森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

2002年12月1日~12月15日

2007年12月15日 | あるシナリオライターの日常

2002年12月1日

 夢を見た。
 詳しくは思い出せないが、何かに追われていた。
 ……最近、追われる夢が多い気がする。

 午前6時40分、起床。
 今日は製本工場でアルバイト。

 午前8時、始業。
 今日の製品は様々な企業の上半期事業報告書。
 手を動かしつつ紙面を流し見る……どこもかしこも苦しそうだ。
 午後8時、終業。

 午後8時30分、帰宅。レンが上機嫌。
 私が汗水垂らして働いている最中、友人と『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を観に行っていたという。
 エマ・ワトソン演ずるハーマイオニーにすっかり御執心。
 第四作以降のハーマイオニー役が、彼女を越える美少女でなければ観に行かないとか。

 師からメール。
 弟子の作品に対する弟子同士の講評集。
 全9作品中、私の作品に対する評価は以下の通り。

 ベスト1評価×3
 ベスト3評価×1
 ワースト2評価×1
 ワースト1評価×2
  ※各人がベスト、ワーストと考える作品を順に3作品ずつ選出

 ……複雑な評価である。

 新たに24作品の講評が課せられる。〆切は12月13日。
 早速講評開始。


2002年12月2日

 午前1時30分、就寝。
 午前8時、起床。

 昨夜に引き続き作品講評。
 24作品中、15作品が一見まともに見える。
 更なる検証が必要。

 午前10時30分、出社。
 事務所内整理、及び必要な機材の買い出し。
 ヨドバシカメラで17インチ液晶ディスプレイが49800円。キャッシュバックを計算に入れれば42500を切る値段。安い。
 あと2年もすれば3万円を切るかもしれない。

 夕刻、今後の活動について会議。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 『地球50億年紀行SP』を観つつ食事。
 生活のために違法伐採する少年。
 森に帰るために人間のもとで訓練を積むオランウータン。
 まったく無駄のない、美しく引き締まった肉体を持つ狩猟民族。

 夕食後、作品講評。


2002年12月3日

 午前0時30分、就寝。
 午前8時30分、起床。

 午前10時30分、出社。
 パソコンをカスタマイズ。キーボードとモニタを掃除。CRTモニタ用フィルタを装着。
 昼食後、密かに作品講評の続き。ベスト候補5作品、ワースト候補6作品を選出。残るはそれぞれ3作品に絞り込む作業。
 企画書5本目、一向に進まず。気分を切り替えるべく6本目に着手。みるみるうちにメインヒロイン二人分の設定が浮かぶ。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 『みずいろ』OVAをレンタル、観賞。
 ──薄々予測してはいたが、大幅にクオリティが低下。
 凄まじいまでの展開の早さに心情描写が追いついていない。これでは雪希が性悪娘にしか見えない。

 『プロジェクトX』を観つつ食事。
 レンと二人で「ざまあみろ」と笑う。

 午後10時30分、海藤にメール。
 午後11時30分、就寝。


2002年12月4日

 午前8時30分、起床。
 強烈に腰が痛い。座り仕事の宿命か。
 レンに湿布薬を塗ってもらう。

 通勤途中、HPの更新を忘れていたことに気づく。

 午前10時30分、出社。
 電話開通。LANについて詳しい者がいないため、未だネットには繋げず。
 先輩がルーターと専門書を買ってくる。

 12月6日の発売を目前に控え、今作に重大な問題が発覚。取り返しがつかない。
 責任は我々にないのに、最も甚大な被害を受けるのは我々という理不尽さ。
 二度と韓国を信用するものか。

 企画書6本目を進める。
 ヒロイン5人分の設定とプレストーリーを構築。

 夕刻、ボーイズラブ市場の可能性について討論。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 海藤からメール。企画書6本目について建設的な意見。
 本日更新分を添えて返信。

 和泉氏からメール。返信。


2002年12月5日

 午前1時、就寝。

 夢を見た。
 元声優ということで、アニメのアテレコに飛び入りで参加する。
 マクロスと幽々白書を足して二で割ったようなアニメで、私の役はナレーションと消防車の無線通信音声だった。

