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翌日。
パティとオリバーの会談は、支店長の提案によりホテルの船で開かれた。
「早急に体制を整えてハイムへの対策を講じなければ」
というパティと、
「急ぐあまりに南部の独立をないがしろにされては困る」
というオリバー、二人の話し合いはなかなか進展を見せなかった。
「ふう……少し休憩しましょうか」
パティが大きく息をつき、席を立つ。
会議室に一人になると、オリバーも大きく溜息をついた。とっくに空になってしまったカップを手に、所在無げに視線を彷徨わせる。
と、
「うまくいっていないようですね」
給仕室から現れた支店長が、オリバーの前に新しい紅茶のカップを置いた。
~後日談~ エピソード.3
「……うまくいっていないのは俺自身だよ」
「何か、気に病むことでも?」
オリバーが呟き、支店長が穏やかに促す。
「ここは中立だったよな、支店長」
支店長が頷く。
オリバーは一つ大きく溜息をつくと、カエデと自分に血の繋がりがないことを話し始めた。同年代で温厚な人柄、何より敵対勢力の人間ではないという安心感から、オリバーは自分でも気づかないうちに、支店長の前では一人の青年に戻っていた。
「なあ、支店長。君の父親はどういう人なんだ?」
オリバーが尋ねると、支店長は昔を懐かしむような目で答えた。
「私の父親は二人います。実の父親は我らがトゥリートップホテルの創業者でした。私は遅くに生まれた息子でして、父が亡くなったとき、まだ一人で生きていける年ではありませんでした。そこで父の後輩にあたる現オーナーが私を引き取ったのです。ですから、実の父のことはあまり覚えてはいません」
ですが、と続け、支店長は穏やかに微笑んだ。
「とても立派な人だったと聞いています」
「……そうか」
オリバーは呟いた。
「俺の父親は、南部の小さな町の町長をしていた」
「存じ上げております」
「ああ……父は一町長でしかなかったが、その功績は有名だった。俺がスポーツに限らず、政治の道にも首を突っ込んだのは父親の影響だ」
「提督のお父様のお人柄は、フェルマータの者なら誰でも知っていますよ」
「……そうだな。俺の自慢の……誇るべき父親だ」
オリバーは頷いた。
「ある冬の朝、父は小さな赤ん坊を抱いて帰ってきた。なんでも家の前に捨てられていたそうだ。きっとその子を捨てた親も、あの町長なら安心して託すことができると、そう考えたんだろう」
「そして父は俺に言った。今日からお前がこの子の兄だと。その手で妹を守ってやってくれ……と」
「父は、知っていたんだろうか。カエデが、南部の人間じゃないということを……」
「……それは提督のお父上にしか、わからないことではありますが」
支店長は言った。
「ですが、彼女の出生に気づいていたとしても、いなかったとしても。お父様はきっと、同じ事をなさったと思いますよ」
「……そうだな。俺もそう思うよ」
オリバーは呟いた。
「カエデは俺の大事な妹だ。そして俺は、父のことを心から尊敬している」
「それはとてもいいことですね」
支店長が微笑む。
「ああ。俺には大切に思える家族がいる。本当に誇らしいことだ」
オリバーも微笑み、支店長の持ってきた紅茶に口をつけた。
「……うまい紅茶だな」
/
「なるほどね。オリバーと妹に血の繋がりはないんだ」
会議室の扉に背中を預け、パティは呟いた。
隣にはバジルの姿もある。
「そうだ。それにオリバーは、妹がリードランスの王族だと思い込んでいる。ここをつけば会談の主導権はこちらのものだ」
「……そうね。でも」
パティは思い切り伸びをして、さっぱりとした口調で言い切った。
「私はそういう手は嫌いだな」
「手段を選んでいる場合じゃないだろう?」
バジルが眉をひそめる。
「俺達が通信を断っていた間に南北の関係はますます悪化している。オリバー率いる独立軍主力艦隊の無事を知り、南部の上層部がその帰還を待っている今が唯一のチャンスなんだ」
「もう手は打ってあるんでしょう? ……ねえ、レム?」
