森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

2002年12月16日

2007年12月16日 | あるシナリオライターの日常

 午前1時50分、力尽きる。
 午前8時30分、起床。

 午前10時30分、出社。

 自分が何を求めて仕事をしているのか。
 誰一人欠けても成り立たないほどに小さな会社では、各自それを明確にする必要があるだろう。
 金。経験。生きがい。居場所。別に何でもいい。違っていてもかまわない。
 ただ、それを手に入れるためにはどうすればいいか。真剣に考え、話し合えば、すべきことはおのずと見えてくるはずだ。

 希望を持たなければ絶望することもない。
 しかしそれでは、あまりに虚しいではないか。

 午後3時頃、2回目の追加発注。
 この調子で伸びてくれればよいのだが。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 『スーパーテレビ』を見つつ食事。
 久々に夢を買ってみるか。

 午後11時20分、望月女史からメール。
 少しずつ、だが着実に、輪は広がってゆく。

 午前0時、就寝。

第四話 「青年と少女が宇宙の旅に出る話」 2

2007年12月16日 | 僕達の惑星へようこそ

 AM.11:27

 カナはベッド脇の小さな机の上に置いてある缶ジュースを取ろうとして、缶を取り落とした。
 絨毯の上に落下し、不規則なバウンドをして中身が流れ出す。
 カナは慌てて缶を拾ったが、既にかなりの量が流れ出てしまっていた。カナはこれはシミになるかもしれないなと思い、男の方を見た。
 幸い、男は相変わらずテレビに集中し、缶のことには気がついていないようだった。
 カナはみっともない所を見られなくて良かったと思い、缶を机の上に戻すと指についたジュースを舐めた。
 ……疲れた。
 カナは心の中で呟き、ベッドに横たわって天井を見上げた。
 白いカナの肢体が映っている。カナは天井が鏡張りであることに初めて気がついた。カナの白く滑らかな腰の付け根を、引っ掻いたような鏡の傷が通っている。
「ずっと下向いてたからなあ……」
 男とのセックスは、ある意味非常に楽なものだった。カナはまったく動かなくていいのだから。男はカナをうつ伏せにさせた後、カナの肩と後頭部を押さえつける形で被い被さると、前戯も何もなくいきなり挿入し、後はただひたすらピストン運動を繰り返した。
 ……本当に、ただひたすらに繰り返した。
 男の動きにはまるで変化というものがなく、メトロノームか何かがついているかのように規則正しかった。おまけにそれが延々と続くのだ。
 物事は機械のように繰り返せばいいというものではない。特に女性の体から快感を引き出すには、それなりの複雑な手続きが必要だ。擦っていれば勝手に終わる男とはわけが違うのだ。
 しかし男の動きは正確なくせに非常にもたもたしており、一回の挿入で引き出されかけた快感は、次の動きの前に水がこぼれるように消えてしまい、更なる快感へと発展することはなかった。
 別にこの男と楽しみたい気持ちがあるのではない。自分の体がまるで快感を覚えず、この行為をビジネスと割り切れたらどんなにいいだろう?
 逆に、男が凄いテクニシャンで、為す術もなく感じさせられてしまうというのも、まあ『退廃的』でいい。少なくとも、快感とも苦痛とも言えない中途半端な感覚を延々と与えられるよりは……。
 カナはどうにかしてまったく感じないか、それともそれなりの快感を得られる体勢を見つけようとした。しかし男はがっちりとカナの肩と腰を押さえつけ、カナが動くことを許さなかった。男の動きから得られるものは、カナの中のバロメーターで常に『苦痛』と『変な感じ』の中間を指していて、どちらにも移動しようとはしなかった。
 カナは頭がおかしくなりそうだった。まるで下半身をネバネバしたぬるま湯に浸されているようだ……熱く心地よいお湯でもなく、自分の体温が感じられる水でもない、ただひたすらに気持ち悪いぬるま湯……それは氷水よりもカナから体温を奪っていき、言いようのない不快感をこびりつかせた。
 カナは泣き叫んで男から離れたい衝動にかられたが、男は腰の動きを変えることなく、凄い力でカナを押さえつけている。
 カナは嗚咽をもらしそうになったが、声を出して感じているように思われるのも絶対に嫌なので、必死になって耐え続けた。
 男は最後までまったくリズムを変えることなく腰を動かし続けた。
 永久に続くかと思われた地獄のような不快感をひたすらに耐えていたカナは、男が射精した後にもカナの体を離さなかったので、遂に気が狂いそうになった。そして男の力が弛んだ一瞬の隙をついて脇腹に肘打ちを食らわせ、何とか脱出に成功した。
 知らず知らずの内に涙がこびりついた目で男を睨みつけると、男は淡々とコンドームの処理をしていた。永久に続きそうなピストン運動の摩擦でコンドームが破れてしまうという悪夢を見ていたカナは、男のコンドームが正常だったのを見て息をついた。