 午前8時、起床。
 師からメール。プロットの骨格を抽出する場合、文章ではなく単語を抽出せよ。

 午前10時30分、置き場に困っていた折りたたみ自転車で出勤。社用自転車に。

 午後4時頃、企画書6本目完成。
 新作にかかる数々の制約をクリア。新作候補としては最高の出来か。

 以後、HP制作。
 オフィシャルホームページのデザイン・構成を一新。
 新作発表と同時に更新予定。

 午後7時15分、帰宅。
 『FNS歌謡祭』を観つつ食事。
 へたなアイドルより「くず」のほうがよほど歌唱力あり。
 数年前の映像と比較すると、浜崎あゆみの不健康さがいっそう際立つ。

 頭痛発生。
 歌番組とはいえ、一日パソコンで酷使した目に3時間20分は無理があったか。

 午後11時、就寝。


2002年12月6日

 夢を見た。
 独立メンバー4人中、2人が同日に交通事故で亡くなる。絶望。
 気がつけば私は冒険家に。いかつい男と古びた洋館を探検。罠をかいくぐり宝を手に入れる。
 再び場面転換。私は事務所でHP制作の続きをしていた。亡くなったはずの2人もいた。

 最近これまでにない頻度で夢を見る。
 人はレム睡眠時に夢を見るという。この仕事に就いて睡眠時間が充分に取れるようになったぶん、眠りの密度が低下しているということか。
 夢から創作のヒントを得ることは往々にしてある。喜ばしいことだ。

 午前8時、起床。
 いよいよ今作の発売日。2chなどで評判をチェック。
 良くも悪くも予想通りの反応。

 父にメール。明日明後日の帰郷について。

 午前10時30分、出勤。
 HP制作の続き。現在のOHPは黒背景。新OHPは白背景。
 イメージの転換&保持のバランスに心を砕く。

 午後7時10分、退社。
 午後8時、帰宅。

 再度評判チェック。良好。
 喜ぶべきか、同日発売の他作品に対する評判が悪いため、良作のイメージが定着しつつあるようだ。

 午後11時30分、誤字脱字修正パッチ公開。
 就寝。


2002年12月7日

 午前8時30分、起床。
 30分間チャット。
 師への定期レポート作成開始。

 午前10時分、レポート作成終了。メールで送信。
 午前11時、出発。
 今日は京都で巨人軍川中選手の挙式披露宴。来賓として出席する師に、披露宴終了後直接指導を賜るべく京都へ。

 午後0時30分、からすま京都ホテル着。
 午後0時50分、姉弟子の一人と初顔合わせ。午後5時からの講義にも関わらず午後1時の集合命令に疑問。予想通り、午後1時を過ぎても師の姿はなし。やはり誤字だったか。
 やむなく自習。互いに適当な単語を書き並べた紙を交換し、そこから得られる情報のみでプロットを構築するトレーニング。

 午後3時、一旦解散。寺町京極を散策。
 会場変更の連絡。ハートンホテル京都へ。

 午後5時~7時、講義。

 午後8時30分、実家へ。
 午後9時、海藤来訪。本日の講義内容を復習。新企画について意見交換。

 午前0時、就寝。


2002年12月8日

 夢を見た。
 近場の販売店に視察に向かう。
 異様な人だかり。今作が驚くほどに売れていた。

 午前8時25分、目覚め。
 30分に目覚ましをセットしてある。あと5分、と思って目を閉じると9時になっていた。

 午前10時、以前バイトをしていたリサイクルショップへ。
 変わらずレジに立つ中学時代の友人に再会。

 午前10時30分、ハートンホテル京都へ。
 午前11時~午後2時30分、講義。

 午後3時、解散。
 午後5時、帰宅。師に帰宅報告と謝礼のメール。

 録画しておいた『ガンダムSEED』を観る。
 毎回名台詞をのたまうフレイの圧倒的な存在感。主役を食われるか否かの狭間に立つキラ。それでもマイペースなラクス。バランスの妙。
 次回予告の映像編集も実に巧い。

 『発掘あるある大辞典』を観つつ食事。
 ──私は幼い頃から、真冬でも設定温度18度で生活してきた。
 太れない理由はこれか。


2002年12月9日

 午前0時、帰宅途中に購入した横山秀夫『半落ち』にレンが気づく。
 しまった、と思うも時既に遅し。やむなくネット。
 レンが完読するまでの2時間30分、寝室は書斎と化した。