パティの声と共に、近くの通路からレムが現れる。
「相変わらず、流石ねレム。でも悪いけどこのネタは使わないわ」
「パティ」
「私さあ、大学でオリバーの父親が書いた教本を使ってたのよ。正攻法で博愛主義……私の理想よ。彼の息子にそんな手は使いたくないわ。別に貴女のやり方を否定するわけじゃないけれど……あの子とだけは、真正面からぶつかっていきたいの」
「ええ、わかっています」
レムが微笑む。
パティもにっこりと微笑むと、
「それじゃあ、もう一ラウンドいきますか!」
勢いよく扉を開け放ち、会議室に戻っていった。
「大丈夫かな、パティの奴」
「大丈夫ですよ、彼女なら」
レムは言った。
「アインス・フォン・ガーフィールドが彼女を選んだ理由がよく分かります。何処までも陽の当たる道を真っ直ぐに進む彼女の姿は……傷つきやすく、脆くもあるけれど、だからこそ人を惹きつける。貴方や私のような者でさえも」
「……そうだな」
微笑むバジルの横で、扉がパタンと音をたてて閉じる。
レムは車椅子を動かすと、扉に背を向けて言った。
「行きましょうか。あとはあの人に任せましょう」
/
「それじゃ、続けましょうか」
パティは席に着くと、テーブルに用意してあった紅茶を飲んだ。
「うそぉ、何これ?」
思わず口に手を当て、目を丸くする。
「ねえ、この紅茶、すっごく美味しいわね! そう思わない?」
「あ、ああ……」
オリバーは呆気に取られていたが、やがて微笑み、自分ももう一口紅茶を飲んだ。
「そうだな。確かにうまい紅茶だ」
この後、会談は順調に進み、パティとオリバーの協力により内戦の激化は回避される。
フェルマータは二国に分割された後に再び統合を果たし、南北共同体への道を歩むことになる。
そして南北の代表者による会談は、常にトゥリートップホテルで開かれることが慣習となるのだが……それはまた別の物語である。
/
時間は戻り、パティとオリバーの会談中。
ホテルのキッチンでは、ネーナとグッドマンが大騒ぎをしていた。
「ちょっとグッドマン! どういうわけよ、紅茶もコーヒーも全然ないじゃない!」
「そんなこと言ったって、独立軍の連中がみんな飲んじまったんだよ! 姉ちゃんだって美人だ何だって騒がれて調子に乗ってたじゃないか!」
体中包帯だらけのグッドマンが抗議する。皮膚以外の損傷は大したことはないので、起きてパーティーの準備を手伝っていたのだ。
「だからってみんな使うことないでしょう!? ああもう、パティさんたちに何を出せばいいのよ!」
「仕方ねえ、こうなったらワインでも……」
「……グッドマ~ン?」
ネーナがユラリと振り返る。
「ち、ちょっと待った姉ちゃん!」
グッドマンが慌てて後ずさる。
と、
「まあまあネーナ、落ち着いて……」
会議室から支店長が戻ってきた。自室に残っていたティーパックでどうにか二杯の紅茶を用意し、持って行ったのだ。
「しかし困ったね。どうも会議は長引きそうだ。流石に一杯ずつでは間が持たないだろう」
その時。
ネーナから逃げるように後ずさっていたグッドマンの足が、床に置かれていた荷物に当たった。紐が緩んでいたのか、大袋の中から幾つか物が転がり出る。
「おっ……と。何だ、これアイズの荷物じゃないか。って、あいつ保存のきく食料ネコハバしてやがる」
「ちょっと待ってグッドマン君。それ、もしかして紅茶じゃないかな?」
支店長が転がり出た物の一つを指さす。
グッドマンはその紅茶の缶を拾い上げると、ネーナと共にまじまじと見つめた。
「何でアイズが紅茶を持ってるんだ?」
「見たこともない銘柄ね。ちゃんと飲めるのかしら」
「うーん、とりあえず……」
支店長はしばし考え、やがて決意して言った。
「これを使ってみるしかないんじゃないかな?」
そして支店長は、グッドマンの手から紅茶の缶を受け取った。
生意気そうな猫の絵が描かれた、紅茶の缶を。
/
「物事ってのはうまくできてるよな」
後にグッドマンは語っている。
「一杯の紅茶が歴史を変える事だってあるんだぜ?」
これは後々までトゥリートップホテルに語り継がれることになるエピソードである。
