森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

浮遊島の章 ~後日談~ エピソード.1

2011年03月23日 | マリオネット・シンフォニー
前回に戻る
 

 ケラ・パストル中央部、森林地帯。
 完全に鎮火した森の中で、オードリーとサミュエルは全身ずぶ濡れで背中合わせに座り込み、空にかかった虹を見つめていた。
「サミュエル──生きてたのね」
「互いにな、オードリー」
 オードリーの呟きに、サミュエルが応える。
「11年前の戦争以来、よね」
「……ああ」
 サミュエルは目を閉じ、全身から力を抜いた。そのまま大地に倒れ込み、支えを失ったオードリーも倒れる。
「色々あったな、この11年間。戦争が起きて、リードランスが滅んで」
「そして、私達も別れた。ハイムへの復讐を誓って」
「お前はパティと共にハイムに対抗できる組織を設立し、俺はカイルと共にハイムに潜入した。内外からハイムを崩壊へと導くために」
 サミュエルは空に向かって拳を掲げた。
「俺達は力を得た。時代は確実に動き始めている」
「いよいよね……私は絶対に忘れないわ。11年前にハイムがしたこと、あの惨状を再び繰り返させはしない。させるものですか」
「感情に流されるなよ、オードリー。お前の悪い癖だ。まあ……俺も同意見だが」
 サミュエルは笑った。
「俺達のしていることは決して間違ってはいない。いつか必ず、すべてが良くなるさ」
「貴方らしくないわね。そんな楽観的な台詞を吐くなんて」
 オードリーのからかうような口調に、サミュエルが苦笑する。
「俺だって夢を見る。だがそれを実現するのは完璧なプロ意識だ。希望を捨てず、自分の目の前にある仕事を一つ一つ全力で片付けていく。ただそれだけのことさ」
 そして、サミュエルは立ち上がった。
 オードリーが慌てて身体を起こす。
「もう行くの?」
「まだ仕事は残っている。いや、ここからが本番だ」
 サミュエルは改めてオードリーを見つめた。
 身体は変化しなくとも目を見ればわかる。
 強く、美しく成長した妹の姿に心の内で頷くと、サミュエルは踵を返した。
「また会おう、オードリー。悪い男にはひっかかるなよ。お前は昔から男の趣味が悪い」



~後日談~ エピソード.1



 その頃、バジルはクシャミをしていた。
「風邪かな?」
「先にシャワーでも浴びて来られてはいかがですか?」
「ああ、そうですね。そうさせてもらいます」
 支店長が持ってきたタオルを受け取り、バジルはソファーから立ち上がった。
 二人はトゥリートップホテルの船、エントランスホールにいた。巨大過ぎて小回りの利かないブリーカーボブスに代わって行方不明者の捜索に出ていたホテルの船を見つけ、ネイとトトを運び込んだのだ。
 アートはトトについて医務室に行っており、この場にはいない。
「お二方のことはお任せ下さい。当方でも優秀な技師と医師を常駐させておりますし、間もなくブリーカーボブスに到着します。そうすればケール博士がいらっしゃいますから」
「ええ、よろしくお願いします。俺も上官への報告がありますから、今はこの格好を何とかしないといけませんしね」
 バジルの冗談混じりの台詞に、支店長が軽く笑う。
 ひとしきり笑った後、支店長は穏やかに言った。
「お疲れ様でした、バジルさん」
「……ありがとうございます、支店長」
 バジルは深々と頭を下げた。

 バジルをシャワールームに案内した後。
 支店長は自らの頬を叩いて気を引き締めると、さて、と踵を返した。
「次は私達が頑張る番ですね」
 船の進行方向には、空中で対峙するブリーカーボブスと南部独立解放軍艦隊の姿がある。船は双方の中間点に向けて、真っ直ぐに進んでいった。

   /

 メルクと独立軍の間では、どちらの艦に話し合いの場を設けるかで準備が難航していた。
「提督。中型の船が東方より接近中です。戦闘型ではありません」
 部下からの報告を受けて、オリバーはブリッジ正面のモニターに目を向けた。
「メルクの使節か。何度も言うようだが、貴艦での話し合いには応じられないと」
「いえ、識別子によると……トゥリートップホテルの移動型宿泊施設のようです」
「……何でこんな所にホテルの船が?」
 ブリッジがにわかにざわめく。
 と、ホテルの船から通信が入ったことを示す文字がモニターに表示された。オリバーの指示で回線が繋がり、開いたウインドウに支店長の顔が映し出される。
 支店長は最上級の微笑みを浮かべると、穏やかな声で言った。

