森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

第三話「カカシとセルロイドの美女とライオンがメリーゴーラウンドの中で踊る話」 4

2007年12月11日 | 僕達の惑星へようこそ

「君がこの国に戻っているとは知らなかったよ」
 大音響の中、カウボーイはドロシーの耳に口を寄せて囁いた。
「ところでさっきの子は誰だい? ……君の新しい恋人かい?」
「そんなところね。どう評価する? バート」
「悪くはないね。でも今のままじゃダメだ。ものにはならないよ」
「昔の貴方に似てるわ」
「おいおい、冗談だろ?」
 カウボーイは勘弁してくれといった顔をしたが、すぐに笑って言った。
「個人的には、あの可愛い子猫ちゃんの方が気に入ったな。あれは大物だ」
「カナのこと? ……ま、それは認めるけど。バート、貴方の趣味も変わらないわね」
「わかってないね、引っ掻かれるくらいがいいんだよ」
「……パールの様子はどう?」
 ドロシーの問いに、カウボーイの顔から笑みが消えた。
「……良いとは言えないね。相変わらず境界線を彷徨ってる」
「そう……」
 ドロシーは悲しげに目を伏せた。
「踊ろうか? せっかく『K』もいるんだから」
 カウボーイが元気づけるように言った。

「リョウ……盛り上がってるな、フロア」
 リョウとフロアを交互に見つめながら、ジンは呟いた。
「行きたいんだったら勝手に行けよ」
 リョウは誰もいなくなったカウンターで椅子に腰かけていた。フロアに人が移動したので、ウェイターさえいない。
「何だよ、あいつらも根性ねえよな?」 
 ジンは大袈裟に手を振って言った。リョウのそばにはジン以外に仲間はおらず、皆フロアで踊っている。ジンは更に大袈裟に喚いていたが、リョウが無関心なので少し離れた席に座った。
「言いたくはねえけど、今日のリョウ、少しおかしいぜ?」
「……黙っていろ」
 ジンはこれ以上の刺激は危険だと思い、飲み物を探しにカウンターの中に入った。
 リョウは取り出したナイフを手の中で弄んでいたが、何かの弾みで留め金が外れ、飛び出した刃に指が少し傷ついた。
「…………絶対に許さねえ」
 リョウは指の血を舐めると、ナイフをカウンターに突き立てた。

「くだらない……」
「何がくだらないんです? えっと……」
「……パール」
 セルロイドの美女は、下から睨むようにして僕を見つめた。
 顔にかかった青い髪が白い肌に影を落とし、大きな瞳は金色のアイシャドウに囲まれている。遠くから見た時はわからなかったが、左目には緑色のカラーコンタクトが填められており、何となくワニの瞳のような印象を僕に与えた。
「名前はパールよ。ここではね」
 セルロイドの美女……いやパールは、少し掠れた小さな声で呟いた。
「パール……さん、何がくだらないんです?」
 僕は彼女の言わんとすることを何もつかめないまま尋ねた。
「貴方のすべての行動がよ。何もかもね」
 パールはフロアの方に目をやった。
「別にあんな男を庇うことはないのよ」
「カウボーイのこと?」
 僕は彼女の目線を追いながら尋ねた。
「そうよ。あの男は最悪よ、いつも偉そうなことばかり言って……実際には、そんなこと何も信じちゃいないのに……くだらない」
 パールは何処からか取り出した小さな容器を軽く振り、中身を手のひらの上に出した。それは大量の星形の錠剤だった。
 これについては少し知っている。最近頻繁に出回っているドラッグの一つだ。
 ドラッグと言っても、これは依存性や中毒性の低い、あくまでも一夜を楽しく過ごす為のものだ。僕も試しに飲んだことがあるが、ほとんど効果がなく、次の朝に頭が痛くなっただけだった。きっと体質が合わなかったんだろう。
 何にしても、まともな健康状態なら個人差はあるが特に悪い効果は起こらない……はずだ、正しい使用法を守ってさえいれば。
 しかしパールの手にある錠剤の数は、通常の使用量を遥かに越えていた。
「……それは多過ぎないか? へたをすれば死んでしまうよ?」
 パールはワニの方の目で僕を見ると唇を歪めて笑った。
「何を言ってるの? 死にたいから飲むのよ」
 僕は反射的にパールの手から錠剤を奪おうとした。しかし彼女が防ごうとしたので、錠剤は全て床に落ちてしまった。
「何をするのよ! あれがないと……!」
 パールは床に散らばった錠剤を信じられない物のように見つめ、もう一度錠剤の容器を取り出した。考えるよりも早く僕の手が動き、容器を弾く。容器は床に落ち、残っていた錠剤が散乱した。
「……どうして……どうしてよ!?」
 パールは怯えるような目で僕を見た。その視線は焦点が定まっておらず、不規則にゆらゆらと揺れている。いきなり体を屈めると、パールは錠剤を拾おうとした。
「ダメだったら!」
 僕は足下の錠剤を靴で踏みつけた。しかしパールは服が汚れるのも気にせず僕の靴に指をかけ、引き剥がそうとする。
「あ、あれがないと……せっかく彼の目を盗んで隠したのに! 何で……何でよ!」
 泣きじゃくるような声は最後には金切り声となった。僕は錠剤の屑を後向けに蹴り飛ばすと、床に屈んで彼女の両腕をつかんだ。
「君の物を取ったのは悪かった。でも冷静に……」
「うるさい!」
 パールは僕に腕をつかまれたまま大きく体を動かした。彼女の力は予想外に強く……更に困ったことに、彼女の細腕は自分の力にも耐えられそうになかった。僕は何とかして余計な力を入れずにすむ場所を探そうとした。
 ……その時、彼女の両手首に幾筋もの傷跡が見えた。
 僕が手首の傷に気を取られた隙に、パールは少し離れた場所に錠剤が二つ落ちていることに気づいて体をひねった。
 僕が我に返った時には、彼女は僕の手を振り解いていた。
「ダメだ!」
 僕は後ろからのしかかる形で彼女を止めようとした。
 後から考えると、僕は彼女の体に触りまくっていたわけだが、その時の僕は彼女のことを一人の成熟した女性とは考えていなかった。
 ただ、我侭で感情的な……壊れやすい子供のようだった。
 パールは僕が両手を床に押さえつけても錠剤を取ろうとした。そしてついに床に顔を擦りつけながら舌を伸ばし、床を舐めながら錠剤を舌ですくいとった。
「……何てことを……」
「え……えへへへ……へへ」
 パールは僕が上から退いたので体を起こして床に座り込んだ。そして口元を腕で拭うと顎を上げてゆっくりと錠剤を飲み込んだ。
「ハハハ……ハ……ハハ……ハハハハハ」
 パールは体を折り畳んで更に笑い続けた……それはいつしか泣き声のようになった。
「ねえ、どうしてそこまでして飲むの?」
 僕も床に座り込んで呟いた。元々そんなに効果のない薬だ、二錠くらいなら大丈夫だろう……問題なのは彼女の精神が薬に依存してしまっていることだ。彼女にとっては『薬を飲む』という行為自体が必要なのだ。敬虔な信者が毎日神に祈りを捧げるように……。
 痙攣が治まった後、パールは静かに顔を上げた。
「……それでも死ねないからよ」
 僕は涙で化粧が流れてしまった彼女の顔を眺めながら、彼女が人間であることを理解した。