 午前2時30分、就寝。
 夢を見たが詳細な記憶なし。
 午前8時30分、起床。

 出勤途中、『半落ち』第一章読了。
 午前10時30分、出勤。

 類似商標について某社よりクレーム。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 ドラゴンクエストを作ったエニックスがドラゴンスレイヤーを作ったファルコムに「ドラゴンという言葉を使うな」と文句を言うようなものだ。
 半年以上前から幾度となく雑誌掲載しているにもかかわらず、変更のきかない発売後になってから文句をつけてくるあたり性根の汚らしさがうかがえる。
 裁判に備え議論。社長がいると話が進まない。外出時に方針を固める。

 一日HP制作。

 午後7時、退社。
 退勤途中、『半落ち』第二章読了。
 午後8時、帰宅。

 『人類飛行伝説・ナスカ巨大地上絵の謎に迫る』を観つつ食事。
 江口洋介は歳を食うほど男に磨きがかかっていくようだ。

 午後10時、『アトムの遺伝子 ガンダムの夢』を読む。
 現代日本におけるモノ作りの一つの原点。
 第五回まで読了。

 午前0時、就寝。


2002年12月10日

 午前7時20分、起床。
 ──寒い。

 午前9時、家賃補助の定期更新書類完成の為マンションの管理会社へ。
 午前10時、年末調整用書類を提出にバイト先へ。

 午前10時30分、出社。
 新企画について打ち合わせ。
 HP制作。

 午後6時、新HPほぼ完成。
 あとはヤフーBBの工事完了を待つのみ。
 ……それが一番のネックとなるだろうことは想像に難くない。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 『プロジェクトX』が始まる前に食事を終え、観賞。
 その意気を、志を、自らに取り込むことができればと。

 師からメール。
 君はまだ若い。絶対的に人生経験が足りない。今は目を開き、耳を澄まし、精一杯働け。

 私に器があるかどうかはわからないし、いまさら気にかけることでもない。
 しかし、仮に器があったとして、経験という水が入らなければ器はただの器に過ぎないのだ。
 技術とは水の利用法でしかないのだから。


2002年12月11日

 午前0時30分、就寝。
 午前8時30分、起床。

 出勤途中、『半落ち』第三章読了。
 午前10時30分、出勤。

 CDに傷があったとクレーム。
 着払いで送り返されてきた製品を見るも傷などない。
 嫌がらせか、それとも特典狙いか。

 正午、ようやく社内LANが繋がる。

 新企画に関するスケジュール表を作成。
 社長に統括的なスケジュール管理ができないことを再認識。
 自分のことながら、仮採用中の人間がスケジュール関連のファイルを作成・管理するのはいかがなものか。
 新作の4月発売は極めて無謀。
 おそらく5月中頃になるものと予想。

 午後1時30分、追加発注のFAXが届く。
 グラフィッカーY氏と2人で狂喜乱舞。
 しかし、目標本数は遥か遠い。

 午後5時、新HP完成。
 以後、作品講評の続き。ベスト3作品、ワースト3作品を選出し、コメント。

 午後7時、退社。
 退勤途中、『半落ち』第四章読了。
 午後8時、帰宅。

 午後10時、我等が制作チーム独立の際に残留した原画家、渚氏に電話。
 ──完遂。
 手が震えるほどの緊張というものを久しぶりに味わった。

 良くも悪くも、私は社会の波に浸っていない。
 立場的にはともかく、心は何処にも属さぬままだ。
 この型に捕らわれない考え方と、それに伴う行動力を失った時、おそらく私は終わる。

 ようやく動き始めたのだ。
 終わってたまるものか。


2002年12月12日

 午前0時、渚氏にメール。
 午前1時30分、『半落ち』読了。師が薦めるだけのことはある。見事。
 しかし、これを引き際鮮やかととるか、途中で投げ出したととるかは評価の分かれるところだろう。