 何の準備もなく挿入されたせいで、膣が炎症でも起こしているように痛む。
 カナは男がもう一度やると言ったら男を殺してでもこの部屋を出る気でいたが、男は相変わらず情欲の欠片もない目でカナをチラリと見ると、そのままカナに背を向けてベッドを降りた。
 ベッドの端に移動して枕元の置き時計をつかみ、いつでも男に投げつけられるように身構えていたカナは、男が服を着始めたので緊張を解いてベッドの上に横たわった。
 これでもし、男がカナに笑いながら「気持ち良かったか?」とでも尋ねていたなら、カナは男を本当に殺してしまっていただろう。カナはクミも言う通り、非常にプライドが高いのだ。それを守る為なら何でもするだろう。カナはそう自覚していた。
 しかし男は何も言わず、知らずに一命を取り留めた。
 男は椅子に座ってテレビのスイッチをつけた。
 カナはぼんやりと画面を眺めていたが、やがて自分を抱き締めるように体を折り曲げた。

 AM.11:30

 カナは天井に映る自分の体を眺めていた。
 窓から細く射し込んだ光はカナの張りのある左の乳房にかかり、その白い肌を更に白く輝かせている。すっきりと浮かび上がった鎖骨から腹部への流れを眺めながら、カナはぼんやりと考えていた。
 あの男は、一体何なのだろう?
 最悪なセックス……カナは十数回目の同じ結論を下した。
 確かに彼とは行きずりの関係でしかないし、愛情のこもった繊細な……満足できるセックスを望むことは最初から間違っている。終わればそれっきりで問題はない。
 あの言い知れぬ不快感は、まだべったりとカナの体の内側にこびりついていた。まるでガン細胞のようにじわじわと繁殖し、体を侵食してゆくような気がする。
 ……何が気持ち悪かったのだろう?
 カナはさっきからこの疑問の答えを探していた。その時、男の見ているテレビから「お前なんか人間じゃない」との台詞が飛び出し、カナに答えを与えた。
 そう、男はカナのことを人間として扱っていなかったのだ。
 今までにも、カナをただ単に性欲の対象としてしか見なかった者は多い。彼等は滅多にありつけないご馳走のようにカナの若い体に飛びついた。時にはその欲求が暴走し、乱暴な行為に走らせることもあったが、そういった客はむしろカナとしては扱いやすかった。買い手の欲望が大きいければ、売り手であるカナは精神的優位に立ちやすいからだ。
 相手がカナの体を求めれば求めるほど、カナの商品としての価値は上がり、相手の欲望をコントロールすることは容易くなる。
 しかし、この男はカナの存在そのものを否定した。彼はカナの人格を否定し、一個の人間として自分と交流することを拒絶した。
 ……つまり彼は、私のことをダッチワイフか何かのように扱ったわけだ……。
 カナはそう結論づけ、同時に激しい憤りを感じた。
 カナは、セックスというものは皮膚の擦りあいではなく『交流』の一形態だと考えている。勿論、客とカナとの間には金の取引が横たわっているが、それでもカナは客との交流を大切にしてきたつもりだった。
 実際、ことが終わったらさっさと帰ってしまう同業者が多い中で、カナはおじさん達の世間話や愚痴を辛抱強く聞くという、彼等の家族でさえ行っていない崇高な行為をサービスとして提供していた。
 人生に疲れたおじさん達は、十七歳の可憐な天使が自分の話を熱心に聞き、しかも時折「それは大変ですね」とか「がんばって下さいね」などという言葉を与えてくれるというだけで、規定の料金の何倍もの金を当然のごとく支払ってくれた。
 カナは冷静な実業家ではあったが、常に計算で動いているわけでもない。彼女は話を聞いて自分が大変だなと思うから「大変ですね」と声をかけているだけなのだ。相槌を打つことに金がかかるわけでもなく、大した時間の浪費になるわけでもないのだから、幾らサービスしてもかまわない。その考え方が、カナを実業家として成功させていた。

