を言っても信じないと思います」
「だろうね。自分で真名をつけるくらいだし」
 看護服姿の少女……その姿が示す通り医療技術に特化した能力を持つという彼女の、本来の名前はカトレアと言うそうだ。しかし彼女はリードランスの伝統を真似し、自らビャクランと名乗るようになったという。
 カトレアの名を古き言葉で編み直し、『白蘭』でビャクランだ。
「けど、それがなくても、フジノさんのことをわかるように説明するっていうのは難しいだろうなぁ」
「私も、実際にお会いするまでは『伝説の勇者だなんて、格好いい人だな~』っていうふうにしか思ってなかったですからね」
「私もよ。ところで、白蘭は看護が専門でしょ? 騎士に憧れてるってのも変よね」
「それ、本人の前で言ったら怒りますよ~」

 しかし、アイズと白蘭は驚くほど気が合った。
 最初こそアイズのことをいぶかしんでいた白蘭だったが、事情がわかるとすぐに打ち解け、あっという間に意気投合したのだ。
「あたしはね、強くなりたいの」
 トトが船室に戻った後。入れ替わるように甲板に出てきた白蘭に、騎士への憧れについて質問すると、彼女はそう答えた。
「強くなって、いつかリード兄様みたいに、誰からも尊敬される騎士になりたいの。どうして父様は私を医療用に作ったのかしら」
「リードお兄さんって?」
「12番目のお兄様よ。戦闘タイプで凄く強かったの」
「ああ、王族の警備をしていたって人ね」
「そうよ。当時の円卓騎士筆頭、騎士団長より強いって言われてたんだから!」
 円卓騎士って確か、騎士団のエリート集団だったっけ。
 アイズがトトから聞いたことを思い出していると、白蘭はスケアが寝ている船内に目を向け、若干敵意のこもった声で言った。
「でもね。戦闘タイプじゃなくたって、私はクラウンなんかに負けないわ。あんなのただの模造品なんだから」
「模造品?」
「……なんでもないわ」
 白蘭がぶっきらぼうに答える。
 その時、船体が大きく揺れた。

「ちょっとロバス……」
「白蘭! 敵だ!」
 操舵室に駆け込んだ白蘭が怒鳴りつけるよりも早く、ロバスミが緊迫した声で叫んだ。
「所属不明の機体です。多分、敵でしょう」
 ルルドと共に、ロバスミの隣にいたナーが言う。アイズが彼女の視線を追って船の後方を見ると、数機の戦闘機が飛んでいるのが見えた。
「トトは!?」
「スケアさんが心配だって、部屋に……第二射、来ます!」
 ナーが叫ぶと同時に、相手の攻撃が始まった。ロバスミが飛行速度を上げて引き離しにかかるが、まったく振り切れないどころか徐々に距離が詰められていく。機体の性能差は明らかだ。
「逃げ切れないの!? ロバスミ!」
「これ以上の速度は無理だよ!」
「だったら、また瞬間移動でこの船を飛ばそうか?」
「いや、あれは機体に負担がかかる」
 提案するルルドに、ありがとう、と微笑むと、ロバスミは表情を引き締めた。
「僕に任せて。みんな何処かにつかまって!」

 ロバスミは船体を急降下させ、山肌すれすれに飛び始めた。岩や木々の隙間を縫うようにして、障害物を巧みに避けていく。アイズも飛空艇の操縦は習ったことがあるが、教官と比べても見劣りしない腕だ。
 だが、相手は相当に高性能な戦闘機であるらしい。距離は多少稼げたが、それでも振り切れる気配はない。
「くそ、無人兵器か……!」
 ロバスミが焦りを見せる。
「無人兵器って?」
「遠隔操作とか自動操縦プログラムで動く、人が乗っていない戦闘機のことよ。誰も乗っていないから、どんな無茶な飛び方でもできるの」
 ルルドの疑問に、ナーが答える。
 と、敵機が突然火を噴いて墜落した。

「何!?」
 前方に赤い飛行機が現れ、一瞬のうちに擦れ違う。その飛行機は続けてもう一機炎上させると、大きく旋回して敵の上空に位置取り、とどめとばかりに弾丸の雨を降り注ぎ始めた。
「政府の船ですよ、アイズさん」
 ロバスミが答える。
「よかった、間に合った」
「知ってたの? あの飛行機がここにいるって」
「ええ、通信が入ってましたからね。気がつきませんでしたか?」
「……全然気がつかなかったわ」
 あの状況で通信と操船を同時にこなすなんて、大した冷静さだ。
 戦闘は既に決着がついていた。敵をすべて撃墜した赤い飛行機が、墜落した機体の近くに降りていく。
「すごいわね~。あれだけ頼りになる空軍があれば、何かあっても安心ね」
「いえ、あれは郵便船ですよ」
「……だから真っ赤なんだ……この国の郵便局って強いのね……」

 南方回遊魚が着陸すると、墜落した敵機を検分していた男性がアイズ達を出迎えた。
 赤い飛行機のパイロットは、飛行郵便局員のポール・ベルニスと名乗った。
 フェルマータはまだ通信網が発達していないので、交通手段が未発達な地域への配達や、宛先人所在不明便の配達を専門に扱う郵便局員がいるという。
 ちなみに宛先人所在不明便の配達に関しては、局員一人一人が手紙のデータバンクを携帯しており、もし本人に会うことがあったならその場で印刷して渡してくれるというものだそうだ。
 ベルニスはアイズとトト宛ての手紙を持っていた。差出人はネーナで、スケアが二人を探しているから一度連絡を入れて欲しい、うまく合流できたなら彼の言うことをよく聞いて共に行動すること……というようなことが書かれていた。
 そして、スケアがクラウンであること、現在の彼は間違いなく味方だが兄弟の中には快く思わない者もいるはずだから気をつけるように、とも。
 トトと二人で手紙を読んだ後、アイズは白蘭にも手紙を見せた。
「まったく、ネーナ姉さんは甘いんだから……わかってるわよ、心配しなくても毒を盛ったりしないって」

「失礼、皆さんは山脈の村に行かれるんですよね」
 出発の準備をしていると、ベルニスが尋ねてきた。郵便配達人というより軍人のような口調だ。
「ええ、そうです」
「あの地域で起きている問題について視察するように、政府から命令を受けたのですが」
「あ、そうなんですよ! 良かった、お待ちしてました~!」
 ナーが手を合わせて喜ぶ。しかし、白蘭は露骨に不機嫌そうな顔をした。


「何? 政府に連絡したのは随分と前の話よ。今頃になって対応したと思ったら、郵便局員が一人ですって? こっちは国家プロジェクトを進めてるっていうのに!」
「も、申し訳ありません……政府は万年人手不足でして」
 白蘭の勢いに気圧されて、ベルニスが謝る。
 広大な国土を持つフェルマータが、合衆国としての歴史を歩み始めたのはそう昔のことではない。地域によって発展の度合いが大きく異なる。特に白蘭達がいる地域は飛行機でしか行けないような場所で、普段はほぼ無政府状態であるらしい。
 話を聞くと、飛行郵便局員がこういった仕事をするのは珍しいことではないそうだ。その性質上、人生経験豊富な退役軍人なども多いそうで、アイズが空軍と勘違いしたのもあながち的外れではなかったということになる。
「ところで、問題ってなんなの? さっき襲われたのもその関係?」
「あたしも詳しくは知らないわ。ああいう連中が出てくるようになったのはこの数ヶ月だもの。でも原因はわかってるわ。村で作っている発電所よ」
「発電所?」
「ペイジ博士の進めている新型発電システムのことですね」
 とベルニス。
「ペイジ博士って?」
「お父様のご友人で、私達プライス・ドールズの共同開発者でもある方です」
 トトが答え、
「リードランスから亡命なさってから、この国の発展に大きく尽力されているんですよ」
 ベルニスが付け加える。
 またリードランスね、とアイズは思った。