『メルクの皆さん、独立軍の皆さん。お疲れ様でした。お茶とケーキをご用意させて頂いております。よろしければどうぞ』

 その放送は、ブリーカーボブスのブリッジにも同時に流された。
「やってくれるわね、支店長」
 パティが苦笑し、ケイと顔を見合わせる。
 二人はどちらからともなく頷くと、一旦海岸に着陸し、ホテルの船に向かう小型艇を用意するよう指示を出した。

 オリバーはどうしたものかと難しい顔をしていたが、やがてブリーカーボブスが警戒態勢を解いて着陸していくのを確認すると、肩の力を抜き、呟いた。
「トゥリートップホテルか。俺の地元にもある。いいホテルだ。特に苺のケーキが絶品なんだが」
『勿論、ご用意させて頂いております』
 支店長がにこやかに応対する。
 オリバーは溜息混じりに笑うと、晴々とした顔で支店長に言った。
「利用させてもらうよ」

   /

 やがて、ホテルの船でささやかなパーティーが開かれた。
 話し合いは後回しにし、とりあえずは互いの無事を祝おうという支店長の提案は双方に受け入れられ、多くの者が一同に会することとなる。
 そんな中の一人。
 シャワーを浴びて制服に着替えたバジルは、パーティー会場に入ると他の誰にも目をくれずにパティの元に進み、歩みを止めた。
「長官。ご無事で何よりです」
「どうしたの? 妙にしおらしいわね」
 紅茶の入ったカップをテーブルに置くパティ。
 バジルは直立姿勢で言った。
「長官。先日からの貴女の心を傷つける数々の言動、誠に申し訳ありませんでした。それと、貴女の安全を確保すべき立場にありながら……」
「特殊部隊長バジル・クラウン」
 パティはバジルの台詞を遮った。
「わかってるわよ。貴女が私の心を試すためにあんなことをしたってことはね。おかげで散々な目に遭ったけど、その分鍛えられたわ。礼を言うべきかしらね……ほんと、私はいい部下に恵まれてるわ」
「長官……」
「貴方にそんな顔は似合わないわよ、バジル」
 パティは笑って言った。
「覚えてる? 私達が初めて会った時のことを」

   /

「あ、ルルド!」
 オリバーに連れられて来ていたカエデは、近くを通りかかったルルドを見つけて声をかけた。周囲をキョロキョロと見回していたルルドがカエデに気づき、
「あ、カエデ……」
 と力なく呟く。
 カエデは手に持っていたケーキの皿を置くと、小走りにルルドに駆け寄った。
「どうしたのルルド」
「うん……ママを探してるんだけど」
「ママって、あの人のこと?」
 少し離れたところでスケアと話しているカシミールを見つけ、指差す。スケア・カシミール・ルルドの3人がブリーカーボブスでの戦いに加わった際の映像を、カエデも見ていたのだ。
「ううん。違うの。あの人もママなんだけど、今探してるのはもう一人のママのほうで……」
「……それって、あの……紅い髪のお姉さんのこと?」
 カエデが尋ねると、ルルドは小さく呟いた。
 あたしは、何処に帰ればいいんだろう、と。
「あたしね、4人親がいるの。パパとママが二人ずつ。あたしは4人の擦れ違いの中で生まれたの。どう言ったらいいのかわからないけど……自然な生まれ方じゃないらしいの」
「そう……なんだ」
「うん。それでね、あたしが今一緒にいるママと、もう一人のママは仲が悪いんだ。でもあたしは、二人とも大好きで……ちゃんと会って話がしたいのに、もう一人のママとはほとんど会うこともできなくて。ねえカエデ、あたし、どっちを選べばいいんだろ」
 ルルドの頬を涙が伝う。
 カエデはルルドを抱き締めた。
「両方選べばいいよ、ルルド。どっちも本当のママなら、二人とも選んじゃえばいい。ねえルルド、親が沢山いるっていうのは悪いことじゃないよ。みんなルルドのことを愛してくれてるなら、それはとってもいいことだよ。あたしには……もう、一人のパパもママもいないから」
 ルルドが驚いて顔を上げた。
「ご、ごめん。カエデ、あたし……!」
「って言っても、顔も覚えてないけどね。大丈夫、あたしにはお兄ちゃんがいるから。軍のみんなもね」
 カエデは笑い、そして優しく言った。
「だからルルドも大丈夫。みんなルルドのために頑張ってくれるよ。だってお兄ちゃんもあたしのために頑張ってくれてるもん」
「……ありがと、カエデ。あたし、頑張ってママを探してお話してくる!」
 ルルドは駆け出し、立ち止まって振り向いた。
「ねえカエデ! あたしカエデのこと、親友だって思っていいかな!」
「カエデ“お姉さん”と呼びなさい! あたしの方が二つも年上なんだから!」
 ルルドは明るく笑うと、そのまま会場を出て行った。

