森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

おせち料理

2009年12月31日 | Weblog
 
 とうとう大晦日。
 今日は朝から、妻と二人でおせち料理を手作りしていました。


 完成したのは午後10時(苦笑)。
 途中に食事や休憩は挟んだものの、ほぼ丸一日仕事となりました。

 流石に疲れましたが、おかげで妻は上機嫌。
 息子も大喜びで、頑張った甲斐がありました。

 ちなみに右側に写っているのは注連縄の一部分。
 我が友人海藤の手によるものです。いつもありがとう海藤。
 

浮遊島の章 第8話

2009年12月30日 | マリオネット・シンフォニー
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 独立軍艦隊はブリーカーボブスを追う形で砲撃を加えていた。
 ハイムの精鋭部隊による砲撃で敵方のバリアは消失しており、今は大量のミサイルと見られる攻撃で激しい爆発が起きている。
 自動回避機能でもついているのだろうか。まるで生きているかのように対空砲による迎撃を避け、確実に外壁へと着弾している。
「よーし、いいぞ! 押せ押せっ! ……ん? どうした、カエデ」
 機嫌よく指揮をとっていたオリバーは、ブリッジに戻ってきたカエデに気がついた。
 つい先程つけさせたはずの救命用具はなく、ヘルメットも被っていない。それどころか全身に擦り傷があり、首には見慣れない環をつけている。
 オリバーが怪訝な視線を向けると、カエデは慌てたように首輪に手を触れた。
「う……えっと、あの……さっき、そこでこけちゃって。これは、ハースィード少佐が……っ!」
「? どうしたんだ?」
 カエデが一瞬言葉に詰まる。
 が、すぐに笑顔を見せると、嬉しそうな様子で語った。
「ぅ……な、なんでもないよ、お兄ちゃん。さっきこけちゃった時に、たまたま通りかかったハースィード少佐に助けてもらったの。この首輪は、えっと……お、お守りだって言って、くれたんだよ」
「おいおい、大丈夫か? 後で礼を言いに行かないといけないな。あんまり迷惑かけるなよ、只でさえお世話になってるんだから」

(やっぱり、喋れない……!)
 表面上は笑顔を取り繕いながら、カエデは恐怖に慄いていた。
 ハースィードの名前を出した途端、まるで警告するかのように、首輪がわずかに絞まったのだ。
「カエデ、そろそろ」
「お、お兄ちゃん。あの……恐いから、一緒にいていい?」
 出て行きなさいと言われるよりも早く、縋る言葉を口にする。少しでも近くにいたほうが、真実を伝える機会があるかもしれない。
「……まあ、それもそうだな。じゃあそこに座りなさい。ちゃんとベルトを締めるんだぞ」
 カエデは素直に頷くと、空いている席に腰を下ろした。

 その時。
 突然ブリーカーボブスに閃光が走り、遥か上空で爆発が起きた。
 見れば、ブリーカーボブスに攻撃を加えていたはずの大量のミサイル群が、跡形もなく消え失せている。

「何が起きた!? メインモニターに映像を回せ!」
 オリバーの指示により、ブリッジ前面に望遠映像が映し出される。
 そこには風に護られるようにして空中に浮かぶ、一組の男女と一人の女の子の姿があった。



第8話 ブリーカーボブスの戦い -絆-



「うーん、一回こーゆー感じで登場してみたかったんだー!」
 ルルドは気持ち良さそうにはしゃぎ、カシミールを見上げた。
「次はママの番だよ!」
「そうねルルド。せっかく新ユニットもあるんだし……ね」
 カシミールの背中から6枚の輝く翼が生え、更にもう6枚の翼が出現して重なり合う。カシミールの伸ばした両腕の間に、小型の稲妻が飛び交い始めた。

「長官! 左翼上部の磁場が異常です!」
 報告と同時に、外部カメラから映像が回ってくる。そこにカシミールの姿を見つけて、パティはニッと笑った。
「問題ない!」
 瞬間、カシミールの両腕から巨大な閃光が発射された。

   /

 閃光は独立軍艦隊の下方をかすめ、直下の海面に命中した。次々と撃ち込まれる閃光に、巨大な水柱が何本も立ち昇り、戦艦を直撃して大きく揺らす。
「一時撤退! 固まるなよ、狙い撃ちにされるぞ!」
 オリバーの素早い判断により、独立軍は散り散りに撤退した。

   /

「くそっ、こうなったら……!」
「させるか!」
 ネイが動いた瞬間、バジルの剣が振り降ろされた。身体を斬り裂かれながらも内部に侵入しようとするネイを、今度はスケアの衝撃波が襲う。
「スケア、てめえ……! 覚えていやがれぇぇぇぇっ!」
 外壁ごと吹き飛ばされ、海に落ちていくネイ。
「やれやれ、しぶといね。ちょっと浅かったかな? ……まぁいい。オードリー、スケア! ここは任せた、俺はレムの所へ行く!」

「スケアだって?」
 グラフの応急手当てを受けながら、アートは顔を上げた。
「あれがオリジナルか……!」

「待ってくれ、バジル!」
 再会の挨拶もそこそこに走り去ろうとするバジルに、スケアが慌てて駆け寄る。
 バジルは立ち止まると、後方からスケアを見守るカシミールとルルドに一瞬目を向けて、フッと笑った。
「おやおや。ちょーっと見ない内に面白いことになったじゃないか」
「……すまない、バジル。連絡も寄越さずに」
「いいってことよ」
 スケアとバジルの腕がガシッと組まれる。

 と、その時。
 カシミール達の足元からモニターが現れ、パティの顔が映し出された。
『久しぶりねカシミール、助かったわ。ところで、その子は誰なの?』
「あっ、初めまして。ルルドです。ルルド・ツキクサ」
 ルルドの自己紹介を聞いて、パティが驚く。
『じゃあ、貴女が……』
「話は知ってるでしょ? でもルルドは今、私とスケアの娘なんだから」
 カシミールがルルドを抱いて微笑む。パティはしばらく茫然としていたが、とりあえず冷静な顔を作り、
『詳しいことは後で聞かせてもらうわ。とにかく、貴女達は一旦中に入って頂戴。じゃあね、カシミール、ルルドちゃん』
 返事を待たずに通信を切った。
「ママ。どうして驚いてたの? あの人」
 愛娘の疑問に、カシミールはルルドを抱く腕に力を込めた。
「ルルド。貴女はね、生まれた瞬間から沢山の人の想いの中にいるの。貴女の存在そのものが、様々な出来事を引き起こしてしまうのよ。わかるわね?」
「……うん」
 ルルドが大人びた瞳でカシミールを見つめる。カシミールはルルドの頭を優しく撫でた。
「大丈夫、私とスケアが絶対に貴女を守るわ。貴女は自分で選んだ道を歩めばいいのよ」
「ありがとう……ママ」
「お礼なんて必要ないわ。親っていうのはそういうものでしょ?」
 ルルドが嬉しそうに笑い、カシミールも微笑む。
「それから、パティはとってもいい人よ。後でちゃんと紹介するわね」

「さて、君達はどうする?」
 グラフとアートに向かって、スケアは穏やかに告げた。
「素直に撤退すると言うのなら、これ以上戦う気はないが」
「……正直、俺はそうしたい」
 グラフが両手を上げ、
「何をバカなことを!」
 アートはF.I.R.を支えに立ち上がる。
「だーっ! わかってないなアート! あいつが持ってるのはリードのL.E.D.だ、お前のF.I.R.とじゃ性能に差がありすぎる! それにあいつは旧ナンバーズ最高のバランスタイプだ、L.E.D.を持った今ならはっきり言ってバジルより強いぞ!」

「ま、賢明な判断ね」
 破損した外壁を氷で塞ぎ終え、オードリーがスケアの傍に立つ。
「オードリー、貴女もバジルと一緒に」
「バカ言わないでよ、まだいけるわ。レムの護衛にはグッドマンもついてんだから、加勢ならあいつ一人で充分よ」
 少し苛々した様子でオードリーが言う。
「さぁボーヤ達! 氷漬けにされたくなかったらとっとと失せなさい!」

「撤退だと。誰がそんなことをするものか!」
 アートはF.I.R.を構えた。
「最後まで任務遂行のために戦う! それがクラウンだ!」

「君の志は決して間違ってはいない」
 スケアもL.E.D.を構えた。
「だがそれでも、人を殺していい理由にはならないよ」

 静かに対峙するスケアとアート。
 全員の注目が二人に集まる。

 ──そこに。
 突然、動力が停止していたはずの小型戦艦が突っ込んできた。

   /

「フジノさん、大丈夫ですか?」
 パティ達と別れ、南方回遊魚に戻ってきたアイズとトトが部屋に入ると、フジノは暗い隅の方でうずくまっていた。
「……戦い、始まってるね」
 響いてくる振動に耳を傾けながら、アイズが呟く。と、フジノがぼそっと言った。
「私……恐いわ」
「恐い? 戦いが?」
「違うわ、そうじゃない。私が恐いのは、戦いを恐れない自分の中の怪物よ。そいつは戦いが好きで好きでたまらないの。少しでも戦いの匂いを嗅ぎつけると、すぐに目を覚まして誰かを殺してしまう。私は、私の手は、今でも殺戮と血を求めてる……」
 トトがそっと近づいて、フジノの手を握る。それは驚くほど小さくて柔らかくて、痛々しいほどに華奢な手だった。青ざめて冷たく、小刻みに震えている。
「昔は楽だったのよ。私はアインスのことだけが好きで、それ以外のことなんかどうでもいいと思ってた。でも……どうしてかしら。アイズ、トト。このまま戦い続けたら、いつか二人まで殺してしまいそうな気がする。そのことが、こんなにも……怖い」
「そっか……そこまで私達のこと、考えてくれてたんだ」
 アイズはトトの上から更に手を被せると、二人の手を両手で包み込んだ。
「ありがとう、フジノ。そうだよね、もういいよね。……うん! それじゃあ、私も今回はパスさせてもらおっかな!」
 アイズは笑って言った。フジノが驚いて顔を上げる。
「まぁね、私も前から思ってたわけよ。なーんでか弱くってカワイイ14歳の女の子であるこの私が、毎回毎回危ない橋渡んなきゃなんないわけ? ってね。今回はトトもいてくれてるし、ハイムのことはパティさんとかバジルのカッコつけに任せましょ! トトも、それでいいでしょ?」
 トトも少し驚いていたが、すぐに「はい」と表情を和ませた。
「そうですね。私も何だか、今はフジノさんの手を離したくないです」
「よーし決まりっ! じゃあトランプでもする? それとも音楽聴くとか? 私としては最近オシャレしてる暇がなかったから、ファッション雑誌で研究でも、って思ってるんだけど」
「……い、いいの……?」
 フジノは戸惑った。
 今まで多くの人に「戦え」と言われた。時には「戦ってはいけない」と言われたこともある。だが、「戦わなくてもいい」と言われたのは初めてだ。
 アイズは明るくはしゃいでいたが、ふとフジノの顔を見ると、突然涙ぐんだ。
「な、なに?」
 焦るフジノ。
 アイズはしばらく無言でフジノの顔を見つめていたが、やがて二人の手を離すと、フジノの背中に両腕を回して抱き締めた。

