森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

2002年12月10日

2007年12月10日 | あるシナリオライターの日常

 午前7時20分、起床。
 ──寒い。

 午前9時、家賃補助の定期更新書類完成の為マンションの管理会社へ。
 午前10時、年末調整用書類を提出にバイト先へ。

 午前10時30分、出社。
 新企画について打ち合わせ。
 HP制作。

 午後6時、新HPほぼ完成。
 あとはヤフーBBの工事完了を待つのみ。
 ……それが一番のネックとなるだろうことは想像に難くない。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 『プロジェクトX』が始まる前に食事を終え、観賞。
 その意気を、志を、自らに取り込むことができればと。

 師からメール。
 君はまだ若い。絶対的に人生経験が足りない。今は目を開き、耳を澄まし、精一杯働け。

 私に器があるかどうかはわからないし、いまさら気にかけることでもない。
 しかし、仮に器があったとして、経験という水が入らなければ器はただの器に過ぎないのだ。
 技術とは水の利用法でしかないのだから。

第三話「カカシとセルロイドの美女とライオンがメリーゴーラウンドの中で踊る話」 3

2007年12月10日 | 僕達の惑星へようこそ

 PM.10:37

 それは変わった集団だった。
 ……いや、『とても』変わった集団だった。
 最初にオカダにつき添われてやってきたのは、まるで格闘家のような立派な体格の男だ。はち切れそうな肉体をシンプルなTシャツとジーンズで包み、首には大きなヘッドホンをかけている。顔つきは精悍で黒く太い眉の下に獲物を狙う鷹のような眼が光り、両手には大きな鉄製のカバンを持っていた。
 彼はこの界隈では有名なDJで、通称『K』と呼ばれている。本名は知らないが、そのテクニックと腕っ節の強さを知らない者はここにはいないはずだ。数ヶ月前に何かいざこざを起こして刑務所に入れられたらしいが、最近になって出所したんだろう。
 次に現れたのは数人のけばけばしい服装の女……いや、女装した男達だった。ラメや羽飾りで派手に飾りつけた服を纏い、顔からはみ出るんじゃないかってほど化粧を塗りたくった顔で、けたたましく笑いながら話をしている。最も痩せた男が入り口の方に振り返り、羽飾りをはためかせて誰かを呼んだ。
 呼ばれてやってきたのは、思わず息を呑むほどに美しい女だった。
 年は二十代前半といったところだろうか。しかし、童顔とも言える顔に年相応の表情はなく、まるで人生に疲れた熟年の女性のような疲労と倦怠に満ちている。
 身長は高くもなく、低くもない。胸から腰にかけてのラインは信じられないほど豊かでなめらかな曲線を描き、濃い青に染められた髪は短く切り揃えられ、幾つもの小さなカールを作りながら顔にかかっている。肌は本当に血が通っているのか疑問なほどに白い。大きな青い瞳が、鏡のようにフロアの電飾を映し込んでいる。
 彼女は背中や胸元が大きく開いた黒いシンプルなナイトドレスで着飾っており、純白の羽飾りを肩にかけていた。ドレスの丈はかなり短く、逆に床まで届きそうな羽飾りが、細く白い脚を中途半端に隠している。
 何故、僕が女装の男の中に混じった彼女を女性だと判断したかについては、僕自身はっきりとした根拠が思いつかない。男の勘というやつだろうか? とにかく、極めて優れた芸術作品が見る者に訴えかける何かを持つように、彼女の美しさには迫力があった。
 初めてドロシーを見た時にもその美しさに心奪われたが、彼女の持つ美しさはドロシーのそれとはまったく異なるものだった。ドロシーには野生の獣のようなしなやかさと存在感、そして危険な香りがあるが、彼女は繊細な硝子細工のような細やかさと透明感、そして今にも壊れてしまいそうな儚さに満ちている。
 僕は彼女が人間ではなく、精巧なセルロイドのマネキンだと言われていれば信じたかもしれない。実際一目見た瞬間には、彼女が男か女かということよりも、果たして本当に生きている人間なのかどうかの方が判断できなかったのだから。それほどに、彼女からは生きている人間の雰囲気がしなかった。
 彼女は形の良い細い眉をひそめて隣の男と何かを話している。表情から察するに、ここに来たくはなかったようだ。やがて彼女は隣の男では話にならないと判断したらしく、男に軽く手を振って最後尾へと移動した。
「……あ、カウボーイだ」
 とカナが呟いた。