 休息を取った後、ベルニスの飛行機を護衛にして、一行は再び進んだ。
 やがて夕陽が沈む頃に到着した村は、緑豊かな山間にあった。絵に描いたように美しい場所だ。
 複雑に入り組んだ地形が観光地としての開発を阻んでおり、小さな村が散在しているだけで、古くから山岳宗教の修行地として有名な場所だという。
 アイズ達を出迎えたのは、村の教会を管理するプラント牧師。そして、ナーと白蘭の兄にあたるモレロだった。
「よく無事に帰ってきたね。心配したんだよ」
 プラント牧師が穏やかな口調で白蘭達を出迎える。綺麗な白髪の壮年の男性だが、見た目よりも若いのかもしれない。握手をした時の力強さから、アイズはそう思った。

「ロバート君、実は3番倉庫が一杯でね。船は2番倉庫に入れたいんだ」
 意識のないスケアを村の診療所に運び入れた後、プラントが言った。
「わかりました。じゃあ先に行ってますね」
 話を聞いて、ロバスミが倉庫に駆けていく。
「あれ? 操縦は……」
「ああ、それはモレロ君がやってくれるから心配しなくていい」
 プラントが言うと、モレロは船に近づき……船体に手をかけると、そのまま持ち上げた。船全体を。
「うわっ!?」
「モレロ兄様のパワーはドールズ1なんですよ~」
 えっへん、とナーが胸を張る。
 モレロは船を持ち上げたまま歩いていたが、ふと立ち止まると振り返った。
「君達、辛い料理は大丈夫?」
「……結構好きです」
「大丈夫です」
 アイズとトトが答える。
「良かった。この辺りの地方料理は辛いものが多くてね」
「モレロ兄様は料理の腕もドールズ1なんですよ~」
「はあ……」
 と、診療所から出てきた白蘭が、再び歩き始めたモレロに文句を言った。
「ちょっとモレロ兄さん、そんなに何度も方向を変えないでよ! 中の荷物が崩れちゃうじゃない!」
「すまん」
 ……いい人みたいだな、とアイズは思った。

「ごめんなさい。遅れちゃったみたいね」
 モレロが倉庫に入った後、別の建物から一人の女性が出てきた。
 ここ数日、様々な美女、美少女、美幼女に出会ってきたアイズだが、その中でもトップクラスの美しさだ。
 特に「女性らしさ」という項目であればダントツの一位だろう。体も物腰もすべてが円やかで、優しく包み込んでくれそうな……そんな女性だ。彼女が微笑んでいるだけで、周囲が明るく輝いているような気さえする。
「綺麗なお姉様です~。カシミール姉様ですね」
 うっとりと見つめるトト。カシミールは微笑んでトトを抱き寄せた。
「よく来てくれたわね、トト」
「むぎゅ~」
「すごい胸~。トトの100倍はありそう」
 トトは何か言いたげだったが、カシミールの胸に挟まれて声が出ない。
「貴方がアイズさんね。白蘭から通信で話は聞いているわ」
 カシミールはトトを離すと、アイズ、トト、ナーを見つめた。
「フジノに……会ったそうね」

「ママのこと知ってるの?」
 ずっとナーの後ろにいて黙っていたルルドが、母親の名前に反応する。
 カシミールはルルドに気がつくと、一瞬表情を強張らせた。
「ええ……よく知っているわ」
 カシミールはルルドの向こうに目をやった。そこにはスケアが運び込まれた診療所がある。
「……お姉ちゃん、行こう」
 ルルドはナーから離れると、アイズの手をつかんで引っ張った。
「ルルドちゃん?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。私もカシミールさんにギュ~ってして貰いたいのに」
 無言で引っ張り続けるルルド。
 アイズは諦めて小さく会釈すると、ルルドに連れられてその場を去った。

「で、どこに行くわけ?」
 アイズが尋ねると、ルルドは呟いた。
「ママがね……一度だけ、お酒に酔って……あのカシミールっていう人のことを話したことがあるのを思い出した」
「へぇ。じゃあ、あの2人って知り合いなんだ。何て言ってたの? フジノさん」
「……卑怯者の、裏切り者だ……って」

 トトがアイズ達を追いかけていったので、カシミールとナーは二人で診療所に入った。寝台にスケアが寝かされており、他には誰もいない。
「あら、白蘭は?」
「ああ、そういえば。モレロ兄さんが船を運んじゃったから、倉庫まで機材を取りに行っているはずです」
「仕方のない子ね、患者を放っておいて。いいわ、私が見ているから手伝ってらっしゃい」
「あっ、はい。すぐに戻りますから」
 ナーが出て行くと、カシミールは無言でスケアの寝顔を見つめた。
「……不思議ね、運命っていうものは……」
 カシミールが拳を握り締める。

 その瞬間、村中の照明がダウンした。

 夜。
 原因不明の停電が続く中、アイズ達は夕食に招待されていた。宴会場となった村の集会所には村中の人々が集まり、電気照明の代わりに持ち寄られた数々のランプが、室内を暖かく照らし出している。
「では、仲間達の帰還と、新たな客人の来訪を祝って!」
 プラントの言葉と共に祝杯が上げられる。
 やがてトトが歌い始め、白蘭とロバスミがそれに加わった。ナーに促されて、おずおずとルルドも加わる。
「いやあ、突然の停電には驚きましたが、楽しいパーティーですね」
 ベルニスがアイズに言った。少し酔っているのか口調が柔らかい。
「ベルニスさんはしばらくここにいるんですか?」
「村長から受けた報告と、私が遭遇した無人戦闘機のデータを元に、軍の出動を要請しました。返信が来るまでには時間がかかりますが、おそらく聞き届けられるでしょう。軍が来るまでは責任者として私も滞在します」
 もっとも、ここには私より強い方が大勢いらっしゃるみたいですけどね、とベルニスは付け加えた。
「確かに、ドールズが4人だものね。でも、どうして一箇所に集まってるんだろう?」
「ペイジ博士は第二のお父様と言ってもいい方ですから」
 ナーが近づいて来て言った。
「昔は、他にもいたんですけどね」
「余計なことを言わないの、ナー」
 カシミールが諌める。
 彼女は何処か上の空で、ぼんやりと歌っている面々を見つめていた。視線が向かう先には、ナーと手を取り合って歌っているルルドがいる。

 その頬を、一筋の涙が零れ落ちた。

「いけないわ。ちょっと酔ったみたい」
 カシミールは顔を押さえて台所に入っていった。

「……結局、過去からは逃げられないのね。フジノも、私も……」
 カシミールは呟き……そして、糸が切れたように泣き崩れた。
「アインス……どうして死んじゃったのよぉ……っ」
 声をかけそびれたアイズは、気づかれないように静かにその場を去った。

 パーティーの後。
 村人全員分の料理の準備で精根尽き果てたモレロは酒に酔ってソファーにひっくり返り、白蘭は村人達の往診に、ベルニスは飛行機の整備にそれぞれ向かい、ルルドはナーにくっついて天体観測に行った。
 一方、村外れの送電施設にも幾つかの人影があった。
「まったく、なにが楽しくて酒も飲まずに働かなくちゃいけないのかね。明日も早いというのに」
「申し訳ありません、博士」
 プラントが詫びる。話している相手は世界的な科学者、ペイジ博士だ。肩書きに似つかわしくない作業着姿で、古びた発電機に手を突っ込んで修理している。
「ほれ、直しといたぞ。原因は一時的な逆流だな。どこぞで雷でも落ちたんだろう」
「でも、雷は鳴ってなかったよ」
 修理を手伝っていたアイズが、汚れた手で額の汗を拭う。トトと共に休むよう言われたのだが、修理に興味があったのでトトだけ先に休ませ、手伝いを申し出たのだ。
「だが、他に原因は考えられんしな……むぅ」
 一瞬、ペイジは何かに思い当たったような表情を浮かべたが、それはないか、と呟いた。
「それにしても、古いけど凄い発電機ですねえ。これで村中の電気を作ってるんですよね」
「大昔に作った試作品だ。まあワシは天才だからな。あと百年は持つだろ」
 アイズはペイジの顔をまじまじと見つめた。年齢を重ねてはいるが野性味にあふれる顔、調子のいい口調……誰かを思い出させる。
「ねえ博士、もしかしてグッドマンって奴の開発に関わってませんか?」
「ん? あれもワシの息子の一人だな。よく知ってるな、お嬢ちゃん」
「うん、だって調子のいいところがそっくり」
「ひどいな、お嬢ちゃん」
 ペイジが顔をしかめる。プラントが笑いをこらえるような顔をしているのを、アイズは見逃さなかった。