   /

 クラウンの小型戦艦は減速することなく、真正面からブリーカーボブスに激突した。
 余りに突然のことに、ルルドとカシミールは対応できず、スケアとオードリーも慌てて避ける。グラフはアートを救出したぶん遅れたが、それでもかろうじて脱出した。
「ノイエの奴、俺達ごと殺す気か!」
「……いや、それでいいんだ……」
 少し寂しげに呟くアート。

「オードリー! 動力炉を冷却するんだ、爆発する!」
「わ、わかった!」
 オードリーがスケアから離れて戦艦に向かう。同時に戦艦の中から飛び出した人影が、オードリーの頭上を越えてスケアに襲いかかった。スケアが咄嗟に蹴りを叩き込む。
「君は……!」
 弾き飛ばされながらも空中で体勢を整えて着地した者の姿に、スケアは息を飲んだ。

 目の前にいるのは、かつての自分と同じ姿をした少年。
 クラウン・ドールズNo.17『ノイエ』だった。

   /

 アイズの抱擁は続いていた。どうしていいかわからず、力なく抵抗するフジノ。やがてアイズの温もりが伝わってきて、フジノは抵抗をやめ、アイズに身体を委ねた。
 しばらくの後、アイズはそっと顔を上げ、涙を流しながら言った。
「フジノ、私……絶対、二度とフジノに人殺しなんかさせないから。絶対絶対、ぜーったいにさせないからね……っ!」
 もう一度フジノに抱きつき、声を上げて泣き始める。フジノは助けを求めるように、隣にいるトトにおずおずと尋ねた。
「……アイズって、こんな子だった? なんていうか、多少の無茶はしても、いつも冷静で客観的な子だと思ってたけど……」
「私も初めて見た時は、ちょっと驚きましたけどね」
 トトが愛しげにアイズを見つめる。黒十字戦艦に囚われた自分を助けに来てくれた時も、アイズはこんな風に飾らない涙を見せてくれた。
「時々こうなるんですよ。アイズさんって、本当に友達思いなんです」
「……友達……か」
 泣きじゃくるアイズの背中にそっと腕を回しながら、フジノは、なんとなくわかったような気がした。
 今の自分は、かつて殺そうとしたスケアと同じだ。自らの暴力を、戦いを恐れていたスケア。それを自分という戦いの象徴から守ったのはアイズだった。
 そして今、あの時のスケアと同じように戦いに恐怖した自分を、アイズは友人として受け入れてくれた。アイズはいつだって同じことをしているのだ。
 フジノの胸の奥に、ふと暖かい何かが生まれた。

 ──ジューヌ先生。
 これが先生やアインスが教えようとしてくれた、“愛”っていうものなんですか?
 この胸の暖かい、でも少し痛いような、不思議な感覚が……。

 もし、もう一度会うことができたら……聞いてもいいですか、先生……?

   /

「君は……君達は、私の後継機か?」
 スケアの問いに、その場にいた全員の視線がノイエに集中した。
「No.17『ノイエ』だ。僕は最新究極の戦闘用人形。貴様のような不良品とは違う!」
 ノイエの身体が魔力を纏って輝き始める。
 まるで、フジノのダウンワード・スパイラルのように。
「……今まで彼らにのみ戦闘を任せていたのは、こちらの戦力を確認するためか?」
 かつてのアインスと同じスケアの問いに、
「あいつらは捨て駒だ、僕の勝利のためのね」
 かつてのスケアと同じことを答えるノイエ。

「あーっ、ノイエの奴あんなこと言ってるぞ。ひでーなぁ」
 とグラフ。
「いいや、いいんだ。それでいい!」
 とアート。

   /

「……ごめん。もう落ち着いたわ」
 アイズが顔を上げ、目尻に溜まった涙を指先で拭う。フジノは首を横に振った。
「ううん……ありがとう、アイズ。戦わなくてもいいっていう、貴女の言葉……すごく嬉しかった」
「うん! ……あ、でもさ。例えばミサイルが突っ込んできたり、ブリーカーボブスが墜落したりした時は守ってよね」
「……はい?」
「そういうことって、私達の中じゃフジノにしかできないじゃない? 私やっぱり、人は自分の能力を活かして生きるべきだと思ってるから!
 でもさぁ、今度の敵ってそんなに強そうじゃないよね。新型クラウンが3人って言ったって、あのバジルの方が上って感じじゃない? ま、これがフジノじゃなきゃ勝てないってんなら話は別なんだけどね。さぁて、ファッション雑誌ファッション雑誌~」
 再び呆気に取られるフジノ。
 そのままいそいそとファッション雑誌を捜し始めるアイズ。
 トトが苦笑しながら言った。
「あれもアイズさんです。いつも冷静で客観的な」
「……よくわかんない子ね……でも」
「でも?」
「なんか……面白いわね」
 フジノはクスクスと笑った。

   /

「君は……昔の私と同じだね」
 スケアはL.E.D.を構え直して言った。
「今の私と違うところがあるとすれば唯一つ。君はまだ、本当のことを何も知らずにいる。それだけだ」

「スケア!」
「パパ!」
 加勢しようと身構えるカシミールとルルド。
 スケアはノイエから視線を逸らさず、片手を挙げて二人を制した。
「ここは任せるんだ。二人は中へ!」


「彼は……私が止める!」


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浮遊島の章 第7話

2009年12月23日 | マリオネット・シンフォニー
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 ブリーカーボブス、ブリッジ。
 全方向を映し出す数々のモニターに囲まれ、慣れない戦闘行為に職員達が慌しく動き回る中、到着したパティは早足で長官席に腰掛けた。背後にアイズ達の姿はなく、ケイ一人だけが控えている。
「戦況は?」
 頭上から降ってきたパティの声に、職員の一人が機敏な動作で振り返った。
「長官、お待ちしておりました! バリア出力は60%まで回復していますが、敵の砲弾を完全には防ぎきれていません。第一調査課と第四事務課に若干の被害が出ています」
「そう……よし。バリア出力が回復するまで一時退避する! 全速離脱!」
 命令を出して一息つくパティ。
 その耳元に口を寄せ、ケイが小さな声でささやく。
「設備が充実していても我々は軍隊じゃない。流石に防衛に回らざるを得ないな」
「そうね。内部に侵入されたら終わりだわ。量産型のクラウンが一体でも、確実に皆殺しにされる」
 パティはモニターの一つに目を向けた。
 ケール博士の指示だろうか、ブリーカーボブス外壁に颯爽と立つオードリーの姿が大きく映し出されている。
「頼んだわよ。バジル、オードリー」



第7話 ブリーカーボブスの戦い -因縁、そして邂逅-



 オードリーに戦艦を落とされたクラウン達は、飛行ユニットを装着して攻撃してきた。次々と飛来する量産型をオードリーが迎撃し、氷の刃で葬っていく。
「なかなかやるな女! だが、これで終わりだ!」
 氷の刃を砕いてブリーカーボブスに到達したアートが、炎の剣F.I.R.を振り抜いた。襲い来る炎を氷壁で防ぎ、オードリーが余裕の笑みを浮かべる。
「元気ね、ボーヤ。でもこの程度じゃ……っ!?」
 氷壁に亀裂が走った。咄嗟に跳躍したオードリーの足元で、氷壁が真っ二つに割れる。
「これは……!」
 着地したオードリーが再び氷壁を張ると、今度は何かに押されるようにして氷壁がオードリーの方向に倒れてきた。離脱しつつも体勢を崩したオードリーに向かって、アートがここぞとばかりに突進する。
「プライス・ドールズとはいえ所詮は非戦闘型。戦闘型の俺に勝てるものか!」

 炎を宿したF.I.R.の刃が振り下ろされる。
 瞬間、オードリーはニッと微笑み、叫んだ。
「バジル!」

「ハイハ~イ!」
「何!?」
 突然登場したバジルが真横からアートを蹴り飛ばす。長い前髪を掻き上げ、バジルは相変わらずの気障ったらしい口調で言った。
「呼んだかい? オードリー」
「タイミングが良すぎるわよ。どうせずっと見てたんでしょ」
「はははっ、君の勇姿に見惚れてたのさ」
「……前から思ってたけど……バジル、あんたって本当にヤな男よね」
「やっとわかったのかい? ベイビー」
 バジルがニコッと笑ってウィンクし、人指し指を振る。
「そんなところまで見てたわけ?」
 先程クラウン相手に自分がしてみせた仕草に、オードリーの頬がわずかに染まる。
『バジルちゃん、ちゃんと撮影したわよ~! カッコイ~!』
 通信機から届くケール博士の歓声に応えるように、バジルは腰に吊した剣を抜いた。
「さて。それでは皆さんの期待に答えましょうか!」

「旧ナンバーズ最強と言われるNo.03『バジル』か。この裏切り者め!」
 アートが立ち上がりF.I.R.を構える。
「バジル、気をつけて。あいつの攻撃は炎だけじゃないわ、多分……」
「ああ、わかってるって」
 オードリーの言葉を遮り、バジルはアートに話しかけた。
「君が噂の新型だね。後輩のお手並み、とくと拝見させてもらおうか」
「言われなくても……食らえっ!」
 アートが特大の炎を放つ。しかしバジルは平然と剣を振り上げると、
「まず、これはフェイクだ」
 剣を振り降ろした。その剣圧で炎が斬り裂かれる。
「そしてこっちが本命だね!」
 バジルは前方の空間を横薙ぎに斬り払った。何もないように見えた場所を剣が通過した瞬間、キンッと甲高い金属音が響く。アートが愕然とし、「やっぱりね」とオードリーが呟いた。
「君の能力は『炎』じゃないね、スケアと同じ『風』だ。あの炎は、おそらく剣から放出される可燃性の気体を燃やしているんじゃないかな? そして君は、その燃える気体を操り、あたかも炎を操っているかのように見せかけている。一方では風の刃を操り、炎に気を取られている敵を斬り裂くのが基本戦法だ……違うかい?」
 アートは悔しそうにバジルを睨んだ。
「流石だな、その通りだ……だが、これならどうだ!」
 アートが再びF.I.Rを振り抜く。今度は炎は出ない。しかしバジルとオードリーは同時に別々の方向に跳躍した。直後、二人が先程までいた場所で爆発が起こる。
『甘い!』
 同時に叫んだバジルの剣圧とオードリーの氷刃に襲われ、アートは再び弾き飛ばされた。着地したバジルが事も無げに言う。
「可燃性の気体そのものを刃と成して飛ばしたか。さしずめ空気爆弾といったところかな? 目に見えないタイプの長距離攻撃としてはなかなかの威力だね」
「でも剣を振る動作は余計ね。タイミングさえつかめば簡単に避けられるわよ?」
 オードリーも一瞬で見抜いたようだ。