 PM.10:46

「……くだらない……」
 パールは服の汚れを払いながら呟いた。
「何が?」
 僕は床に座ったまま尋ねた。
「…………何もかもよ」
 そう言った時の彼女の瞳には、元の冷めた色が戻っていた。顔は更に青ざめ、とても薬が効いているようには見えない。
「そう思うんだったら、今度からは誰もいない所で飲むことにしたら?」
 僕が呟くと、パールは冷たい目で僕を見下ろして言った。
「調子に乗るんじゃないわよ」
 そして彼女は歩いて行った。

 フロアに足を踏み入れた僕に気づいて、カナは今まで一緒に踊っていたミンク達と別れて僕の方に近づいて来た。
「先輩、遅いですよ!」
 口に手を添えて叫ぶように言う。それでも、フロアに響く音が大き過ぎ、カナの声はなかなか聞き取れなかった。
「ごめん、今日は色々あり過ぎてね。なかなか前に進めないんだよ」
 僕もありったけの声を振り絞って叫んだ。
「……いろ……ですって?」
 カナが耳に手を当てて尋ね返してくる。全部は聞き取れなかったらしい。
「リョウに殴られて、宇宙人に殺されそうになった。妙な夢を見て、人助けしたら怒られたよ」
 僕は笑いながら言い、それから小さく呟いた。
「おまけに生まれて初めて告白したらものの見事にふられたよ」
「……ドロシーさんですか?」
 それまで聞きにくそうにしていたカナが、最後の言葉に反応して僕を見つめた。
 ……何でそこだけ聞き取る?
 僕は仕方なく肩をすくめるジェスチャーをした。
「へ~え、そうなんですか! 先輩、可哀想ですね!」
 カナが明るい声で言う。僕はカナの柔らかい体に手を回し、そっと抱き寄せた。
「……どうしたんですか?」
 右の後頭部の辺りから、カナが呟くのが聞こえた。
 僕の腕の中で、暖かい物が小さく震えた。光も音も振動も、彼女を感じようとする以外のすべての感覚が鈍くなったように感じられる。
 僕は生まれて初めて、人生を楽しんでもいいのかもしれないと思った。もしかしたら、誰かを恐れる必要などないのかもしれないと。
 誰かに自分の心を全てさらけ出してもいいのかもしれない。誰かを求めてもいいのかもしれない。僕は初めてそう思った。
 僕はカナの髪に鼻先を埋めて呟いた。
「カナちゃん。僕は今、思ったんだけど……君って本当に可愛いね」
 カナは僕の体を引き離すと、不思議そうな顔をして微笑んだ。
「……やっとわかってくれたんですか?」
 僕はカナの耳元で囁いた。
「ごめんね。バカなもので」
「許しません」
 カナは僕の胸を軽く叩くと、フロアの中央に進み、振り返ってついてくるように手招きした。
「……バカだよなあ……」
 僕は指で頬を掻きながら呟いた。
「本当に……何でこんなことがわからなかったんだろ?」

