森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

2003年11月~2004年

2008年08月31日 | あるシナリオライターの日常

 先日、当ブログのメインコンテンツであった【あるシナリオライターの日常】を終了しました。当時の日記はもう少し続きがあるのですが、9月に入ってから連日更新ではなくなり、やがて書くことをやめてしまいました。
 締め括りのために、その後の経緯を約一年単位で書いていこうと思います。

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 2003年11月1日。
 待望の息子が生まれました。
 私は性別に関係なく『明日葉』という名前にしようと考えていましたが、男の子の名前としては可愛い過ぎるとの指摘を受け、最後の一文字だけ変更しました。
 普段は「あす」「あすくん」と呼んでいます。

 2004年1月。
 ゲーム制作会社を辞めてからお世話になっていた製本工場が、突然1月末で閉鎖することになりました。急いで次の仕事を探し、NHKの営業代行会社に入社することになりました。
 仕事の内容は、NHK受信料の長期滞納者から受信料を徴収すること。断られ、無視され、怒鳴られ、時には暴力さえ振るわれるのが当たり前の仕事です。それらに対抗するように、多くの営業員はしつこく粘り、誤魔化し、騙し、時には脅すようにして受信料を集めていました。

 入社から間もなく、NHKは不祥事について騒がれ始めます。視聴者の目は厳しさを増し、前述したような強引な営業が徐々に通用しなくなり、会社の営業成績は落ち込んでいきました。
 幸いにして、私は強面でも、話術が巧みでもなかったため、そのような営業戦略を用いることができずにいました。体力と機動力に任せてひたすら足を使い続けた結果、周囲に比べれば成績は然程落ち込まず、あまり苦情も出ませんでした。

 2004年9月。
 私は社長の目に留まり、入社一年目の新参者でありながら、翌年に予定されていた仙台支社の統括に任命されることになりました。他の役員を黙らせるためにも今の成績を維持するようにと命じられ、俄然張り切った私は、年内一杯トップクラスの成績を維持し続けました。
 当時は同人活動も行なっており、望月女史、エイブル氏、谷村女史、カジマ氏らと共に同人ゲーム制作に勤しんでいました。私も含めて、いずれもプロの経験を持つメンバーです。仙台でしっかり働いて貯金をすれば、いずれは自分達の会社を立ち上げることも夢ではないと、無邪気な夢を見ていました。

 年が明けて間もなく、転落が始まるとも知らずに。

2008年08月31日 | レポート

 私が大人しい子供だったことは既に記したと思う。
 私は一日の殆どを学校と庭のプレハブ小屋の中で過ごした。親戚の者達は私が粗末な小屋の中で文句一つ言わずに暮らしていることが不思議でならなかったようだ。
 確かにそこは狭く、壁も薄かった。冬は辛うじて風が防げる程度だったし、夏の暑さは更に酷かった。しかし他人と顔を合わせる苦痛に比べれば問題にならない程度のものだったし、何より私は肉体的な苦痛には強かった。
 私は小さい頃、非常に感覚が鈍かったように思う。もう少し適切な表現を探せば、自分の感覚を、まるで他人のもののように感じることが多かった。
 一度、夏の暑い日に小屋の中で脱水症状を起こして倒れたことがある。私は自分の身体から水分が抜け、皮膚の上を流れる汗さえ蒸発してゆく様子を冷静に感じ取っていた。やがて汗も出なくなり、私は畳に身を横たえたまま、容赦なく照りつける太陽を窓硝子越しに眺めていた。私の記憶はそこで途絶えている。
 意識を取り戻したとき、叔母は全くお前は鈍い子だ、と言った。間違って死なれでもしたら世間体が立たないではないか、と。しかし、その言葉も私にとっては遠くから響いてくる音のようにしか聞こえなかった。

 私が全てのものを観察するようになったのはいつのことだろう?
 親戚の家に引き取られると同時に、私は学校に通うようになった。
 私はそれまで、父以外の人間と生活したことがなかった。父との生活の記憶すら殆どないので実際のところはわからないが、少なくとも人間関係に関する知識はまったくと言っていいほど持っていなかったのは確かだ。
 そんな私が、いきなり他人の大勢いる場所に放り込まれたのだ。
 私はまるで、見知らぬ大陸に流れ着いた漂流者のようだった。理解しがたい行動、何の意味があるのかわからない知識。言葉さえ満足には通じなかった。
 私は戸惑った。私以外の者は同じ言葉を喋り、同じことを知っている。私は必死にそれについて行こうとしたが、皆は相変わらず私にはわからない言葉を喋りながら、同じ方向に向かって歩いて行く。
 彼等が『楽しい』と思うことは、私には『理解できない奇妙なこと』としか思えなかった。私は必死に皆と同じ行動を真似しながら、あらゆるものごとを観察し、その意味を探らなければならなかった。
 幸い、私は暫くすると表層的に彼等の習慣のパターンが把握できるようになってきた。しかし深層の部分……何故そのような行動をするのか、その知識に何の意味があるのか……については、どうしても理解できなかった。
 しかし、理解が及ばなくとも生活するには十分だ。集めた行動サンプルの中から状況に応じて適当なものを選び出し、実行に移す。その行為は回数を重ねるにつれて精度を増し、もっともらしくなる。
 そして、もう一つ。
 私が観察し続けたものがあった。