翌日。
パティとオリバーの会談は、支店長の提案によりホテルの船で開かれた。
「早急に体制を整えてハイムへの対策を講じなければ」
というパティと、
「急ぐあまりに南部の独立をないがしろにされては困る」
というオリバー、二人の話し合いはなかなか進展を見せなかった。
「ふう……少し休憩しましょうか」
パティが大きく息をつき、席を立つ。
会議室に一人になると、オリバーも大きく溜息をついた。とっくに空になってしまったカップを手に、所在無げに視線を彷徨わせる。
と、
「うまくいっていないようですね」
給仕室から現れた支店長が、オリバーの前に新しい紅茶のカップを置いた。
~後日談~ エピソード.3
「……うまくいっていないのは俺自身だよ」
「何か、気に病むことでも?」
オリバーが呟き、支店長が穏やかに促す。
「ここは中立だったよな、支店長」
支店長が頷く。
オリバーは一つ大きく溜息をつくと、カエデと自分に血の繋がりがないことを話し始めた。同年代で温厚な人柄、何より敵対勢力の人間ではないという安心感から、オリバーは自分でも気づかないうちに、支店長の前では一人の青年に戻っていた。
「なあ、支店長。君の父親はどういう人なんだ?」
オリバーが尋ねると、支店長は昔を懐かしむような目で答えた。
「私の父親は二人います。実の父親は我らがトゥリートップホテルの創業者でした。私は遅くに生まれた息子でして、父が亡くなったとき、まだ一人で生きていける年ではありませんでした。そこで父の後輩にあたる現オーナーが私を引き取ったのです。ですから、実の父のことはあまり覚えてはいません」
ですが、と続け、支店長は穏やかに微笑んだ。
「とても立派な人だったと聞いています」
「……そうか」
オリバーは呟いた。
「俺の父親は、南部の小さな町の町長をしていた」
「存じ上げております」
「ああ……父は一町長でしかなかったが、その功績は有名だった。俺がスポーツに限らず、政治の道にも首を突っ込んだのは父親の影響だ」
「提督のお父様のお人柄は、フェルマータの者なら誰でも知っていますよ」
「……そうだな。俺の自慢の……誇るべき父親だ」
オリバーは頷いた。
「ある冬の朝、父は小さな赤ん坊を抱いて帰ってきた。なんでも家の前に捨てられていたそうだ。きっとその子を捨てた親も、あの町長なら安心して託すことができると、そう考えたんだろう」
「そして父は俺に言った。今日からお前がこの子の兄だと。その手で妹を守ってやってくれ……と」
「父は、知っていたんだろうか。カエデが、南部の人間じゃないということを……」
「……それは提督のお父上にしか、わからないことではありますが」
支店長は言った。
「ですが、彼女の出生に気づいていたとしても、いなかったとしても。お父様はきっと、同じ事をなさったと思いますよ」
「……そうだな。俺もそう思うよ」
オリバーは呟いた。
「カエデは俺の大事な妹だ。そして俺は、父のことを心から尊敬している」
「それはとてもいいことですね」
支店長が微笑む。
「ああ。俺には大切に思える家族がいる。本当に誇らしいことだ」
オリバーも微笑み、支店長の持ってきた紅茶に口をつけた。
「……うまい紅茶だな」
/
「なるほどね。オリバーと妹に血の繋がりはないんだ」
会議室の扉に背中を預け、パティは呟いた。
隣にはバジルの姿もある。
「そうだ。それにオリバーは、妹がリードランスの王族だと思い込んでいる。ここをつけば会談の主導権はこちらのものだ」
「……そうね。でも」
パティは思い切り伸びをして、さっぱりとした口調で言い切った。
「私はそういう手は嫌いだな」
「手段を選んでいる場合じゃないだろう?」
バジルが眉をひそめる。
「俺達が通信を断っていた間に南北の関係はますます悪化している。オリバー率いる独立軍主力艦隊の無事を知り、南部の上層部がその帰還を待っている今が唯一のチャンスなんだ」
「もう手は打ってあるんでしょう? ……ねえ、レム?」
パティの声と共に、近くの通路からレムが現れる。
「相変わらず、流石ねレム。でも悪いけどこのネタは使わないわ」
