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「バジルー! アイズさーん! 何処なのー!? ……痛っ!」
二人を捜して歩いていたパティは、足首に走った痛みにうずくまった。どうやら先程斜面を転げ落ちたときに痛めたらしい。
「まいったわね……」
地面に座り直し、パティは先程の幻を思い返した。
「あれは確かにリードランスだったわ。それに、あの橋……」
呟くパティの脳裏に、懐かしい景色が浮かび上がる。更に蘇りかけた一つの記憶に、パティは慌てて頭を振り、両手と片足だけで立ち上がった。
「今はそんなことを思い出している暇はないのよ」
思いを振り切るように呟き、歩き出す。
と、その時。
視界の片隅を一つの人影が通り過ぎた。
痩せた長身、蒼い髪。少し癖のある歩き方。
「……アインス!?」
第16話 幻の島 -遺されたもの-
「待って、アインス! 貴方には聞きたいことがあるの!」
痛む足を引きずりながら、パティはアインスの背中を追いかけた。
「貴方は……どうして、あの時……!」
呼びかける声に応えてか、アインスが立ち止まり、振り返る。パティは安堵の微笑みを浮かべ、急いでアインスの元に駆け寄ろうとした。
「戻れ、パティ!」
「きゃっ!?」
鋭い声と共に、パティの腕がつかまれ引き戻される。地面に尻もちをついたパティは、その時初めて自分の前方に地面がないことに気がついた。
「ふうっ……何とか間に合ったな、パティ」
「……ケイ!」
/
「白のルーク、クィーン“知性”と合流。なかなかいい手ね」
/
「立てるかい?」
「え、ええ……痛っ」
「ああ、無理はしないほうがいい。少し休もう」
足首の痛みに顔をしかめたパティを見かね、ケイが優しく肩を押さえる。
仕方なく座り直すパティ。その隣に、ケイも腰を降ろした。
「ケイ、どうしてここに?」
「ああ……これを読んでね。すぐにでも話をする必要があると思ったんだ」
ケイは鞄から一冊のファイルを取り出した。
「それは……!」
新しい国家システムについての考案。
国家というものは一定のシステムに基づいて動いている。しかし国が繁栄して長い安定の時期を迎えると、システムは老朽化し柔軟性を失ってしまう。リードランスがハイムの侵略を許してしまったのも、まさにその点に原因があったと言えるだろう。
ここではどのようにすれば国家としての一定のシステムを維持しつつ、その老朽化を防ぐことができるのか、その方法について考えてみたい──
「全部、読んだのね。ケイ」
「ああ。悪いとは思ったが……」
「……そう」
パティはうなだれると、自嘲気味に呟いた。
「それなら、もうわかったでしょう? ご覧の通り、そこに書かれているのは情報局の原案よ。このファイルは今から12年前に、私が『彼』から譲り受けた物……」
──以上が私の考案する国家の自浄システムである。
これは現実的には極めて難しい、言わば理想論だ。現在のリードランスでこの案を実現するには、少なくとも10年近い歳月を要するだろう。
そしてまた、数多くの優秀な人材の発掘が必要不可欠となる。案が理想論に近いからこそ、それを正しく理解し実行できる理想的な人材なしにこの案は成立しない。
しかし、私は信じる。いつの日かこの案が実現し、どのような状況にも対応できる理想的な国家が誕生することを。そのような日が迎えられることを楽しみに、本書を締めくくりたいと思う。
アインス・フォン・ガーフィールド
「そう、情報局設立のアイデアを提示したのは私じゃない。アインス・フォン・ガーフィールドなのよ!」
胸のつかえを吐き出すように。
パティは叫び、大きく息を吐いた。
「……パティ……」
どう声をかけたものかと戸惑うケイ。
と、その時。二人の周囲に、再びリードランスの街並みが出現した。
「な、なんだこれは?」
驚いて辺りを見回すケイ。
一方、パティは何かに気づいたように立ち上がると、ケイに向かって手を差し出した。
「……案内するわ、ケイ。一緒に来て」