 人間とは文化的な生物である。そう、かつて読んだ書物に記されていた。
 私の知る限り、動物は自分と同じ身体的特徴と習慣を持つ生物を同じ種だと認める。その判別方法は、特徴的な模様や器官、体外に分泌するホルモンの匂いなど様々だ。
 生まれたばかりの動物は、自分を育てる動物を親だと認識することもある。
 そして人間の場合、その判別方法は更に複雑だ。
 人間は例え相手が人間でも、ある種の習慣の差で自分とはまるで異なる生物のように認識することがある。その場合の習慣の違いは、例えば異なる民族の間では宗教、生活習慣全般の違いであり、同じ民族の中では貧富の差であったりする。
 そしてテレビの番組や、服装のことだったりもする。
 私が観察した中で最も興味深かった事例としては、とあるテレビ番組を見ていなかったというだけで、一人の同級生が私を『信じられない人間』だと決めつけたことだ。その番組は、当時かなりの人気を得ていた俳優が主演のドラマで……おそらくクラスメイトの大半は見ていたのではないかと思う。
 彼女の意見を採用すると、約四十人いるクラスの人間は二つの人種に分けられた。
 一つはその番組を見ている、いわゆる『正常』な人間。そしてもう一つは、その番組を見ていない『異常』な人間だ。
 この二つの境界線は様々な形で引かれた。
 例えば、ある流行の服を着ている人種、着ていない人種。
 運動のできる人種、できない人種。
 勉強のできる人種、できない人種。
 生活が裕福な人種、不自由な人種……挙げればキリがない。
 ある種の限定された集団内における『人間』の地位は、これら無数の境界線の中から抜擢された幾つかに対する立ち位置から総合的に判断されることになる。例えば前述の同級生は『話題の番組を見ている人種』かつ『流行りの服を着ている人種』であり、更に『髪がストレートでない人種』『活動的で目立つ人種』『家に新車のある人種』『週に三回学習塾に行っている人種』だった。察するに、クラスの女子の中ではかなり高い地位の人間だったのだろう。外からの評価は知らないが。
 彼女とは逆に、多くの境界線に対して『そうでない人種』の側に含まれるグループがある。私も含めた『見ていない』『持っていない』『できない』『していない』人間だ。
 私達は生物学的には『人間』のはずだが、『同じ』とは認識されない。
 同じ人間ではないのだ。

 たまたま私は『勉強のできる人種』だった。それもかなり。
 私が学生生活を過ごした時代において、『勉強ができる』ということは、『服装が他人と違う』ことや『テレビや雑誌のことを全く知らない』ことを補って余りあるだけの価値があったようだ。私は週に三回塾に通っている同級生よりも勉強ができたし、自分から誰かと問題を起こすようなこともなかった。その為、私はクラスの中でも特殊な地位である『少し変わり者だけど、勉強のできる優等生』を得ることができた。

 『そうである人種』は『そうである人種』間でも衝突し、更に多くの『そうでない人種』を生み出す。私は常に彼等の生態と文化の観察を続けたが、データの数が増えるばかりで、遂にその意味は理解できなかった。
 