 ペイジが家に帰って休むと言ったので、プラントとアイズは博士を見送った。
 もうすっかり真夜中だ。
「すみませんね、アイズさん。こんなに遅くまでお付き合いいただいて」
「いえ、機械いじりは好きですから。楽しかったです」
「それなら、明日は発電所のほうも見学されますか。案内しますよ」
 プラントは村の外れを指差した。暗闇の中でぼうっと輝く、幾つもの塔が見える。
「あれが現在建設中の発電所です。大気の振動によって電力を得る、全く新しいタイプの発電所……あれなら大量の汚染物質を吐き出すことも、周囲の自然を壊すこともありません」
 プラントの言葉に、アイズは微笑んだ。
「まるで技師さんみたいですね。牧師さんじゃないみたい」
「よく言われます」
 プラントも笑った。
「この辺りには昔、もっと人がいたんですよ。贅沢ができるほどではありませんでしたが、今よりも活気に満ちた生活があった。空から来られたアイズさんはお気づきにならなかったかもしれませんが、遠く平野部からこの辺りまで、点々と集落の跡が残っています。小さいながら鉱山もありましてね。山間を流れる川を利用して、下流まで運んでいました。でも、やがて採算が取れなくなり、鉱山は閉鎖……人も出て行ってしまった。あの試作機が一定の性能を示してプロジェクトが進めば、今度は送電ケーブルの建設と定期的な維持管理が必要になる。そうなれば、また人が戻ってくるかもしれません」
 アイズが無言で見つめると、プラントは照れるように苦笑した。
「まあ、宗教的な考えではないと自分でも思いますけどね。人がいてこその宗教です。神様にも大目に見てもらいましょう」
 アイズは微笑んだ。
「私が神様だったら、プラントさんみたいに人が好きで、人の為に行動する人を、真っ先に天国に入れちゃうと思うけどな」
「はは……ありがとうございます。しかし、神様は自分のことを愛さない人を天国には入れないのですよ」
「もしそんな自己中心的な奴だったら、神の恵みなんてこっちから願い下げだわ」
 アイズの物言いに、プラントは呆気に取られ、やがてクスクスと笑い出した。
「面白い人ですね、貴女は……さて、流石に遅くなり過ぎました。風邪を引かない内にお戻り下さい」
「プラントさんはどうするの?」
「まだ点検作業が残っています」
 工具箱を片手に、プラントは答えた。
「発電機の修理はペイジ博士にしかできませんが、電線や変圧器、各家庭の分電盤等といった細々としたものならば私でも何とかなりますから」
「それなら、私も付き合います」
「しかし、アイズさん……」
 戸惑うプラントに、アイズは畳み掛けるように言った。
「ここまでやったんだもん、最後までお手伝いさせて下さい! 大丈夫、徹夜には慣れてますから!」
 何とか説得して休ませようとするプラントを、アイズが笑顔で押し切る。

 その様子を、遠くの岩陰から双眼鏡を通して見つめている男があった。
 光の届かない暗がりの中で、男の二つの瞳だけが、夜闇に浮かぶ月の様に輝いていた。


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第7話

2009年05月13日 | マリオネット・シンフォニー
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「非常用食料に医療品、最新式のチャージ・コア……それに銃器?」
 水路をまたぐようにして立てられた、大型の倉庫の中。
 伝票と商品をチェックしながら、流通業者の男は尋ねた。
「姉ちゃん、戦争でも始めるつもりか?」
「ん? まあ、そんなものかもね」
 暇そうにあくびをしていた黒髪の少女が、何でもないことのように答える。
「……看護婦がか?」
 男は少女の姿を見ながら呟いた。彼女が身にまとっているのは純白の看護婦の衣装……フェルマータだけではなく、ほぼ世界中で標準的に使われているものだ。
「これも業務の一つでね。最近は看護婦も大変なのよ。ほらロバスミ、さっさと運びなさいよ!」
 看護婦の少女は先程からせっせと荷物を(一人で)小型船に積み込んでいる少年を蹴飛ばした。少年は怒るわけでもなく、飛び跳ねるように船内に荷物を運んでいく。
「まったくもう、ノロマなんだから!」

 世も末だな。
 流通業者が色々な意味でそう思ったとき、突然少女の表情が変わった。
「まずい、奴らだ。行くわよロバスミ!」
 看護婦の少女は行きがけに残りの荷物をまとめて船に放り込むと、その中から自身の身長ほどもある長剣をつかみ取り、抜き放った。
 直後、倉庫の中に白いマント姿の男達が雪崩れ込んできた。
「ロバスミ! あんたがモタモタしてるからよ!?」
「最初からビャクランも手伝ってくれれば良かったんじゃないか!」
「何よ~! ロバスミのくせに~!」
 ビャクランと呼ばれた少女は声高に文句を言いながら、襲い来る男達を次々と切り裂いていく。
「いいからさっさと発進しなさいよ! これからナーも回収しなきゃいけないんだからね! まったくもう、ナーの奴ったら何処でサボってるのかしら!?」

 船も男達もいなくなった後。
「……世も末だ」
 看護婦に蹴散らされた男達の残骸と共に倉庫に取り残された流通業者は、綺麗な夕暮れの光に照らされながら、誰にともなく呟いていた。


第7話 傷痕


「勇者フジノ・ツキクサ。彼女と初めて会ったのは11年前。場所は、戦場でした」
 地下水道を奥に向かって進んだ先、幾つかの水路が合流するホールのような場所で。アイズ達に運ばれ、地面に横たえられたまま、スケアは語り始めた。
 地上は既に日が落ちたのか、射し込む光が刻一刻と弱くなっていく。
「強かったですね……本当に強かった。彼女の出現によって、ハイム側が優勢を保っていた戦況は一変しました。信じられますか? たった一人の、しかも人形でもない13歳の女の子に、ハイムの最新兵器を持った軍隊がなぎ倒されていくんですよ」
 スケアが参戦した当初、クラウンの戦闘能力の前に敵はなかった。しかしある日を境に次々とクラウンが撃破され……最終的には、14体いたクラウンが4体まで減っていた。そしてその内の7体が、フジノ一人に撃破されていたのである。
 スケアはフジノと何度か戦ったが、一度も勝てなかった。だが何度負けても恐怖は感じなかったという。ただもう一度フジノと戦いたい、その思いだけを糧に、何度も戦場に戻ったと。
「彼女はまさに戦の化身、通り名が示す通りの戦姫でした。誰よりも強く……それでいて美しかった」
「好きだったんだね」
「そ、そんなことは」
 頬を赤らめ、慌てて否定するスケア。しかしその表情を見れば、彼のフジノに対する想いは明らかだ。
「さっきの台詞、愛の告白にしか聞こえなかったよ。嫌でも伝わってきた。フジノさんのことが好きな気持ちも……」
 アイズはスケアの顔を覗き込んだ。
「戦うことが、好きな気持ちも」

 スケアが顔を強張らせる。
 その脳裏に、一人の少年の姿が浮かんだ。
 黒塗りの剣を携えて、少年は叫ぶ。

『貴様を殺してフジノを手に入れる……そして二人で永遠に戦争を続けるんだ!』


「その……通りです」
 呟き、スケアは溜息をついた。
「私は殺戮兵器として造られた人形。どんなに隠しても、その本質は変わらない。どんなに逃れようとしても、いつもそこに戻ってしまう」
「でも、スケアさんは私達を助けてくれました」
 スケアの前にしゃがみ込み、その手を取ってトトが言う。
「確かに、最初は恐かったですけど……今は恐くなんかないです。あの時、私達にそうしてくれたように、この手で沢山の人を助けてこられたんでしょう?」
「殺したり、壊したりすることで……ですが」
 スケアは自嘲気味に答えた。
「どんなに年月が流れても、この力で多くの人の命が救えたとしても、結局自分は人殺しの為の人形で……」
「はいはい、そこまで!」
 スケアの言葉を遮り、アイズは怒るように厳しく言った。
「それで、スケアさんはどうしたいの? ここでフジノさんに殺されるつもりなの?」
「……私は……」
「違うよね。そのつもりなら、さっき逃げずに殺されてた。わかってるんでしょ? ここでフジノさんに殺されても過去の罪は消えないって」
 戸惑い気味にアイズの瞳を見つめるスケア。アイズはふっと表情を和ませ、優しく言った。
「大丈夫。スケアさんは間違ってないよ。だから生きて。生きて罪を償わなきゃ」