「パティ」
「私さあ、大学でオリバーの父親が書いた教本を使ってたのよ。正攻法で博愛主義……私の理想よ。彼の息子にそんな手は使いたくないわ。別に貴女のやり方を否定するわけじゃないけれど……あの子とだけは、真正面からぶつかっていきたいの」
「ええ、わかっています」
レムが微笑む。
パティもにっこりと微笑むと、
「それじゃあ、もう一ラウンドいきますか!」
勢いよく扉を開け放ち、会議室に戻っていった。
「大丈夫かな、パティの奴」
「大丈夫ですよ、彼女なら」
レムは言った。
「アインス・フォン・ガーフィールドが彼女を選んだ理由がよく分かります。何処までも陽の当たる道を真っ直ぐに進む彼女の姿は……傷つきやすく、脆くもあるけれど、だからこそ人を惹きつける。貴方や私のような者でさえも」
「……そうだな」
微笑むバジルの横で、扉がパタンと音をたてて閉じる。
レムは車椅子を動かすと、扉に背を向けて言った。
「行きましょうか。あとはあの人に任せましょう」
/
「それじゃ、続けましょうか」
パティは席に着くと、テーブルに用意してあった紅茶を飲んだ。
「うそぉ、何これ?」
思わず口に手を当て、目を丸くする。
「ねえ、この紅茶、すっごく美味しいわね! そう思わない?」
「あ、ああ……」
オリバーは呆気に取られていたが、やがて微笑み、自分ももう一口紅茶を飲んだ。
「そうだな。確かにうまい紅茶だ」
この後、会談は順調に進み、パティとオリバーの協力により内戦の激化は回避される。
フェルマータは二国に分割された後に再び統合を果たし、南北共同体への道を歩むことになる。
そして南北の代表者による会談は、常にトゥリートップホテルで開かれることが慣習となるのだが……それはまた別の物語である。
/
時間は戻り、パティとオリバーの会談中。
ホテルのキッチンでは、ネーナとグッドマンが大騒ぎをしていた。
「ちょっとグッドマン! どういうわけよ、紅茶もコーヒーも全然ないじゃない!」
「そんなこと言ったって、独立軍の連中がみんな飲んじまったんだよ! 姉ちゃんだって美人だ何だって騒がれて調子に乗ってたじゃないか!」
体中包帯だらけのグッドマンが抗議する。皮膚以外の損傷は大したことはないので、起きてパーティーの準備を手伝っていたのだ。
「だからってみんな使うことないでしょう!? ああもう、パティさんたちに何を出せばいいのよ!」
「仕方ねえ、こうなったらワインでも……」
「……グッドマ~ン?」
ネーナがユラリと振り返る。
「ち、ちょっと待った姉ちゃん!」
グッドマンが慌てて後ずさる。
と、
「まあまあネーナ、落ち着いて……」
会議室から支店長が戻ってきた。自室に残っていたティーパックでどうにか二杯の紅茶を用意し、持って行ったのだ。
「しかし困ったね。どうも会議は長引きそうだ。流石に一杯ずつでは間が持たないだろう」
その時。
ネーナから逃げるように後ずさっていたグッドマンの足が、床に置かれていた荷物に当たった。紐が緩んでいたのか、大袋の中から幾つか物が転がり出る。
「おっ……と。何だ、これアイズの荷物じゃないか。って、あいつ保存のきく食料ネコハバしてやがる」
「ちょっと待ってグッドマン君。それ、もしかして紅茶じゃないかな?」
支店長が転がり出た物の一つを指さす。
グッドマンはその紅茶の缶を拾い上げると、ネーナと共にまじまじと見つめた。
「何でアイズが紅茶を持ってるんだ?」
「見たこともない銘柄ね。ちゃんと飲めるのかしら」
「うーん、とりあえず……」
支店長はしばし考え、やがて決意して言った。
「これを使ってみるしかないんじゃないかな?」
そして支店長は、グッドマンの手から紅茶の缶を受け取った。
生意気そうな猫の絵が描かれた、紅茶の缶を。
/
「物事ってのはうまくできてるよな」
後にグッドマンは語っている。
「一杯の紅茶が歴史を変える事だってあるんだぜ?」
これは後々までトゥリートップホテルに語り継がれることになるエピソードである。
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