 間もなく就寝。

 午前8時30分、起床。
 午前10時30分、出勤。

 社長に必要な仕事と期限を明示。社長が動かなければ制作ラインも動かない。
 何故私が社長を動かさねばならないのか。

 商標問題について有利な前例を発見。
 アスキーがPSソフト【MOON】 を発売した時期に、タクティクスがPCソフト【MOON.】を発売している。その際、アスキーが【MOON】で商標登録をしており、タクティクスに商標権侵害だとクレーム。
 しかしタクティクス、完全無視。結果、音沙汰なくなったという。

 半年間の雑誌掲載時期は見て見ぬ振りでやり過ごし、発売日に狙い済ましてクレームをつけてくるような連中だ。目的は間違いなく金だろう。
 弁護士費用と裁判沙汰によるイメージ低下を考えれば、相手に賠償意志と財力がなければ損をするのは自分のほうだ。普通に考えれば深追いはしてこない。
 もっとも、そんな単純なことも理解できないような連中が上に鎮座ましましているからこそ、今回のようなクレームが発生したのだろうが。

 ともかく、今後一切の電話は社長がとることに決定。
 相手の話を聞かないこと、筋道の通らない会話をすることにかけては社長は一級品である。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 師にメール。先日の京都で学んだことのレポート。

 午後10時、レンの相手をしつつネット。
 午後12時、就寝。 


2002年12月13日

 気がつくと、涙を流していた。
 自分が生きていることに、今までに出会った総ての人に感謝していた。
 夢を見たのだと思う。
 だが、どんな夢を見たのか、思い出すことはできかった。

 午前8時30分、起床。
 渚氏からメール。氏との繋がりは私にとって、大きな財産となるだろう。

 午前10時30分、出勤。
 企画書7本目にとりかかる。現状の我が社では作品化困難な企画だが、様々なジャンルの企画を多数常備しておくことは、この先大きな武器となるはずだ。

 午後5時過ぎ、ようやくネットが繋がる。
 これで制作環境は整った。

 午後7時、退社。
 午後8時、帰宅。

 師に作品講評のメール。

 『みずいろ』OVA第二巻を観つつ食事。
 雪希の立場なし。主人公の精神構造はいったいどうなっているのか。
 本編終了後、第三巻の予告なし。今さら物語が破綻していることに気づいたか。
 どうせなら、このままとことん壊れた話を展開してほしかった。

 午後10時、就寝。


2002年12月14日

 午前1時、再起動。
 午前4時、再就寝。

 午前9時、起床。
 師から弟子全員に向けてメール。

 およそ一ヶ月ぶりに【アスガルド】をプレイ。
 バージョンアップで攻撃力が3倍近く上がっている。さすがベータテスト。

 河出書房新社『使ってはいけない日本語』を読む。
 納得し、感心し、時に爆笑。
 「類は友を呼ぶ」を「友は類を呼ぶ」とは度が過ぎる誤りだ。
 つい最近、友人が友を類にするという表現で笑わせてくれたが、無論彼は「類は友を呼ぶ」の意味を正しく理解していた。

 午後5時30分から午後10時までテレビの前に居座る。

 午後10時30分、就寝。


2002年12月15日

 夢を見た。
 小・中学校時代の友人宅を訪ねる。お母さんやお姉さんも一緒になって談笑。ついには妹さんまで登場。
 気がつけば朝。バイトに行く準備を終え、一息ついた。

 午前6時30分、起床。
 夢で終えたばかりの準備を一からやり直す。
 ちなみに、夢で再会した友人に妹はいない。

 午前8時~午後8時、就労。
 午後8時30分、帰宅。

 師からメール。作品講評に対する指摘と、来年に向けての言葉。

 働くということは四方八方からの敵に対峙するということです。剣道をやっていたならわかるだろうが、人間、前、両横、後の四方に敵がいては太刀打ちできないが、前、両横の三方なら撃退も可能です。後ろに敵はいない。そう信頼できるのが、家族という壁のおかげです。家族が後ろにいてくれるからこそ、安心して敵と向かえるわけです。家族と向き合い、養わせていただくありがたさを知りなさい。生きる道しるべが見えてきたら、それが君の探しているテーマです。軽々しくテーマがわかったなどというもんじゃないということ。先人のことば、先輩のことばに耳を傾け、意見を謹みなさい。若造の軟弱な意見を聞くポーズをしても、真剣に君の話を聞くばかな大人はいないということです。この一年、真摯な気持ちで周りの大人の話に耳を傾けよ。彼らは君に何かを伝えようとしている。その何かを心の目で凝視せよ。心眼というのは、必ずあるということを肝に命じて、来年はそれを磨いていきなさい。