 と、
「皆さん、来ます!」
 ナーが叫んだ瞬間、地下水路の天井が崩壊した。

 いち早く察知したナーが自力で、スケアがトトを抱えて落盤から逃れる。逃げ遅れたアイズは、降り注ぐ岩盤を前に思わず目を閉じた。
 しかし、いつまでたっても岩盤が降ってこない。不思議に思ったアイズが目を開けるのと、
「アイズちゃん、だったわね」
 頭上からフジノの声が聞こえたのは同時だった。

 フジノはアイズを背後から抱えるようにして立っていた。どうやら落盤から守ってくれたらしい。
 と、フジノは首筋にそっと手をそえてきた。
「怪我はない?」
「は、はい……」
「ごめんなさいね、怖い思いをさせて。でも、すぐに済むから」
「フジノ! その子は関係ない、離して……!」
 トトをかばって伏せていたスケアが立ち上がる。途端、フジノはアイズを無造作に放り投げた。
「きゃ!」
「なっ……」
 スケアが反射的にアイズを目で追う。
 次の瞬間、フジノの蹴りがスケアの腹部に直撃した。

 投げ飛ばされながら、アイズは思った。
 フジノの恐ろしいところは力でも技術でもない。躊躇のなさだ。
 ゴロツキを蹴り飛ばしたときもそうだった。フジノの動きはいつも突然で、まるで予測がつかない。
 完全に無防備な状態で攻撃を受けたスケアは、壁面に激突してうつ伏せに倒れた。
「アイズさん!」
 背中から落ちる直前、ナーに受け止められてどうにか着地する。顔を上げると、フジノがスケアに近づき、足で転がして仰向けにしていた。
「どういうつもり? 戦いの最中に目を逸らすなんて」
 返事はない。辛うじて意識がある、といった状態だ。
「女の子を助けようとして隙を見せるなんて、昔の貴方からは考えられないわ。正義の味方にでもなったつもりなのかしら」
 フジノはスケアの体を踏みつけた。スケアが苦悶の声を漏らす。
「リードランスを滅ぼした貴方が。アインスを殺した貴方が! ふざけるんじゃないわよ!!」
 フジノは力任せにスケアを蹴り飛ばした。再び壁に叩きつけられ、崩れ落ちるスケア。
 フジノの手に魔法の光が集まる。その前にアイズが立ち塞がった。
「やめてフジノさん! こんなことをしても何の解決にもならないわ!」
「そんなことはわかっているのよ……でもね、アイズちゃん。その男は私からあの人を奪ったの……」
 フジノの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
「返してよ……あの人を返してよ! アインスを返してよっ!」

 アイズは驚いた。フジノはスケアのことを、リードランス王国を敗戦に追い込んだ張本人としてではなく、たった一人の仇として追っていたのだ。スケアが暗殺したという、第三王子アインスの仇として。
 アイズの心に迷いが生じた隙に、フジノがアイズの横を擦り抜けてスケアに迫る。
 と、

「ママ?」

 緊迫した地下水道の空間に、幼い声が木霊した。
 声の主はルルドだった。いつの間にやってきたのか、いつもの無表情で……いや、心なしか蒼ざめた顔で母親を見つめている。
「ルルド、来ちゃダメって言ったでしょう。でもいいわ、見ておきなさい。ママが今、パパの仇を討ってあげますからね」
 その言葉を聞いて愕然とするスケア。
「まさか……その子は……!?」
「そう、ルルドは私とアインスの娘よ」
「な……!」

 スケアの脳裏に、11年前の光景が蘇る。
 朦朧とした意識の中で、かつて目にした光景が。

 亡骸にすがりつき、泣き叫ぶ少女。
 沈痛な表情で佇む騎士達。
 やがて涙も枯れ果てたのか、虚ろな瞳をして座り込んでいた少女が、唐突に、何かを呟く。
『あたし……アインスの子供を……』

「……フジノ……!」
 胸の奥から搾り出すように、スケアは呻いた。
「貴女は……まさか貴女は、あの時の言葉を!」
「……っ! 黙れ!」
 続く言葉を遮るように、フジノが大声を上げる。
「アインスは私を選んでくれた。アインスは私を愛してくれた! ルルドはその証なのよ! そうよ、私はこの子とアインスのために……!」

「……もういいよ、ママ」

「……なんですって?」
 激情に彩られていたフジノの顔から、表情が抜け落ちる。
 対照的に、ずっと人形のように無表情だったルルドの瞳に、初めて感情の炎が灯った。
「そんなのいらない。ママがその人を殺してもあたしは嬉しくなんてない」
「ルルド、何を言っているの? この男は、貴女のパパを……」
「会ったこともないのに、パパの仇とか言われてもわからない」
「何度も話したでしょう。貴女のパパは、リードランスの正統な……」
「それも知らない! もう無くなっちゃったんでしょ!? あたしには関係ないじゃない!」
 フジノの表情が大きく歪む。
 アイズは何かが軋む音を聞いたような気がした。
 まるで、分厚い氷がひび割れる寸前のような、不気味な音を。

「アイズさん、大丈夫ですか?」
「トト……うん、平気よ」
 気がつくと、トトがすぐ近くまで来ていた。ツキクサ親子を刺激しないよう、小さな声で会話する。
「ナーが受け止めてくれて助かったわ。意外と力が強いのね」
「ええ、まあ……仮にもプライス・ドールズですから」
 ツキクサ親子から目を逸らさず、ナーが答える。
「何かあったとき、自分と周囲の人を助けられるくらいの運動能力はお父様からいただいています」
「じゃあ、トトも?」
「え? えっと……どうなんでしょう」
「わかんないか。まあ、試したこともないもんね」
 ささやきながら、そっと懐を探る。
 指の感触を確認すると、アイズは、キッと表情を引き締めた。

 フジノはルルドの説得を続けていた。しかし何故か、常に一定の距離を取り、不用意に近づこうとしない。
 その様子を観察しながら、ナーは疑問を抱く。フジノは一見極めて暴力的だが、傷つけるつもりのない相手に対しては繊細なまでの気配りを見せる。
 先程のアイズは、間違いなく自分に向けて投げられた。アイズが無傷で済んだのは、フジノが“ナーが確実に受け止められるように”加減したからだ。
 あれだけの身体能力と技術があれば、娘を傷つけずに抑え込むことなど簡単にできるはずなのに。

 と、その時。
 ルルドのこめかみに、突然銃が突きつけられた。

 銃を持っていたのはアイズだった。
 傷ついたスケアから、密かに抜き取っていたのだ。
「ル、ルルド!」
 フジノは驚くが、ルルドは抵抗しない。
「フジノさん、貴女の人生が辛いものだったっていうことは私にでもわかります。アインスさんのことが好きだったっていうことも。でも、貴女のしてることは間違ってる。だって、そんなことをしてもルルドちゃんは幸せになれない。貴女は確かにスケアさんに幸せを奪われたかもしれない……だけど、貴女もルルドちゃんの幸せを奪っているのよ。貴女のしていることは過去の清算なんかじゃない、過去の繰り返しよ」
 そこまで言うと、アイズは銃を捨てた。
「私は、過去を繰り返すつもりはないわ。貴女はスケアさんを……私の大切な友人を傷つけたけど……この子を、同じように傷つけたりはしない」