 最後尾にいた男……カウボーイは壮年の外国人で、白が混じりつつある灰色の髪にエメラルド色の瞳をしている。背はかなり高く、痩せた体に白い花崗岩を刻んだような筋肉が張りついている。
 最初に外国人と言ったが、実際には日本人とアメリカ人との間に生まれた混血で、ごく自然に日本語を話しているのを聞いたことがある。職業は実業家でアメリカに本社を持ち、世界各国に支社を抱える国際的な会社の社長なのだそうだ。リョウの父親の会社もそうだが、具体的に何をしているのかは知らない。
 勿論日本にも支社がある。それは隣の町にあるそうだが、彼はこの町の方が気に入っているらしい。

 Q.ところで彼は何故『カウボーイ』と呼ばれているのか?
 A.それは彼がいつもカウボーイの服装をしているから。

 カウボーイは被っていた大きなカウボーイハットを指でずらすと、少し腰を屈めてまっすぐに彼女の目を覗き込みながら話を始めた。
 二人はしばらく話をしていたが、どうやらカウボーイが説得に成功したらしい。女は不機嫌そうにカウボーイの胸を叩き、女装集団に加わった。カウボーイは苦笑いを浮かべると、西部劇そのままの飾りのついた上着を整え、僕達の方へ歩いてきた。
 女装集団とセルロイドの美女が通過し、カウボーイも僕らの前を通り過ぎる……と思ったら、彼はドロシーの前で足を止めた。
「何でしょうね、先輩」
 いつの間にか僕の背後に隠れたカナが囁く。
「さあ……」
 僕がカウボーイを見るのはこれが初めてではない。先程も言ったが彼はこの町が気に入っているらしく、アメリカにいるよりもこの町にいることの方が多く知人も多い。ここスケアクロウでも何度か見たことがある。もっとも、リョウが彼を毛嫌いしているので、僕は話をしたことも近寄ったこともない。
「これはこれは。こんな所で同類に会えるなんてね」
 カウボーイは流暢に喋りながら帽子を脱いだ。ドロシーに向かって優雅に一礼し、腰を曲げたまま顔を上げる。
「踊ってくれないかい? カウガール」
 間近で見るカウボーイの瞳は、本当に深いエメラルド色をしていた。細かい皺の刻まれた精悍な顔の上で、宝石のように輝いている。
「うーん、どうしようかなあ?」
 ドロシーは焦らすように言い、僕の方を見た。
「連れもいるしなあ」
「それは残念だな……でも踊るだけならいいんじゃないかな?」
 カウボーイはドロシーの視線を追って僕の方に目を向けた。
 その瞬間、僕の体がわずかに震えた。恐かったのではない、彼の瞳に吸い込まれるような感じがしたのだ。僕は彼の視線から逃れようとした。しかし僕が目を逸らすよりも先に、カウボーイの視線からは力が消えていた。
「それに彼には、もう一人美しいパートナーがいるじゃないか。一人占めはよくないな。君が僕と来てもかまわないだろ? ……そうは思わないかな?」
 カウボーイが肩をすくめながら僕とカナに尋ねる。僕が戸惑っている間に、カナが後ろから顔を出した。
「いいですよ。ドロシーさんはその人と踊って下さい。私は先輩と踊りますから」
 カナは『美しい』の一言で警戒を解いたらしい。
 ……意外とわかりやすい性格かもしれない。
 確かにカウボーイには人を惹きつける不思議な魅力がある。もっとも、それは彼の個性の強さからくるものであり、彼が一般的な社交術に長けているからではない。おそらく、彼の個性が理解できる者以外には嫌われやすいタイプだろう。
 それにしても、別に上流階級のパーティーで社交ダンスをするわけじゃないんだから、男女のペアで踊る必要が何処にあるんだ?
「そうね……でもどうせだったら、もっと大勢で踊った方が楽しいかな?」
 僕の心を見透かしたかのように、ドロシーがカウボーイを待っている女装集団に目を向ける。それに気づいたのか、先程セルロイドの美女の隣にいた男が近くまでやってきた。
「ハーイ。アタシはミンクよ。よろしくね」
 飴玉を舐めるような猫撫で声で『彼女』は自己紹介をした。喋る時に口と目が淡水魚に似た動きをするのが印象的だ。背は高く、カウボーイと比べても見劣りしていない。百九十近くはあるんじゃないだろうか?
 ……さっきから僕の方を見つめているように見えるのは、きっと気のせいだろう。
「先輩、見つめられてますね」
「…………気のせいだよ」
 周囲の者は皆、怯えたように遠巻きにこちらを眺めている。多分、こっちの方が正しい反応なのだろうが……カナはすっかり慣れたらしく(それでも僕の背中に張りついたままだけど)、興味津々カウボーイ達を眺めている。
 何だか違う世界に迷い込んでしまったようだ。