「くそっ、強い! 何故だ、旧型はともかく非戦闘型がどうしてここまで……!」
 歯噛みするアート。
「甘いね新型君、戦闘能力というものは魔法力や機体の性能だけで決まるもんじゃない。君には実戦経験が絶対的に足りないのさ。おそらく君は、自分よりも強い相手とは戦ったこともないんじゃないかな? そんなぬるま湯の中で育った君が、生まれた瞬間から戦いの中に身を投じてきた俺や、災害鎮静用人形として常に死と隣り合わせに生きてきた彼女に勝てると思っているのかい?」
 そしてバジルは剣を振り上げた。
「……そう、君もそうだ!」
 形状を剣に変えて頭上後方から斬りかかってきたグラフの右腕と、バジルの剣とが激しく火花を散らす。
「ちぃっ!」
「こいつの方が筋はいいかな? でもまだまだだね!」
 力任せに押し返すバジル。
 グラフは一旦距離を取りつつ右腕を鎖に変えて攻撃したが、鎖はバジルの眼前でオードリーの氷壁に弾かれた。アートの隣に着地し、腕を元に戻す。
「あいつらについて、一つわかったことがある」
「何だ?」
「……マジで強いわ。シャレにならん」
 先程の鎖での攻撃、バジルは避けようともしなかった。オードリーが防御することを知っていた──いや、必ず防いでくれると信頼していたのだろう。つまりオードリーは、あの程度の攻撃なら離れた場所に向けられたものでさえ確実に防げるということだ。
「ふん、確かにな。だが一対一なら話は別だ!」
 アートは再びF.I.R.を構えたが、グラフは一対一でも、おそらくは一対二でも勝てないだろうことを悟っていた。
「ノイエは残り数分で動けるようになる、それまでに終わらせるんだ。グラフ、お前はあの女を殺れ。どうやら接近戦には向いてなさそうだからな。俺は……」
 アートはバジルにF.I.R.の剣先を向けた。
「あいつを殺る」
「わかったよ。だが熱くなるなよアート、接近戦じゃアイツの方が段違いに強いからな」
 グラフの忠告に、しかし応える声はない。目前の敵に全神経を集中する余り、既にグラフの言葉は耳に入っていないようだ。
「やれやれ。でも俺って、結構お前のそーゆートコが好きなんだよねー」
 グラフはニッと笑って呟いた。
「仕方ない、いざとなったらアレを使うか……一人くらいは倒せるだろ」

「あの二人は俺に任せろ。君は量産型の方を頼む」
「大丈夫なの? 経験不足とは言っても新型よ、まだどんな能力があるかわからないわ」
「信用しろよ、俺はイイ女には嘘をつかない主義なのさ。……ほぉら、性懲りもなくぞろぞろとお出ましだ」
 バジルの指し示した先、落ちた戦艦から量産型クラウンの第二陣が出現する。
「……まったく信用できないわね」
 オードリーは溜息を吐くと、投げやりな仕草で氷の刃を放った。外壁に着地したばかりの量産型が瞬く間に斬り裂かれる。
「まだ仕事は残ってるんだからね! さっさと終わらせなさいよ!」

 量産型クラウンとの戦いに向かうオードリーの勇姿を、バジルはしばらく眺めていたが、やがて身構えたままのアートとグラフに向き直った。
「さて、そろそろ始めようか。二人一緒にかかってきていいぞ、面倒だからね」
「なめやがって……後悔させてやるぞ!」
 アートがF.I.R.を振り上げると、今度はバジルの少し手前に炎の壁が立ち昇った。次の瞬間、炎の壁を突き破り、四つに分かれたグラフの鎖が前後左右からバジルを狙う。そして頭上からは、炎の壁を跳び越えてアート自身が襲いかかった。
「へぇ。いいコンビじゃないか、逃げ場なしだ……しかし!」
 バジルはアート目がけて跳躍した。二人が空中で交錯し、一瞬の攻防に敗れたアートが外壁に叩きつけられる。入れ替わるようにグラフの鎖がバジルを襲うが、
「甘い甘い甘い甘い!」
 バジルは鎖を相手にせず、グラフ本体に向けて剣圧を放った。右腕のコントロールに集中していたグラフは対応が遅れ、剣圧をまともに受けて吹き飛ばされる。鎖はバジルの身体に絡みついたが、すぐに力を失いバラバラと外れた。
「最期の一瞬まで食らいついたのは褒めてあげよう。タイミングも完璧だった。しかしね、包囲するってことは……」
 バジルは着地して髪をバサッと掻き上げた。
「一つ一つの守りは薄くなる、ってことなのさ」

「くっ……そぉおおぉぉおっ!」
 口の端から血を流し、アートが突撃する。
 バジルはアートの攻撃を捌きながら、寂しげな笑みを浮かべた。
「いい兵士だね、君は。しかし、それでは生き残れないよ」
「兵士とは死ぬためにいるんだ!」
 執拗に攻撃を繰り返すアート。しかし実力差は明らか、かすり傷一つ負わせることができない。

 ……と。

「ぐぁっ!?」
 突然アートがその場に倒れ、一瞬遅れてバジルが横に跳んだ。
「アート!?」
 慌てて立ち上がるグラフ。見ればアートの右胸を何かが貫通し、バジルの左肩に突き刺さっている。
「ちぃっ!」
 バジルはアートには目もくれず、何もない外壁に向けて剣圧を放った。


「クックックックッ……相変わらずイイ勘してるなぁ」
 バジルが壊した場所から一人の男が立ち上がる。
 いや、浮き上がってきたと言うべきか。まるで水の中にいるように、下半身は今も外壁の中にある。
 その場にいる誰もがそうであるように、戦場にありながら鎧の類を身につけず、ただ目を覆うように機械的なバイザーを装着した、その男は。
「おやおや。誰かと思えばネイじゃないか。死んだと思ってたぜ」
 肩に突き刺さった物を引き抜き、投げ捨てるバジル。
 爪のように小さな、紅く染まった刃が乾いた音をたてて転がる中、男は──クラウン・ドールズNo.06『ネイ』は唇の端を歪ませた。
「そうだろうなぁバジル。俺を殺したのはお前なんだからなぁ」

「何者だ貴様は! アートごと攻撃しやがって!」
 倒れたアートを抱えてグラフが怒鳴る。
「なに甘っちょろいこと言ってやがる若造が! ここは戦場、弱いやつから死んでいく世界だ! どんなことをしようが最後に勝ちゃいいんだよ!」
「じゃあ11年前は俺が正しかったんだな?」
 バジルが剣を構えて言う。
「勝ったのは俺だったんだから。なぁ、ヤモリ君?」

 突然ネイの姿が消え、バジルの背後に出現する。
 バジルが前方に跳躍し、振り向きざまに剣を振るう。
 瞬間、ネイの指先から放たれた複数の刃が剣に弾かれて四散した。すべてを防ぐことはできなかったのか、浅く裂かれたバジルの頬から血が流れる。
「たいした速さだな。パワーアップしてるじゃないか、ヤモリ君」
 バジルは剣を構え直して言った。
「だがそこの後輩達と先約があるんでな。どうせ聞き分けてはくれないだろうから、さっさと終わらさせてもらうぞ!」
「クックックッ。安心しなバジル、俺はお前とやりあうつもりはないぜ」
「何……?」
 バジルが初めてポーカーフェイスを崩す。
 ネイはいやらしい笑みを浮かべ、グラフとアートを顎で指した。
「そこの若造どもと存分に戦ってるがいいさ。俺はその間に、この城の眠り姫をいただくからよ」
「……レムか!」
「クックックッ! 戦争での勝利とは強い奴を殺すことじゃない、弱い奴を皆殺しにすることだ!」
 ネイが外壁の内側に潜り、辺りにくぐもった声が響く。
『バジル! お前は物質透過中の俺を攻撃することはできない! お前の仲間達なんざ皆殺しだ……捕まえられるものなら捕まえてみろ!』

「どうかな、ネイ! てめえモグラの捕まえ方を知ってるか!?」
 バジルが剣を振り上げる。
「や、やめなさい! バジル!」
 量産型と戦っていたオードリーが、バジルの雄叫びに気づいて制止する。その声を耳にも留めず、 
「土ごと吹っ飛ばしちまえばいいんだよっ!」
 バジルは剣を縦横無尽に奔らせた。
 周辺一帯の外壁が粘土のように斬り裂かれ、大小の破片となって海に落ちていく。崩壊に巻き込まれて引きずり出されるネイ、その眼前に剣先を突きつけ、バジルは吼えた。
「さぁ覚悟しろヤモリモグラ! 今度こそ再生できないように斬り刻んでやる!」

「変わってないな、バジル……お前は昔から女のことになると我を忘れる」
 口調と笑みを懐かしげなものに変え、ネイは肩をすくめた。
「ああ、俺はこれで殺されるんだろうさ。しかし言っただろう? 戦争での勝利は強い奴を殺すことじゃないってな」
 バジル達の頭上を複数の影が通り過ぎた。咄嗟に見上げた先、新型クラウン三人組の戦艦とは別方向から飛来した量産型クラウンが、バジルとオードリーを避けるようにして突撃してくる。
「しまった!」
「残念だったな、俺の狙いは最初からこっちだ! レムはとっくに別の奴が殺しに行ってるよ!」
 ネイが高らかに告げた瞬間。
 最初に外壁に到達したかに見えた量産型は、減速せずに頭から突っ込み──