 ……いや。
 その後、少し理解することができた。

 意味などない。
 それが唯一の意味なのだと。

2008年08月30日 | レポート

 私は幼い頃から、愛されることが恐かった。
 恋愛や性交渉が恐かったのではない。人間社会全ての関係と行動が恐かったのだ。中でも日常生活における他者との関係、とりわけ『愛情』に関するものごとは一番の恐怖の対象だった。
 何気ない挨拶や、社交辞令、ちょっとした会話で自分が話題に上ることさえ、私にとっては苦痛だった。けなされている時のみならず、褒められている時でさえ……いや、褒められている時の方が辛かったように思う。
 私は他人が自分に好意を持っていることが信じられなかった。人の言葉には必ず裏があると考えていたし、実際、私の周囲にはそのような人間が多かった。
 自らけなされることを望んでいたわけではない。確かに人は、誰かを褒める時には心の内に複雑な打算を抱えていることが多く、けなす時は純粋に蔑むことしか考えていない。裏を探る必要がないという点では後者のほうが気が楽だ。
 ……だが苦痛であることに変わりはない。
 ならばどうすればいいのか? 
 幼き日の私は頭で考えるまでもなく、次第に誰とも関係を持たないように、そのきっかけさえ与えないように振る舞うようになっていった。
 私はある時点から、誰かに『伝える』ということをやめた。同級生は勿論のこと、教師や保護者にも何も言わなかった。私は概ね『よくできる子』だったから、やがて保護者も私には干渉しなくなった。
 私は常に一人だった。友人が必要とも思えなかったし、行事や活動にも可能な限り参加しなかった。もっとも、中学生になる頃には、余りに極端に孤立すると逆に他者の介入を招いてしまう(どうして一人にしておいてくれないのだろう?)ことを経験的に知っていたので、ある程度の繋がりは保持しておいた。
 おそらく、私の学校での印象は『物静かな目立たない子』といった所だったのだろう。何処のクラスにも一人はいる、控え目で大人しい生徒……教師の印象も悪くない……その程度のものだ。しかしその当時、私がどれほどの苦労と細心の注意を払ってその印象を作り上げたかを考えると、未だに目眩を起こしそうになる。
 私にとって一切の人間の行動は理解しがたいものだった。どうして人間は他者に関係を求め、くだらない行為を強制するのだろうか?
 私の人間に対する疑問は、その頃から始まったように思う。

 少し、私の境遇にも触れておいたほうがいいだろう。
 つい先程、私は『保護者』という言葉を使った。これは別に両親に対する拒絶や反発から生まれた表現というわけではなく、私が成人するまでの大部分を共に過ごした相手が本当の親ではなかったからだ。
 私はとある港町の小さな教会で牧師の娘として生まれた。町外れの小高い丘の上に建てられた古い教会で、ペンキの剥げかかった白い壁に蔦が絡まっていたことを覚えている。
 母は私を生んですぐに亡くなり、私は幼き日々を父と二人で過ごすことになった。しかし私には、父との生活の記憶はほとんどない。憶えているのは、昼間の教会で何人かの信者に向かって話をする父の姿。そして夜、無数の蝋燭が紅い光を揺らめかせる祭壇の光景ぐらいだ。
 それは何かの儀式だったのだろう。厳かなパイプオルガンの和音が、幾度となく同じ旋律を奏で続けている。私は祭壇へと続く通路に敷かれた紅い絨毯の中央に立ち、足元から響いてくる振動に身体をすくめているのだ。
 やがて私は不安になり、父を呼ぶ。
 祭壇に立つ父は、紅い外套を身に纏っている。そして振り返り、何も心配することはないと言う。幼き日の私に微笑みかけることもなく、父は再び祭壇に向かう……いや、これはただの夢かもしれない。
 人の記憶というものは意外とあやふやなものだ。私がまだ幼かったということを差し引いても、この記憶には不自然な点が多く見受けられる。儀式にしては人が少なすぎること、オルガン奏者の姿が見当たらないことなど……何よりも、教会で牧師が執り行う儀式の中には紅い外套を纏うものなどないはず。
 おそらく、後に見た映画のシーンなどと混同しているのだろう。演説するローマ法王の姿を見て、父親の姿を思い浮かべたことがあるように。