 良き師に巡り合えた幸運に、心から感謝。
 作品講評の反省を併記し返信。

2002年12月15日

2007年12月15日 | あるシナリオライターの日常

 夢を見た。
 小・中学校時代の友人宅を訪ねる。お母さんやお姉さんも一緒になって談笑。ついには妹さんまで登場。
 気がつけば朝。バイトに行く準備を終え、一息ついた。

 午前6時30分、起床。
 夢で終えたばかりの準備を一からやり直す。
 ちなみに、夢で再会した友人に妹はいない。

 午前8時~午後8時、就労。
 午後8時30分、帰宅。

 師からメール。作品講評に対する指摘と、来年に向けての言葉。

 働くということは四方八方からの敵に対峙するということです。剣道をやっていたならわかるだろうが、人間、前、両横、後の四方に敵がいては太刀打ちできないが、前、両横の三方なら撃退も可能です。後ろに敵はいない。そう信頼できるのが、家族という壁のおかげです。家族が後ろにいてくれるからこそ、安心して敵と向かえるわけです。家族と向き合い、養わせていただくありがたさを知りなさい。生きる道しるべが見えてきたら、それが君の探しているテーマです。軽々しくテーマがわかったなどというもんじゃないということ。先人のことば、先輩のことばに耳を傾け、意見を謹みなさい。若造の軟弱な意見を聞くポーズをしても、真剣に君の話を聞くばかな大人はいないということです。この一年、真摯な気持ちで周りの大人の話に耳を傾けよ。彼らは君に何かを伝えようとしている。その何かを心の目で凝視せよ。心眼というのは、必ずあるということを肝に命じて、来年はそれを磨いていきなさい。

 良き師に巡り合えた幸運に、心から感謝。
 作品講評の反省を併記し返信。

第四話 「青年と少女が宇宙の旅に出る話」 1

2007年12月15日 | 僕達の惑星へようこそ

 AM.11:25

 カナは白いシーツの上で目を開いた。
 薄暗い部屋の中、皺のついたシーツにはカナと男の匂いがこびりついている。厚手のカーテンの隙間から射し込む光の筋の中で、白い埃の群れが舞っている。カナはベッドから頭を浮かせて男の姿を見つめた。
 男は部屋の隅に置かれたソファーに座ってテレビを眺めていた。
「ねえ、終わったんだから帰っていい? 契約時間は十二時までになってるけど、何もしないんだったらいてもしょうがないでしょ?」
 男は三十分前に『終了』してから、ずっとテレビを眺めていた。

 カナと男が知り合ったのは……正確には、契約を交わしたのは昨日のことだ。クミの話によると、男は別の町の一流商社に勤めるサラリーマンとのことだった。クミはカナの安全を確保する為、仕事の前には必ず相手の身元を調べるようにしてくれている。
 男の身元は確かだった。彼は一週間程この町に出張に来ているらしい。出張ついでのちょっとした息抜きと言ったところだろう、とクミは言った。
「まあね、会社は一流でもその男が一流とは限らないしね」
 昨日の夜、カナはクミにふざけて言っていた。
「でもこの人、何でこんな朝早くにやりたいんだろうね?」
 翌日、眠い目を擦りながら待ち合わせの場所に行ったカナの前に現れた男は非常に気味の悪い男だった。
 見た目が悪かったわけではない。男は背が高く高級そうなコートを着ていたし、特徴的な所はないものの、顔立ちも整っていた。男は薄い唇の端を曲げ、少し高い声でカナに話しかけてきた。
 カナは男に、まるでスタートレックに出てくるアンドロイドの『データ』のような印象を持った。
 ……いや、『データ』の方がまだ人間らしい、とカナは頭の中で訂正した。
 男は小さな声でぼそぼそと話しながらカナについてくるように言った。
 男が顔を横に向けた時、カナは彼の左頬に三日月型の傷があることに気がついた。