 ──その場で爆発した。

「な……!?」
「あいつらの体内には爆弾が仕込んである。撃ち落としてももう遅い!」
 量産型クラウン達は次々と自爆を繰り返していく。バジルもオードリーも、ネイに気を取られていて新手の接近に気がつかなかったのだ。
 十分な距離があればともかく、既に接近を許してしまった今からでは、撃破しても外壁への被害は変わらない。
「なんて奴だ。俺達どころか自分自身まで囮にしやがった……!」
 アートの傷を手当てしながらグラフが呻く。

「オードリー! 氷で防衛を!」
「もうやってるわ! けど追いつかない!」
 爆発で砕かれた氷壁を再出現させる度、その大きさが少しずつ小さくなっていく。予め周囲の海を気化して一帯を満たしていた水蒸気が、徐々に足りなくなってきているのだ。熱と衝撃を遮断し切れず、外壁が徐々に崩れ始める。
 為す術もなく立ち尽くしながら、バジルはネイを睨みつけた。
「ネイ……どうして俺の前に姿を現した? お前の能力があれば、こんな馬鹿げた作戦は必要ない。誰にも気取られずにパティを殺すことだってできたはずだ」
「ハッ、下らないな。俺はパティ・ローズマリータイムとかいう女の命に興味はない。暗殺なんざ糞喰らえだ」
 吐き捨てるように言い、ネイは歪んだ笑みを浮かべた。
「俺はなぁ、バジル。お前のその顔が見たかったんだよ。怒りと絶望に染まったお前の顔がな! ヒャーッハッハッハッ!」

 狂ったように哄笑するネイ。
 バジルは剣の塚を音がするほど強く握り締めると、苛立ちをぶつけるようにネイに向かって振り上げた。

 ブリーカーボブスは陥落する。
 そう誰もが思った、次の瞬間。


  ズオオオオオオッ!


 突然虚空を閃光が走り、量産型クラウン達を飲み込んだ。
 同時に“閃光ごと”量産型が消失し、遥か彼方の上空で爆発が起きる。
「な、何ぃっ!?」
 愕然とするネイ。他の皆も唖然としている。
 そこに可愛らしい少女の声が響いた。

「ジャーン、ジャンジャカジャーン! 正義の味方、登場でーす!」

 声のした方向には三つの人影があった。
 一人は髪の長い少女。
 一人は遠目でも身体のラインがわかるほどにスタイル抜群の女性。
 そしてもう一人、長い剣を携えた男性のシルエットを見て、バジルは嬉しそうに呟いた。

「スケアの奴、おいしいとこ持って行きやがって……!」


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浮遊島の章 第6話

2009年12月16日 | マリオネット・シンフォニー
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 ブリーカーボブス艦内、廊下。
「状況は?」
 アイズ達を引き連れて足早にブリッジへと向かいつつ、パティは通信機に向かって尋ねた。
『旗艦クラスが1隻に、駆逐艦クラスが6隻。どれも偽装してあるがフェルマータの技術で造られたものじゃないね、レーダー撹乱装置搭載の最新型だ』
 通信機からバジルの声が返ってくる。
「ハイムかしら?」
『まず間違いないだろうね。だとすると次に狙ってくるのは噂の新型クラウンによる白兵戦だろうが、そっちの方は俺達に任せてくれればいい』
 パティが口にしたハイムという単語に、一行に緊張が走る。それとは裏腹に、バジルの声は活き活きとしていた。
「頑張ってくれよ。こんな時のためにお前がいるんだからな!」
『ははは、自分の役割は理解してるさ』
 ケイの激励に笑って応え、バジルはふと声を落とした。
『それにしても、パティ』
「何かしら?」
『ハイムのやり方はいつも同じだな。民衆を煽り、内部から崩壊させていく。まるでガン細胞だ。リードランス大戦を思い出すね……もっとも今回、アインス・フォン・ガーフィールドはいないがね』
 パティはキッと前を向くと、厳しい声で吐き捨てた。
「私はアインスとは違う。今回は……勝つ!」

   /

「強い女だね」
 バジルが通信機の電源を切ると、それまで黙っていたオードリーが口を開いた。
「煽ってるのはあんたも同じじゃないの」
「言うなよ、これも仕事の内だ」
 オードリーの指摘に苦笑を返し、バジルは通信機を懐にしまった。
 二人はブリーカーボブス最上階のテラスに立っていた。眼下には広大な海原が広がっており、遠方には独立軍艦隊が視認できる。
「さぁ、オードリー。俺達の出番だぜ!」



第6話 ブリーカーボブスの戦い -陰謀-



「パティさんは、アインスさんのことがお嫌いなんですか?」
 トトに尋ねられ、パティは表情を険しくした。
「最低の男よ。自分の国を守ることも、愛する人を幸せにすることもできずに死んでしまった。それ以外に何があると言うの?」
 パティの剣幕に気圧されるアイズとトト。
「私はあの男の過ちを繰り返さない。あいつはただの甘い理想主義者よ。あいつのせいで、どれだけ多くの人が人生を狂わされたか」
 その時、ブリッジから戦闘準備完了の報告が入った。
 パティは通信機を握り締め、鋭く叫んだ。
「戦闘開始! 全力で叩き潰せ!」

 ブリーカーボブスの攻撃が始まった。
 艦体各所に設けられた砲台から無数の砲弾が発射され、独立軍艦隊に向かって嵐の如く降り注ぐ。

   /

「バリアに頼るな! 可能な限り回避するんだ!」
 独立軍艦隊、旗艦ブリッジ。
 オリバーは椅子の手摺を握り締め、各艦に指示を飛ばしていた。
「何て弾幕だ、対応が早すぎる! あれは本当に役所なのか!?」

   /

「す、すごい攻撃……!」
 振動で倒れないようトトと支え合いながら、アイズはモニターに目を向けた。
 外壁に複数設置されたカメラから送られた映像が、艦内各所に設けられたモニターに映し出されている。移動要塞との異名をとるだけのことはあり、ブリーカーボブスは圧倒的な戦力を保持していた。
 建造当時は何故ここまで徹底的に武装する必要があるのかという意見が多かったが、これはパティが先の戦争から学んだ教訓に従ってのことだった。
 つまり、

 ──どんなに正しくても、負ければ全てが無意味となる──

「長官は、アインス王子のことになると心を閉ざしてしまいます」
 なるべく目立たないようにアイズとトトのそばに行き、ケイが小さく耳打ちする。
「どうかお気を悪くなさらないで下さい」
「いえ、パティさんの仰ることもわかりますから」
 アイズも小声で返答する。
「でも、なんであそこまで……」
「人は時々、自分の心がコントロールできなくなるものです」
 いつから話を聞いていたのか、コトブキが会話に加わる。
「大切なのは、それでも前に進み続けること。パティさんはその辺りのことがよくわかっていらっしゃいますよ」
「なんだかコトブキさんが言うと重みがあるわね」
「そういうもの……でしょうか」
 まっすぐに前を向き、先頭を歩くパティの背中を眺めるアイズとケイ。

 ──と。
 パティが突然立ち止まった。

 何事かと廊下の先に目をやると、そこには一人の美しい少女。
 髪と瞳を燃えるような真紅に彩られた、紅の戦姫が立っていた。

「……フジノ……!」

   /

「スゴーイ、あれが情報局かぁ! やるじゃない!」
 戦艦側壁の窓から窓へと移動しつつ、カエデは興味津々戦況を眺めていた。走るのに邪魔な救命用具は早々に脱ぎ捨て、ヘルメットだけをつけた軽装で艦内の廊下を駆け回る。
 もっと外がよく見える場所はないかと探して回る内、カエデは戦闘中立入禁止の柵を越え、その先にあるテラスへと続く扉を開けた。
 思いのほか強い風に揺れる衣服を押さえつつ、壁伝いに歩いて縁側に向かう。と、そこには既に二人の先客がいた。
「あらら、何だか苦戦してるわね」
 手摺りに腰掛けているのはハースィード・チェイス少佐だ。先程は無駄に色気を振り撒いていたが、楽しげに戦況を眺める横顔からは冷たい印象が漂っている。
「大丈夫よ、ノイエ達がいるもの。最初から独立軍の活躍には期待してないわ」
 もう一人の少女には見覚えがなかった。自分よりも4つほど年上だろうか。テラスに備え付けてある椅子に座り、優雅に紅茶を飲んでいる。
 旗艦は駆逐艦の後方に位置しているため今のところ砲弾は届いておらず、しかも最新鋭のバリアに守られているため、多少の余裕があるのは確かだ。
 それでも、気を抜けば飛ばされそうな強風をものともせず、まるでお茶会でも開いているような二人の様子は、どう見ても場違いで違和感があった。
「約束は覚えてるわね? そろそろ貴女も動いて、ヴィナス」
「今はハースィードよっ」
 ハースィードが両腕を振り上げ、ぐっと背筋を伸ばす。すると見る見る内に身長が伸び、金髪が黒く染まり、軍服が羽毛のコートに変化した。いつの間にか顔も変わり、まったくの別人になる。
「ま、それはともかく……考えが変わったわ、アミ。正直乗り気じゃなかったんだけど、結構面白そうな戦いじゃない。あいつも11年前の恨みが晴らせるって喜んでたし」
 ハースィード・チェイス少佐──正体を現したヴィナスは、ほくそ笑んで言った。
「それにエンデからも別の任務を受けてるしね。メルクには天敵がいるそうだから」
「No.06『レム』のことかしら?」
「わかってんじゃない」
 その場を離れ、手摺沿いに歩いていくヴィナス。彼女の行く先に何気なく目を向けて、カエデはギクリと顔を強張らせた。
 一体いつからそこにいたのか、それまで気づかずにいた女性がもう一人、まるで人形のように佇んでいる。長い黒髪が風に揺れる度、顔に刻まれた大きな火傷の跡が見える。
「さぁ、カルル」
 ヴィナスは手を伸ばすと、愛おしささえ感じさせる仕草で、女性の焼け爛れた頬を撫でた。
「貴女の可愛い妹を殺させてあげるわ」