 私が六歳になった頃、父もまたこの世を去った。
 死因は知らない。父の死に関わると思われる記憶もない。ただ、ある時点から私のそばに父の姿はなく、私は教会から遠く離れた親戚の家に引き取られていた。
 私を引き取ったのは母の弟だった。私から見ると叔父にあたる、中規模の会社を経営する人物。妻と娘の三人で暮らしており、その中に私が加わることになった。後の私の観察例から分類すると、そこは非常によくあるパターンの、エゴイストで排他的な人間の集まる家だった。この類の人間における最大の特徴は、何の根拠もなく自分は他人よりも優れているという錯覚を抱きつつも、実際のところ自分には何一つとして優れた点などないのではないかという漠然とした不安を抱えているところだ。
 彼らは自分と同レベルの仲間を集め、集団で行動する。自分と異質な存在が現れた場合には、何とかして自分よりも低い位置にそれを置こうとする。いや、本当は仲間内でもそのようにしたいのかもしれない。だがそれは困難だ。何故なら彼らは、本当に同レベルの集まりなのだから。
 話を戻そう。
 前述したような特徴を持つ人々の家庭に放り込まれた私は、延々と父と母の悪口を聞かされた挙げ句、庭に作られたプレハブ小屋に隔離された。彼らの話には十分すぎるほどの悪意が込められてはいたが、内容的にはバリエーションに乏しく、客観性を欠いていた。
 彼らの話は概ね次のような形に集約した。
 あんな男と結婚したお前の母親は馬鹿で不幸だった。お前はあのろくでもない男の血を引いているのだ、と。
 彼らの話が何処まで本当かは知らない。母は死に、父も既にこの世にない今、父と母の関係がどのようなものだったのかなど知る由もないことだ。
 いつの頃からか自分に父の記憶が殆どないことに気づいた私は、その後もことあるごとに両親の悪口を持ち出す叔母(叔父は酒を飲まない限り無口な人間だった)から逆に父のことを聞き出そうと試みたが、それは失敗に終わった。父のことを悪く言う割には、叔母は父のことを何一つとして知らなかったのだ。ただあるとき、ふらりと現れて、母を連れて行ったらしい。叔父の知っていることもそれだけだったし、私が父について知りえたのもそれだけだった。
 私は父のことをよく考えた。
 記憶の中に幽かに残る、痩せた長身の男の姿。
 それは求める程に消えてゆく幻。
 遠くからは見えるのに、決して触れることのできない深い霧の海だった。

新カテゴリ【レポート】について

2008年08月29日 | Weblog

 この作品は、【僕達の惑星へようこそ】と世界を共有する現代小説です。
 場所も時代も異なるため、互いの物語に大きな影響を及ぼしてはいませんが、一部のキャラクターが双方に登場しています。
 週連載の予定でしたが、気楽に読めるタイプの作品ではありませんので、一度の負担が軽くなるように細かく分割して連日連載することにしました。

2008年08月29日 | レポート

 目を開くと薄汚れた天井が見えた。
 黒ずんだ天井の木目は水墨画に描かれた川のように渦巻いている。
 木目の流れを目で追いながら、私は昔、天井の木目の節が何かの眼球に見えたことを思い出した。
 身体がだるい。寝返りを打つと、シーツが直接素肌に擦れた。昨夜は何も身に纏わずに眠ってしまったらしい。
 窓を覆う緑色のカーテンの隙間から、外の光が射し込んでいる。光は揺れるカーテンの端を濃緑から淡緑へと彩り、白いシーツの上に波模様を描いている。飛行機のエンジン音が遥か彼方から響き、窓の外には蝉の声。その規則正しい音に耳を傾けていると、再び睡魔が潮の満ちるように私の周りに溢れてきた。

 どのくらいの時をこうしているのだろう。
 わずかだが蝉の声と陽射しが強くなったような気がする。部屋の中はまだ涼しいが、夏の陽射しとアスファルトの放射熱で暖められた外の空気は、カーテンを揺らして中の空気と入れ替わり始めている。
 起き上がらないと。
 私は額を床に押し当てた。シーツ越しに畳の冷たさが伝わってくる。
 起き上がらないと。
 ……起き上がらないと。
 身体が汗ばみ始めている。しかし、私は冷たい床に額を押し当てたままだ。まるで頭の中に水銀でも入っているような気分だ……有害な重金属である水銀は脳内で中毒を引き起こす。
 ……そうか、中毒か。

 起き上がらないと。
 起き上がらないと……。

 肘をついて身を起こす。
 流れる水のように髪が肌を滑り落ちる。
 頭の中の水銀が逆流する。
 私は体を強張らせ、床に爪を立てた。

   /

 私の下着は部屋の隅に脱ぎ捨てられていた。シーツを身体に巻きつけ、網戸を開けてベランダに降り、たまった洗濯物と一緒に洗濯機に放り込む。ベランダからはアパートの前を横切る未舗装の道と、太陽を浮かべる青空が見えた。夏の陽射しから逃れ、早々に部屋へと戻る。
 洗濯が終わるまでの間、私は机に向かうことにした。
 この部屋にある物は少ない。蛍光灯やカレンダー、壁の金具にかけられたハンガーなどを除けば、壊れたラジオと小さな箪笥、そして二つの机。一つは私と彼が食事の際に用いる、いわゆるちゃぶ台型のもの。もう一つは私専用の小型の机だ。畳半分くらいの大きさで、脚は椅子の必要ない高さに切り揃えてある。
 私は机の前に腰を下ろすと、引き出しからノートと筆記用具を取り出した。適当に開いたページは小さな文字でびっしりと埋め尽くされている。私は新しいページをめくり、今日の日付を書き込んだ。
 このノートにタイトルはついていない。ただ表紙の書き込みだけが、このノートの目的とナンバーを示している。
『観察日記 No.13』
 観察対象は私と彼……そして二人の関係だ。