 何が気持ち悪いのだろう?
 顔が悪いとか、変な臭いがするというのならカナも酷い例を体験したことがある。しかし男から与えられる不快感は、それらとは異なるものだった。
 男はホテルの前で立ち止まって振り返り、建物を指差して中に入るように言った。
 カナは午前中から予約を入れているのだから、もっと何処かに連れ回すのかと考えていた。若い女の子と1日中デートを楽しみたいと考える中年の男は結構多い。
 しかし、どうやら男は本当に今からやるつもりらしい。モーニングサービスがつくとでも思っているのだろうか?
 自分でホテルに入ると決めたくせに、隠れるように素早くホテルの中に滑り込んだ男が、まだ外にいるカナに早く来るように指図する。ゆっくりと歩いていくカナを、臆病そうな光を目に浮かべて見つめている。どうやら、この場に及んでカナが逃げ出すのではないかと考えているらしい。
 カナとホテルに入る所を人に見られたくもないようだ。こんな朝早くから少女を買う行為自体、十分に恥ずべきことだと思うのだが。
 カナが男に追いつくと、男は小さな声で文句を言った。カナが頷いて男の目を見つめると、男は慌てたように顔を背け、わかればいい、と呟いた。
 カナは先程から、この男に対する不快感の正体を突き止めようとしていたが、この場に至ってそれが男の態度からくるものだということに気がついた。カナは目を見ようとせずに話をされるのも嫌いだし、男が細かいことで文句を言うのも嫌いだった。何より、意気地のない男は大嫌いだった。
「料金は一時間単位で支払って貰うからね。一分でも延長したら追加料金。それと必ずコンドームをつけること、これを守れなかったら罰金だからね」
 エレベーターの中で、カナは営業用のやや冷たい口調で男に話しかけた。男が体を強張らせたのがわかる。
 カナは童顔なので客がつけあがることが多い。勿論カナはそのことを自覚していたし、普段ならもっと穏やかな回避法を使うのだが、今回は少し苛立っていたので脅しをかけることにした。
「最初にも言ったけど、もし規定の時間内に私から連絡が来なければ仲間の男達がここに押しかけて来るわ。だから変なことはしない方が身の為よ……まあ、そちらの御要望にはできる限り応じるけど? ……別料金でね」
 エレベーターが目的の階についた。カナは男よりも早くエレベーターを降りると、最近練習している『悪い女っぽい顔』で男にこう言った。
「おじさんは私とお医者さんごっこしたい?」
 男があからさまに動揺し、顔を激しく引き攣らせる。
 カナは満足し、男から見えない所で小さく舌を出した。

 クミはよく自分のことを棚上げにして、男には気をつけるようにとカナに言う。
 勿論、カナも用心はしているが、実際にはそれほど心配していない。男が女に勝っているのは基本的な体力だけで、男というものは女よりも単純で……純粋な生き物だとカナは考えている。
 よく女は仕事のプロになれないと言われるが、カナは少し違うように思っている。男はたった一つの仕事という愉しみに人生の全てを捧げられるほどに純粋で、女はたった一つの愉しみだけでは満足できないほどに欲深い存在なのだ。
 特に、男の『使命』とか『信念』などの苦痛さえ伴う信仰にも似た考え方は、カナにはいまいち理解できない。決して嫌いではないが、度が過ぎるとバカらしく思えるのだ。
 小さい頃、カナは近所の男の子達がテレビのヒーローごっこに夢中になる気持ちがよくわからなかった。遊び自体が嫌いなのではない。どうして内容をあそこまで忠実に再現する必要があるのだろうか? 遊びは遊びなのだから、自分達で勝手に設定を作って遊べばいいじゃないか。カナはそう考えていた。
 だが、今なら何となく『推察』できる。
 男の子達は遊びの愉しみよりも、自分達をテレビのヒーローに近づけるという作業に夢中だったのではないだろうか?
 カナはこれまでずっと大人というもの……特に中年のおじさんが嫌いだった。
 彼等はカナの考えや行動を認めず、古臭い習慣や形骸化した常識でカナを束縛しようとする。カナは常々、彼等は自分とは違う生物なんじゃないだろうかと考えていた。
 だが最近、おじさん達と接する機会が多くなり、カナはあの男の子達とおじさん達にそれほどの差がないことを発見した。
 おじさんと男の子の違いは遊び場の違いでしかない。男の子達は家や公園や学校で遊び、おじさん達は『社会』の中で遊ぶ。その目的は何でもいい。ヒーローのように世界を救うのでも、会社の売り上げを伸ばすのでも……国の経済力を上げるのでもいい。ようは一つの目的に向かって仲間と共に行動できればいいのだ。
 この点で見る限り、おじさん達と男の子達はまったく変わらない。あえて違いを挙げるなら、『社会』という枠組みの中には人が多過ぎてなかなか主役が回ってこない……それくらいだ。
 カナは、でっぷりと太って頭の禿げ上がったおじさん達の目の中に、ほんの一瞬同級生の男の子達と同じ輝きを見る度に、やっぱりこの人達と自分は同じ生物なんだな、と考えることがある。もっとも、未だに好きにはなれないが。
 ちなみに、小さい頃のカナは女の子と遊ぶことよりも男の子と遊ぶことが多く、ヒーローごっこの時のヒロイン役はカナの指定席だった。
 カナは男の子と一緒に走り回るのが好きで、グループのリーダー格でいつも主役をやる子が好きだった。特に「僕は大きくなったら絶対に正義の味方になるんだ」と言っている時の彼が好きだった。
 そして彼もカナのことが好きだと言っていた。しかしカナのことが好きだったのか、カナの演じるヒロインが好きだったのかは未だに疑問だ。