「私とアインスが出会ったのは、この橋の上なの」
パティが立ち止まったのは、アイズ達とはぐれる前に見た橋の上だった。
「当時15歳だった私は、留学生としてリードランスにやってきていたわ。でも全然その環境に慣れなくて……ひどいノイローゼにかかってね。ここで自殺しようとしたの」
「自殺だって?」
パティの台詞に驚くケイ。
その時、二人の近くに一人の少女が現れた。化粧っ気のない顔に分厚い眼鏡。服装は垢抜けず、ボサボサの髪を無理やり三つ編みにしている。
「あの子は、写真に写っていた……」
「バカな子よね。小さい頃から勉強ばっかりで、その他のことは何も知らなくて。飛び級に飛び級を重ねて言われるままに留学して、そうなって初めて、自分には何の目的も生きがいも……友人もないって気がついたのよ」
15歳のパティが橋から飛び降りようとする。幻とはわかっていても、思わず駆け出すケイ。しかしその時、ものすごい勢いで駆けつけた誰かが15歳のパティにしがみつき、引き戻した。
二人はしばらくもみ合っていたが……どういうわけか、助けに来た男の方が橋から落ちそうになってしまった。パティが慌てて男の腕をつかみ、引っ張り上げる。
「助かりました。貴女は命の恩人です」
男は無事橋の上に戻った後、呆れているパティに向かってにこやかに頭を下げた。その男の腰に下げた剣には、リードランス王家の紋章が。
「あれは、君と一緒に写っていた……ということは、彼が?」
「そう。これがアインス・フォン・ガーフィールドとの出会いよ」
*
15年前、リードランスのとある街。
「……ねぇ! 何で、貴方は、ついて、くるわけ!?」
「受けた恩は必ず返せと、家訓に……ところで、どうして走ってるんですか?」
「貴方が、おっかけて、来るからで、しょうがっ! ……きゃっ!?」
息を切らして走っていたパティは、後ろを振り向いて叫んだ途端、石畳の隙間に足を取られて転んでしまった。
「アイタタタ……あ、眼鏡が……」
「大丈夫ですか? どうぞ、つかまって下さい」
目の前にスッと手が差し出される。パティは渋々礼を言おうとして、見上げた先にあるものに思わず声を上げた。
「何してるのよ!」
いつの間に拾い上げたのか、パティが落としてしまった眼鏡をアインスがかけていたのだ。
「うーん。これはダメですね……」
片手でフレームを上下に揺らして、アインスは独り言のように呟いた。よほど落ち方が悪かったのか、レンズにはヒビが入り、フレームは歪んでしまっている。
「返して! 返してよっ!」
「どうしてです? 眼鏡がない方が可愛いですよ? それにこの眼鏡、ほとんど度が入っていないじゃないですか」
「…………っ!?」
パティが驚いたように硬直する。
「わ、私は……そんなこと言われたって嬉しくなんてないのよっ! いいからさっさと返して……あっ、何をするのよ!?」
パティはキッとアインスを睨んだ。アインスが眼鏡を懐に入れてしまったのだ。
「壊れてしまったのは私の責任ですし、知人に修理を頼ませていただきます。修理が終わるまでの代用品は……そうですね。どうでしょう、お礼とお詫びを兼ねて、私から一つ新しい眼鏡をプレゼントさせてもらえませんか?」
「お……大きなお世話だわ。勝手なことをしないで」
改めて差し出された手を払い除け、頑なに関わりを拒否するパティ。
アインスは困ったように微笑んだ。
「どうやら貴女は、心にも度の合わない眼鏡をかけてしまっているようですね。それを外さない限り、貴女の目には何も正しくは見えませんよ」
「……ど、どういう意味よ」
パティが質問を返したことが意外だったのか、アインスがわずかに驚いた顔をする。
その表情が少々悪戯っぽいものへと変わるのに、さして時間はかからなかった。
「どうです? 私と旅に出ませんか?」
「旅? 何でいきなりそんな……」
「どうせ死ぬのなら、もっと派手な所の方がいいじゃないですか。あんな小さな橋じゃなくてね」
「……はぁ?」
呆気に取られるパティ。
と、その時。遠くからアインスを呼ぶ声がした。