 ふつふつと湧き上がってきた怒りは、しかしそれ以上の疑問によって打ち消された。
 ……でも、何でそんなことするんだろう? それで気持ちいいのかな?
 ダッチワイフを人間に近づけるというのなら……まだわからなくもない。しかしその逆をして何の意味があるのだろう?
 勿論、無反応のマグロでも人形よりは気持ちいいだろうとの自信はある。でも、折角こうして生身の人間とセックスできるのだから、どうせだったら人間らしい反応を楽しむベきではないだろうか?
 少なくとも自分が男だったらそうするだろうな、とカナは考えた。
「……ねえ」
 男はカナが声をかけてきたことに驚いたのか、痙攣したような動作で振り返った。
「ねえ、どうしてこんな朝早くからこんなことしてるの?」
 カナは昨夜から抱いていた疑問を口にしてみた。すると男は、何だそんなことかといった嫌そうな表情をし、無言のままテレビの方に目を戻した。
 テレビでは昼のニュース番組をやっていたが、男は特に熱心に見ているわけでもなく、時間潰しでもするように大きな冊子を見ている……それは全国の鉄道の時刻表だった。
 どうやら彼は、本当に帰りの電車の時間までの時間を潰しているようだ。
 彼は小さな声で昼過ぎの列車で帰るんだと言った。
 カナはせっかく女の子と一緒にいるのだから、もっと有意義な時間の過ごし方があるのではないかと思ったが、男はもうカナには何の興味も示さず、自分一人の世界に閉じ籠ってしまった。

 テレビではニュースが流れ続けていたが、不意に画面が切り替わり、アメリカで起きた事件の速報に変わった。
 それはとあるアメリカの地方都市の更に外れの荒野で、ある男が爆死したという事件だった。話によると、その男は勤め先の軍需施設から爆薬を盗み出し、荒野に積み上げて、その中に立てこもったらしい。
 男は全国のあらゆる所に自分の考えを書いた手紙を出し、集まったマスコミと軍と野次馬の前で演説を行ってから、積み上げた爆薬を銃で撃ち抜いた。その爆発は、男を中心として半径数百メートルを吹き飛ばしたという。
 幸いなことに、集まっていた者は皆、男の忠告に従って遥か彼方に逃げていたので、野次馬とマスコミと軍の関係者の鼓膜が破れかけたことを除けば、被害は数キロ離れた町の老婆が爆発の音に驚き、椅子から落ちて腰を痛めたくらいだった。
 凄まじく派手で大がかりで……その割に被害の小さな自殺だ、と解説者は語る。
 だが、それは被害の範囲を人間とその従属物に限定した場合の話だ。現地のレポーターも解説者も、一瞬にして命を奪われたであろう荒野の植物や小動物については、一切触れていなかった。
 騒動の中心となった人物は、軍需施設で長年に渡り爆薬の製造と管理を行ってきたという四十代の独身男性だった。
 男の最後の演説を要約するとこうだ。
「私は長年爆薬を扱う仕事をしてきたが、これ以上自分の造った爆弾で人が死ぬのは耐えられない。だからここで爆薬を処理して自分も死ぬ」
 そして最後にこう言った。