 私の名前は花村綾菜。
 二十五才の女性で、職業は大学院生。専門は人工生命の進化様式の分析……詳しくは後に述べることになるだろうが、生物の進化を数値的にシミュレーションし、調べることだと思ってくれればいい。今は大学を離れ、とある実験を行っている。
 この部屋は実験用のフラスコだ。私はこのフラスコの中に身を横たえ、私の身にどのような変化が起こるのか、自分自身で観察している。そう言えばこの二週間、一度も部屋の外に出ていない。
 当実験の命題は、要約すると『生きるとは何か?』だ。
 ……あまりに抽象的で二流の文学作品のような印象を受けるので訂正する。
『人間は何の為に生き、何を求めるのか?』
 これも違うような気がする。
 正直なところ、自分でもこの実験にどのような結果を求めているのか、完全に理解しているわけではない。実験の過程がその目的と方向性を定めてゆく……これに期待するしかないだろう。後の人間社会を大きく発展させるきっかけとなった、偉大な発見をもたらした実験の多くがそうであったように。
 もっとも、私の実験が後の世に伝えられるほどのものとなるかどうかはわからないが。

 突然だが、今、当実験の命題の良い要約例を思いついた。
 前述の二つよりは核心に近い気がするので、ここに記しておく。

『どうして、私は他の人間と関係しなければならないのだろう?』

近況

2008年08月28日 | Weblog

 いつも当ブログにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 昨日から更新できていませんが、ブログ存続の方向で準備を進めています。
 まずは長編の現代小説を、続いて大長編のライトファンタジーを連載する予定です。
 流石に連日更新はしんどいので、週連載を予定しています。

2003年8月

2008年08月26日 | あるシナリオライターの日常

2003年8月1日

 午前6時30分、起床。海藤からメール。返信。

 午前8時~午後8時就業。
 午後8時30分、帰宅。

 金曜ロードショー『ルパン三世 お宝返却大作戦!!』を見つつ食事。
 相変わらず「なんでやねん!」と突っ込みたくなるシーン満載だが、それでこそアニメーション。原作の妙には及ばぬものの、制作陣の愛と熱意が伝わってくる作品だった。

 海藤にメール。
 午後11時50分、就寝。


2003年8月2日

 午前8時、起床。海藤からメール。

 【紅~くれない~】再構築。
 最新の情報を企画開発室にUP。
 海藤にメール。

 昼食後、図書館へ。

 午後6時、『機動戦士ガンダムSEED』を観賞。
 相変わらず説明不足。
 ただ一カット、ただひと言を挟めばすむことなのだ。それだけで俄然筋道が通り、状況把握が容易となる。にも関わらず、何故回想にばかり貴重な時間を割くのか。

 『はじめの一歩』第19巻、20巻、21巻を観賞。 


2003年8月3日

 午前0時30分、就寝。
 午前6時30分、起床。エイブル氏にメール。

 午前8時~午後8時就業。
 休憩時間中、昨日図書館から借りてきた長野まゆみ『若葉のころ』を開く。シリーズものの途中巻。迂闊なり。読書のジャンルが偏らぬようにと無作為に本棚から抜き出してきたのが裏目に出た。
 しかもゲイ小説。同性愛を扱うこと自体はどうということはないが、男性登場人物の全員がゲイというのはやりすぎではなかろうか。主人公が華道家元の孫で、同居中の従弟が茶道家。昔の恋人は写真家で、今の恋人はラグビー選手。伯父や“伯父にとっての腹違いの弟”とも関係があり、“伯父にとっての腹違いの弟”は結婚して子供もいる医師に惚れられている。設定のありえなさという点では男性向けアダルトゲーム以上ではなかろうか。
 午後8時30分、帰宅。

 『若葉のころ』を読了。
 カジマ氏にメール。

 午後11時50分、就寝。


2003年8月4日

 午前6時40分、起床。カジマ氏からメール。返信。新メンバー獲得。

 午前8時~午後8時就業。
 休憩時間中、久美沙織『グラス・キャッスル』を読む。
 午後8時30分、帰宅。

 午後11時、就寝。
 翌日午前1時まで【紅~くれない~】についてレンと協議。


2003年8月5日

 午前8時30分、起床。

 レンを駅まで送り、帰りに立ち読み。

 【紅~くれない~】過去編プロット構築。“咲耶~水影の大桜~”完成。
 企画開発室更新。
 エイブル氏からメール。返信。
 海藤にメール。
 父に質問のメール。日本における最初期の刀について。

