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玉響とトトがいる、チェス盤の部屋にて。
「白のナイトとビショップ、クィーン“未来”が黒のビショップを撃退。大したものね。おまけに白のルークとクィーン“知性”が黒のルークを引き込んじゃったわ」
『だから言ったでしょう? メルクの力は争いを消してしまう力だと』
もう一人のトトが誇らしげに笑う。
玉響はしばらくチェス盤を眺めていたが、ふと何かに気づいてニッと笑った。
「あら。どうやら新しい駒が来たみたいね」
盤上で開かれた玉響の手のひらに3つの駒が出現する。
「白のナイトとビショップ。そしてクィーン──“不死鳥”か」
独りでに浮き上がり、盤上に移動する駒達。
そこはちょうど、ブリーカーボブスのすぐ隣。トゥリートップホテルの船がある所だった。
第23話 新たなる参戦者達
「グッドマン、調子はどう?」
「最悪だよ、姉ちゃん。寝返りは打てないし包帯は暑いし……」
「それだけ言えればもう大丈夫ね」
グッドマンは包帯でグルグル巻きにされ、ミイラのような格好で横になっていた。一見重症だが見た目ほどにはひどくないらしく、顔色は悪くない。
「カルルさんも、随分と良くなってきたみたいだね」
寝台脇の水差しを取替えつつ、支店長が看護室の一角に目を向ける。
そこにはケール博士の好意で譲られた最新式の医療ポットが設置され、中ではカルルが安らかな表情で眠っていた。
「ええ。ケール博士のおかげです。でも……」
ネーナがにわかに表情を曇らせる。
「何だか大変なことになってきましたね、支店長。フェルマータは平和な国だと思っていたのに……とうとうこの国でも戦争が始まってしまうんでしょうか」
支店長はネーナを引き寄せると、優しく肩を抱いた。
「戦争は、人の心の歪みが引き起こすもの。そして我々ホテルの役割は、人の身体と心を癒すことだ。私達は私達にできることをすればいい」
「仰る通りです、支店長」
と、やってきたのはコトブキだった。そばにはジューヌもいる。
「おや、コトブキさん。何処かにお出かけですか?」
「ええ、昔馴染みと約束がありましてね。おっと、噂をすれば」
何処からか聞こえてきた独特のエンジン音に、コトブキは天井を見上げた。
コトブキとジューヌが外に出ると、ちょうど白く美しい飛行機が舞い降りてくるところだった。着陸を待たずにハッチが開き、体格のいい壮年の男性が姿を現す。
「おや、ジューヌ君じゃないか! 久しぶりだね!」
「エイフェックス! どうしてここに!?」
「私が呼んだんですよ、ジューヌさん」
驚くジューヌに微笑みかけると、コトブキは年に似合わぬ快活な声を上げた。
「よぉカイル! 直接顔を合わせるのは何年ぶりだ!? 元気そうで何よりだ!」
「互いにな、コトブキ!」
スノウ・イリュージョンのエンジン音をものともせずに、大声で会話を交わす二人。
一方、ジューヌは一人置いてけぼりを食らっていた。
「なんで貴方達が知り合いなのよ!」
「実は私達、世界不良中年倶楽部の会員仲間なんですよ」
胸の辺りにつけていた妙な形のバッジを見せて、コトブキが事も無げに言う。見ればエイフェックスも、同じバッジを身につけている。
「これは極めて強力な発信機でね。世界中何処にいても位置が特定できるほどの優れ物なんだよ。にも関わらず発信が途絶えたのでね、それまでの位置を頼りに捜し当てたというわけさ」
ハッチから飛び降りて着地すると、エイフェックスは周囲の森を見渡した。
「ふむ。どうやらここはケラ・パストルのようだな。アイズ君達もここにいるのかな? それにフジノ君も」
「フジノ、ですか。懐かしいですね」
涼やかな声と共に、スノウ・イリュージョンの中から一人の少女が現れた。女性らしい曲線を描きつつも引き締まった身体を青地のワンピースで包み、手には大きな鞄と日傘を携えている。
一輪の花飾りをつけた麦藁帽子を目深に被り、長い金髪が花飾りと共に風に揺れる。
「カイル様、私はお嬢様のところに参ります。彼女達の力になってあげたいので」
「いいよ、行きたまえ」