 無言の時間が、長く続いた。
 フジノが前髪をかき上げ、小さく呟く。
「……よく知りもしないで、勝手なことを言うわ……」
「うん、そうだね。私は何も知らない。気がついたときには、リードランスっていう国はなくて……ずっとハイムで育ったんだもの」
「ハイム? 貴女、ハイムの……」
「首都出身です。色々嫌になって、逃げてきたけど」
 フジノの瞳が、探るようにアイズの瞳を覗き込む。
 やがて、フジノは小さく口の端を上げた。
「無茶をするわね。ハイムには何度も潜入を試みた……けれど、できなかった。あそこから逆に逃げ出してくるなんて。色々と話を聞きたいわね……今、あの国がどんなところなのか」
「私も知りたいです。昔あの国が、どんなところだったのか。何があったのか」
「それも……いいわね。でも」

「でも、それはできない……」

「フジノさん! どうし……て……」
 アイズの叫びが、呑み込まれるようにして途切れる。
 フジノは、微笑んでいた。
 崩れた天井から射し込む、淡い月明かりに照らされて。
 これまで見たことがないような、穏やかで、美しく、そして寂しげな表情で。
 一瞬、心奪われる。
 それほどに美しい微笑みだった。
「アイズちゃん、ルルド。他のみんなと一緒に、ここから離れて」
「え……?」
「ママ?」
「トトちゃん、ごめんね、乱暴なことをして。怪我はなかった?」
「は、はい……」
「そう、よかった。ナーちゃんも……ごめんね、ルルドを助けてくれた貴女を、こんなことに巻き込んで。できればこれからも、ルルドのことを助けてあげてちょうだい」
「ええ、それは構いませんけれど……フジノさん、一体、何を……」
 問いには答えず、フジノは、残る唯一の男に声をかけた。

「スケア。私と一緒に来てくれる?」
「フジノ……」
「11年前の続きをしよう。今度こそ……最後まで」

 スケアがふらつきながら立ち上がり、アイズの横を通り過ぎる。
「ダメ、スケアさん! あの人、貴方に殺される気だよ!」
「彼女を一人で……死なせるわけには……」
 呟きながら歩くスケアに抱きつき、アイズは必死に叫んだ。
「ダメって言ってるでしょ!? また間違いを繰り返すつもりなの!? そこから逃れたいって言ってたじゃない!」
 その言葉に、スケアの眼に光が戻る。
「アイズさん……」

 瞬間。
「邪魔を……」
 フジノを覆っていた、最後の氷が、砕けた。
「するなぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 放出された魔力が、衝撃を伴って全員に襲いかかる。
 アイズが死を覚悟したそのとき、ナーが再び何かに気づいて天井を見上げた。
「あ、危ないっ!」

 直後、フジノが壊した天井から落ちてきた小型の船が、盛大な水飛沫を上げて地下水路に着水した。
「ナー、何やってるのよ! 追っ手がかかったわ、さっさと行くわよ!」
 声と共に、甲板に設置された投光機から強烈な光が照射される。
「ビャクラン! 今はそれどころじゃ……!」
 皆が思わず目を覆う中、唯一状況を“見る”ことのできるナーが叫び返す。次の瞬間、船を追って十数人のマント姿の男達が舞い降りてきた。

「スケアさん、あの船に乗って! ナー、2人をお願い!」
 アイズがスケアの背中を押し、強引に船に向かって突き出す。
 フジノは一時的な盲目状態と男達に阻まれていた。反射的に1体破壊したことで、男達の標的に加えられてしまったようだ。
 結果的に、フジノが囮になる形で、ナーはスケア・トトと共に船へと乗り込んだ。
「フジノさん、スケアさんは殺させない! 貴女も死んではいけないわ!」
 アイズは銃を拾うと、周囲の男達の足元に向けて数発威嚇発砲し、ルルドに別れを告げて船に飛び乗った。

「ナー、そいつら誰よ! 勝手に乗せてるんじゃないわよ!」
 ビャクランと呼ばれた少女が怒鳴る。墨を流したような黒髪と陶磁器のような肌。漆黒の瞳に濡れたような紅い唇。黙っていれば絶世の美少女だ。黙っていれば。
「あの、ごめんなさい。お姉様」
「は? 誰がお姉様……って、あれ? あんたもしかして……」
「No.24『トト』です。えっと……カトレアお姉様」
 少し困ったように、おずおずと挨拶するトト。先程ビャクランと呼ばれていた少女は、トトが口にした名前に少し眉をひそめたが、
「勝手に乗り込んでしまってすみません。あの、私達……」
「ちょっとナー! あんた妹に会ったなら会ったって連絡の1つくらいしなさいよ! 私が拾いに行かなかったらどうするつもりだったわけ!?」
「い、一応連絡はしましたよ~! けど通じなくて……後でもいいかなぁって思って~」
 戸惑うトトを尻目に、再びマシンガンのようにナーに文句を言い始める。どうやら一応受け入れてはもらえたらしい。
 ようやく一息つくアイズ達……その時、突然ルルドの声がした。
「お姉ちゃん、あたしも連れてってよ」
「ルルドちゃん!?」
「いつの間に! ど~してついて来ちゃったのよ!」
 途方に暮れるアイズ。正直もう一度フジノに会いに行く気にはなれないが、ルルドを一人で放り出すこともできない。
 と、進む船の前に突然大量の男達が現れた。どうやら別働隊がいたらしい。
「曲がります! つかまって下さい!」
 操舵室から顔を出し、少年が叫んだ。

 急旋回し、逃げ出す船。
 その反動で、ルルドが船から放り出されそうになった。
 アイズが咄嗟につかもうとするが届かない。と、ナーがアイズの横を走り抜けて跳躍し、ルルドの手をしっかりとつかんだ。アイズは急いでナーの足をつかみ、どうにか2人を引き上げる。
「あ~! びっくりしたっ!」
「すごいです、ナー姉様!」
「いえいえ、そんな。たいしたことないですよ~」
「危ないわね! アンタが連れてきたんだから、アンタが責任もって面倒見なさいよ!」
 照れるナーにビャクランが怒鳴る。
 ナーは困ったように微笑んで詫びると、それより、とアイズに向き直った。
「連れていってあげましょうよ。ルルドちゃん」
「う~ん、でもなぁ」
 アイズと目が合うと、ルルドはナーに抱きつき、気の強そうな瞳を向けてきた。
 ちょっと追い出せそうにない。何より、考えてみれば自分も勝手に他人の船に乗り込んでいる身である。
「まあ……いっか」

 途端、船が衝撃を受けた。男達に追いつかれたのだ。
 操舵士の少年は再度進路変更して逃げ切ろうとするが、進んだ先は行き止まり。
「ナー! ちゃんとレーダーで調べてなさいよっ!」
「苦手なんですよ、こういうのっ! 私の能力は、本来こんなことにはですねー!」
「何よーっ! ナーのくせにーっ!」
 大パニックの中、ナーの隣でルルドが言った。

「あたしが手伝ってあげる」

 次の瞬間、周囲の景色が一変した。星が瞬く夜空、周囲に浮かぶ雲……眼下には遥かに霞む大地が見える。街の明かりが宝石のようだ。
「これがあたしの得意技、瞬間移動よ。この魔法、ママでも使えないんだから」
 少し得意げに説明するルルド。船はシ~ンと静まり返っていたが、やがて皆が声を揃えて叫んだ。

「「「「落ちる~~~~~~っ!!!!!」」」」

 再び大パニックに陥る船上。が、船体から翼が展開したかと思うと、飛行可能な形態に変形した。操舵士の少年が操作したらしい。船は大地に激突する寸前で浮力を得、上昇を開始した。
 あの状況でよくできたな、とアイズは驚いた。
 考えてみればこの船は、先ほど地上から落ちてきた。おそらくは敵から逃れるために空を飛んでいたところ、ドールズ同士の認識機能というものでナーが地下にいることを探り当て、フジノが開けた地面の穴に向かって翼をたたんでダイビングしたのだ。
 操船技術の見事さもさることながら、並の度胸でできることじゃない。
 しかし、そんな離れ業を披露してみせた操舵士の少年に対して、怒っている者が一人。
「ロ、バ、ス、ミ~っ! 制動かける時は一言断りなさいよっ! この私のっ! 大切なバストがっ! 潰れるかと思ったじゃない~っ!」
「ちょ、ちょっとビャクランっ! 運転しないとまた落ちるよっ!」
 ビャクランに後ろから首を絞められて頭をグリグリされる操舵士の少年、ロバスミ。見る限りアイズより1つ2つ年上だろうか。いじめられっ子だな、この人。とアイズは思った。
「何よーっ! ロバスミのくせにーっ!」