「ここに来るなと言っただろうが!」
 不意に音楽が止まり、大きな声が放たれた。
 見ればリョウがこちらを睨みつけている。リョウは瞳を怒りに燃やしながら、僕らの……いやカウボーイ達の方に近づいてきた。
 以前、カウボーイとリョウはここで対立したことがある。僕はその場にいなかったので詳しいことは知らないが、以来リョウはカウボーイ達のことを必要以上に嫌っている。カウボーイとその仲間は、この街で彼の思い通りにならない唯一の存在なのだ。
「何だ君か。しかし来るなと言われてもねえ」
 カウボーイが動じた様子もなく目を細める。リョウは僕を一瞥すると短く舌を鳴らし、再びカウボーイを睨みつけた。
「黙れ! ここはお前達のような奴等が来る所じゃない!」
「しかしねえ……」
 カウボーイは大袈裟に肩をすくめてみせた。
「私達は全員金を払ってチケットを買っている。だからここにいる権利があるはずだ。それに今日は『K』の復帰を祝いに来たんだ。大目に見てくれないかな?」
 どうも音楽が止まったのはDJの入れ替えをする為だったらしい。どうやら交代があることを知らせていなかったらしく、『K』はオカダと共にDJブースから前のDJを追い出そうとしていたが、リョウとカウボーイが揉めていることに気づいて僕らの方に目を向けた。
「君は手を出すな」
 カウボーイは『K』に手を振り、リョウに向かって言った。
「彼とは長いつき合いだ……今日は騒ぎを起こしたくないんだよ」
「そうよ、リョウちゃん。一緒に踊りましょうよ?」
 ミンクが隣から声をかける。
「気安く名前を呼ぶな!」
 リョウは激怒してミンクを睨みつけた。
「俺はお前達のような気持ち悪い奴らが一番嫌いなんだ。ここから出て行け! 一緒にいるだけで気分が悪くなる!」
「何ですって!?」
 ミンクが口を大きく開きながらリョウに詰め寄った。
「何が気持ち悪いって言うのよ? アタシ達の何が悪いって言うの!」
「近寄るな!」
 リョウがミンクに向かって手を振り上げる。しかしその手はカウボーイによってつかみ取られた。
「まったく、年寄りに無理をさせるね君は!」
 リョウとカウボーイの腕力が拮抗し、二本の腕が小刻みに震え始める。二人が睨み合っている隙に、ミンクは悲鳴を上げながら仲間の影に隠れた。
「キャ~ッ、キャ~ッ、恐かったわ~!」
 ……さっきまでの威勢の良さは何処に行ったんだ?
 理解に苦しむ僕の横には、いつの間にかセルロイドの美女がいた。彼女は冷めた目でカウボーイとリョウを眺めていたが、
「……くだらない……」
 吐き捨てるように呟いた。

「この野郎……!」
 リョウは腕力を振り絞ってカウボーイの手を振り解いた。
「なめた真似をしやがって!」
「リョウ! ここで騒ぎを起こすんじゃない!」
 リョウが殺気立っているのを見て、オカダが慌てて駆け寄ってきた。フロアは静まり返り、皆が僕達の方を見つめている。
「リョウさんやめて下さい! ここで誰が踊ろうとかまわないじゃないですか!」
 いつの間に僕の後ろからいなくなったのか、カナがリョウの前に立って叫んだ。
「……若松か……お前はそいつらの味方をするのか?」
 リョウは虚ろな声で言った。リョウはカナの売春を知っても態度を変えなかった数少ない人間の一人だ。それどころかカナのことを気に入っているようでもあった。もしかしたら、カナならリョウと対等に話せるかもしれない。僕の心に楽観的な考えが浮かんだ。
 しかし、その考えはやはり甘かった。
 リョウは無表情にカナを突き飛ばし、カナは背中から床に倒れた。
「リョウ、女の子に何てことをするんだ!」
「…………退けよ」
 カナとリョウの間に割って入った僕に、リョウはひどく疲れたような口調で呟いた。
「退けよ……もうこれ以上、俺を怒らせるな」
「リョウ、ここは踊る為の場所だ。僕達だけのルールが通用する場所じゃ……」
「お前は黙ってろ!」
 リョウは僕を乱暴に押し退けた。
「それ以上言ったらお前もこいつらと同じだ。ただではすまないぞ!」
「なあ、もうこいつは俺達を裏切ってるんだから同罪だよ?」
 ジンが小さく呟く。しかしリョウはジンの話など聞いていなかった。
「君はどうして私達を目の敵にする?」
「お前達がここにいるだけで……地球上に存在するだけで俺の世界を汚してるんだ。だから俺はお前達が許せないんだ」
 カウボーイは小さく笑った。
「成程、君はこの星の王様か。だが私にも私の世界がある。私の友人達にもね。そしてそれは他人の思い通りにはならない世界だ……特に君みたいなガキにはな。君が私達の世界を認めないと言うのなら私にも考えがある」
 カウボーイは拳を手の平に打ちつけた。
「まったく、年寄りは大切にしろと最近の家庭では教えないかな? 手がかかって困るよ」
「ちょっと待て二人とも、店の中で騒ぎを起こすな! おい『K』、黙ってないで何とか言ってくれ!」
 オカダが髪を掻き毟って叫ぶ。『K』は騒ぎに目もくれずに機材をチェックしていたが、やれやれとため息をつくと低い声で言った。
「さっきの奴が言った通り、ここは踊る為の場所だ。喧嘩をするなら外でやれ」
 言いながら、二つのカバンを同時に開く。中から二枚のレコードを引き抜くと、ガンマンが銃を扱うように両手の指でクルリと回し、プレイヤーに置いて針を乗せた。