エイフェッスが短く答える。
少女は薄く微笑むと、ジューヌに向かって軽く会釈し──忽然と姿を消した。
「い、今のって。もしかして……!」
幽霊でも見たかのような顔で呆然と呟くジューヌ。
エイフェックスは愉快そうに告げた。
「お楽しみはこれからだよ、ジューヌ君」
/
その頃、森の中ではパティ達と独立軍との騒動に区切りがついていた。
ハイムに対して生じた疑問がメルクへの敵対心を薄れさせ、カエデとルルド、白蘭、ナーらの少女達が現れたことで、兵士達の戦意が削がれたのだ。
それから間もなく、幻に惑わされて本隊からはぐれた独立軍の兵士達をロバスミが引き連れてきたことで、一時停戦の空気は確定的なものとなっていた。
「おお、みんな無事だったのか」
「申し訳ありません、オリバー堤督。我々はどうやら幻に惑わされていたようです。その後、何者かによって気絶させられたのですが、こちらの方々に助けていただきました。特に看護婦の方には、傷の手当てまでして頂いて……」
仲間の生還を喜ぶオリバーに、兵士の一人が報告する。
「そうだったんですか。どうやらメルクの看護婦殿と御見受けしますが、敵である我々を助けて下さるとは……」
オリバーが熱く白蘭の手を握る。
「いいえ、人の命に敵も味方もありませんわ。看護婦として当然のことをしたまでです」
普段の性格は何処に行ったやら、おもいっきり猫を被る白蘭。
「気絶させたのも白蘭じゃないか……」
ぼそりと呟いたロバスミは、白蘭に足を踏まれて悲鳴を上げた。
「? どうかなさいましたか?」
「いいえ、何でもありませんわ!」
一方、ルルドはパティの側に行っていた。
「パティさん」
「ルルドちゃん……良かったわ、無事だったのね」
パティは申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめんなさい。貴女のお父さんをけなしてしまって」
「ううん、いいよ。あたしも突然だったからビックリしちゃっただけだし、もう少しでパティさんに怪我させちゃうところだったし……それよりもさ」
ルルドは瞳を輝かせて言った。
「すごいね、血を一滴も流さずに独立させるって。かっこ良かった。これがメルクのやり方なんだね」
「……ううん、違うわ。それは……」
「パティ」
ケイが咎めるように口を挟む。
パティは「大丈夫」とケイに微笑みかけると、真っ直ぐにルルドを見つめて話し始めた。
「ルルドちゃん、聞いて欲しいことがあるの。実はね」
*
「そっか……パパが……」
情報局とアインスの繋がりを知って、ルルドはしかし、にっこりと笑って言った。
「ありがとう、パティさん。パパの考えを受け継いでくれて。パパもきっと喜んでるよ」
「……ありがとう、ルルドちゃん。そう言ってくれると……とても嬉しいわ」
/
森を流れる小川から、少し離れた木陰にて。
すやすやと寝息をたてて昼寝をしているフジノの穏やかな寝顔を、ノイエはじっと見つめていた。
「どうして眠れるんだ? 僕が殺すかもしれないのに……」
呟き、フジノの首筋に手を添える。
しかし、フジノは反応しない。
「信じてるのか、僕を? バカな……そんなことをして何になるっていうんだ。歴史は殺し合いの繰り返し、略奪と支配の繰り返しだ。そのはずなのに」
ノイエはそっとフジノの手を取った。
「何なんだ、この気持ちは……フジノ……君を殺したくない」
そしてフジノの手にそっと口づけると、ノイエは静かに立ち上がり、足音をたてずにその場を去った。
しばらくの間、宛てもなく歩いていると、ノイエは前方に誰かが倒れていることに気がついた。
見覚えのある戦闘服に身を包み、先程別れたばかりの少女と同じ、紅の長髪の持ち主。
「……アート!?」
/
「いや~、愛だねアイズ~! 口では何だかんだ言ってても、いざって時には助けてくれるなんて~!」
「目の前で人に死なれるのが嫌なだけよっ!」
アイズとグラフは魔女の城に向かう一本道を走っていた。二人の後ろからは宙に浮かぶ丸い機械が2つ、ビームを発射しながら追いかけてくる。
/
『あれは何ですか?』