「……行ってしまったね」
 飲む振りをしていたカップを下ろし、スケアは呟いた。
 ルルドの後姿を見送っていたカシミールが、ええ、と呟く。
「あの子は……どうなるのかしら」
「それはルルドが自分で決めることだよ。でも、例えルルドがどんな道を選んだとしても、私達はいつまでもあの子のことを愛している」
「……そうね」
 カシミールは微かに涙ぐんだ。

   /

「カエデ? 何処に行ったんだ?」
 苺のケーキを持ってテーブルに帰ってきたオリバーは、そこで待っているはずのカエデの姿がないことに気づき、辺りを見回した。
 その時。
 オリバーの後方で車椅子の車輪が軋んだ。 
「お前は……」
「お初にお目にかかります。南部独立解放軍提督、エルウッド・オリバーさん」
「メルクの魔女。No.6【レム】か」
 オリバーは警戒しつつ言葉を続けた。
「言っておくが、まだ我々はお前達に協力するとは言っていない。話し合いに応じたのは、あくまで南部独立に向けたより良い方法を模索するためだ」
「それではダメです」
 レムが首を横に振る。
「南部と北部が。フェルマータが一つにならなければ、ハイムに勝つことはできません」
「だが我が民族は……」
「民族の違いとは、そんなに重要なものですか?」
「当然だ」
「……そうですか」
 レムが別の場所に顔を向ける。
 オリバーがつられてそちらを見ると、カエデが一人の少女と話をしていた。
 どこかで見たような女の子だな、と思う間もなく。
「あの子。貴方とは血の繋がりはありませんね」
 レムが小さく呟いた。
「……知っている者は知っていることだ。脅しにもならんぞ」
「脅すつもりはありませんが……」



「彼女……リードランスの王族ですね?」



「……何を馬鹿なことを」
 一度目は平静を装ったオリバーの声が、隠し切れない動揺に揺れる。
「彼女の年齢と名前。彼女自身がおそらくは出自に気づいていないこと。何より、貴方のお父上の世に知れた人格と、当時の世相を鑑みれば容易に想像がつくことです」
「推論だけで一方的に決めつけるとは。メルクの魔女の名が泣くぞ」
「私をその名で呼ぶ貴方なら。私の『力』については、ご存知でしょう?」
「…………」
 押し黙るオリバー。
 レムは淡々と続けた。
「貴方もご存知の通り、ハイムの民は大陸南部から派生した先住民族。そしてリードランスの民は、数百年前に大陸北部を席巻した遊牧民族の一部が、海を渡ってハイムの民を駆逐したものです。その直系たる王族は、あなた方からすれば……まさしく侵略者の象徴とも言うべき存在でしょう」

 緊張に握り締められていたオリバーの拳が解け、力なく垂れ下がる。
 オリバーはカエデを見つめた。
 何があったのか、涙を流して震える少女を抱き締め、声をかけてやっている。
 その瞳はどこまでも優しく、その姿はどこまでも尊く。