その時のことを、パティは今でもはっきりと覚えている。
出会ってからわずかな時間ではあったが、常に大人びた雰囲気を身に纏っていたアインスの表情が、子供のように明るくなった瞬間を。
「リード! カシミール! ここだよ!」
声のした方向を振り返り、アインスが大きな声で応える。
間もなく、一組の男女が二人に駆け寄ってきた。随分とスタイルのいい綺麗な女性と、凛々しい風貌の剣士だ。
「アインス! もう、何処に行ってたのよ?」
「このお嬢さんは?」
アインスはもう一度パティを見ると、ニッコリと笑って言った。
「新しい旅の仲間だよ」
*
「こうして私は、アインス達の旅に加わることになったの。自分の死に場所を捜すっていう、今にして思えば妙な旅だったけど。楽しかったわ、本当に」
プライドが高く頑固なパティと、何処までもマイペースでのんびりしたアインス達。到底うまくいきそうにない組み合わせだったが、パティの負けず嫌いの性格も手伝い、四人の旅は続いた。
見知らぬ土地を旅して歩き、幾多の危険をアインス達と共にくぐり抜け、いつしかパティは変わり始めた。死にかけたことは何度もあったが、当初の目的だった“死に場所”は見つからなかった。そして旅が終わる頃、それはどうでもいいことになっていた。
「ま、あいつらの方が大人だったのよ。悔しいけどね」
周囲に広がる光景は、いつの間にか、何処かの図書館らしき景色に変わっていた。
*
アインスとの出会いから3年後。
リードランス王立図書館の中、パティは大きな机の上に何冊もの本を広げていた。
15歳の頃よりすっきりとした服装に、短く切りそろえられた髪。薄く化粧を施された顔にはシャープなデザインの眼鏡がかけられている。
「……君は、フェルマータには帰らないのかい?」
パティの向かい側には、少々疲れた様子のアインスが座っていた。
「その必要はないわ。私はこの国で政治家になるって決めたんだから。それに、貴方はデスクワークが苦手でしょう?」
本を読む目を上げることなく、パティはぶっきら棒に答えた。それが照れ隠しだとわかっているのかいないのか、
「そうか。嬉しいよ」
アインスは本当に嬉しそうに言い、それからポツリと呟いた。
「戦争……起きるかな」
「たかが属領の小国の反乱でしょ? すぐに片付くんじゃないの?」
深く考えずに答えるパティ。
しかしアインスは考え込むように言った。
「何か嫌な感じがするんだ。ハイムの国王は私もよく知っている人物だが、今のハイムの手口はあの人らしくない。それにリードランスのシステムは、長い平和で老朽化してしまっている。現代の戦争には対応できない」
アインスは持っていた鞄から一冊のファイルを取り出した。
「パティ、これを預かっていてくれないか? 僕なりの新しい国のシステムについての考えが記してある。時間があれば読んで欲しい。それから、もしも……」
「もしも?」
ファイルを受け取り、パティが尋ねる。
しかしアインスは笑って首を振った。
「いや、何でもない。……ねえパティ、戦争なんてバカげたことを、どうしてやりたがる人がいるのかな。本当に不思議だよ」
そしてアインスは立ち上がった。
「何処に行くの?」
「カイルさんに会ってくるよ。あの人は顔が広いから、ハイムにも知り合いがいるかも知れない。それから、外務大臣とラトレイアの所を回るつもりだ」
アインスは図書館の扉口でもう一度振り返り、微笑んで言った。
「君の夢……叶うといいね。いや、パティならきっと叶えられるよ」
「変な奴。いつもだけど」
去っていくアインスの後ろ姿を見ながら、ふとアインスが二度と戻ってこないような気がしたのは何かの予感だったのだろうか。
しかし本の続きを読み始めてしばらくの後、その予感のことも、アインスから預かったファイルのことも、パティは忘れてしまっていた。
数日後、リードランス大戦が勃発する。当時宰相の地位についていたアインスは公務に追われ、パティも戦火を逃れて住居を転々としていたため、二人が会うことは二度となかった。
