原孝至の法学徒然草

司法試験予備校講師(弁護士)のブログです。

三段階審査論について~対司法試験的観点からの考察(私見)

2011-02-22 | 憲法的内容
三段階審査論につき,前の記事に質問が寄せられましたので,記事として思うところを書きます。1つ前の記事から読んでいただくと,話の流れがわかると思います。

まず,保護領域→制限→正当化というプロセスを経て思考する三段階審査論ですが,これは特別な考え方ではなく,憲法判断の思考過程をドイツ憲法裁判において実践されている手法に即して,我が国の憲法判断・憲法判例の判断枠組みを再構築したものです。ですから,ドイツにおける判断枠組みをそっくりそのまま「輸入」できるのであれば,それに従って考えることは何ら問題を生じないと言えます。

ただ,そこは土壌が違いますので,そのまま輸入することはできないと言わざるを得ません。とりわけ,その土壌が異なるのは,「保護領域」の部分です(そして,後述するようにあまりに三段階審査の方法に硬直的に従った場合,答案政策上の問題が生じます。答練の採点・添削を重ねた経験からそう思います)。

端的に言ってしまうと,ドイツでは「保護領域」が大きく争われるものであるが,我が国では「保護領域」が争われるケースは稀である,ということです。例えば,ドイツ基本法は,表現の自由,芸術の自由,集会の自由をそれぞれ別個の条文で,別個の権利として構成しています。だから,例えば,集会への参加の呼びかけは集会の自由なのか,表現の自由なのか,いかなる権利として保護されているかの問題が生じます。しかし,我が国では,
ご存知のように,どれも21条1項が保障する権利です。確かに,表現の自由,集会の自由というように概念は違えど,いずれも同じ性質の(受験風に言うと,いずれも精神的自由として厚く保障されるべき)権利として構成され,ここを云々する実益はないと言えます。我が国で保護領域が問題になるのは,「尊重に値する」と言われるメモ取りの自由,取材の自由,22条1項か2項かが問題となる営業(職業活動)の自由,それから,幸福追求権の一環として保障される喫煙の自由などが典型でしょうか。ですから,「常に」「具体的問題に向き合いことなく」三段階審査で解決しようとした場合,問題にすべきではない点を論じてしまう危険性があります(答案そのものを読んではいませんが,トップ合格の方は,この点をよく理解した上で論じていたと考えられます)。「憲法上の権利の作法」18頁以下に,「ひな型」判例として,薬事法と泉佐野が掲載されていますが,これが上記の点を物語っています。薬事法は職業活動の自由が問題になっているので,「保護領域」に関すると読める説示部分がありますが,泉佐野に関しては,「制限」についての説示から引用されています。

要は,最高裁判例はじめ,我が国において実務的になされている憲法判断というのは,「保護領域」については非常に寛容であってこれをほとんど問題にせず,一応は広く自由があることを承認し,「正当化」の部分で精緻な判断をしていく,そういうスタイルなのです。在監者喫煙事件を見れば明らかなのですが,もし,「保護領域」を意識的に判断するなら,「そもそも喫煙の自由が保護領域内か」が大きな問題になって判例にも表れるはずですが,実際のところは,ここは当然保護領域内と捉えて,「正当化」の部分での議論をしています。この点,私はLSの教授と激烈に議論をしたのでよく覚えているところです。実は私,今でいうところの三段階審査的な考え方をしており,「そもそも権利として保護されない,在監者喫煙事件はそういう読み方が可能なのではないか」から議論を始め,「そうではない。権利として保護されることは当然として(権利保護領域内にあることは当然として),あくまでもその具体的な制約の違憲性を検討しているのだ。少なくとも,我が国の憲法判断はそのように行われているのだ」という教示をしていただきました。

そして,これは新司法試験の出題スタイルを考えた場合,より顕在化します。平成18年のタバコのパッケージへの警告文記載の問題です。素材は,ドイツにおける判例であり,これは「憲法上の権利の作法」32頁にも解説があります。ドイツではどのように考えられたかというと,「表現の自由の制約にあたるのは,たばこの警告文が事業者自身の表現であるようにみなされる場合に限られる。他人の意見が,自分の意見として流布されないという保障が,この基本権の保護領域だからである。したがって,警告表示が事業者自身の意見ではなく,国によってたばこ製品の販売に対して課せられた条件であると広く認識されている場合には,表示義務は,表現の自由の問題にはならない」というものでした。

これは,我が国における一般的な考え方とは,かなり異なります。我が国憲法論であれば,「他人の意見が,自分の意見として流布されない」ことだけが表現の自由として保障されているのではなく,どのような表現であれ,基本的に表現の自由として保障されます。その上で,表現の性質(わいせつ文書とか,営利目的とか)などに着目して,「正当化」の議論をします。このドイツでの判断に乗った場合,平成18年本試験にいう「たばこの警告表示に関する法律」は,当然,その報道がなされることからして,「警告表示が事業者自身の意見ではな」い場面であって,そもそも表現の自由の保護領域(保障の対象)外である,ということになると思われます。