「優しい妹さんですね」
「……ああ」
 オリバーの拳が、やがてきつく握り締められる。
 レムと真正面から向き合い、オリバーは言った。
「カエデは……俺の自慢の妹だ」
「だったら、守ってあげて下さい」
 レムは微笑んだ。
「どんな民族も、始まりは愛し合う二人です。家族の愛なくしても、民族の繁栄はありえません。愛してあげて下さい、貴方の妹さんを……心から」
 レムが車椅子の方向を変える。オリバーはしばらく黙っていたが、レムがそのまま行こうとしたので慌てて呼びかけた。
「一つ尋ねるが。三年前にブルマンズコーポレーションから役員の不正に関する情報を盗み出したという噂は本当か? あの時はかなりのパニックになったが……」
「あれはカモフラージュです」
 レムは背を向けたまま答えた。
「世間の目がそちらに向いている隙に、政府の中枢に。前大統領は意外と聞き分けが良かったのでスムーズに物事が運びました」
「……あの直後だったな、大統領が辞任したのは」
「そういうことです」
 レムが車椅子を進め、途中から何処からともなく出てきた背の高い男が手伝い、会場を出て通路の奥へと消えてゆく。
 オリバーは軽く笑って呟いた。
「あれがメルクの魔女か……まったく、パティ・ローズマリータイムといい、裏と表に魔女がいたんじゃ勝ち目はないな」
「お兄ちゃん」
 オリバーがふと気づくと、カエデがすぐ近くまで来ていた。
「聞いてよ。ルルドがね、すっごく生意気なのよー」
「ルルド? 誰だ?」
「あの子だよ。ほら、あたしの首輪を外して助けてくれた。なんか、本当はリードランスのお姫様なんだって」
「……そうか。あの『ルルド』か」
 ハイムからの情報に思い当たるオリバー。
 写真で一度見ただけのその姿が、先程カエデの腕の中で涙を流していた少女とようやく結びつく。
「あ……お兄ちゃん、やっぱり南部以外の友達はダメ? でも、ルルドはとってもいい子なんだよ」
「……いや」
 寂しそうなカエデの頭を撫で、オリバーは微笑んだ。
「お前が友達だと思うのならそれでいい。友達に民族は関係ない」
「うん!」
 カエデの表情が明るくなり、オリバーに抱きついてくる。オリバーもカエデを抱き締めた。
「なあカエデ。お兄ちゃんはずっとお兄ちゃんだからな」
「何言ってるの? お兄ちゃん。当たり前じゃない」
「そうだな」
 オリバーはもう一度、強く妹を抱き締めた。

   /

「あの二人、血が繋がってないのか」
 レムの車椅子を押しながら、バジルは言った。
「それにしても、リードランスの王族だってことまでよくわかったな、レム」
「いいえ。私は何も知りません」
「……え?」
 バジルが驚いて立ち止まる。
「血が繋がっていないのは本当です。ですが、何処の生まれかまでは確たる情報がありません。資料に捨て子だとあったので利用しただけです。大戦末期に拾われていることから察するに、当時リードランスから亡命した幾つかの家が候補として考えられますが……所詮は推論です。彼にとっては苦し紛れの言葉だったのでしょうが」
「……そうか」
 バジルは再び車椅子を押し始めた。
「私のこと……怖い女だとお思いですか?」
「友達なんだろ? 俺達はさ」
 レムは悲しげに微笑み、ありがとうございます、と呟いた。
「さっきパティと話をしたよ。彼女と初めて出会ったときの話だ」
 バジルは遠い過去に目を向けた。
「驚いたよ、あの時は。何処から情報を仕入れてきたんだか、スケアと共に彷徨っていた俺の元にやってきて、いきなり自分の作る組織に入れって言うんだからな。普通敵国の元兵士にそういうこと言うかい? それに構想自体無茶だと思ったよ、正直ね……でもパティは話し続けるんだ。絶対にうまくいく、でもそのためには貴方達の力が必要だってね。俺もスケアも、ハイムから逃げたはいいが何をしていいのかわからなかった。一体何をすれば」
「罪の償いになるか……ですね」
 レムが呟く。
 バジルは少し驚いていたが、やがて自嘲気味に呟いた。
「ああ、その通りだ。スケアはパティの話に活路を見出したようだった。俺も共に歩むことを決意した。それからケイが加わって、君も参加して、メルクはまとまっていった。楽しかったよ。スケアも少しずつだがいい顔を見せるようになっていった……でも」
 バジルは一息ついて言った。
「でも俺の罪は消えないままだ……どんなことをしても」



「私も罪を犯しました」



「なん……だって?」
 バジルが尋ねると、レムは静かに言った。
「私も罪を犯しました。貴方と同じく、とても償いきれないような罪です……でも」


「それでもいつか、私たちの罪は許されると思います。いつの日か、きっと……」

 








次に進む

更新を延期します

2011年03月16日 | マリオネット・シンフォニー
 息子の容態が思わしくないため、今週のマリオネット・シンフォニーは休載致します。

 11日の金曜日、東日本大震災の始まりと時を同じくして39度を越える高熱を出し、翌日インフルエンザと診断されました。
 今は治まりましたが、一時は幻覚ともとれる症状に襲われていました。

 乗っていたエレベーターが落ちる夢を見たり。
 どこかに何かをあと50個入れないといけないの、と、自分でもどうしていいかわからない強迫観念に襲われたり。
 空から北海道が落ちてきて京都を押し潰してしまう、と泣き出したり。