 午後11時30分、就寝。
 【紅~くれない~】についてレンと協議。


2003年8月6日

 午前6時40分、起床。海藤、紫カジマ氏からメール。

 午前8時~午後8時就業。
 休憩時間中、久美沙織『グラス・キャッスル』を読む。
 午後8時30分、帰宅。

 父から返信。
 望月女史、カジマ氏、海藤、父にメール。


2003年8月7日

 午前6時40分、起床。海藤からメール。

 午前8時~正午就業。
 午後1時30分、帰宅。

 雑用。
 【紅~くれない~】過去編プロット構築。

 『はじめの一歩』第22巻を観賞。

 午後9時から仮眠。
 午後11時、再起動。


2003年8月8日

 午前1時、就寝。
 午前6時40分、起床。

 午前8時~午後8時就業。
 休憩時間中、久美沙織『グラス・キャッスル』を読む。
 午後8時30分、帰宅。

 【紅~くれない~】過去編プロット構築。
 海藤にメール。


2003年8月9日

 午前0時30分、就寝。
 午前6時、風音に起こされる。海藤からメール。返信。

 【紅~くれない~】過去編プロット構築。“静司~解放の鍵~”完成。
 海藤にメール。

 『はじめの一歩』第23、24、25巻を観賞。

 【紅~くれない~】簡易マップ完成。


2003年8月10日

 午前0時30分、就寝。
 午前6時30分、起床。

 午前8時~午後8時就業。
 休憩時間中、久美沙織『グラス・キャッスル』を読む。
 午後8時30分、帰宅。

 海藤からメール。返信。


2003/8/11

 午前0時40分、就寝。
 午前6時30分、起床。朝風呂。
 海藤からメール。

 午前8時~午後8時就業。
 休憩時間中、久美沙織『グラス・キャッスル』読了。
 午後8時30分、帰宅。

 ビジュアルアーツから連絡。リベンジならず。
 海藤にメール。

 『聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編』第五巻観賞。
 企画開発室に2ch型掲示板を設置するも作動せず。原因不明のまま挫折。


2003/8/12

 午前1時30分、就寝。
 午前6時30分、起床。ビジュアルアーツにメール。

 午前8時~午後8時就業。
 休憩時間中、須賀しのぶ『女子高サバイバル』を読む。
 午後8時30分、帰宅。

 『聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編』第六巻、第七巻観賞。
 相変わらず強さの定義がデタラメである。黄金聖闘士三人がかりで瞬殺されてしまう相手に、何故青銅聖闘士の攻撃が通用するのか。
 それ以前に、黄金聖闘士が三人揃っているのだからビック・バンのエネルギーにも匹敵するというアテナ・エクスクラメーションを使えば良いではないか。既に一度禁を破っているのだから。

 企画開発室にスレッド型掲示板を設置するも作動せず。原因究明は後回し。


2003/8/13

 午前0時10分、就寝。
 午前6時40分、起床。

 午前8時~正午就業。
 休憩時間中、須賀しのぶ『女子高サバイバル』読了。
 午後0時40分、帰宅。

 企画開発室にスレッド型掲示板を設置。
 『LOVERS~恋に落ちたら~』体験版をプレイ。随所に挿入されるアニメーション。圧倒的なカット数。時間と資金をかけているだけのことはある。売れるであろうことも予測できる。
 が、無駄が多い。その他多くのパソコンゲームと同じくテキストは冗長であるし、カットしても差し支えないシーンが多数。これでは一人で満漢全席を食するようなものだ。しかも雅楽演奏と舞、クドクドと薀蓄をたれる自称美食家つき。せめて静かな場所で、自分の食べたいように食べさせてくれたなら、味わう余裕も生まれるのだろうけれど。

 午後10時、就寝。


2003/8/14

 午前4時、起床。

 【紅~くれない~】背景リスト、イベントCGリスト作成。
 望月女史、谷村女史にメール。
 ブランド名称考案。
 文章表示システム構築。

 『君が望む永遠』をプレイ。
 これまで幾度となく感じたことだが、何故こうも無駄が多いのか。確かに美麗なエフェクトだ。心情を的確に表現している箇所もある。がしかし、大部分は邪魔なだけではないか。
 制作サイドに立ったことのある人間として、あれもしたい、これもしたいという思いは理解できる。だがしかし、結果的にユーザーの時間的・心理的負担を増すようでは本末転倒ではないのか。