しかし,これはその年の出題趣旨等を見る限り,試験委員が求めている立場ではないのです。検討すべきは,「他者の意見を「記載すること」を強制されること…に関わる憲法上の問題」(出題趣旨),「強制からの自由を巡る問題」(ヒアリング)であって,試験委員が求めるのは,それが自由として保護領域内にあるかではなく,これまでの実務が依って立つように,自由として保障されることを前提として,その正当化が可能か,ということであると考えられます。仮に,あまりにも「そもそも権利として保護されるか」を論じてしまうと,本来,試験委員が求めている点(「正当化」の部分)がぼやけてしまう,そういう危険性があると私は思うのです。そして,そういった答案を数多く見てきました。

そして,そもそも,「三段階審査が成り立つには,①(注:保護領域)の作業が憲法解釈の次元で完結しなければならない。しかし,憲法問題の中には,何が憲法上の原則・原形であるのかを,憲法の次元で獲得できないものがある。生存権(25条1項)のように従来「抽象的権利」と性格づけられてきたものに加え,選挙権の行使の前提をなす選挙の仕組み(47条),それ自体は憲法上の権利とは言えないが権利享有の上できわめて重要な法的地位である国籍(10条),29条1項が保障する個別具体的な財産権など,原則ないしは原形を憲法からだけでは獲得できない憲法上の権利や保障は少なくない。これらは,基本的には三段階審査になじまない。三段階審査は,原則―例外関係を前提とするが,生存権と生活保護の関係は,原則と例外ではないためである」(「憲法上の権利の作法」4頁以下)。

よく考えてみれば,そうなんです。「保護領域」とそれへの「制限」を議論するためには,大前提として,「ここからここまでの権利があるよ」「○○法△条はその権利の一部に踏み込んでるよ」ということが必要なわけです。そうすると,「ここからここまで権利があるよ」とは言えない人権(例えば,抽象的権利と言われる人権)には三段階審査は妥当しないのです。平成22年の本試験は,まさにこういった権利が問題になったのであり,この点を意識せずに機械的に三段階で考えようとした答案が続出したものと思われます。そして,採点実感は,この点に反省を促しているものと思われます。

さらに,試験政策的な観点からすると,硬直的に三段階で思考していった場合,受験生が限られた時間で書くにはうまくいかない場合も多いのです。三段階審査で書いていった経験がある方は,次のような経験をしたことがあると思います。

「保護領域」で書いたことを,「正当化」(審査基準の定立過程)で重ねて書き,果ては,あてはめでも同じようなことを書いてしまった。

問題となる権利の性質について,「保護領域」としてはじめの方に書くか,「正当化」のところで書くべきか,どちらで書けばいいかわからない。

こういうことがあるのではないかと思います(そういう答案を多く見てきました)。カチッと枠組みを決めすぎる(パターン化しすぎる)ことの問題点として,こういった部分があるのですね。出題趣旨等に述べられる「パターン化」「自動販売機的」などの表現には,こうした点を戒める意味もあるのだろうと思います。

こうしたことからして,私は,どういうスタイルの答案がいいのかと問われれば,「従来の我が国の判断方法に準拠して,保護領域に関する点については大きく問題にせず,問題となる権利とその制約の事実を指摘した上で,正当化(違憲審査)の判断の中で,当該権利の性質を存分に検討すべきだ。そして,正当化(違憲審査)の判断に際して,保護領域の考え方を応用することは有益である。つまり,問題となる権利が,保障されるべき核心的部分であるのか,ドイツ法的に考えると保護領域外ともいえる周辺的部分にとどまるのか,について検討することには試験の評価を考えた上で意義がある」と回答したいと思います。

以上が,私の考えるところです。というか,実は,三段階審査的な思考をもって憲法の勉強を進めていって,答練を重ねる中で,その考え方が必ずしも通有性を持つものではないことに気づき(答案が書きにくい場合も多いことに気づき),最終的に達した考え方です。そういった意味から,司法試験を考える上では「不適切」という表現をしたものです。適切か不適切か(適当か不適当か,向くか向かないか)の問題であって,正しいか誤りかという問題として意見を述べたのではないのですね(前の記事は)。

無論,小山教授の「憲法上の権利の作法」は秀逸な内容の本で,私自身,合格後に読みましたが,実に得るものが多く,合格前に読んでおけばよかった,と思うものです。ただ,よく読んでみると,小山教授自身,三段階審査は基本的には自由権の制約が問題となる場面で通有するものであると考えておられるようです。にもかかわらず,平成22年本試験では無理やり(?)引っ張り込もうとした受験生も多かった。だから,採点実感であのような書き方になったものだと思います。

ただ,絶対に答案には表れない表現であるはずの,「三段階審査」という言葉が,採点実感でどかんと登場したことは,受験生としてはしっかりと受け止めるべきだと思います。おそらく,「本問は生存権・選挙権の問題だろ。小山教授もおっしゃるように,基本的には三段階審査をすべき場面ではないはずだ。なのに,受験生は…。もっとしっかり考えい!三段階審査はそれにはめていけば必ず成果が出る万能のマニュアルではないんだよ!」ということでしょうね。トップ合格者は,そこらあたりをしっかりと理解されて,熟慮して,あるべき思考過程をしっかりと表現されたのだと思います(私が言うのもおこがましいですが…。すみません…)。