「……何がいけなかったんだろ?」
 カナは人込みの中を進みながら呟いた。
「今更『可愛い』? 男ってもう少し下半身で動くものだと思ってたのに……」
 カナは後ろから彼がやってくるのを確認して呟いた。
「ま、結果オーライってやつかな?」

 PM.10:51

「踊るのは苦手だよ」
「何言ってるんです! ここまで来て!」
 カナは僕の手をつかんで言った。
「それに……みんな変ですよ?」
 確かに……みんな変だった。
 僕らの近くには例の女装集団がいて、妙なダンスを踊っていた。特にミンクは、大きな体を震わせて酸欠の金魚みたいに手足をばたつかせ、甲高い叫び声を上げていた。
「フォッ! フォッ! フォッ! フォッ! ……ハ~イ! カナちゃん! フォッ!」
 いつの間にか、僕らはミンク達に取り囲まれていた。服装の派手さもあいまって、巨大な熱帯魚の群の中に放り込まれたようだ。
「ほら、先輩踊りましょうよ」
 カナが軽くリズムを刻みながら僕を急かす。
 踊るという行為は好きじゃない。僕が考えるに、踊るというのは人間の体が音楽に同調することだと思う。
 昔とあるミュージシャンが、世界は小さな粒子の振動によって構成されていると言っていた。『木』と『人間』の違いは物質的なものではなく、固有振動周波が違うだけだと。
 だとすれば、人間の体がリズムに合わせて踊る時、人間の体は人間とは違う『何か』へと変化しているのだろうか? 同じ音楽に合わせて別の人間が踊る時、人々のリズムは近くなり、同じ存在に……世界のリズムに近づくのだろうか?
 だが、僕は踊るのが嫌いだ。僕のリズムは世界のリズムと同調できない。僕は世界から切り離されているし、その波に乗ることもできない。
 まるで大きな海の前に立たされた、泳げない子供のように。
「ほら、難しく考えないで体を動かせばいいんですよ。ほら、その調子!」
「あ、ああ……」
 僕はとりあえず、おっかなびっくり体を動かし始めた。
「何だ、先輩うまいじゃないですか!」
 揺れる髪の向こう側で、カナが悪戯っぽく微笑む。
「フォッ、フォッ、フォッ、フォ~ッ!」
「ミンクさん、ぶつからないで下さい!」
「いいじゃない~! みんなで楽しんでんだから~!」
 僕は、カナとミンクが互いを押し退け合う間に挟まれながら、いつの間にか大きな声で笑っていた。確かに僕は、世界のリズムとは交信できないかもしれない。それでも、この奇妙で歪な者達のリズムは感じ取ることができる。
 いつしか僕は、ミンクやカナ達と一緒に踊っていた。多分、僕の踊りは下手で奇妙に見えるだろうが……そんなこと知ったことか。
 と、不意にかかっていた曲のリズムが変動し、金属質のギターのリフが高らかにフロアに響き渡った。エコーのかかった高速のラップとドラムンベースが続く。
 『K』のテクニックによって圧倒的な存在感を得たビートがフロアを更に盛り上げ、皆が一斉に踏み鳴らした地響きによって、本当にスケアクロウが揺れた。
 人が流れ、僕らはDJブースの方に押し流された。
 そこにはドロシーとカウボーイの姿があった。ドロシーは相変わらずのジプシーのようなダンスを披露しており、カウボーイはどう見ても、モンキーダンスかサタデーナイトフィーバーを三~四倍速で再現しているように見える。
 二人の動きはまったく接点がないように見えた。しかし二人の動きは完全にリズムを捉えており、不思議と息が合っていた。
 ドロシーは僕達に気づくと、手を振って来るように誘った。
 僕とカナ……そしてミンク達はドロシーの所に雪崩れ込み、後は様々にパートナーを交代して踊り続けた。

 Q.何故一人でも踊れるのにパートナーが必要なのか?
 A.決まってる。二人で踊った方が楽しいからだ。

「楽しんでる?」
 ドロシーが僕の耳元で囁いた。久し振りに彼女の体温を感じた気がする。
「ああ。そうだ、さっきパールと話したよ」
 ドロシーが驚いた顔をした。
「やっぱり知り合いなんだ」
「……昔、色々あってね」
「とても寂しそうな目をしていたよ」
 僕が言うと、ドロシーは少しだけ笑った。
「彼女は人生を楽しむのを怖がってるのよ……幸福になるのをね」
「それは多分、彼女だけじゃないな……」
「……そうかもね」
 ドロシーは目を細めた。
 振動と光が回転し、僕は大きな流れに飲み込まれていくような感覚に襲われた。
 二枚のレコードの回転と共に、フロア全体が回転していく。
 手を伸ばすと、ドロシーは指先を握ってくれた。


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