 どうにか宥めて寝かしつけても、悪夢で目が覚めてしまう。
 気分転換にテレビをつけようとも、流れているのは震災の悲惨な映像ばかり。

 被災者でなくてもニュース映像を見ているだけでPTSDを発症するケースがあると知り、慌ててテレビをつけないようにしたのが日曜日のこと。
 妻と共にひたすら息子の心のケアに努め、どうにか安定を取り戻させることができましたが、まだ熱が下がりません。

 しばらくは息子につきっきりになると思いますが。
 来週には更新できるよう、頑張ります。
 

浮遊島の章 第32話

2011年03月02日 | マリオネット・シンフォニー
前回に戻る


 メルク移動要塞、ブリーカーボブス。
 ハイムの空中戦艦を撃沈させて沸き返っていたブリッジは、直後に起きた異常事態により恐慌状態に陥っていた。
「どういうこと!? 一体何が起こったの!?」
 パティは前方のモニターを愕然と見つめていた。
 島の中心部から凄まじい勢いで立ち昇る、天をも焦がす巨大な爆煙。研究所は瞬く間に崩壊し、周囲の森もろとも灼熱の炎に包まれている。
「あそこにいた皆は……! 皆はどうなったの!?」
「パティ、落ち着くんだパティ!」
 混乱するパティを抱き締め、ケイはマイクを握り締めた。
「全部署に通達! これより災害沈静及び生存者の救助にあたる! ケール博士に回線を繋いでくれ!」
 ケイの指示で通信が外線に切り替わる。無駄だとは思いつつも一縷の望みを託し、ケイは祈りを込めて叫んだ。
「ケール博士! ケール博士、応答して下さい!」

『そんな大声出さなくったって聞こえてるわよ~』

「……えっ!?」
 予想外の反応に、ケイとパティは驚いて顔を上げた。突然モニターの画像が切り替わり、ケール博士の姿が映し出されたのだ。
 そこはブリーカーボブスの外壁だった。ケール博士の他に、意識を失っているレム、ノイエを抱えているカシミール、そして白蘭とナーの姿がある。
「ケール博士!? どうしてそんなところに……!」
『“飛んだ”のよ……レムが事前に察知してくれなかったら危なかったわ』
 全身汗まみれで意識を失っているレムを、ケール博士が優しく見つめる。
『この大人数を一瞬で飛ばすのは、やっぱり相当無理があったみたいね。ありがとう、レム。今はゆっくりおやすみなさい』
「しかし、他の皆は……」
 ケイが呟いた途端、スケア、フジノ、そしてジューヌを連れたルルドがブリッジに瞬間移動してきた。
『スケア、ルルド……!』
 モニターの向こう側でカシミールが喜びの声を上げる。
 だが。
『……グラフは……?』
 カシミールに抱えられたノイエの呆然とした呟きに、スケアが目を伏せ、フジノはその場に膝をついて床を叩いた。
「アイズ達は……間に合わなかった……っ!」

 その時。
 突然ブリッジの中空に複数のカードが舞った。
「あのカードは……!」
 驚くフジノの目の前で、旋回するカードの中心に巨大なカプセルを抱えたモレロ、そしてグラフが現れる。
「うおっ!?」
「なっ!?」
 突然空中に放り出され、慌ててバランスを取る二人。モレロはカプセルを庇って着地し、グラフは着地と同時にモニターに目を向けて叫んだ。
「あの野郎! どういうつもりだ!?」