 スケアは床に横たわっていた。
 見るからに満身創痍だが、意識ははっきりしているようだ。
「アイズさん……私はあの時、フジノと……」
「それは言わないの」
 アイズは諦めるような表情を浮かべた。
「あの笑顔で言われたら、私でも一緒に死にたくなるわ」
 大袈裟に肩をすくめ、微笑んでみせる。
 スケアも小さく微笑み、目を閉じた。

 ルルドは楽しげな顔で流れていく夜景を見つめていた。
 アイズの視線に気づき、振り向いて微笑む。
「あたし、役に立ったでしょ? だから連れて行ってよ」
「それは私が決めることじゃないわ。貴女は自分で決めてここに来たんでしょ?」
「うん」
 ルルドは楽しげに笑った。少し前までの人形めいた無表情さが嘘のようだ。今の彼女は何処にでもいる、ごく普通の少女に見える。
 そんなに逃げ出したかったのかな、とアイズは思った。
 スケアと偶然再会するまでのフジノは、母親として特に不足があるようには見えなかったけれど。それでも、母一人娘一人で、色々と息が詰まる思いをしてきたのだろう。
 自分も親元から逃げ出してきただけに、その気持ちはなんとなくわかるアイズだった。

 少し後。
 騒乱の過ぎ去った地下水路には、男達数十体の残骸と共にフジノが立っていた。
 戦争終結以来11年間追い求めたスケアには逃げられ、自分もまだ生きている……ルルドもいない。これからどうすればいいのか、頭が混乱していて何も考えられない。

 ……と、その時。
 誰かがフジノにささやいた。




『ねぇ……あたしが手伝ってあげようか?』




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第6話

2009年05月06日 | マリオネット・シンフォニー
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 アイズとトトが消失した翌日、ヴァギア山脈森林地帯。
 トゥリートップホテルのフロントで、ネーナは一人の男と話をしていた。
「ええ、確かにアイズさんとトトちゃんはここにいました。情報局にはすぐに連絡したのですが、どうやら入れ違いになったようですね」
「……そうですか……」
 男が落胆のため息をもらす。
「ごめんなさい、私達にも二人の居場所はわからないんです。山脈の向こう側でそれらしい二人組を見たという情報くらいしか……」
「いいえ、貴女が謝ることではありません。今回のことは、すべて私のミスですから」
 男は少し慌てて言うと、丁寧に頭を下げた。
「ご協力ありがとうございました。早速彼女達の捜索に向かいます」

「あれ? もう行っちまったのか、あいつ」
 男が立ち去ってすぐ、グッドマンが顔を出した。
「ええ。うまく二人に合流できるといいんだけど」
「俺が行ければ良かったんだけどな」
「まだ検査が済んでないでしょ? いざというときに調子が悪くなったりしたら、かえって迷惑になるわ。無理しないで、あの人に任せましょう。過去はどうあれ、彼は私達の妹の恩人なんだから」
「そうだな……しかしまあ」
 グッドマンは呟いた。
「まさか、クラウンと共に動くことになるとはね」


第6話 紅の髪の勇者


「それじゃプライス博士は、元々リードランス王国の科学者だったんだ」
「ええ、兄弟の多くはリードランスで生まれ、王室とも深い関わりを持って過ごしていたようです。もっとも、私が生まれた頃には既にリードランスという名前の国は存在していませんでしたけれど」
 アイズとトトはボートに乗ってヴァギア山脈森林地帯を抜け、裾野に広がる大穀倉地帯に出ていた。
「それにしても、どうしてリードランスは負けちゃったんだろ? グッドマンみたいに強い兄弟が沢山いたんでしょ?」
「私達は戦闘用に作られたわけではありません」
 トトが少し表情を硬くする。
「私の知る限り、『戦闘能力』を与えられた兄弟は一人だけです。その人も積極的に戦いに参加することはせず、王族を守護する任に就いていたそうです。他の兄弟に与えられた能力の中にも、戦いに利用できるものはあったでしょうけれど……そんなことをお父様が許すはずがありません」
「そっか。そうだよね……ごめんね、悪いこと聞いちゃったわ」
 アイズが素直に謝る。トトは更に続けた。
「私が直接知っているわけではありませんが、ハイムの勝因は積極的に最新兵器を導入したことと情報を巧みに操ったこと……それに老朽化したリードランスの体勢が対応できなかったことだそうです。リードランスも『王家最後の蒼壁』と呼ばれたアインス第三王子を中心に反撃し、一時はハイム軍を首都まで追い詰めたそうですが……アインス王子の暗殺によってリードランス王国軍は崩壊、そのまま決着がついたそうです」
「そんなこと少しも教わらなかったな……」
「え? 何か仰いましたか?」
 小さな呟きを耳に留めて、トトが首を傾げる。
「ううん、なんでもない。ねえ、他に何か目立った事件とか人物のことはわかるかな?」
「あ、はい。ちょっと待ってくださいね」
 トトはデータベースからある程度の情報を検索し、話し始めた。この辺りの情報は最初からトトの記憶にあったわけではない。データベースから引き出してきた情報を読み取り、それをそのまま話しているのだ。
「ええと……『王家最後の蒼壁』アインス・フォン・ガーフィールドと並んで戦時中に活躍した人物に『紅の戦姫』フジノ・ツキクサがいます」
「二人揃ってゲームの登場人物みたいね……けど、その名前って……」
「ええ。先日お世話になったコトブキさんと同じく、古き言葉で編まれた名前です。通常の名前の他に古き言葉による真名を持つのは、リードランスでも一部の王族と貴族に残っていた伝統だと記されていますけど……理由はわかりませんが、彼女は日頃から真名を用いていたようです。他の名前は記録にありません」
「それじゃあ、コトブキさんはリードランスの出身なんだね」
 話をしつつ、アイズは内心苦笑していた。
 そんな伝統があったなんて、まるで知らなかった。戦争のことといい、ここまで自分の国について何も知らずにいたなんて。
「そう言えば……」
 ふと、思い出す。
 別れてきた友人の中にも、同じような名前の子が一人いた。
「古い家柄だって聞いてたけど、リードランスの血筋だったんだ……」

「アイズさん?」
 トトに声をかけられ、ハッと我に返る。
「ごめん。続けてくれる?」
「はい。このフジノ・ツキクサっていう人ですけど、参戦当時弱冠13歳の身でありながらハイム軍を単身で次々に撃破……人々からは勇者と呼ばれ、リードランスの大反撃の中心となりました」
「13歳って、私とほとんど変わらないじゃない」
「ええ。ですがその戦闘能力は世界的に見てもトップクラス、リードランス円卓騎士にも匹敵したと記されています。彼女に関する記録は極端に少なくて、これ以上のことはわかりません」
「へぇ……凄いね、その人。ところで、そのリードランスの円卓騎士って? 前にも聞いたことがあるような気がするんだけど」
 トトに出会って間もなく、プライス・ドールズのことを説明してもらったときに聞いた話を思い出し、アイズは尋ねた。
「リードランス王国騎士団を構成する数百人の優秀な騎士達の中から選りすぐられた、騎士団長を含む13名の騎士の呼称ですよ。いずれも一個師団に匹敵する戦闘能力を誇る実力者揃いだったのですが、その多くがリードランス大戦勃発直後に起きた内乱で死亡・離反してしまい、実質的にハイムとの戦いに参加できたのは4名足らずだったそうです。彼ら全員が戦いに参加していれば、大戦は間違いなくリードランスの勝利に終わっていたでしょうね」
「ふーん……色々なことがあったんだね」