「スパークス・ブラザーズって言ってね、研究所に残ってた部品で作ったの。侵入者を自動的に攻撃する門番みたいな奴よ。主な攻撃方法は御覧の通りのビーム攻撃。機動性もなかなかのものよ」
もう一人のトトの問いかけに、いそいそと着替えながら答える玉響。
道化師の衣を脱ぎ捨て、漆黒のローブを颯爽と身に纏う。
『どうしてそんなものを?』
「サービスよ、サービス。魔女のお城に入るための試練としては悪くない演出でしょ?」
魔女の格好としては定番のとんがり帽子を被りながら、玉響は意味深な笑みを浮かべた。
「ただしルールが一つだけ。あいつらはプライス博士とペイジ博士、ケール博士──そしてプライス・ドールズには攻撃しないの」
『……まさか……』
もう一人のトトが眉をひそめる。
玉響はニッと微笑んだ。
「魔女っていうのは意地悪なものなのよ」
/
「げ、行き止まりだ!」
ビームの嵐をかいくぐりながら走っていたグラフは、やがて見えてきた魔女の城の門が堅く閉ざされているのを見て慌てて立ち止まった。
「ええい、仕方がない!」
そのままUターンしてスパークスに飛びかかり、一体を蹴り飛ばすグラフ。当然もう一体も襲いかかってくると予想したグラフだったが、そちらはグラフの横を通り過ぎてアイズに襲いかかった。
「まずい!」
慌てて追いかけるグラフ。だが到底間に合いそうにない。しかしスパークスは突然アイズの手前で停止すると、無機質な電子音声で言葉を発した。
『データノ照合ヲ終了シマシタ。御帰リナサイマセ、No.1『リング』様』
「──え?」
「リング──だって?」
呆気に取られるアイズとグラフ。
「何なの……それ」
その時、もう一体のスパークスがグラフに背後から体当りした。
「うおっ!?」
転倒したグラフを押し潰そうとするスパークス。片腕のないグラフは思うように押し返せない。
「グラフ! ちょっとあんた達、攻撃をやめて!」
『ソレハゴ命令デスカ? リング様』
アイズはキッとスパークスを睨みつけた。
「そうよ、命令よ! リングでも何でもいいから、さっさとやめなさい!」
瞬間、二体のスパークスから火花が飛び散り、煙を上げて停止した。
急いでグラフに駆け寄るアイズ。
/
アイズの叫びと同時に、玉響は弾かれたように手を引っ込めた。
見れば指先がわずかに赤く、火傷したように腫れ上がっている。
「やるぅ」
熱そうに指先を口にくわえ、玉響は笑った。
/
「大丈夫か? アイズ」
スパークスの下から助け出されたグラフは、アイズの手を取って心配そうに尋ねた。
「それは助けたこっちの台詞でしょ? どうして私に聞くの?」
「顔が青いからだよ。それに少し震えてる」
アイズは少し黙っていたが、やがて地面に座り込み、
「……ま、そんなとこだろうとは思ってたけどね……」
蒼褪めた顔を無理に微笑ませた。
「どうも私、人間じゃないみたいね」
「リング──プライス・ドールズNo.1。設定年齢、性別、容姿、能力その他一切不明。公式には、後に続くNo.2、No.3と同様に創造過程で事故死したことになっているが、詳しい原因はわかっていない。ただ一つ確認されていることは、後に生み出された人形達──俺達クラウンも含むすべての人形の、基本となる存在であるということ。つまり、すべての人形の“母親”的な存在ということになるな」
データベースから引き出した情報を読み上げ、グラフは言った。
「すまないが、俺がアクセスできる範囲ではこれが精一杯だ。歴史的にも、プライス・ドールズ初の成功例はNo.4『レアード』ということになっている。No.3までの初期ナンバーズについては、ほとんど記録が残っていないんだよ」
「そう……ありがと、グラフ」
アイズは魔女の城の門にもたれて呟いた。
「前々からね、少し変だな、とは思ってたのよ。流石にグラフとかには敵わないけど、運動神経は結構人間離れしてるし、時々妙な力が使えるし。コープの奴も、何か知ってるみたいだったしね。そっか……やっぱ私、人間じゃないのか……」
「その、なんだ。あまり慰めにはならないかも知れないが」
グラフが頭を掻きながら説明する。