「全ての人々に愛と平和がもたらされることを! 戦争のない世界が実現することを私は願う!」

 その後レポーターは、男は非常に物静かで同僚と話をすることも少なかったこと、誰も彼が何を考えているのか知らなかったこと、女性との浮いた話もまったくなかったこと……そして男の部屋から世界中の紛争や対立に関する雑誌や新聞記事の切り抜きが見つかったことを伝えていた。
 やがて生中継で画面に映し出されたのは、唾を飛ばしながら喚き散らしている軍需施設の最高責任者だった。
 彼の話の内容はこうだ。
「誰が爆弾で死のうが知ったことか! もっと軍は爆弾を落とすべきなんだ。そうしないと在庫が処分できんではないか! 理由なんかどうでもいいんだよ、爆弾を落とせればそれでいいんだ! どうせ死ぬのは知らない下等民族どもなんだからな!」
 それからしばらくの間、画面には花畑の映像と『しばらくお待ち下さい』の文字が流れることになった。
「何でそんなことしたのかな……抗議なら、他に方法は幾らでもあるのに……」
 カナは首をかしげて呟いた。
「大体どうしてそんなこと、そのおじさんがしなくちゃいけないんだろう?」
「……やるしかなかったんだ。彼にはそうするしかなかった」
 返事を期待していたわけではなかったカナは、男がいきなり反応したので驚いて起き上がった。男はテレビから目を離すことなくじっとたたずんでいる。
「……どうして?」
 カナは質問した。出会ってから初めて、彼と『会話』ができるかもしれないと思ったのだ。
「どうして彼はこんなことをしたんだと思うの?」
「……多分……本当に世界の平和を望んでたんだろう……」
「どうして?」
「彼は……人を愛してたんだ」
「……どうして?」
 カナは同じ質問を繰り返した。
「どうして、この人がそんなことを思ってたってわかるの? この人は今までほとんど人付き合いをしたことがなかったって言ってたじゃない。もしかしたら、本当は人を殺したいと思ってた可能性だって」
「彼はどうすればいいかわからなかったんだ……ずっと」
 男が呟く。その声は今までの中で最も掠れた小さな声だったが、不思議と胸に響くものがあった。それから男は信じられない台詞を……少なくともカナはこの男が言うことは絶対にないと思っていた台詞を吐いた。
「結局、人は独りでは生きられないんだ……誰かと関係しないと生きていけないんだ」
 カナは驚いていた。いきなり目の前に宇宙人が現れて「やあ、あそこのコンビニのパンって美味しいよね」と言われたくらいに驚いていた。
 つまりこんな例えを思いついてしまうほど、カナは驚き、混乱したのだ。
 カナの視線に含まれた驚愕と懐疑を感じ取ったのか、男は初めてカナの目を見た。
 男の目は大きく見開かれ……まるで初めてカナという存在に気づいたようだった。男の手が震え、ビニール製の安っぽいソファーの肘置きに爪が突き刺さった。
「……僕が悪いんじゃない……」
 男の声に込められていた感情は、一瞬にして爆発した。
「僕が変なんじゃないんだ! この世界が変なんだ。皆、嘘つきで傲慢で……気持ちの悪い奴らばかりなんだ。大体お前は何だ!」
 カナはどうして男が叫び出したのかわからなかった。そもそも、カナはテレビの男について喋っていたはずなのだ。
 男は立ち上がってカナを睨みつけた。
「体なんか売って、そんなことが許されると思っているのか!」
 買ったのは自分じゃないか。そう思った途端、男の両手が迫り、カナはベッドの上に押し倒された。
 喉が押し潰され、気道を通る空気が奇妙な音をたてる。
 ぼやけた視界の中で、男の頬の傷が奇妙に赤く浮かび上がっている。
 カナは震える指先で男の腕を掻き毟った。だが男の力は想像以上に強く、指は今にも皮膚を突き破りそうな程にきつく食い込んでいる。
「体を売るなんて最低だ! そんなことで愛なんか得られるものか……お前らのような奴がいるからこの国は悪くなったんだ!」
 男は泣き叫んだ。
 涙を流していたわけではない。だが男は、間違いなく『泣いて』いた。
「人と人はもっと深く結びつくべきなんだ! お互いがお互いを愛し合い、傷つけることなどあってはいけないんだ! お互いを信頼し合い、裏切るようなことは起こってはいけないんだ……世界には愛が必要なんだ!」
 彼の最後の言葉は、『世界』ではなく『僕』と置き換えても良かったかもしれない。
 しかしカナは、男の言葉など聞いてはいなかった。

 男は腹部に衝撃を感じ、カナの喉を離して腹を押さえ、床に這いつくばった。胃液を吐き出しながら何度も床を叩き、やっとの思いで顔を上げる。
 そこにはベッドの上に立つ少女の姿があった。両の瞳に怒りの炎を宿し、自分を見下ろしている。
 少女は一糸纏わぬ姿だったが、男の目には神々しくすら見えた。この少女なら自分を救ってくれるんじゃないか……そう考えた。
 しかし、カナにそれを期待するには、気づくのがあまりにも遅過ぎた。

「貴方が私を買ったんでしょう!? さっさと金を払って帰りなさい!」
 少女の唇の隙間から、天啓のごとき言葉が放たれた。

 AM.11:45

 カナは床に這いつくばった男が立ち上がるのを見つめていた。
 男は燃え尽きたような表情でコートを纏い、財布を取り出し中からまとめて紙幣を引っ張り出した。そしてそれが何枚なのか確かめようともせず、全部をカナの足下に放り投げた。
 男は地獄行きの判決を下された亡者のような足取りで部屋を去った。