 『天使な小生意気』第13巻を観賞。 


2003/8/15

 海藤からメール。返信。
 午前2時、就寝。

 午前8時、起床。
 TV版『甲殻機動隊』第6巻を観賞。

 【紅~くれない~】BGMリスト作成。
 ファイル管理作業。
 プロット構築。
 企画開発室大幅更新。

 午後11時30分、就寝。


2003/8/16

 午前6時、起床。
 海藤からメール。返信。
 【紅~くれない~】プロット構築。

 産婦人科へ。1200グラム。性別は未だ不明。

 帰省。

 望月女史、海藤他複数の友人に電話。

 午後10時、就寝。


2003/8/17

 午前6時、起床。
 朝の散歩。レンと共に北野天満宮へ。牛の像の額を撫で、おなかを撫でる。

 【紅~くれない~】プロット構築。
 午前10時、海藤来訪。
 真樹ルート完成。

 正午、山本来訪。四人で友人のうどん屋へ。

 午後3時20分、帰宅。
 エイブル氏にメール。数分後、氏から返信。

 『君が望む永遠』をプレイ。茜妊娠エンド。
 主人公は相変わらず鬱陶しいことこの上ないが、ストーリーの運び方は見事。

 午後11時50分、就寝。


2003/8/18

 午前7時30分、起床。
 海藤からメール。返信。

 午前9時~午後8時就業。
 休憩時間中、山田正紀『地球・精神分析記録』を読む。
 午後8時30分、帰宅。

 【紅~くれない~】における刑事高橋の役割について解説。

 午後11時30分、就寝。


2003年8月19日

 午前7時、起床。
 海藤からメール。返信。

 午前9時~午後8時就業。
 休憩時間中、山田正紀『地球・精神分析記録』を読む。
 午後8時30分、帰宅。

 望月女史から久々の連絡。ADSL開通。
 ブランド名は【律-rhythm-】に仮決定。

 午後11時30分、ブラックアウト。


2003年8月20日

 午前1時、再起動。明日の準備をし再就寝。
 午前5時30分、起床。
 海藤からメール。返信。

 主人公は必ずしも物語の中心人物ではない。すべてが主人公の肩にかかってくるとは限らない。なんでもかんでも主人公が解決してしまうというのは単なるご都合主義だ。まして、多くの人々の想いが絡み合う物語の場合、主人公による一刀両断は読者に不快感すら与えかねない。
 結局はおまえか。生殺与奪の権利でも持っているのか、と。
 主人公とは視点である。その物語を最も効果的に「見せる」ことのできる存在が主人公の資格を持つ。多くの場合、それが当事者であるというだけの話なのだ。

 【紅~くれない~】プロット構築。ゆかりルート完成。

 午前9時~午後8時就業。
 休憩時間中、山田正紀『地球・精神分析記録』を読む。
 午後8時30分、帰宅。

 ブランドロゴデザイン。基本形完成。


2003年8月21日

 午前1時、就寝。
 午前7時、起床。海藤からメール。返信。

 『君が望む永遠』をプレイ。茜昏睡エンド。

 午後1時~午後8時就業。
 午後9時、帰宅。

 午後11時50分、就寝。


2003年8月22日

 午前6時40分、起床。海藤からメール。返信。

 午前8時~午後8時就業。
 午後8時30分、帰宅。

 海藤からメール。返信。


2003年8月23日

 【紅~くれない~】についてレンと協議。
 午前2時、就寝。
 午前9時、起床。

 【紅~くれない~】プロット構築。つかさルート完成。
 海藤にメール。

 『君が望む永遠』をプレイ。遙隠し妻エンド、茜エンド。

 『ロード・オブ・ザ・リング』を観賞。
 30分を越えるエンディングスタッフロールに苦笑。


2003年8月24日

 午前0時40分、就寝。
 午前6時40分、起床。海藤からメール。
 同人サークルにおける膿出し作業。

 午前8時~午後8時就業。
 午後8時30分、帰宅。

 『発掘! あるある大辞典』を見つつ食事。

 膿出し続行。
 海藤にメール。


2003年8月25日

 午前0時10分、就寝。
 午前6時40分、起床。膿出し完了。

 午前9時~午後8時就業。
 午後8時30分、帰宅。

 海藤からメール。返信。

 午後11時50分、就寝。


2003年8月26日

 午前6時40分、起床。

 午前8時~午後8時就業。
 午後8時30分、帰宅。

 海藤からメール。一向に決着のつく気配がないことに痺れを切らし、レンが代わりに返信。
 友人という関係は、時に厄介なものである。これ以上は時間の無駄にしかならないとわかっていることにも、いちいち言葉を返してしまう。付き合いが長ければ長いほど見切りをつけることは難しい。ダラダラと応答を続けることが相手のためになるとは思えないけれど、何も伝えずに「わかった、もういいよ」と捨て置くことがプラスになるともまた思えないのである。そうして私は今日もまた、いつ届くとも知れぬ言葉を吐き続けるのだ。