第32話 用意された幕切れ



「……これは……」
 アイズはゆっくりと周囲を見渡した。
 揺らめく炎と煙に包まれ、自分が何処にいるのかわからない。にも関わらず、熱波も煙も遮断され、熱くも息苦しくもない。
「どういうこと? 他の皆は……」
 呟き、アイズは気がついた。
 足元に何もない。宙に浮いているのだ。しかも周囲を何かが旋回している。それらが熱と煙を遮り、自分を空中で護っているらしい。
 そして自分が知る限り、こんなことができる人物は一人しかいない。
「何処にいるの!? 出てきなさい!」
 途端、アイズの近くに数枚のカードが出現し、旋回し始めた。間もなく、カードの中心に一人の男が現れる。
「久しぶりだね、アイズ君」
「やっぱり、エイフェックス……!」
 アイズの右手の黒い宝石から蔦が出現し、エイフェックスに襲いかかる。しかしパスタチオ・メドレーが結界を作り、蔦の侵入を阻んだ。
「なるほど。リングの力に目覚めたか」
「……何なのよ、リングって。貴方なら何か知ってるんでしょ?」
「プライス博士が生み出した最初の人形の名だよ。後に続くすべての人形の基本であり人形の“母”。しかし、あれはそれだけのものではない」
「それだけじゃない? どういうこと?」
 一瞬。
 ほんの一瞬だが、アイズは確かに見た。
 自分の知る限り常に泰然としているエイフェックスの貌が、はっきりと嫌悪に歪んだのを。
 エイフェックスは自身を護る結界を解くと、パスタチオ・メドレーを一斉に周囲に投げ放った。それぞれのカードから放たれる力が連結し、巨大な結界に守られた『平面』が出現する。
 アイズの周囲を旋回していたパスタチオ・メドレーも二枚を除いて飛び散った。一枚がアイズの手に、もう一枚がエイフェックスの手に飛び込む。描かれているのは、水滴を受け止めた水瓶から巨大な流れが生み出され、大海へと流れ込む光景。
「すべてのカードの基本にして最も重要なカード、【増幅】だ。今の君ならば使うことができるだろう」
 エイフェックスはパスタチオを手に平面に降り立った。
「互いに一枚ずつなら対等だってこと?」
 アイズも平面に着地し、手にしたパスタチオから無数のイバラや蔦を出現させる。
「……来たまえ」
 アイズの植物が一斉に襲いかかった。
 跳躍して身をかわすエイフェックス、数本の蔦が空中で方向を変えて追いつき、全身を縛り上げる。
 エイフェックスはニッと笑うと、全身から魔力を放ち蔦を吹き飛ばした。

  /

 毒を仕込んだ羽根を片手に、ヴィナスはアミと向かい合っていた。その顔には明らかな焦りの色が浮かび、脚はじりじりと後退している。
「……貴様、一体……」
 ヴィナスの悲壮な呟きに、アミは微笑み、腕に突き刺さった羽根を抜いた。
 そこに傷口はない。
 傷跡までも完全に消失している──血痕すら残さずに。
 可変性鉱体。最初にヴィナスの脳裏に浮かんだのは、その可能性だった。どのような傷もたちどころに再生してしまう、自身を構成する神秘の金属。アミも自分と同等の存在だとするならば、毒が効かないことも、傷口が残らないことも納得できる。
 だが。

 それだけではない。
 それだけでは、この女の存在は説明がつかない。

「どうしたの? 随分と顔色が悪いみたいだけど」
 楽しげに笑うアミの顔が霞んでいく。
 視界がぼやけ、膝が折れる。
 身体中から力が抜け、もはや羽根を持つ手さえも思い通りには動かない。
「くっ……」
「再生できる貴女には初めての感覚でしょうね」
 片膝をついて必死に立ち上がろうとするヴィナス。その目の前にしゃがみ込み、アミはヴィナスの腕にそっと触れた。
 上体を支えていた腕が崩れ、ヴィナスは為す術もなく地面に倒れ込む。
「…………!」
 かろうじて首を動かし、顔を上げたヴィナスの瞳に、周囲の異様な光景が映る。
 鬱蒼と生い茂っていたはずの森は失われ、ただ朽ち果てた植物の残骸と白骨化した小動物の死骸が積み重なる、地獄のような光景。

 ──生命が、奪われてゆく。

「そう、これが“死”。すべての生きとし生けるものに平等に訪れる永遠の安息。そして私は、万物に死を与える役目を代行する者」
 ヴィナスの顔が、初めて感じる恐怖に引き攣る。アミは満足げに微笑み、ヴィナスの首に手を伸ばした。
 と、その時。
 空を切り裂く音と共に、一条の閃光がアミの頬をかすめた。
 咄嗟に後方に逃れて第二射を避けるアミ。その周囲を、宙に浮かぶ二つの丸い機械が──スパークス・ブラザーズが飛び交う。
『侵入者発見。侵入者発見。速ヤカニ退去セヨ。繰リ返ス、速ヤカニ退去セヨ。サモナクバタダチニ攻撃ヲ再開スル』
「……何かと思ったら……」
 アミは微笑んで立ち上がった。その頬の火傷が、瞬く間に再生していく。
 周囲のスパークスには構わずに、アミは楽しげにヴィナスに告げた。
「ヴィナス、貴女に特別惨めな“死”をプレゼントしてあげるわ」