「……見ちゃった……」
 カエデは音をたてないように、こっそり出入口まで戻った。
 話の内容は半分も理解できなかったが、自由自在に姿を変えることができる女性など、明らかに常人でないことは子供の自分にでもわかる。
「やっぱりハイムってヤバい人達なんだ。もう、お兄ちゃんったらバカなんだから」
 扉を閉めるのも忘れ、一刻も早く兄に知らせようと駆け出すカエデ。
 その時、一発の砲弾が駆逐艦の隙間を縫って旗艦へと襲い掛かった。着弾直前にバリアに阻まれ、空中で爆発する。
 艦に大きな被害はなかったが、開けっ放しの扉から衝撃と爆風が侵入し、カエデはその場で転倒した。慌てて起き上がろうとするカエデ、その背後に足音が近づく。
「あら、可愛らしいお客さんね」
「危ないわよ? こんな所に一人で来るなんて」
 カエデの全身から汗が吹き出した。振り向けばすぐ目の前に、アミとハースィード──の姿に戻ったヴィナス──が立っている。二人の後方にはカルルの姿もあった。
「ほ~ら、腕を擦り剥いちゃってぇ、可哀想に~」
 ことさら甘い声で、いたわるように言いながら、ハースィードはカエデの腕を乱暴につかみ上げた。
「見た……わよね?」
 恐怖の余り言葉が出ない。
 カエデは必死に首を横に振った。しかし最初から信じていないのか、ハースィードの手が首にかかり、ゆっくりと締められる。
 すると、アミがハースィードを止めた。
「殺しちゃダメよ、ハースィード小佐。面白くないじゃない」
 アミは虫も殺せないような顔でカエデのヘルメットを外すと、何処からか取り出した金属製の環をカエデの首に填めた。
「いい? 貴女に人生を楽しく過ごす方法を教えてあげるわ。それは自分よりも強い者には決して逆らわないこと。もしも貴女が、私達のことを誰かに話したり、無理にでもその首輪を外そうとしたら……」
 アミの言葉と共に首輪が縮み、カエデの喉を締めつける。


「……っ!? ぅ……ぁ……!」
 呼吸困難に喘ぐカエデ。
「わかった? わかったら、お利口に生きることを考えようね」
 カエデが懸命に頷くと、アミは満足気に微笑み、そっと首輪に触れた。首輪が元に戻り、激しく咳き込むカエデ。
 口調や表情こそ穏やかだが、アミがハースィードよりも遥かに恐ろしい存在であることを、カエデは肌身に感じた。
 やがて二人はカルルと共に立ち去り、残されたカエデは何とかして兄に真実を伝える方法を必死になって考え始めた。

   /

「うーん。たいしたもんだ、情報局」
「バカか? 敵を褒めてどうする」
 グラフ、アート、ノイエの新型クラウン3人組は、量産型クラウンと共に小型の戦艦に搭乗していた。
 旗艦を離れ、駆逐艦の編隊をも抜けて最前線へと到達する。
「しかし、まさしく要塞だな。何処から攻撃する? ノイエ」
「勿論、正面からだ」
 アートの問いに短く答え、ノイエは右腕を伸ばした。高出力兵器【ノイバウンテン】へと姿を変えた右腕が、白い輝きに包まれる。
「フルパワーでいく。伏せていろ」
 瞬間、艦を揺るがす衝撃と共に白い閃光が発射された。
 閃光はブリーカーボブスが展開していたバリアに直撃し、その半分以上を消し飛ばした。

「バリア出力、約30%までダウンしました! 第二射には耐えられません!」
 報告を受けたケール博士は、しかし余裕の笑みを浮かべていた。
「大丈夫よ、まだオードリーがいるわ。そんなことより撮影班! ちゃーんとカメラ回しときなさいよ! 綺麗に映ってないとあいつ怒るからね!」

 3人組の小型艦は砲撃の嵐をかいくぐり、全速でブリーカーボブスに向かって飛んでいた。
 フルパワーの負荷に耐えかねて甲板に膝をついていたノイエが、バリアが回復していない隙を狙って再びノイバウンテンを発動させる。発射エネルギーを充填しながら、身体を支えきれずに倒れそうになるノイエ。その背中をアートが支えた。
「たいしたものだ、この小さな身体で。さぁ、撃てよ。支えておいてやるから」
「……すまない、アート」
 素直に礼を言われ、アートが困ったように目を逸らす。
「ラブラブ……」
 うんざりした表情でグラフが呟いたとき、再び白い閃光が発射された。

 3人組は勝利を確信した。
 しかし次の瞬間、ブリーカーボブスの直前に巨大な氷塊が出現した。閃光は拡散して威力を失い、氷塊が砕けて飛び散る中、長い黒髪の女性が宙を舞う。
 女性は氷塊の欠片を蹴って移動すると、ブリーカーボブスの外壁に着地した。
「熱いわね、ボーヤ達! けどダメよ? 力任せに突っ込むだけじゃ!」
 女性は──オードリーは、ウィンクしながら人指し指を振った。

「な、何だ? 一体何が起きた?」
 力尽きてぐったりしたノイエを抱えながら、アートが茫然と呟く。
「……これか。プライス・ドールズNo.09『オードリー』──災害鎮静用人形だ」
 グラフは素早くハイム本国のホストコンピューターから情報を引き出した。
「どうやら熱を操る能力を持っているらしいな。多分、あらかじめ周囲の海を熱して海水を水蒸気化しておいて、飽和状態の空気を一気に氷点下にまで冷却したんだろう」

『やるじゃな~い、オードリー。ちゃ~んと撮っといてあげたわよ~。ところでさぁ』
 通信機からケール博士の声が響く。
「何かしら?」
『新型クラウンって、カワイイ子ばっかし! って話じゃない? 一人くらいとっ捕まえてきてくれない?』
「あら、いいわねそれ」
 オードリーは笑って答えると、クラウンの戦艦に向けかって手をかざした。間近まで迫っていたクラウンの戦艦が急激に冷却され、動力が停止して海に落ちる。
「さぁいらっしゃい、ボーヤ達! お姉さんがオトナのクールさを教えてあげるわ!」

   /

 パティとフジノは、二人だけ時間が止まったかのように立ち尽くしていた。
 アイズ達が固唾を呑んで見守る中、外からは鈍い戦闘音が断続的に響いてくる。
 やがて、沈黙を破ったのはパティだった。
「……フジノ、お願い戦って! ハイムがこの国を狙っているの! このままじゃリードランスの二の舞になってしまうわ、だから……!」
「嫌よ。どうしてあんたなんかのために」
 フジノは冷たく言った。
「あんたはリードランスのことも、アインスのことも嫌ってたじゃない」
「お願い! これはメルクの長官として頼んでいるの! アインスがリードランスを愛したように、私はフェルマータを愛しているわ! お願いよ……貴女だってハイムの好きなようにされたくはないでしょう!?」
「ふん……」
 フジノはパティの叫びを無視すると、アイズとトトに言った。
「アイズ、トト。そいつらと一緒にいたら巻き込まれるだけよ。今回の連中の狙いは、私達じゃなさそうだから。南方回遊魚に戻りましょう」
 二人の返事を待たずに、さっさと背を向けて歩き出す。

「フジノ君、パティがここまで言っているんだ」
 悔しさに震えるパティの肩を抱いて、ケイが口を開いた。
「君達の間に何があったのかは知らないよ。だけど今は昔じゃない。いつまでも過去にこだわっている場合ではないはずだ。頼む、戦ってくれ」

 フジノが立ち止まり、振り返る。
 その表情はひどく悲しげだった。
「……どうして……」
 呟くフジノの瞳が、ほんの一瞬激しい怒りに燃え上がる。しかし瞬きもしないうちに、フジノの瞳は再び深い悲しみに沈んだ。
 去っていくフジノの後を、しばらくの間、誰も追うことはできなかった。

   /

 戦場からは少し離れた海面に浮かぶ、小さな飛行機にて。
 一組の男女が甲板に立ち、水平線の彼方で激しい戦いを繰り広げるブリーカーボブスと独立軍艦隊の様子を眺めていた。
「パティ達、大丈夫かしら?」
 呟く女性の近くに一人の少女がやってきて、女性の腕をそっとつかむ。
「戦争が始まったんだね。やっぱり、歴史は繰り返すのかな」
「いいや、違うよ」
 男性は少女の肩に手を置いた。
「確かに、同じことを繰り返しているように見える。それでも歴史は、決して立ち止まらない。何処までも進み続けていくものだ」
「そうね。私達のように」
 女性は……カシミールは、ルルドを挟んでスケアに寄り添った。


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浮遊島の章 第5話

2009年12月09日 | マリオネット・シンフォニー
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「フジノ? 勇者フジノ・ツキクサのことですか? まさか、彼女は現在24歳のはず」
「そうよねぇ、確かに昔のフジノにそっくりだけど」
 ケイ副官とケール博士が疑問を口にする。
 しかしパティは確信に満ちた声でフジノに尋ねた。
「フジノ、貴女……どうして私の前に現れたの? しかも、そんな姿で……!」
「別に来ようと思って来たわけじゃないんだけどね」
 フジノが苦笑する。
「最近同じことばかり言ってる気がするけど……これも運命の悪戯ってやつかしら。歴史は繰り返す、は違うわね。私は同じでもそっちは随分と変わったみたいだし。それにしても、結局最後までアインスに勝てなかったあの根暗女がこんな所で長官だなんて。人間どうなるかわかったものじゃないわね」
「アインス?」
 パティの表情が険しさを増す。
「まさかフジノ、まだあんな男のことを信じてるの? 私達のすべてを狂わせた最低な男のことを!」

 瞬間、空気が震えた。
「アインスが……なんですって?」
 フジノの顔から表情が消え、周囲に魔力が迸る。

「やめてフジノ! その人は味方でしょ!?」
 叫ぶアイズに目もくれず、フジノが前に進み出る。
 と、
「……クラウンか」
 呟き、フジノは歩みを止めた。
 バジルがフジノの背後に立ち、首筋に剣を突きつけている。両脇にはオードリーとグッドマンが控えており、いつでも攻撃できる態勢だ。
 バジルの色違いの瞳が光った。
「さてどうする? 俺達3人を相手にするかい? 俺は構わないが、今この場で戦えばアイズ君達にも被害が出るよ」
「……ふん」
 フジノを取り巻いていた魔力が鎮まる。
 トトがそっとフジノの腕を取り、その手を両手で包み込む。フジノは顔を歪めると、トトの手を振り払って出ていった。