 カナが部屋に入ると、男は落ち着かないハツカネズミのように部屋の中を歩き回って何かを調べていた。カナは、もしかしたら部屋に仲間の男が大勢待ちかまえていてレイプでもされるのではないかと警戒していたが、どうやらそんなこともなさそうだった。
 これは知り合いの子に実際に起こったことなのでカナも気をつけているが、心の何処かでは、それはそれで楽しいかもしれないと思っているところがある。
 クミは変な本の読み過ぎだと言うが、カナは性的快感に対する探究心が強い。特に『行きずりの男に身も心も犯される』というのは……前に見た映画みたいで刺激的なシチュエーションではないだろうか?
 雑誌で読むところによると、女の性的快感のオルガニズムは男のものよりも遥かに深くて複雑だとの話だ。それなら、折角女の体に生まれたのだ、行ける所までは行ってみたい。
 こういう考え方を『退廃的』と言うのだろうな、とカナは考えた。
 ただ、実際に自分がそんな自虐的な快楽に身を委ねるかと考えると首を横に振らざるをえない。クミもよく言うが、カナはかなり自己中心的な人間だ。カナにはまだやりたいことが幾らでもある。『身も心も……』というような恋愛など、自分の行動の妨げだと考えてしまうだろう。本当に危険なのは、自分よりもむしろクミの方だ。カナはそう判断している。
 カナは自分の行動を制限されるのが嫌いだ。今までの客の中にも毎月かなりの金額を支払ってもいいから自分の愛人にならないかと誘った者がいたが、カナはきっぱりと断ってきた。
 肉体関係を持ったくらいで自分を思い通りにできると思われるのは吐き気がする。
 クミが一度、皮肉っぽく言った。貴女にとっては恋愛だって束縛なんでしょうね、と。
 カナはそれは違うと答えた。恋愛しても相手の奴隷になる気はないだけだ、と。
 今までの客はクミの選択が良かったおかげか、問題を起こしたことはなかったが、カナにエクスタシーのエの字くらいしか与えることはなかった。
 しかし今日の客は……それよりも酷そうだった。