 かつて私は、登校拒否状態に陥った親友のもとに毎朝通い詰めたことがある。最初の頃、彼は起きてこなかった。やがて時折顔を見せるようになり、少しずつ話をするようになり、教師の訪問にも応じるようになった。
 ようやく登校したと思ったら、また一ヶ月ほど家に閉じこもった。その周期が半月、一週間と短くなっていき、毎日へと到達するまでに一年近くの月日を費やした。
 私が担った役割は、決して小さくはなかっただろう。しかし何よりも、彼自身の「変わろう」とする強い意志なくして彼の回復はありえなかった。

 自分を認めてほしい。それは誰もが抱く願望であると思う。
 悪いことではない。認められる自分になろうとすることは自己の成長を促し、達成の暁には大きな喜びをもたらしてくれる。しかし現在の自分を認めさせようとすることは、自己の成長を著しく阻害するばかりか、却って相手に不快感を与えてしまう。
 認められないということは、その相手にとって、少なくとも現在の自分は無価値な存在であるということだ。ひとたび無価値と判断された人間が如何に御託を並べようとも、妥協案を持ちかけようとも、相手は聞く耳を持ちはしない。自らを変えることと妥協とは根本的に違うのである。
 一朝一夕でできることではないだろう。しかし、すぐには変わることができないまでも、自ら変わろうとする意志を示して初めて、相手は未来の自分、その可能性との対話に応じてくれるのである。

 午後11時、就寝。

2003年8月26日

2008年08月26日 | あるシナリオライターの日常

 午前6時40分、起床。

 午前8時~午後8時就業。
 午後8時30分、帰宅。

 海藤からメール。一向に決着のつく気配がないことに痺れを切らし、レンが代わりに返信。
 友人という関係は、時に厄介なものである。これ以上は時間の無駄にしかならないとわかっていることにも、いちいち言葉を返してしまう。付き合いが長ければ長いほど見切りをつけることは難しい。ダラダラと応答を続けることが相手のためになるとは思えないけれど、何も伝えずに「わかった、もういいよ」と捨て置くことがプラスになるともまた思えないのである。そうして私は今日もまた、いつ届くとも知れぬ言葉を吐き続けるのだ。

 かつて私は、登校拒否状態に陥った親友のもとに毎朝通い詰めたことがある。最初の頃、彼は起きてこなかった。やがて時折顔を見せるようになり、少しずつ話をするようになり、教師の訪問にも応じるようになった。
 ようやく登校したと思ったら、また一ヶ月ほど家に閉じこもった。その周期が半月、一週間と短くなっていき、毎日へと到達するまでに一年近くの月日を費やした。
 私が担った役割は、決して小さくはなかっただろう。しかし何よりも、彼自身の「変わろう」とする強い意志なくして彼の回復はありえなかった。

 自分を認めてほしい。それは誰もが抱く願望であると思う。
 悪いことではない。認められる自分になろうとすることは自己の成長を促し、達成の暁には大きな喜びをもたらしてくれる。しかし現在の自分を認めさせようとすることは、自己の成長を著しく阻害するばかりか、却って相手に不快感を与えてしまう。
 認められないということは、その相手にとって、少なくとも現在の自分は無価値な存在であるということだ。ひとたび無価値と判断された人間が如何に御託を並べようとも、妥協案を持ちかけようとも、相手は聞く耳を持ちはしない。自らを変えることと妥協とは根本的に違うのである。
 一朝一夕でできることではないだろう。しかし、すぐには変わることができないまでも、自ら変わろうとする意志を示して初めて、相手は未来の自分、その可能性との対話に応じてくれるのである。

 午後11時、就寝。

小説を書く、ということ -インデックス-

2008年08月24日 | 小説を書く、ということ


 第1回 …… あらすじ
 第2回 …… 登場人物の名前
 第3回 …… あらすじとテーマ
 第4回 …… 発信と交流①
 第5回 …… 発信と交流②
 第6回 …… 発信と交流③
 第7回 …… ビギナーズ・ラック①
 第8回 …… ビギナーズ・ラック②
 第9回 …… 想像力と創造力①
 第10回 …… 想像力と創造力②
 第11回 …… ファンタジー小説の難しさ①
 第12回 …… ファンタジー小説の難しさ②
        次回予告
 第13回 …… 文章の推敲と校正
        補足

 番外編① メール
 番外編② チャット