第5話 開戦


「……助かったわ、バジル」
 パティは平静を取り戻したが、話は次の機会にということで支店長達に失礼を詫び、奥へと引っ込んだ。
「あの、私フジノさんのところに行ってきます」
 皆にペコリと頭を下げ、フジノを追いかけていくトト。ケイもパティを追って会議室を出ていく。
 残ったメンバーに、アイズは手短にフジノのことを話した。
「なるほどねぇ。それがハイムの狙うトトちゃんの力なんだ」
「長く生きていると、色々と変わったことがあるものですな」
 落ち着いた様子のケール博士、コトブキの年配組。
 支店長とネーナは驚いていたが、グッドマンは気づいていたらしい。そうか、とだけ言って黙り込んだ。 
「貴方達も気づいてたんでしょ? オードリーさんとは同じ救助隊にいたんだし、バジルさんとは直接戦ってるんだから」
 アイズの問いかけに、バジルは「おや」と肩をすくめて苦笑した。
「まいったね、スケアから聞いてたのかい? いけない奴だ」
「私は確信してたわけじゃないわ。多分そうなんじゃないかとは思ってたけど」とオードリー。「でもバジル、どうして黙ってたの? もしかして右目のことを恨んでる?」
「まさか。あれは戦争中の出来事だ。それに明らかに俺達の方が悪者だったしね。別に恨んではいないさ……ただ」
 言葉を切り、パティが出て行った扉に目を向けるバジル。
「身体の傷はいずれ治る。仮に手足を失っても生きていける。しかし、心の傷というものは簡単には治らないものなのさ。人は心を失ったままでは生きていけない……特に女性というものはね」
「……ヤな男。パティさんを試したの?」
「あまり過去に囚われていてもらっては困るんだよ。長官としてね」
 アイズの視線を平然と受け流し、バジルも部屋を出ていく。

「過去に捕らわれているのは、あいつも同じなんだけどね……」
 オードリーは誰にも聞こえない声で呟いた。

 やがてトトが戻ってきた。フジノはブリーカーボブスを離れ、南方回遊魚に戻って休んでいるらしい。
「まぁ、それなら問題ないか」
 一息つくアイズ。

 ……と。
 突然、トトが両耳を押さえて呟いた。
「……誰?」

 途端、空中に浮遊する光の粒子が無数に出現し、ホタルのように宙を舞った。
 誰も操作していないのに三次元ホログラム装置が作動し、中央の円卓上に一人の女性が映し出される。
 淡い青色の髪。閉じられた瞳。優雅な民族衣装のような衣服。
「レム姉様……!」
 ネーナが驚いて声を上げた。

   /

「長官。気分はいかがですか?」
 会議室から遠く離れ、幾つもの廊下と階段を通り抜けた先。
 パティの私室前に佇み、ケイは扉をノックしていた。
「……私は……どう見える? ケイ」
 中から弱々しい声がする。
 返答があったことに安堵し、扉のノブを回そうとして、ケイはその場で思い止まった。


「……長官は、長官でしょう」
 当たり前の返答をした挙句、どう続ければいいかわからず言葉に詰まる。
 ケイは女性の扱いに慣れていなかった。パティが何を望んで質問してきたのかもよくわからない。
「ええと……メルクの長官で、今では大統領並の発言力があって、多くの人に尊敬されていて、全国の女性の憧れの的で……」
 こういうことはバジルの専門じゃないだろうかと思いながら、ケイは言葉を探し続けた。
 10年もの間パティと組んで仕事をしてきた彼にとって、彼女は常に優秀なパートナーであり有能な上官だった。こんな彼女と一対一で接するのは初めてだ。
「美人な上に頭の回転が早くて、でも結構親しみやすくて、アクセサリーはノーレイズで靴はセレイムで……あれ、何か違うな」
 頭を抱えるケイ。
 と、扉の向こうでパティがクスリと笑った。
「ありがとう、ケイ。十分よ」
 扉が開き、パティが顔を出す。
「ごめんなさいね、ケイ。どうかしていたわ。まさか今になって、あのフジノに会うことになるなんて思ってもいなかったから……ううん、別にフジノだからいけなかったっていうんじゃない。もしもさっき会ったのが、普通に年を重ねて大人になったフジノだったなら、きっと冷静に対応できたわ。でも、あの頃と同じ姿で現れるなんて……それでね、つい昔の嫌なことを思い出したの」
 努めて明るく振舞おうとするパティの目は少し赤くなっていたが、ケイは気づかないふりをすることにした。妻と離婚した経験から、感情的になった女性の恐ろしさは身に染みている。
「パティ、昔リードランスで何があったかは知らないよ。でも今の君は立派なメルクの長官だ。自信持てよ」
「ありがとう……ケイ」
 パティがケイの胸にそっと顔を寄せる。

 ……と。
 二人の周囲に光の粒子が現れ、瞬く間に廊下を満たした。
「パティ、これは……」
「……レムだわ」
 顔を上げ、パティは呟いた。

   /

 ケール博士の案内で、アイズ達はレムの部屋を訪れた。開かれた扉の奥から、更に多くの粒子があふれ出てくる。
 扉をくぐると、そこにはホログラムに映っていた女性──レムが光の粒子に包まれ、ベッドに腰掛けていた。レムの伸ばした腕から光の触手のようなものが何本も伸び、トトの身体を包み込む。
「……初めまして、レム姉様」
 トトが挨拶すると、レムは目を閉じたまま微笑んだ。
 そのまま言葉を交わすこともなく、二人とも動かなくなる。
「トト?」
「しーっ。お静かに。二人は会話中よ」
 話しかけようとしたアイズをケール博士が止める。
 話によると、レムは触手を通じて意思疎通ができるらしい。トトとレムが交信している間に、ケール博士がレムについて説明した。

 プライス・ドールズNo.05『カルル』とNo.06『レム』の二人は、リードランス大戦の最中にフェルマータへと逃れ、当時最大手の化学・鉄鋼企業であったフロイドに身を置いていた。
 ところが間もなく、後に史上最悪の事故と呼ばれることになるフロイド企業事故が発生。二人は共に巻き込まれ、カルルは消息不明となり、現場から唯一救出されたレムは全身を激しく損傷、視覚と聴覚を失っていた。
 すぐにプライス博士やケール博士の手で修復が試みられたが、事故の影響は四肢や感覚器官に留まらず、脳にまで及んでいたらしい。視覚・聴覚ばかりか下半身の自由さえも戻ることはなく、現在に至るまで失われたままでいる。
 不幸中の幸い、レムの能力は『解析』だった。対象に触れることで状態や内部構造を把握できるという、カルルの『分解』と共に用いることで大きな相乗効果を発揮する能力。この能力を用いれば、光と音の情報を解析し、脳に直接送り込むことで視覚と聴覚の欠落を補うことができる。
 しかし能力を常時発動させ続けることは、肉体と精神に著しい負担を強いる。レムは研究所に閉じこもり、能力が必要な時以外、ただ安静にしているだけの生活を送るようになった。
 そんな中、妙なことが起きた。レムの能力が急激に向上し始めたのだ。事故から一年も経たない内にプライス博士が設定した限界レベルを上回り、レムの解析能力は異質なものへと進化した。対象に触れなくとも、遠く離れた国の出来事も、人の心の中すらも解析できるようになってしまったのだ。
「これは仮説なんだけどね」
 前置きして、ケール博士は持論を展開した。
「例えば水面の波紋を見ることで、魚の泳いでる場所とかコースとかが割り出せるわよね? それと同じように、この世界には目には見えず耳にも聞こえない、精神の海みたいなものが広がっていて、レムはその海に漂う波……いわゆる精神波を解析できるようになったんじゃないかと考えているの。実際、昔プライスちゃんがそういう通信技術を研究してたらしいわ」

「……よくわかりました。ありがとう、トト」
 しばらくの後、トトとレムの交信が終了した。
 レムの腕から生えていた光の触手が、数多の粒子となって霧散する。
「ネーナ、こっちに来て」
 続いてレムに呼ばれ、ネーナは少し躊躇ったが、支店長に背中を押されてレムの前に進み出た。レムがネーナの手を直接手に取り、包み込む。
「おめでとう、ネーナ。貴女は自分の幸せをつかみ取ったのね」
「……レム姉様……!」
 泣きながらレムに抱きつくネーナ。レムは慈愛に満ちた表情でネーナを抱き締めると、あやすように頭と背中を撫でた。
「素晴らしいお姉さんですね」
「良かったな、姉ちゃん」
「幸せな家族の図、といったところですな」
 支店長、グッドマン、コトブキも嬉しそうに微笑む。

「おや、もう話は終わったのかな?」
 やがてバジルが駆けつけ、
「そうみたいね」
 続けてパティとケイも部屋に入ってきた。
「レム、一人で納得されても困るわ。情報は平等に公開してもらわないとね」
「ええ……わかっています、パティ」
 レムが困ったように微笑む。
 パティはネーナの様子を見ると、納得の表情で軽く手を振った後、傍らに佇むバジルに目をやった。
「バジル、さっきのは意地が悪かったわね。貴方はフェミニストだと思ってたけど」
「貴女は我々の長官ですから。そこには男性も女性も関係ないでしょう?」
 パティが落ち着いていることがわかっているのだろう、バジルがおどけた口調で答える。パティは溜息混じりに苦笑した。
「まったく、部下が優秀すぎるっていうのも問題ね」

 ネーナが落ち着いた後。
 レムは皆の前で、山脈の村で起きた出来事について話した。
 まるで自分自身が体験したかのように、しかも、アイズとトトが知らない物事の側面まで正確に。
 常にアイズ達のそばにいて、複数の映写機で客観的に撮影していたかのような、隙のない語り。それはかつて、トトが黒十字戦艦の中で神官達に語りかけた時と、まったく同じ状況だった。

 やがて、話はアイズ達の新たな旅路に及んだ。
「新型のクラウンが3人、か。どうする? バジル」
「どうもしないさ。敵であるならば容赦はしない、それだけだ」
 オードリーの問いに何処となく不機嫌そうに答えるバジル。
「しかしそうなると、このすぐ近くにハイムの実働部隊がいるということになるな」
 ケイが呟いた、その時。

 ズドォォォォン!