 最初に心臓をつかむような低い重低音が響き、不意に音が消えた。一瞬の静寂の後、つんざくような高速のブレイクビーツがフロアの沈黙を撃ち破った。
 さっきと同じ機材を使っているはずなのに、まるで音が違う。何重にも重ねられたビートが複雑な音の空間を造り出し、リョウ達の騒ぎに気を取られていた人々がたちまちのうちに反応した。
 フロアにいた全員がブースの近くに押しかけ、一斉に足を踏み鳴らす。それはスケアクロウ全体が揺れるような光景だった。
「……やるねえ」
 カウボーイは呟き、リョウに言った。
「すっかり場の主役を奪われたね。これ以上私達が揉めても無意味なんじゃないかな?」
 リョウはフロアの様子を見て口元を歪めると、踵を返して立ち去った。

「いいか、お前もDJだったら何があろうとレコードを回すのをやめるんじゃねえ」
 『K』はレコードを回しながら、ブースの隣で不機嫌そうな顔をしている自分が追い出したDJに言った。
「DJってのは、絶対に音を止めちゃいけないんだ。例え客が一人しかいなくても、それこそフロアで銃撃戦が起こってもな」
 そして『K』は次のレコードの音をチェックし始めた。
 音が止まったのはアンタがいきなり後ろから引きずり下ろしたからじゃないか。まだ若いDJは思ったが、『K』が恐そうなので言うのをやめた。

「大丈夫かい?」
「ええ、少し突き飛ばされただけですから……」
 カウボーイに尋ねられ、僕はリョウの後ろ姿を眺めながら呟いた。カナは例の女装集団に混じって話をしている。さっき突き飛ばされた時に助けられたらしい。
「……ドロシー?」
 僕はドロシーの姿を探した。ドロシーは少し離れた所で僕とは違う方向を眺めていた。その視線の先には、あのセルロイドの美女がいてドロシーを見つめ返していた。
 女は表情を変えることなくドロシーを見つめていたが、不意に視線を逸らした。
「踊ろうか?」
「……そうね……」
 女の姿を目で追っていたドロシーが、カウボーイに尋ねられてこちらを振り向く。その瞳は、僕が見たことがないほど悲しげだった。
 ドロシーは僕の前に立つと軽く僕の肩を叩いて微笑んだ。
「貴方も一緒に踊ろうよ。リョウって子もこれ以上は手を出せないわ」
 そしてドロシーは、カウボーイの差し出した手を取りフロアの方に歩いていった。
 あの女とドロシーは顔見知りなのだろうか? カウボーイとも初対面には見えない。
「世の中には僕の知らない世界があるんだな……」
 時の流れは一つではない。僕から見えない世界にも様々な人達がいて、様々なことを考え、行動している。それはとても当たり前のことだけど、つい忘れてしまうことだ。
 そして僕は、そのすべてを知ることはできない。
 ……悲しいことだ。
「先輩、私は先に行ってますね!」
 カナはすっかり打ち解けた女装の男達と腕を組んで歩いて行った。
「変わった子だな……」
 僕はカナを見て微笑んだ。今までの僕は、何とかして『普通』に近づこうとしていたけれど……今は心から、目の前にいる変わった……でも魅力的な存在のことを、もっと知りたいと思う。
 その時、僕の隣で声がした。
「貴方……あの女には気をつけた方がいいわよ」
 青い髪をかき上げながら呟いたのは、あのセルロイドの美女だった。