それから一年と半年。
アインス暗殺の報せが届いた日の夜、パティは初めて預かっていたファイルを開いた。そしてその翌日、以前から交流のあったオードリー、ケール博士らと共に、彼女はリードランス王国を脱出する。
彼女達がハイムから逃走中のスケアとバジルに出会うのは、それから二日後のこと。
ケイを含む各方面からスカウトした優秀なスタッフらと共に、フロイド企業事故の受難から精神走査能力を手に入れたレムが参入し、メルクが本格的な活動を開始するまでには、更に一年の月日が流れることになる。
*
「どう? これが貴方が長官と呼んでいた女の正体よ」
パティは自嘲気味に呟いた。
「確かに情報局のシステムはフェルマータを変えたわ。でもそれは私の才能じゃない」
「そうかな?」
ケイはまっすぐにパティを見つめて言った。
「確かに基本的な部分を作ったのはアインスだろう。なるほど彼は天才に違いない。でもな、パティ。それを実行したのは誰だ? 君と、僕と、バシルやスケア、オードリー、ケール博士、そしてレム。僕達メルクのメンバーだろう」
ケイの口調が強くなった。
「確かに考えたのはアインスだ。しかしこの10年間、素晴らしい実行力でこの国を変えてきたのは君じゃないか! それは僕だけじゃない、みんなが知っていることだ! ……10年前、僕は駆け出しの官僚だった」
ケイは昔を思い出しながら言った。
「君も知っているだろうけど、僕の家は政治家の家系でね……多分あのままいってれば何処かの長官にでもなって賄賂なんかも貰って楽しく暮らせてたんだろうね。現に僕の親もそうだった……でも、何かが物足りなかった。そんな時、僕は君と出会ったんだ。
君の持ちかけた情報局のアイデア。それは当時の僕の特権を破壊してしまう考えだったけど、僕はそれに惹かれた。官僚をやめた時、両親は気絶して妻は出て行ったけど……この10年間は本当に楽しかった。初めてやりがいのある仕事に出会えたんだ。そして僕らはここまでやってきた。誰が君に文句を言うんだい?
この10年でフェルマータは大きく変わった。とてもいい方向にね。それは僕らの仕事の成果だ。妻と別れて以来、娘には苦労をかけたけど、今は胸を張って言えるよ。お父さんは素晴らしい仕事をしているんだってね。パティ、君のおかげだ」
「ケイ……」
「さっきも言ったけど、確かにアインス・フォン・ガーフィールドは天才だ。何せ君という才能を見つけたんだからね」
「実はね、僕も学生時代は友達がいなくてさ。よくいじめられてたんだ」
パティに肩を貸して歩きながら、ケイは懐かしげに語った。
「そうだったの……」
「ああ。でも言うだろ? 終わり良ければすべて良し、ってね。問題はどんな大人になるかだよ。僕はねパティ、今度の同窓会が楽しみで仕方がないんだ。仕事が忙しくて、今まで一度も顔を出していなかったから……僕がメルクで副官をやってるなんて知ったら、みんなどんな顔をするかな?」
悪戯を企む子供のようなケイの笑顔を見て、パティも微笑んだ。
「……そうね、今の私たちはフェルマータ合衆国最強のコンビよね……過去は問題じゃないわ」
「ああ、その通りだ」
ケイは力強くうなずくと、バジルの口調を真似て言った。
「やっとわかったのかい? ベイビー」
「……ケイ……悪いけど、それだけは似合わないわ……」
「ああ、僕も今そう思った……一度やってみたかったんだよ」
/
「イマーニはプライス博士の19番目の人形。能力は一言で言うと『幻』だ」
バジルとアイズはパティを捜して森を進んでいた。
「ふーん……でも、何でそのイマーニがこんなことをするの?」
「さぁね。女心ってのはわからないもんだ」
「……それ、本気で言ってるの?」
アイズのつっこみに、バジルは妙に真面目な顔で答えた。
「ああ、本気だぜ?」
その時、何かが焼ける音と臭いと共に、大量の煙が辺りを覆った。
「ゴホッゴホッ、何よこれ?」
「またか……」
バジルが剣を抜き、前方の空間を一閃して剣圧で煙を吹き飛ばす。
そこには、無残な廃墟の光景が広がっていた。