  /

 バジルとオードリー、そしてアートは炎上する森を疾走していた。
「大丈夫か、オードリー!」
「私のことはいいから! 急いで!」
 オードリーが周囲の気温を下げ、アートが風で炎をかき分ける。しかし炎の勢いはとどまるところを知らず、オードリーの能力だけでは熱波を完全に遮断することができない。
(このままじゃやばい……!)
 額の汗を拭うこともできないまま、オードリーは隣を走るバジルとアートを見た。
 バジルはネイを、アートはトトを抱え、しかも度重なる激戦続きで機体にかなりのダメージを負っている。この高温で長時間の運動は危険だ。重傷を負っているネイとトトに至っては、この場にいるだけでも命にかかわる……!
「くっ……せめて川に出られれば……!」
 オードリーが呟いた、その時。
「情けないぞオードリー! それでも元国際救助隊のメンバーか!?」
 声と共に周囲に冷却弾が撃ち込まれ、炎の勢いが弱まった。驚いて立ち止まる3人の前に、全身重装備の男が現れる。
「森の出口まで一直線に炎を遮断して退路を確保する! 五時の方角だ、いいな!」
「サ、サミュエル!?」
「何を驚いている、災害に集中しろ! RFTCを使うぞ!」
 サミュエルの鋭い叱責に、オードリーは我に返って叫んだ。
「了解!」

 サミュエルが背負った小型のタンクから、明らかに容積を上回る大量の液体が迸る。
 激流となって森を貫く液体をオードリーが冷却すると、液体は一瞬にして凍結して強固な防火壁となった。
 二人の技で炎が割れ、一直線に道が出現する。
「今だ、行け!」
「しかし君達は……!」
 躊躇うバジルに、オードリーは笑って答えた。
「いいから早く行きなさい。私達なら大丈夫、自分の身の安全くらいは確保できるから。そうよね? サミュエル」
「当然だ。お前らの脱出を確認した後、全力で火災の沈静にあたる。さっさと怪我人を連れて行け!」
「……すまない!」
 バジルが踵を返し、既にトトを抱えて出口に向かっているアートの後を追う。その後姿を見送りながら、オードリーは小さく「バカね」と呟き、キッと表情を引き締めた。
「始めるわよ、サミュエル!」
「ああ、まずはこの一帯を消火する!」

   /

「随分と火の手が回ってきたわね」
 アミは研究所の方を眺め、ヴィナスに向き直った。
「ヴィナス、貴女に選ばせてあげるわ。ここでこいつらに殺されるか、それとも焼け死ぬか。敵と戦って死ぬのでもない、味方に裏切られるのでもない。誰もいない場所で、抵抗することもできずに、ただ掃除されるゴミのようにして死んでいくの。どう? 素敵だと思わない?」
「……ふざけ……るな……!」
 最後の力を振り絞り、刃へと変じたヴィナスの腕がアミの胸を貫く。しかし次の瞬間、逆にすべての力を吸収されて、ヴィナスは倒れた。
 アミの胸に刺さっていた刃が抜け落ち、ボロボロと崩れ去る。
「もっとも、貴女に選べるだけの力が残っていればの話だけど……ね」
 アミはクスクスと笑うと、軽やかな足取りで立ち去った。

 独り取り残されたヴィナスに、ゆっくりとスパークス・ブラザーズが近づいてくる。
「……い、いやだ……いやだ。死ぬなんていやだ……! 助けて、ネイ……!」
 地に伏したヴィナスの瞳から、恐怖と悔恨の涙が零れ落ちる。
 その時。
 突然スパークス・ブラザーズが動きを止め、無機質な電子音声を響かせた。

『データノ照合ヲ終了シマシタ。御帰リナサイマセ、No.20【オルト】様』

「……え……?」
 球状の機体からアームが伸び、ヴィナスの身体を抱え上げる。
 ヴィナスは──プライス・ドールズNo.20【オルト】は、金属の冷たい感触に身を委ねながら、静かに意識を失った。

   /

 一方、その頃。
 ヴィナスから離れて森を歩いていたアミは、ふと何かに気づいて歩みを止めた。
「何か御用かしら?」
 アミの声と共に、近くの木陰から一人の少女が姿を現す。
 青いワンピース姿のその少女は、日傘を閉じて鞄と共に地面に置き、花飾りのついた帽子の唾を軽く持ち上げた。
「いえ、ただの通りすがりの家庭教師ですよ。“代行者”さん」
 アミの表情が微かに変わる。
 少女はにこやかに話を続けた。
「本当は教え子が心配になって来てみたんですけど。もう私がそばにいてあげなくても、あの子は大丈夫みたいですから。ここでお会いしたのも何かの縁。折角ですから、貴女の上司の方に伝言をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「仕事熱心な方ですね。教え子のためにこんな辺境の島までお越しになるなんて」
 アミが少女に向かって片手をかざす。
「それで? 伝言の内容をお聞きしましょうか、通りすがりの家庭教師さん」
「では、僭越ながら」
 少女の姿が消え、アミの真横に出現する。
「なっ……!?」
 驚愕に身体を硬直させたアミの胸に片手を添えて、少女は、優しくささやいた。
「そう遠くない未来、私の教え子がハイムの野望を打ち砕きに伺います。その瞬間を楽しみにお待ち下さいますように……と」