 部屋を出る時、男は振り返って呟いた。
「お前なんか嫌いだ……死んじまえ……」
 と。

 部屋を出た男は何故かエレベーターを使わず、狭い非常階段を使って下に降りようとして途中で足を滑らせ、一階まで転げ落ちた。
 男はボロボロになったコートを気にすることもなく、掠れる声で呟いていた。
「……僕は君のことが怖いんだ……」

 AM.11:46

 カナはシーツの中で自分の体を抱き締めていた。
 乳房のやわらかな感触と、皮膚の下の細い骨が感じられた。
 カナは誰かに抱き締めてキスして欲しかった。本当にカナのことを理解してくれる誰かに……抱き締めて欲しかった。
 カナは男から声をかけられることが多かった。数人の男性とは付き合った経験もある。その関係は肉体関係にまで発展することもあったし、プラトニックなものもあった。ただ全てが同じような終わり方をした。
 男は皆、大体一ヶ月くらいでこう言った。そんな女だとは思わなかった……と。
 そして大抵、その直後にカナのもとを去って行った。
 かつて、クミに言われたことがある。
「確かに、貴女を理解できる男がいたとしたら、それはかなりの変わり者でしょうね」
 いつでも憎まれ口を叩く背の高い親友を思って、カナは少し微笑んだ。クミは自分が同情されていると思っているようだが、それは違う。
 クミがいなかったらどうなってしまうだろう? 彼女との友情を心の支えにしているのは自分も同じだ。
 だがその時、クミの言葉を思い出し、カナは更にきつく自分の体を抱き締めた。

 ───貴女にとっては恋愛だって束縛なんでしょうね───

 それは違う、とカナは思った。
 カナには誰かが必要だった。
 それはありのままのカナを抱き締めてくれる者でなければならなかった。カナは可愛いだけの御人形になるつもりはなかった。
 カナはベッドの中で考えた。
 こういう気分を『孤独』と言うのだろうな……と。

 AM.11:58

 カナは服を着ると部屋を出た。追加料金を取られたくなかったのだ。
 カナはいつまでも落ち込んでいるのはやめにしようと考え、それから週明けに数学のテストがあることを思い出した。
 空は綺麗に晴れていた。
 カナは気分直しに別の男のことを考え始めた。予備校でいつも窓際の席に座って外を眺めている、少し年上の男のことだ。
 カナは彼の何処か寂しそうな目が好きだった。いつも窓から何を見つめているのか知りたいと思っていた。
 半年程前、街で知り合ったリョウという男に紹介されて、カナは彼と知り合った。相手もどうやらカナのことは予備校で知っていたようだった。
 リョウは彼を呼んでカナの『ビジネス』のことを話した。カナはどうしてそんなことを言うんだとリョウを怒ったが、彼は少し黙ってから「それは凄い」と呟いた。それは興味本意な言い方ではなく、カナのことを軽蔑したようでもなかった。彼はカナのことを、本当に『凄い』と思ったようだった。
 その後、彼と親しくなればなるほどに、カナは彼の知識の広さと深さに驚かされた。彼はまた、繊細な感受性と鋭い洞察力を持っていた。ただ残念なことに、その繊細さに邪魔をされて、十分に能力を発揮できていないように感じられた。
「まあ、あんな変わった人を理解できるのは、やっぱり相当の変わり者だってことよね」
 呟いて、カナは少し意地悪く笑った。
 クミは性懲りもなく、今度はリョウのことを気に入っているらしい。
 確かにカナもリョウのカリスマは凄いと思っていた。彼に『ビジネス』のことを勝手に話したことを除けば、自分のことを見下さずに対等な関係を持ってくれているリョウのことを、必要以上に嫌う理由はない。
 しかしカナは、リョウとこれ以上の関係になるつもりはなかった。何と言うか……根本的な所で、リョウがカナに対して敵意を抱いているような気がするのだ。
 それにリョウは、仲間と共に夜の街で好き放題に暴れている。そしてカナは、彼がリョウの仲間に引き込まれていることを知っていた。
 できることなら、カナは彼がそんなことをするのをやめて欲しいと思っていた。
 しかし、そうなるとリョウと対立することになるかもしれない。流石のカナも、あのリョウと敵対するのは危険だろうなと考えざるをえなかった。

 カナは背伸びをして嫌な感じを振り払い、光に満ちた街に一歩目の足を踏み出した。
 こんなにいい天気なのだ。もしかしたら思いがけない出会いが待っているかもしれないじゃないか……。
「エンタープライス号、発進~!」
 カナは子供っぽく呟いた。