「ハイムのホストコンピューターにある情報を見る限り、君の肉体は間違いなく人間のものだ。確かに能力的には多少突出したところはあるが、それを言うならはっきり言ってフジノ・ツキクサこそ人間じゃない、うん。それに人形って言ったって人間と同じように生活できるし、見た目もほとんど変わらないし、アイズの身体なら間違いなく子供だって生めるんだし……とにかく、気にすんなって!」
「グラフ。貴方、私と子供を作る気なの?」
アイズが悪戯っぽく言うと、グラフは慌てて手を振った。
「いや、それはその、できるものならそれはそれで是非作らせてもらいたいけど……って、そうじゃなくってだなっ! 何て言うのかな、仲間……そう、仲間だ! アイズが人形だったとしたら、俺たちは仲間じゃないか! だから俺としては、どっちかって言うとそのほうが嬉しいし……って、そんなこと言われても迷惑かなぁ」
「グラフ。貴方って口はうまいけど女の子の口説き方はヘタね」
一人で喜んだり落ち込んだりしているグラフを見て、アイズはクスクスと笑った。
「そうね、人形でも人間でもいいか……うん。トトだって人間じゃないけどとってもいい子だし、白蘭、ナー、モレロさん、ジューヌさんにカシミールさん、それからスケアさん……あの人達って人間以上に人間くさいしね。よし!」
アイズは勢いをつけて立ち上がると、両手を挙げて伸びをした。
「自分の本質を知り、それを見極めた上で、自分にできる精一杯のことを探すこと! ただし自分の可能性を見限ってはいけない。よく先生が言ってたわね」
『でも無理しちゃダメなのよ~』
グラフの左手でうさぎの人形がぴょこぴょこ動く。
「ありがと、ウサちゃん」
アイズは人形にキスをすると、そのままグラフの手を取った。
「行きましょ、グラフ。ここにいても何にもわかんないわ。多分、答えはこの島の何処かに隠されていると思う。だから前に進まなきゃ」
「君は強いね。本当に」
グラフは微笑み、慇懃に礼をしながら芝居がかった口調で言った。
「それではアイズ姫、いよいよ魔女の城へと赴きましょうか? 貴女様のナイトが御供いたします」
『ウサちゃん17号もね』
アイズは嬉しそうに笑って言った。
「じゃあ、行きましょうか。グラフ、ウサちゃん」
昔か未来か現在か
名前のない通りがありました
そこには名前がないけれど
愛と平和がありました
二人が声を揃えて歌うと、魔女の城の門が不気味な音をたてて開き始めた。
「やっぱり詳しいな、アイズ」
「実はね、大きくなってからもよく見てたんだ。内緒よ?」
「へいへい」
グラフは苦笑し、ふと思い出したように尋ねた。
「ところでさ、さっき言ってた“先生”って?」
「ああ、家にいたお手伝いさんのことよ。私が小さい頃から住み込みで働いててね。私のことを特に可愛がってくれた人。私が学校に行かなくなってからは、家庭教師として勉強を教えてもらってたの」
「へぇ、アイズの教師か。一度会ってみたいな。すごい人なんだろうね」
「……そうね」
アイズは家を捨てて旅に出たときのことを思い出し、少し感傷的な気分になったが、すぐに気を取り直して微笑んだ。
「うん、普通にハイムの学校に通ってたんじゃ、絶対に教えてもらえないこととかも沢山教えてもらったわ。元はハイムの人じゃないみたいでね、世界の地理とか他の国のこととかにも詳しかった。教え方も、学校の教師なんかよりよっぽどうまかったし……もっとも、普段は優しかった分だけ、勉強に関してはちょっと厳しかったけどね」
/
一方、魔女の城から少し離れた場所。
日傘と鞄を手にしながら、青いワンピースを着た一人の少女が、門の中に消えていくアイズとグラフの後ろ姿を見守っていた。
「いい仲間に恵まれましたね、お嬢様。この分なら、もう私がついていなくても大丈夫かしら。う~ん、ちょっと悔しいなぁ」
彼女は少し困ったように微笑んでいたが、
「……! この感覚は……」
不意に何かに気づいて眼光鋭く周囲を見回した。
「“代行者”か。これはちょっと今のお嬢様には荷が重いわね」
呟きながら、改めて魔女の城を見上げる。
「……頑張って下さいね、お嬢様」
そして彼女は、またも忽然と姿を消した。