 やがて二人は、川沿いに発展した大きな町に到着した。

 町は穀物の中継都市で、様々な人や物が行き来していた。
 縦横に水路が走り、あちこちに市場が立ち並んでいる。
 船着場で話を聞くと、このまま川を下れば海に出られるという。
「海か……それもいいわね。ハイムを出たときは空から見るだけだったし」
「海に行くんですか?」
「すべての場所は海に繋がっている……ってね」
「??? どういう意味ですか?」
「こっちの話よ。とりあえず、どっか泊まれるところを探そうか」
 キョトンとするトトの背中を叩き、アイズは笑った。
「それなら、公共の施設で電話が借りられると思いますよ」
「よし、それでいこう!」

 アイズとトトは船着場にボートを預け、宿を探して町を歩き始めた。
 露店を冷やかし、市場を通り抜け……ふと、騒乱の気配を感じて立ち止まる。
「アイズさん?」
「ねえトト、あれ……」
 トトが路地に目を向けると、そこにはゴロツキに囲まれた10歳くらいの女の子と、それをかばう眼鏡をかけた少女の姿があった。察するに、女の子がぶつかるか何かして絡まれていたところに、眼鏡の少女が割って入ったらしい。
 そしてどうやら、ゴロツキ達の目的は当初とやや違ってきたようだった。何故ならその二人が、目の覚めるような美少女だったからだ。
 10歳くらいの女の子は、腰まで伸ばした濃い紫の髪に同じ紫の瞳。幼いながらも美しい顔に浮かべられた表情は驚くほど大人びており、彼女の印象を一層際立たせている。
 一方の眼鏡をかけた少女はアイズよりも少し年上だろうか、同じく腰にまで及ぶ透き通るようなプラチナブロンドに、深い藍色の瞳の持ち主だ。およそ闘争とは無縁な雰囲気の、抱けば折れそうな華奢な身体で気丈に女の子を庇っている。
「……あ。アイズさん、あの人……」
「わかってる。トトはここにいて」
 トトの話を最後まで聞かず、アイズは勢いよく駆け出した。
「こらー! そこー! か弱い女の子に何してんのー!」
 わざと周囲に聞こえる大声で叫びながら駆け寄ると、男達が慌てたように退く。
「な、なんだコイツ」
「俺らは別に何もしてねえぞ!」
「そうだ! テメエにゃ用はねえんだよ、すっこんでろ!」
「なぁんですってー!? ちょっと、そこどきなさいよ!」
 大げさに怒って見せ、表通りからの注目を存分に集めつつ、堂々と男達の間に割って入る。
 眼鏡の少女が女の子の手をつかんでいるのを確認すると、アイズは空いているほうの手を取り、鋭くささやいた。
「こういう連中はまともに相手にしちゃダメ。行くわよ」
「えっ? あ、ちょっと……!」
 慌てる少女を無理矢理引っ張り、ゴロツキ達の輪から連れて駆け出す。

 途端、誰かにぶつかり、アイズはその場に尻餅をついた。

「……ルルド?」
 頭上から降ってきた抑揚のない声に顔を上げ、思わず息を呑む。
 美しい女性だった。
 並の男性よりも遥かに高い長身に、均整のとれた美しいプロポーション。燃えるような紅い髪と瞳に彩られ、妖しいまでの美しさを放つ整った顔。食料品を入れた紙袋を持ってはいるが、世界から浮き出たような存在感がある。
 女性はアイズ達を一瞥すると、女の子に向かって尋ねた。
「何をしているの? ルルド」


「ママ」
 それまで口を開かずにいた女の子が、眼鏡の少女の手を離して母に寄り添う。
「ダメでしょう。ちゃんと待っていなくちゃ」 
「ごめんなさい」
 アイズは納得した。この母親からなら、あれだけの美少女が生まれるのも納得できる。

「アンタ、このガキの母親か。だったら……」
 追いついてきたゴロツキの一人が口を開く。
 だが、その言葉は続かなかった。

 アイズは人が人を蹴り飛ばすのを初めて見た。
 比喩ではなく、本当に蹴り飛ばされたのだ。
 母親の蹴りを食らった男はたっぷり20mほどふっ飛び、路地に積まれたゴミの山に突っ込んだ。

「大丈夫ですか? アイズさん」
 トトが駆け寄ってくる。
「あ、うん……私は大丈夫……だけど」
 蜘蛛の子を散らすように逃げていくゴロツキ達を眺めて、アイズは呆然と呟いた。
「人って……魔法がなくても飛べるんだね。グッドマンを見たときより驚いたわ……」

「娘を守ってくれたのね。どうもありがとう」
 不意に肩に手が置かれる。驚いたアイズが振り向くと、それはあの母親だった。
「もし良かったら、お礼に食事をご馳走させてもらえないかしら。そちらの貴女も」
「あ……私ですか? そうですね……うーん」
 眼鏡の少女が何かしら考え始める。
 ひとまずアイズが了承すると、トトは眼鏡の少女に近づき、控え目に声をかけた。
「あの~。貴方はナー姉様ではありませんか?」
「え? ああっ、貴女は! ……え~~っと」
「……初めまして、No.24『トト』です」

「フジノ・ツキクサって……まさか、あのリードランス王国の勇者、『紅の戦姫』フジノ・ツキクサさん!?」
 母親の自己紹介を聞いて、プライス・ドールズNo.18『ナー』は素っ頓狂な声を上げた。面白くなさそうな顔でピーマンを見つめていた女の子が少し顔を上げ、また目を皿の上に戻す。トトから話を聞いたばかりだったアイズも驚いたが、フジノは騒がしいのは好きじゃないので黙っていて欲しいと言った。
「こっちが娘のルルドよ。今年で10歳になるわ」
「ルルド・ツキクサです……よろしくお願いします」
 無愛想だが、丁寧な口調で娘が挨拶する。社交パーティに無理やり連れ出されたお姫様のようだ。
 アイズとトトは、ツキクサ親子と共にレストランで早めの夕食を摂っていた。トトに乞われて、ナーも同席している。
 ツキクサ親子は戦争終結後、リードランスを離れて世界中を旅してきたと語った。アイズはトトとナーがプライス・ドールズであること、自分達が旅の途中であることを告げ、プライス博士の行方を知らないか尋ねてみたが、フジノが最後にプライス博士に会ったのは戦争中のことで、以後11年間一度も会っていないという。
 フジノと会話をしながら、アイズは密かに安堵していた。
 ゴロツキを路傍の石のように蹴り飛ばしたときは正直どんな危険人物かと思ったが、フジノはとても穏やかな女性だった。
 聞いた話では、蹴り飛ばされた男に大した怪我はなかったそうだ。あれだけの威力の蹴りを受けて怪我が少ないということは、そのように加減して蹴ったのだろう。
 会話もせずにいきなり蹴り飛ばすのはどうかと思うが、娘に危害を加えようとした男が相手なのだ、まあギリギリわからなくもない。
 何せ相手は勇者という肩書きを持つ伝説的な人物だ。多少の奇抜さは仕方ないだろう。ハイムの社交界にも妙な連中は多かったしね、とアイズは思った。

 やがて食事を終え、アイズ達はレストランを出た。
 ……と、そこに一人の男性が通りかかった。

 後に、アイズは思い返すことになる。
 あの大惨事の始まりにしては、妙にのんびりとした出会いだったな、と。

「あれ? あの人……」
 遠く人込みの中に見覚えのある顔を見つけて、アイズは目を凝らした。スマートな長身、栗色の髪、一目でそれとわかる整った顔。
「やっぱり! 間違いない、スケアさんだわ!」
「……え……?」
 アイズの台詞に、フジノの表情が凍りついた。