   /

「見事だ、アイズ君。リングの力をここまで使いこなすとはね」
「無傷の相手に褒められたって嬉しくないわよ」
 幾度目かの攻防を経て。
 汗の一つもかく様子のないエイフェックスを気丈に睨みつけながら、アイズは震える膝を叱咤して立ち上がった。


「答えて。あたしは……一体、何なの?」
「……君は君だよ、アイズ君」
 愉快気に微笑んでいた表情を消し、まっすぐにアイズの瞳を見つめるエイフェックス。
「そして君の存在には、多くの者達の想いが詰まっている。ハイムに戻ってきたまえ、自分が何者なのかを知りたければね。……そろそろ時間だ」
 エイフェックスが片手を上げると、平面を覆っていた結界が解けた。主の元に戻ってきたパスタチオが、そのまま周囲を旋回し始める。
「待ちなさい! まだ訊きたいことが……!」
 アイズが慌てて伸ばした手を、流れ込んできた煙が遮る。
 そして、平面を構成していたパスタチオがアイズの周囲を旋回し始めた。視界が歪み、空間の彼方に引きずり込まれる。
「さらばだ、アイズ君。ハイムでまた会おう」
 その言葉を最後に、アイズはブリーカーボブスへと転送された。

「さあ、仕上げだコトブキ!」
 自動操縦で遥か上空に待機させていたスノウ・イリュージョンの翼に降り立ったエイフェックスは、パスタチオ・メドレーを一斉に撒き散らした。
「パーティーの締めくくりに相応しい、派手な奴を頼むぜ!」

   /

 次の瞬間、ケラ・パストルの周囲で爆発が起きた。
 四方の海から巨大な水柱が立ち昇り、パスタチオ・メドレーの作り出したフィールドに……島の中央に向けて収束していく。
 そして。
 上空に出現した巨大な水塊は一気に弾け、島全体に滝のような雨となって降り注いだ。

   /

「アイズ!」
「アイズさん、ご無事ですか!」
 ブリーカーボブスに転送されたアイズのそばに、仲間達が駆け寄ってくる。
「平気よ。心配ないわ」
 短く答えると、アイズは立ち上がり、モニターに映し出されている光景に目を向けた。
(待ってなさいよ、エイフェックス……今度こそあんたをやっつけて、何もかも話させてやるんだから!)

   /

「スゴーイ! お兄ちゃん、見て見てあれ!」
 南部独立解放軍の戦艦から、カエデは上空に目を向けて声を上げた。

 ケラ・パストルの上空に出現したのは、七色に輝く巨大なアーチ──

 ──虹。

   /

「相変わらずの派手好きだな」
 全身ずぶ濡れになりながら、コトブキは海岸から虹を見上げていた。
「ま、それに付き合ってやる俺も俺だけどな」
「本当、カイル様らしいですね」
 何処からともなく現れたワンピースの少女が、コトブキを見て笑う。
「ひどい格好ですよ、コトブキさん」
「……君はどうして濡れてないんだい」
「私にはこれがありますから」
 少女が手に持っていたものを掲げる。
「それは日傘じゃないか……まったく、君といいカイルといい、魔法に頼りすぎだぞ。少しは力なき平民の苦労も味わえ」
「まあ。魔法も剣もなしでカイル様と互角に渡り合った御方の台詞とも思えませんね」
 コトブキがやれやれと溜息をつき、少女が可笑しそうに口元に手を当てる。
「年寄りをからかうものじゃないよ、ラトレイア君」

   /

「完全にしてやられたわね。まさかエキストラがここまででしゃばって来るなんて」
 世界の“外”から島の様子を眺め、玉響は苦笑した。
「まだまだ彼らの時代は終らない、か。さーて、面白くなってきたわね。これからどうなるのかしら? そして……」

 玉響は“上”に目を向けて言った。
「貴女はどう思っているのかしらね、三輪ちゃん」

 








次に進む