森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

浮遊島の章 ~後日談~ エピソード.5

2011年06月01日 | マリオネット・シンフォニー
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 レムは夢を見ていた。
 炎と雷に襲われる夢。皮膚が焦げ、髪が燃え落ち、身体が崩れていく夢を。

「────っ!!」

 言葉にならない叫び声と共に、悪夢の檻から意識が逃れる。
 重い身体をぐったりと横たえたまま荒い息を吐いていると、不意に廊下から慌しい足音が聞こえてきた。
「大丈夫か、レム!」
 間もなく寝室の扉が乱暴に開き、血相を変えたバジルが飛び込んできた。
 油断なく部屋の隅々まで見渡した後、安堵の溜息と共に寝台の側へとやってくる。
「……ひどい汗だ」
 バジルは懐からハンカチを取り出すと、レムの額をそっと拭った。
「ありがとう……ございます」
 レムは震える声で礼を言うと、バジルの手を握り締めた。そのまま自身の胸に寄せ、抱き締める。
「レム?」
「少し……このままでいさせて下さい」
 バジルは少し躊躇した顔を見せたが、レムに手を預けたまま寝台に腰掛けた。
「どうかしたのか」

 レムはしばらく黙っていたが、やがて顔を上げ、ささやくように懇願した。

「──バジル。カルル姉様のところに、連れて行って頂けませんか」



~後日談~ エピソード.5



 数分後。
 バジルはレムの車椅子を押して、薄暗い通路を進んでいた。
「大丈夫なのか、レム。最近ずっと無理をしていただろう?」
「いえ……研究所での戦いで、アイズさんと力を同調させて以来、身体の調子はとてもいいんです。もしかしたら、私も生命力を分けて貰ったのかもしれません」
 レムは明るく喋っていたが、不意に声のトーンを落とし、呟いた。
「貴方もご存知でしょう? バジル。私の身体が、実際には何処も悪くないということを。本当は歩くことも、走ることだってできるということを……」
「……まあね。ケール博士の技術は完璧だよ。現に俺の右腕だって二年前に一度吹っ飛んだけど、今じゃそんなことがあったってことさえ忘れてるくらいだ。あの新型君の手足も、あっという間に接合してのけたからな」
「私の身体が動かないのは、能力からくる負担だけが原因ではありません。きっと、私が心を閉じてしまっているから……」
 レムは言葉を切ると、顔を上げてバジルに微笑みかけた。
「前に、私にも罪がある……と言いましたよね」
「……ああ。そんなことも言っていたな」
 研究所での戦いが終わって間もなく。
 トゥリートップホテルの船で開かれたパーティーの席で、レムが零した言葉を思い出す。
「私とカルル姉様は、リードランスを脱出して間もなくフロイド企業に就職しました。当時のフェルマータでも大手の化学・鉄鋼企業でしたから、私達の能力を存分に発揮することができるだろうと、そう考えたのです。ですが、その実態はひどいものでした。劣悪な労働環境と杜撰な管理体制、腐りきった体質……彼らは自分よりも優る者を嫉み、疎んじ、私や姉の存在を認めようとはしませんでした」
「そのことは聞いているよ。フロイドはメルクの提唱する新しい形態の企業とは対極に位置する存在だった。環境のことなど考えず、ただ企業の経済的な利益のみを追求する……確か、例のフロイド企業事故が原因で潰れたおかげで、フェルマータでは環境保全運動が活発になったんだよな?」
 進む先に一つの扉が現れる。
 バジルは歩みを止めると、車椅子の前に移動して扉を開けた。



「……私が起こしました」



「なん……だって?」
 バジルが振り向くよりも早く、レムは自分で車椅子を動かして部屋に入った。
 部屋の中は薄暗く、幾つも並べられた医療タンクの一つ、カルルが入れられたものだけが淡い光を放っている。
 レムは更に進むと、未だ目覚めぬカルルの頬を撫でるように、医療タンクの表面にそっと手を触れた。
「フロイド企業の社長には、一人の息子がいました」
 レムの声色が変わる。
 それはバジルが今までに聞いたこともないほどに冷たく、怒りを秘めた声だった。
「最低の男。実務能力も管理能力もないくせに、ただ社長の息子だというだけで役職についているような男でした。権力にものを言わせて幾人もの従業員を弄び、いつも誰かを泣かせていました……そして、その男は……私達にも目をつけたのです」
 レムの瞳が大きく見開かれ、握り締められた掌に爪が喰い込む。
「吐き気がします! あの男は私達を……この私達をですよ! 新しく自分に与えられた、都合のいいお人形か何かのように考えていた! 人間ではない者など、どう扱ってもいいと!」
「……レム」
 バジルがレムの肩に手を置く。
 レムは一瞬ビクリと硬直したが、バジルの手に自らの手を重ねて話を続けた。
「勿論、私はあんな男に指一本触れさせはしませんでした。私は自分の力を活かし、より効率的に、より完璧に仕事をやり遂げることだけを考えていました。そのために何度企業の方針と衝突したかわかりません。でも……姉様は」
 レムの声から力が消える。
「姉様は優しすぎました。いつも周りのすべての人々のことを考え、どんな状況にも耐え、すべてを収めようとしました。そして、あの男と……っ」
 声が震え、言葉に詰まる。
 やがて、レムは自嘲気味に微笑んだ。
「後から聞いた話ですが……それは私への風当たりを弱くすることが条件だったそうです……」
 レムの目から涙がこぼれ、口調が再び強くなる。
「私は許せなかった! 私達の能力を認めず、姉様を汚したあの男とあの企業が! 私は……!」
 バジルの手に重ねられたレムの手に、震えるほどの力が込められる。
「私は、姉様のように耐える気はまったくありませんでした……」