 轟音と共に、メルク移動要塞ブリーカーボブスが衝撃を受けて大きく揺れた。慌てて外部の映像をモニターに映すケール博士。そこには数隻の空中戦艦の姿があった。
「あれは……独立軍か!」
 艦体に描かれた紋様を見定め、ケイが叫ぶ。
「ケール博士、緊急放送の用意を!」

 すぐに用意されたマイクに向かって、パティは語気鋭く声を発した。
「全職員に告ぐ! これよりブリーカーボブスは戦闘形態へと移行、南部独立解放軍との戦闘に入る! すみやかに所定の位置につき、戦闘に備えよ!」

   /

 時間は少し戻り、ハイム戦艦内の格納庫。
「片付けちゃったのかい? あの温室」
「邪魔になってしまうでしょう? それに、分解するのは簡単だったから」
 開戦を間近に控えて慌ただしさを増す艦内にあって、ノイエとアミは完璧に二人だけの世界を作っていた。
「薔薇……綺麗だったのに」
「それじゃ、この戦いが終わったら……また組み立てるわ」
「うん。頑張ってくるよ」

「…………」
「あらら~、どうしたのかな~? アート君は~」
『うん、きっとラブラブな病気なんだねっ』
「……何をしているんだ、お前は……」
 アートが呆れた顔でグラフを見る。グラフは片手にウサギの人形をはめて一人芝居をしていた。
「本当だろ?」
「違う!」
 アートは真っ赤になって怒鳴った。
「俺達はクラウンだ、ハイムの兵士だ! 兵士として指揮官がふがいないのが許せないだけだっ! 兵士というものは自己を捨て感情を殺してだな、いついかなる時でも任務に集中すべきなんだ! それが何だ、あんな女なんかに……!」
 まくしたてるアートの台詞を聞き流し、グラフは平然と言った。
「あんまり熱くなるなよアート。一つのことに集中するのも悪かないが、たまには柔軟な目で自分や周囲を観察してみろよ。俺達を取り巻いている状況は、お前やノイエが考えているほど単純なもんじゃない。まぁ確かに“純粋”は強さの究極の形の一つではあるが……本当の“純粋”は、“無知”とか“バカ正直”とは別のもんだ」
『それじゃあ生き残れないわよ?』
 ウサギの人形がぴょこぴょこと動く。
 アートはグラフの手から乱暴に人形を蹴り落とすと、背を向けて立ち去った。
「貴様にハイムの兵士たる資格はない!」

「……貴方は兵士……偉大なるハイムの兵士です……か」
 アートの背中を見送り、グラフは呟いた。
 それは生まれて初めて聞かされた言葉。優しい女性の声で、何度も何度も耳にした台詞だった。
『お調子者のフリしてる割にはお節介なのね』
 拾い上げたウサギの人形が再び喋る。
『熱くなるなって言っときながら、グラフも結構そーゆーとこあるんだから』
「言うなよ、落ち込んでんだから……なーんて、一人でやってても面白くないな。おっ、イイ女発見!」

 グラフの言ったイイ女は、はちきれんばかりの成熟した肉体を窮屈そうな軍服で包み、格納庫の前を通り過ぎて艦内を歩いていた。
 やがて艦のブリッジに到着すると、彼女は既に整列していた若い軍人達に向かって挨拶をした。
「初めまして、ハイム空軍小佐のハースィード・チェイスです。どうぞよろしく」
「ハーシード少佐ですね」
「いいえ、ハースィードです」
 ハースィードが人差し指を唇に当てて発音をチェックする。しかしブリッジにいた軍人は、発音よりも色っぽい唇と胸の谷間に注目していた。
「コホン、では……ハースィード小佐、この度はご協力いただきありがとうございます。このような立派な艦まで提供していただいて、何とお礼の言葉を申し上げればいいかわかりません。私は、南部独立解放軍の堤督を務めております、オリバーと申します」
 オリバーと名乗った青年は、提督という肩書きに似合わず、実直で誠実そうな光を瞳に宿した若い青年だった。全身から色気を振りまくハースィードと間近に接しながら、ほとんど表情を変えずに手を差し出す。
 ハースィードは妖艶な笑みを浮かべると、オリバーの手を握り、かたく握手を交わした。
「いいえ。我々ハイムの民は、元々大陸南部から派生してきた人種です。皆様方の独立運動を支援するのは当然のこと。この戦い、ハイムの精鋭部隊が全面的にバックアップいたします」

 やがてハースィードが出ていくと、入れ替わるように雑用係の女の子が入ってきた。ハースィードがつけていたのか、ブリッジに漂う香水の残り香を書類の束でパタパタと散らしながら、まだボーッとしている軍人達に文句を言う。
「まったく、みんなデレデレしちゃって! 情けないったらないわよっ!」
 軍人達は女の子の不機嫌そうな声で我に返り、いそいそと仕事に戻っていく。女の子は書類をオリバーに手渡すと、ジロッとオリバーを睨んで言った。
「お兄ちゃんもだよ!」
「こらカエデ、仕事中は『お兄ちゃん』じゃないだろ。『堤督』と呼びなさい」
「はいはい、てーとくさん!」

 その時、ブリッジのモニターにブリーカーボブスの映像が出た。
「堤督、目標を捕捉しました!」
「戦闘準備! まずは長距離射撃で相手の出方を見る! カエデはあっち行ってろ!」
 指揮するオリバーの隣で目を輝かせていたカエデは、各種救命用具とヘルメットをつけられてブリッジの外に放り出された。
「もう、お兄ちゃ……じゃなかった、てーとくったら!」
 カエデは頬を膨らませて怒っていたが、すぐに気を取り直し、別の場所から外を見ようと走っていった。


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快復しました

2009年12月04日 | Weblog
 新型インフルエンザに感染して月曜日から倒れていましたが、どうにか無事に快復しました。一番の懸念事項である持病の悪化にも繋がらず、ほっとしています。
 ただ、5日もバイトができなかったのは正直痛いです。今のままでは年を越せるかどうか微妙なところなので(苦笑)。
 なんとかしないと。

 それにしても、タミフルの効果は絶大です。
 感染が発覚してすぐに1カプセル飲んだのですが、2時間後には症状が劇的に軽くなりました。
 タミフルへの耐性を持つウィルスも存在するようですが、そうでなくて良かったです。

 あとは私から妻と息子に感染していないことを祈るのみ。
 数日は注意深く様子を見る必要がありそうです。

浮遊島の章 第4話

2009年12月02日 | マリオネット・シンフォニー
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 ハイム戦艦内、格納庫の温室。
 そこには植物に水をやっているアミと、丸テーブルについているヴィナスの姿があった。
「情報局、か。またややこしいことになりそうね」
 大きな注射器を片手に嘆息するヴィナス。注射針は腕に突き刺さり、何かの液体が体内に流し込まれている。元々青白い肌の彼女だが、いつもよりも一層顔色が悪い。
「そんな調子で大丈夫なの?」
「全然大丈夫じゃないわよ。こないだ全身の組織をバラバラにされたからね。まったくひどい目に遭ったわ。上空の気流に吹き飛ばされて、てんでバラバラに谷底に落ちて。もう少しで魚の餌にされるところだったんだから。まぁ、逆に喰ってやったけどね」
「……バケモノ」
 ぼそりと呟くアミ。
 途端、ヴィナスの腕が無数の金属糸になり、アミを取り囲んだ。
「口の利き方に気をつけなさい。あんたくらい一瞬で殺せるんだからね」
 しかしアミは気にする様子もなく、平然と水やりを続けた。
「フェルマータを掌握するにあたって、情報局の存在は最大の障壁。メルクが介入してくる前に、こちらから一方的に叩くべきだというのが上層部の見解よ。そこで、貴女達にも協力して欲しいの」
「嫌だ……と言ったら?」
「忘れたの? ヴィナス」

「私の言葉はハイムの意志。そして“ロンド”の意志でもあるのよ」

 ロンドの名前が出た途端、ヴィナスの顔が引き吊った。
 アミが小さく唇を開き、静かに息を吸い込む。するとヴィナスの腕である金属糸がたちまちの内に変色し、ボロボロと崩れ落ちた。悲鳴を上げて腕を戻すヴィナス。
「もうエンデの了解は取ってあるわ。それに、貴女にとっても悪い話じゃないはずよ。情報局を潰すためになら、どんな手段を使っても構わない。例えば……」
 アミはうずくまるヴィナスの横を通り、温室の入口に立っていた女性の頬に触れた。
「貴女に活躍してもらっても……ね、カルル」
 カルルは全く反応しない。まるで本物の人形のように微動だにせず、瞳からは自我の光が失われている。アミは楽しげに微笑むと、そのまま温室を去った。
「くそ……バケモノは貴様だろうが……!」
 顔を上げ、苦しげに呻くヴィナス。
 いつの間にか、アミが水をやっていた辺りの植物がすべて枯れてしまっている。
 と、
『心配することはないわ、ヴィナス』
 突然カルルが動きだし、口からエンデの声が響いた。
『確かにあいつも“代行者”の一人だけど、あたしの方が力は上よ。あいつの可愛がっているクラウンだって、チップがある以上あたしがコントロールできるわ。それに貴女のために、強力なオトモダチを用意してあげたんだから……ねぇ、カルル?』
 カルルの髪が逆立ち、温室が揺れた。
 何処かのネジがポトリと落ちる。
『ヴィナス。さっきアミが言ったように、今回の任務は情報局の殲滅よ。でも貴女には、もっと大切な任務を与えるわ……騒ぎに紛れてアミを殺すのよ』
 ネジや骨組が次々と落下し、温室全体が崩れていく。
「……そうね。あいつもいるしね」
 不敵に笑うヴィナス。

 彼女が立ち上がって温室を出た背後で、温室は完全に分解された。


第4話 閉じられた心


『ようこそ、メルクへ!』
 やけにテンションの高いアナウンスに続いて、豪勢なファンファーレが鳴り響く。
「派手ねぇ……」
「でも楽しそうです!」
「……帰るわ」
 三者三様の反応を見せるアイズ・トト・フジノ。
 3人は支店長達と別れ、メルクの見学コースを進むことになった。ナビに従って最初に案内されたのは、天井がプラネタリウムのようにドーム状の部屋である。
 アーチ状の入口をくぐり抜けて先の歓迎音声を浴びた3人を、中で待っていた一組の男女が笑顔で出迎えた。
「やぁ、君がアイズ君か。話には聞いていたが、こんなに可愛らしいお嬢さんだとは知らなかったね」
 男はかなりの長身で、たくましい身体つきをしていた。顔立ちは整っており、腰まで届く長髪が揺れている。
「どうだい、今夜一緒に食事でも。夜景が綺麗な場所を知ってるんだ」
「……貴方は誰?」
「俺の名はバジル。君の知っているスケアと同じクラウンさ」
 気障な仕草で前髪を払うバジル。その瞳が左右で色違いになっていることにアイズは気がついた。


「そして私は、プライス・ドールズNo.09のオードリー。貴女のずうっと上のお姉さんよ」
 一方の女性──オードリーも背が高く、長い黒髪が上半身を覆っている。黒革のピッチリとしたボディースーツを着こなす姿は、映画に出てくる女スパイのような雰囲気だ。
「ずっとハイムに追いかけられて恐かったでしょ? これからは私達がついてるからね。よろしくね、トトちゃん」