「トト、ちょっとここで待ってて。私行ってくるよ」
 荷物をトトに預けて走っていくアイズ。
 スケアもアイズに気づいたらしく、こちらに向かって歩いてくる。
 その姿を見ながら、フジノが呟いた。
「……ねぇ、トトちゃん。あの人、貴女達のお友達なの?」
「え? ええ、一度しか会ったことないんですけど、色々と危ないところを助けてもらって……」
「そう……お友達なの……ごめんなさいね」
「えっ?」
 と、フジノの周囲に凄まじい殺気と闘気がみなぎり始めた。
 尋常ではない様子に気づいて立ち止まるスケア、その表情が驚愕と恐怖に彩られる。
「あ、貴女は……!」
 スケアが声を上げた瞬間、フジノが一瞬にしてアイズを追い越し、スケアに襲いかかった。

 拳を、脚を振るう度、地面が割れ、壁が砕ける。
 周囲の町並みを巻き込みながら、フジノがスケアを追い詰めていく。
 スケアは防戦に徹していたが、フジノの攻撃力は明らかにスケアの防御力を上回っていた。避けきれず、防ぎきれず、徐々に傷ついていくスケア。
 と、フジノの手が輝き、そこから放たれた閃光が一つの建物を消し飛ばした。
「な、何あれ!? あれも魔法なの!?」
「魔法です。勇者フジノ・ツキクサならこの程度は当然と言えますが……」
 能力で分析しながら呟くナー。
「それにしても……実際にこれほどまでに強力な魔法を使える人間がいるなんて……」
「ナー姉様! のんきに分析してないで何とかして下さい! このままじゃスケアさんが!」
「ええっ!? そ、そんなこと私に言われたって!」

「お姉ちゃん達、あの人の友達だって言ってたよね。だったら、逃げた方がいいよ」
 一人冷静なルルドが呟く。
 その時、スケアがフジノに何かの玉を投げつけた。瞬間、辺りが光に包まれる。そして、スケアの姿は消えていた。
 どうやらスケアは逃げることに成功したらしい。アイズ達もルルドの忠告に従って、その場を離れることにする。
「教えてくれてありがとうね、ルルドちゃん!」
 アイズの言葉に、ルルドは冷たい視線を向けた。
「お礼なんていらないよ、お姉ちゃん。あの男の人と関わっている限り、ママはお姉ちゃん達の敵……ママに敵う人はいないわ。たとえプライス博士の人形でもね」
 ルルドはトトとナーに視線を向け、恐ろしく冷たい声で言った。
「これ以上、ママとあの男の人に関わらない方がいいよ……死んじゃうから」

「ちっ、逃がしたか……」
 ルルドの元に戻り、フジノが忌々しげに吐き捨てる。
「ルルド、ママは必ずパパの仇をとってあげますからね」
「……うん」
 ルルドは無表情に頷いた。

「ナーさん。本当にこっちでいいんですか?」
「ええ、反応はこっちからします。あの……」
「はい?」
「さん付けは結構ですよ、アイズさん。みんな“ナー”って呼びますから」
 迷いのない足取りで進みながら、ナーは答えた。
 アイズ達は深く薄暗い水路の中を進んでいた。運搬用水路の水量調節に使われているらしく、今はほとんど水が流れていない。
「あ、そこは滑りやすいです。注意して下さいね」
 眼鏡に映し出された表示を見ながら、ナーは言った。
 ナーの能力は『レーダー』ということだった。眼鏡は高性能モニターと眼球保護を兼ねており、ドールズ最高の視力を備えているらしい。他にも色々なものが『見える』んですよ、とはナーの台詞だ。
 深い意味はないのだろうが、地味に怪しい。
「ここからは暗くなりますから、眼鏡を光らせて明かりにしますね」
 ナーの眼鏡がぴかーっと輝き、前方の足元を照らし出した。
「……ナー、男の子の前で同じようなことやってたら、一生恋愛できないわよ……」
「え? なんでですか?」

 しばらく進むと、アイズ達は壁にもたれるようにして倒れているスケアを発見した。水路が完全に地下にもぐったところで気を失ったらしい。
「二人とも、待って下さい」
 アイズとトトがスケアに駆け寄ろうとすると、突然ナーが制止した。
「何?」
「お姉様?」
 ナーは少し躊躇った後、探るように尋ねた。
「いいんですか、アイズさん。その人は……クラウンなんですよ」
「え? あ、うん。確かに、スケア・クラウンっていう名前だったと思うけど……どうして知ってるの?」
「どうしてって……トトちゃん、貴女のデータベースにはないんですか? クラウンに関する記述が」
「え? えっと……」
 トトが慌てて自身のデータベースを検索する。
「……はい、ありません」
「そう……それなら、よく聞いて下さい。彼は私達と同じ“人形”なんです」
「え? それじゃ、お兄様……」
「違うんです」
 ナーが首を横に振る。
「クラウンを生み出したのは私達のお父様じゃありません。かつてのリードランス王国に攻め込んだハイムです。彼らはわずか十数人で何万という兵士の命を奪い、最後には、当時の王国軍リーダーだった第三王位継承者、アインス・フォン・ガーフィールドの暗殺をも果たした、戦闘のみを目的に造られた殺戮兵器なんです」
 殺戮兵器。
 その言葉に、アイズの脳裏にかつての光景が蘇った。
 大マストでの戦いの後、怯えるトトと警戒する自分を見て、寂しげに微笑んだスケアの姿が。
「……どうして、スケアさんがそのクラウンだってわかるの?」
「私達プライス・ドールズがお互いを認識できるのはご存知ですよね? 同じことがクラウンとの間にもできるんです。その人の信号は偽装してありますけど、私には検出できます。間違いありません」
 スケアから目を逸らさず、ナーは続けた。
「彼を助けるということは、フジノさんに敵対するということです。私も戦後の生まれなので、フジノさんのことはデータと話でしか知りませんでしたが……彼女がクラウンを憎むのは当然だと思います」
「そうだね……そうかもしれない。旅に出てから何度も思い知ったことだけど、私は知らないことが多すぎる。自分の国の歴史だって知らない……だけど」
 アイズは呟いた。
「でもね、知ってることだってある。私を助けてくれたスケアさんは、戦うことしかできない兵器なんかじゃない。昔がどうかは知らないけど、今のスケアさんは、絶対に違うと思う」
「でも、アイズさん……」
「ナー姉様。スケアさんはきっと、過去の償いのために頑張ってるんですよ。それって、私達を生み出してくれたお父様と同じじゃないですか?」
「…………」
 トトの言葉に息を呑み、口をつぐむナー。
 プライス博士って、どんな人なんだろう。黙り込んでしまったナーを見ながら、アイズは考えた。
 世界屈指の科学者。
 トト達プライス・ドールズの製作者であり父親。
 コープに招待されて精神の海に赴き、世界のすべてを理解したという天才。
 どの言葉も余りにも抽象的で、彼の本質が窺い知れない。
 トトに聞けば教えてくれるのかもしれない。だがトトの知る『父親』たるプライス博士もきっと、彼の一面でしかないのだろう。
 プライス博士を探す……トトに頼まれて定めた旅の目的は、今ではアイズ自身の目的になりつつあった。

「そう……だね。お父様も……うん、わかった」
 しばらく黙り込んでいたナーは、やがて表情を和らげて言った。
「殺戮兵器だなんて言ってごめんなさい、アイズさん、トトちゃん。それから……スケアさんも」
『えっ?』
 アイズとトトが同時に声を上げる。
 と、スケアがゆっくりと目を開き、呟いた。
「気づいて……いたんですか」
「ええ……私、目だけはいいですから。一瞬だったけど、貴方が目を開けているのが見えました。ごめんなさい」
 スケアは微笑み、しかし、表情を暗く沈ませた。
「いいえ……貴女が言った通りですよ、ナーさん。アイズさん、トトさん、今まで黙っていて申し訳ありません。私はクラウン・ドールズNo.14『スケア』……」




「アインス・フォン・ガーフィールドを暗殺したのは、この私です」




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痛み

2009年05月02日 | Weblog
 数日前から、鎮痛剤の効かない痛みに苛まれています。
 主に頭痛と腹痛。
 昨夜、こらえきれず9時前に床に就いたのですが、9時間寝ても起床直後から頭が痛い。
 朝食後に頭痛薬を飲みましたが、今も治まりません。

 ゴールデンウィーク、できれば心身を休めたいところだけれど。
 無理だろうなぁ。