 歌うように、レムは語った。
 己の復讐劇。
 その準備に費やした日々のことを、計画の全貌を。
 そして、最後の引き金を引いた夜のことを。

「──その夜。私は工場のシステムを誤作動させました。ほんの少し……本当に、ほんの少しです。もしもあの企業が私の提案した管理システムを採用していれば、事故は未然に防げたでしょうね……くくっ……あははははは……!」
 レムは笑った。
 何故こんなに可笑しいのか、自分でもわからない。
 ただ、とても愉快だった。後から後から笑いが込み上げてくる。
 やがて、そのすべてを吐き出し、レムは小さく呟いた。
「計画はうまく行きました……但し致命的なミスが二つ。一つは、事故の規模が予想外に大きくなってしまったこと。私は、上層部に巣食う害虫どもさえ駆除してしまえば、後は管理体制の甘さを世に知らしめることができればそれでよかった。ところが、発生してすぐに消し止められるはずだった炎が、企業が不法に隠し持っていた残留毒性の高い固形燃料に引火……史上最悪の事故へと発展してしまいました。
 そして、もう一つは……火災に巻き込まれ、逃げ遅れた人々を助けるために、姉様が火災の中心へと戻っていったことです。あそこには……私が誘導して一箇所に集めた、上層部の連中がいました。そして、あの男も」
 レムは医療タンクに額を当て、掠れる声で呟いた。
「……姉様……お願いですから、あの男を愛していたなんて言わないで下さいね……」

「レム……」
 バジルが自身の手に添えられたレムの手を、もう一方の手で包み込む。
「わかりますか、バジル……これが私の本性なんです。自分のプライドのためならば、平気で他人を傷つける。姉様さえも……私は……私は、目的のためならば手段を選びません! いつかバジル、貴方さえも犠牲に……!」
「レム!」
 バジルはレムを抱き締めた。
 レムの瞳から、大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。
「友達なんだろ? 俺達はさ。……ケラ・パストルでヴィナスって奴に言われたよ。いくら罪滅ぼしをしたつもりでも、俺は決して救われない。一生殺し合いを続けるしかないってね……確かにそうだと思う。俺や君の中には手のつけられない怪物がいる。でも俺達は、そいつに従う生き方をやめたじゃないか。それでもより良い方向を目指して歩いていこうと、そう誓ったじゃないか」
「昔の私は、自分は選ばれた存在だと思っていました。お父様から授かったこの能力さえあれば一人で生きて行けると、信じていました。ですが、実際には何もできない……」
「一人じゃ無理でも二人なら行けるさ。君が道を間違えそうになったら、俺が必ず止めてみせる。君も俺が違う方向に走っていきそうになったら止めてくれ。それが友達ってもんだろう?」
「そう……ですね……」
 レムは頬を拭い、微笑んだ。
「友達って、いいものですね」

「さて。君が身体を自由に動かすことができないのは、心を閉ざしてしまっているからだ」
 バジルはレムを車椅子から抱え上げると、部屋の中にある診療台に運んだ。
「君は自分のために傷ついたカルル君のことを気にかけている。彼女より先に完全な身体を取り戻すことが怖い。そんなことは許されないと思っている……だから自分で自分の身体を動けなくしている。そんなところだろ?」
「……バジル?」
 レムが不思議そうな顔でバジルを見上げる。
 バジルはニヤリと笑って言った。
「友達として、君にキスさせてくれないかな? 更にもう一時間、俺に時間をくれたら、きっと身体が動いたほうがいいと君に思わせてあげられるよ」
 きょとんとしたレムが、やがて意を解して苦笑する。
「バジル、貴方って本当に女ったらしですね」
「やっとわかったのかい? ベイビー」

 二人は互いの顔を見つめあい、やがて我慢できなくなり、どちらからともなく声を上げて笑い始めた。

「いいんですか? オードリーに知れたら大変ですよ?」
「なぁに、バレなきゃいいのさ。これは君のやり方だろう?」
「もう、ひどい言い方……えっ?」
 不意に聞こえてきた小さな音に、レムが驚いて顔を向ける。
 その先には、カルルの医療タンクを制御するパネルが。光と音で、患者の意識が戻ったことを知らせていた。
「ね……姉様!」
 レムが跳ね起き、タンクにすがりつく。
 その彼女の目の前で、カルルは、ゆっくりと目を開いた。

(……レム? 貴女なの?)

 カルルの口がゆっくりと動く。
「そうです、レムです! 良かった……! 見て下さいバジル、姉様が……!」
「あー、そのだな……レム? 言うと悪いような気もするんだが……君、自分の足で立ってるよ?」
「え……あっ?」
 レムが驚いてタンクから手を離した途端、バランスを崩して倒れかける。
 その身体を後ろから支えると、バジルは微笑み、優しくささやいた。
「大丈夫だ。いつかきっと、すべてがうまくいくよ」

 淡く輝く医療タンクの中で、カルルが優しく微笑む。


 レムも溢れ出る涙を拭うと、心から幸せそうに微笑んだ。











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