「……私、やっぱり帰るわ」
 フジノは二人に背を向けた。どちらもリードランスで深く関わった人物だ。正体がばれて過去に触れられるのが嫌なのだろう。アイズはフジノを引き止めようとしたが、そのことに気づいて言葉を呑み込んだ。
 すると突然、バジルがフジノの腕をつかんだ。
「そう言わずに、少しばかり俺達につき合ってくれないかな? 美しいお嬢さん」
 じっとバジルの瞳を覗き込むフジノ。しかしバジルはあくまでもポーカーフェイスで、自分の正体に気づいているのかいないのか、はっきりとは伺い知れない。
「……ふん」
 フジノはバジルの手を振り払うと、その場に留まった。満足気に微笑むバジル。
「さて、アイズ君。情報局がどういう機関なのかは知っているかな?」
「ええ、まあ大まかには」
「いいね。それじゃあ情報局のモットーは知ってるかい?」
「……さあ?」
「我々のモットーはね。異なる両者の間にある壁を壊すことはできない、しかしその壁の向こう側を見ることはできる。つまり」
「余計な誤解を生む前に、知って知られて喋りまくろう! ってことよ」
 オードリーが台詞を奪う。
 バジルは苦笑すると、その通り、と頷いた。
「というわけで、情報の番人メルクのメンバー紹介だ。ケール博士、頼む!」

 バジルの声を合図に派手な音楽が鳴り響き、部屋の中央に三次元ホログラムが投影される。映し出されたのは、知的な雰囲気が漂う30歳程度の女性だった。
 短く整えられた美しい髪、その隙間から覗く耳にはシンプルな耳飾りが揺れている。唇や目元は華やかに彩られ、完璧にメイクが施されたその姿は、フジノやカシミールとは一味違う徹底的に洗練された美しさだ。
「彼女が情報局設立の発案者でありメルクの長官、パティ・ローズマリータイムだ。元々ここフェルマータ合衆国の出身である彼女は、学生時代に当時のリードランス王国に留学している。そこでアインスとも知り合ったらしいよ。でもって、当然のごとく戦争にも巻き込まれてしまったわけだが……あの地獄の日々を乗り越えて11年前に帰国、その後いきなり政治の世界に飛び込んでいったんだ」
「11年前って言うと、かなりお若くないですか?」
 トトがオードリーに尋ねる。
「この国の風習でね、行き詰まったり新しく物事を始める時には若い人材にすべてを任せるのよ。例えばほら、貴女達と一緒に来たトゥリートップホテルのヴァギア支店長とかね」
「なるほど~」
「納得してくれたかな? まあそんなこんなで、メルクは政府の自浄機関としてスタートしたんだが……いやはや、恐ろしいほどの才女だよ彼女は。わずか数年で情報局中枢組織という現在の形にまでメルクを発展させ、政府内部の不正を次々と暴いて政治システムそのものを一新させてしまったんだからね。フェルマータ合衆国内に限れば、今じゃあ大統領並みの発言力があるんだ」
 バジルの説明に感心するアイズとトト。しかしフジノは唯一人、複雑そうな表情でパティ・ローズマリータイムの映像を見ていた。

「でもさ、こういう組織って独裁的な情報管理組織になっちゃわない? ハイムの中央管理局みたいなさ」
 アイズが尋ねる。
「うーん、鋭いねぇ。確かにハイムは──いや、君が言うところの中央管理局は情報を操ってハイム共和国全体を掌握している。しかしメルクは全く方向性が違う組織だ。構成は流動的だし透明度も高い」
「そうそう、例えばこのバジル。私達は彼の住所や年齢は勿論、仕事の内容や給与額、半年ごとの健康状態まで公開しているわ。もっとも、プライベートには立ち入らないけどね。ま、どうせいつも女の子ひっかけてんでしょうけど」
 ジトっとした目でバジルを見るオードリー。
「いや、まさかぁ。……とまあ、そんなことはさておいてだ」
 バジルは少し戯けてから説明に戻った。
「メルクはその性質上、常に厳しく自己管理をしなければならない。さっき君も言ったように、情報管理組織ってのは独裁を目論む者にとっては喉から手が出るほど魅力的なものだからね。少しでも不正を働いた者は即刻クビになるもんだから、必然的に優秀なメンバーだけが残ることになる。代表的な例を紹介しよう、メルクの副官にして調査部長をも務めるケイ・ロンダートだ」
 三次元ホログラムの映像が、30代後半の男性に変わった。いかにもエリートといった雰囲気の、眼鏡をかけた痩身の男性だ。

「副官には有名なエピソードがあるんだ」
 とバジル。
「以前、彼がまだ第一調査課の課長だった頃、とある企業の調査を一任されていたことがあってね。幾つか不審な点が見つかったために、より詳しく探ろうと各部署を調べていったんだが……」
「そうそう、その企業の社長には一人のバカ息子がいてね」
 とオードリー。
「そのバカ息子が経理部の部長をしてたんだけど、どうやら彼女に貢ぐために企業のお金を横領してたらしいの。で、更に調べていったらね、その彼女っていうのがね……」
 オードリーが堪えきれずにクスクスと笑い、トトとアイズが顔を見合わせる。
「……? 誰だったんですか?」
「なんと自分の一人娘、グローリアちゃんだったわけ!」
 三次元ホログラムの映像が変わり、10代後半の女性が映し出される。世間知らずなおぼっちゃんなら一目惚れしても仕方がないほどの魅力的な女性だ。こんな娘を持った日には、父親としては頭痛の種になることは間違いない。
「それからの彼の調査には鬼気迫るものがあったね。規則上、調査が完全に終了するまでその内容は一切口外してはならないことになっている。何より、娘さんの件は極めて個人的なことだ。だから彼は娘さんを問い詰めることもできず、同僚に愚痴をこぼすこともできずにストレスはたまるばかり。一ヶ月後にすべての証拠を揃えてバカ息子の悪事を白日の下に晒した後、胃潰瘍で入院しちゃったのさ」
「でも偉い話よね、公私混同せずに情報の番人としての立場を貫いたんだから」
「……で、娘さんのことはどうなったの?」
 アイズが尋ねると、バジルは笑って答えた。
「社長が失脚してバカ息子の金がなくなった途端に別れたそうだ。と言うより、バカ息子が一方的に熱を上げてただけらしいよ。近頃の女の子は容赦ないね」
「あら、私は彼女のこと好きよ。父親に似ず可愛い子だわ」

「お褒めにあずかり光栄だね」
 不機嫌そうな声と共に、ホログラム映像が消える。当のケイ・ロンダート副官本人が部屋に入ってきたのだ。
「あら副官。胃の調子はいかがですか?」
 口元に手を添え、わざとらしく上品に振舞うオードリー。
「君達に鍛えられたせいか、少々のストレスでは動じなくなったよ」
「それは良かった。我々も心を鬼にしたかいがあったというものです」
 うんうん、と感慨深げに頷くバジル。
「いや、褒めてないですよ」
 思わずツッコミを入れるアイズ。
 ケイは「まったくです」と肩をすくめると、部屋を見回して言った。
「ケール博士、いるんでしょう? こいつらのバカ騒ぎにつき合わないで下さい!」

「いいじゃない~っ、ちょっと新型の室内用ホログラムを試してみたかっただけよ~っ」

 何処からか『男』の声がしたかと思うと、突然、壁の一部にスポットライトが当てられた。
 またもファンファーレが鳴り響く中、足元ではスモークが焚かれ、頭上を紙吹雪が舞う。やがて壁の一部が勢いよく回転し、一人の中年男性がポーズを決めて登場した。
 アイズは頭が痛くなったが、トトは「スゴーイ!」と妙にウケている。フジノは彼のことも知っているらしく、特に驚いた様子もない。呆れた顔はしていたが。
「ああっ、貴女がトトちゃんね? 話は聞いてるわ! やっぱり芸術家同士気が合うのね~!」
「アハハハ! スゴーイ、ハデー!」
 どうもトトは彼のことが気に入ったようだ。
「長官が会議室でお待ちです。アイズさん、トトさん。こちらへどうぞ」
 ケイは手短に用件を告げると、騒ぎを無視して部屋を出ていった。

「巻き込んじゃってすいませんね、ケール博士」
「いいのよバジルちゃん。今度二人で映画でも見ましょうね。そうそう、こないだ『恐怖のチュチュガヴリーナ』を借りてきたのよ!」
「へえ、それは観たことがありませんね。楽しみにしてますよ」
 ケイに案内されるまま、会議室に向かう途中。
 ケール博士と楽しげに談笑するバジルを眺めながら、アイズは感心したように呟いた。
「本当にバジルさんってば真性のフェミニストね。尊敬するわ」
「あれは仮面よ。自分を守るためのね」
「え?」
 振り向くと、オードリーがひどく寂しげな表情をしていた。バジルとふざけていた先程までの彼女とはまるで別人だ。
「11年前からずっと──あいつの心は閉じたままよ」

 フジノは帰るに帰れず居心地悪そうについてきていたが、トトが途中で振り返り、フジノに向かって手を伸ばすと驚いて立ち止まった。
「一緒に行きましょう、フジノさん」
 フジノは少し躊躇っていたが、ふん、と鼻を鳴らすと、トトの手をつかんで再び歩き始めた。
 
 会議室。
 パティ・ローズマリータイムは一人、アルバムを広げて写真を眺めていた。
「リードランス……か……」
 呟き、疲れたように溜め息をもらすパティ。と、扉をノックする音に慌ててアルバムを片付けた。扉が開き、トゥリートップホテルの一同が入ってくる。
「パティさん、お久しぶりです」
「いらっしゃいネーナ。本当に久しぶりね。呼んでくれればいつでも行ったのに、連絡の一つもくれないなんてひどいわよ?」
 支店長やコトブキも交え、世間話に花を咲かせるパティ達。
 やがて、別の扉からもノックの音が響いた。扉が開き、ケイに連れられてアイズ達が入ってくる。
「アイズ・リゲルさんとトトちゃんね。ようこそメルクへ、歓迎するわ。私はパティ・ローズマリータイム。メルクの長官を……」

 と。
 にこやかに挨拶をしていたパティの顔が、突然強張った。
「……フジノ……!」

 アイズとトトがギクリとし、ほとんどの者が事態を把握できずにざわめく。そんな中、バジルは微笑みさえ浮かべながら二人の様子を見ていた。

「ど、どうして貴女が……!」
 顔を青くして後ずさるパティ。フジノはトトの手を離すと、一歩前に進み出た。
「久しぶりね、パティ」


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