 男は部屋のチェックを終えると、カナをシャワールームに放り込み、出てきたところでそのままベッドに横たわらせた。
 カナは少し落ち着かない気分になった。自分の体に自信がないわけではないが、男の目からは欲望や劣情といったものがまったく感じられず、ただ測定用の機械のようにカナの体を眺めている。
「ねえ、立ってるだけじゃつまらないでしょ? 時間もなくなるし……ねえ」
 カナとしては不本意だが、この沈黙には耐えられそうになかった。普通の客なら、カナの体を見ればみっともないくらいの反応を示したはず……これは自惚れで言っているのではない。一流のセールスマンが自分の弁説に自信を持っているように、カナも商売の基礎となる自分の体の及ぼす効果については完璧に理解していた。
 商売をする上で最も重要なのは、売る側が買い手に対して心理的に上位に立つことだ。売りつける商品がつまらない瓶の蓋でもかまわない。大切なのは自分の売りたいという気持ちを伝えることではなく、相手に買いたいという気持ちを抱かせることなのだ。それに必要なのは、自分の商品に対する絶対の自信。自分がその商品にどれほどの自信を持っているかを伝えることができればいい。
 勿論、過剰に演出してはいけない。あくまでもさり気なく、だ。そうすれば相手は自分の自信に満ちた態度によって商品への欲望をかき立てられる。態度は低く、だが気持ちは高く……これがカナの考える商売のコツだ。
 更に上級のテクニックとして、相手に『売りたくない』という態度をとる、というものもある。人間は隠されると却ってそれが欲しくなる。隠すのは自慢するのと同じこと……一番いけないのは相手に媚びることだ。
 しかし、カナはそうは思いながらも、珍しく自分から誘う方法を選択した。
 自分は裸でベッドの上に転がっている。相手はそれを立ったまま眺めている。おまけに服を着たままだ。
 これでは自分がバカみたいではないか?
「ねえ、早くしようよ……ね? ……何かしてあげようか?」
 カナは相手が相変わらずの態度なので、これだけはやりたくないと思っていたが、知り合いのバカな女の口調を真似しながら男の下半身に手を伸ばした。
「やめろ!」
 男は突然反応し、カナの手をつかんで乱暴にベッドの上に突き飛ばした。男の瞳に言いようのない光が浮かび、蝋人形のような顔に血の気がさす。口元が痙攣したように震え引きつり、頬の三日月型の傷が醜く歪んだ。
「じゃあ……何がしたいって言うんですか?」
 カナはベッドの上で仰向けになったまま肘をついて上体を起こすと、初めて彼女本来の顔になって男を睨みつけた。
 男はしばらく血走った目でカナを見つめていたが、やがて低く唸るように呟いた。
「余計なことは言わなくていい……」
 それから男はカナの下半身に視線を這わせるとこう言った。
「後ろを向いて四つん這いになれ」
 最後に、男はカナに奇妙な命令を出した。
「そのまま動くな。何もしなくていい」
 一瞬、男の口調に怒りとも悲しみともつかない感情が含まれたような気がしたが、それはすぐに消えてしまった。
 カナは信じられなかった。これまでに『動いてくれ』と言った客はいても、『動くな』と言った客はいなかった。後ろからするのが好きな客はいた。前からが好きな者もいたし……下からが好きな者も、数秒ごとに姿勢を変えなければ気がすまない者もいた。
 しかし皆、相手の反応がないと不満そうだった。ある男などは、以前に買った娘がいかに無反応でつまらなかったかということを、カナに延々と語った。商売熱心なカナは無反応……あまり好きではない表現だが……マグロ状態は客に対して失礼だと考えているので、感じているふりをしてあげたところ、その客は規定の三倍の料金を支払ってくれた。
 良質なサービスは常に料金に反映される。言い換えれば、こちらの提示した料金が支払われる以上、売り手としてもその範囲内で最大限のサービスを提供すべきなのだ。
 今までの例外は六十近くの男で、これは彼が慢性のヘルニアを患っているせいだった。
 だが今回の男は、まだ若いのにカナが反応することを拒否した。それで本当に楽しいのだろうか? カナの今までの経験から考えても、それで楽しいとは思えないのだが……。
 男は服を脱ぎながら、カナに早く四つん這いになるように言った。
 カナはよくわからない得体の知れなさを感じながら、体の向きを変えようとした。
 その時、男が低い声でカナにへその所の蝶の模様は何かと尋ねた。
 それはカナが先週入れたタトゥーで、青の発色が綺麗で気に入っているものだった。カナが説明すると、男は軽く鼻で返事をした。
 カナは男がつまらなそうに小さく舌打ちするのを聞き逃さなかった。それはまるで、高い金を出して買った商品に傷を見つけたような反応だった。