講師経験者の立場で言うと,上に述べたような点を踏まえてもなお,三段階審査を推したくなっちゃうのもわかるんですよね~。私も,全面的に推したくなりました。ある種,こういったしっかりとしたマニュアルの提示が,一番講義しやすくて,受講生にも「おっ!」って思ってもらえる。ですが,トップ合格者の方も,「常に硬直的な三段階審査だ!」という趣旨ではないものと思われます。思考整理,思考体系の構築の方法として紹介したものだと思われます。だから,基本的には,考えていることはここに述べたことと変わらないんじゃないかな,と思います。当該合格者講義を買って,聴いてみたくなりました(笑)

さくっと書こうと思ったのですが,実にうだうだと書いてしまいました。「俺が正しい!」というつもりは全くなく(←こう思うと講師生命が断たれることは,大学受験の世界でわかっちゃいました:笑),このプチ考察も大いに反論のありうることは承知です。受験生の疑問を把握し,思うところを正直に晒して,批評されながら勉強していきたいなーと思っております。

たかがイチ合格者の考察,されどイチ合格者の考察,そんなもんだと捉えてください(笑)

5000字以上にわたる拙文を最後まで読んでくださった皆様,ありがとうございました。携帯で読んだ方には,結構,電池を消耗させてしまったと思います。お詫びします(笑)

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11 コメント

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安堵 (へった)
2011-02-22 21:17:43
はじめまして。
少し前に、はらさんと合格年次が同じと思われる某弁護士が書いた添削バイトの感想を読んで、三段階審査に乗せて書くことはもはや受験界では常識なのか???と驚いていたところでした。
そこでは、採点する側も当然に三段階審査の作法を前提に答案を評価していくかのような書きぶりでしたから。

はらさんの記事2つを読んで安堵しました。
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概ね同感 (弁護士(新63期))
2011-02-22 21:58:52
概ねとしたのは、営業の自由の保障根拠の下りは明らかなケアレスミスですよ。

同感というか、当然のこと。これくらいは自分で考えないと合格しない。

訂正。合格はするのでしょうが、上位にはならない。

正論を堂々と述べられるのは立派で、勇気あることだと思います。

読者対象外でしょうから、邪魔であれば削除してください。

たかが新米弁護士の感想でした。
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はじめまして (国立LS生です)
2011-02-22 22:21:48
うちの教授も、だいたい同じことを言っていました。迷いがなくなりました。皆が疑問に思っていた点に、先生が初めてズバッと言及してくださったと思います。ありがとうございます。ぜひ、エキサイティング刑法のように、先生と小山教授とで対談していただきたいものです。
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Unknown (新64期修習生)
2011-02-23 00:48:36
はじめまして!先生には模試のネット講義でお世話になりました。私も読者対象者ではないことを知りつつ、でも毎日楽しみにこっそりと拝読しておりました。私も先生のご意見の通りで良いと思います。かくいう私も三段階審査を知らずに、それでいて公法系は上位で受かった一人です。大事なのは、型ではなく考え方、内容のはずです。受験生の皆さんにはそのように捉えていただきたいものです。是非とも先生にお会いしたかったのですが、先生とは集合修習の時期もずれてしまうので、思い切って書き込みをしてみました。今後も楽しみにしています。講師業の方も、新64期の代表として?大いに活躍されることを祈念いたします。ではでは

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ですよね。 ()
2011-02-24 00:26:44
三段階審査って、一時の流行ですよね。。。
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Unknown (はら)
2011-02-24 17:36:18
ご意見,ご感想,ありがとうございます。

ご指摘の通り,営業の自由のくだりは誤りです。すいません。。。

一時の流行というのは,うーん…。そういうわけではなくて,よく考えて用いるならば用いてください,ということでしょうか。思考方法として,非常に参考になるのは繰り返し述べた通りです。

引き続き,ご意見があればお待ちしております!
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ただの感想 (匿名@横浜)
2011-02-25 22:34:23
直前期ですが、今年の採点実感に三段階審査についての記述があったので、参考になりました。

最近書籍化された宍戸先生の連載を見る限り、いわゆる芦辺流人権パターンも三段階審査も答案を書く上ではあまり変わらないように感じます。

比例原則は適用違憲で使う方がいると思います。でも、私は条文の文言解釈がおろそかになるおそれが高いと思い、定義付け衡量(高橋青本参照)を使って書くようにしています。条文の文言→趣旨から解釈すれば○○という意味になる(原告だと限定的に解釈して違憲へ)・・・みたいな感じです。

なお、宍戸先生の書籍を見る限り、まだ出題されていない分野で三段階審査が真価を発揮するのは、報道の自由の制約のところでしょうか。博多駅フィルム事件や外務省機密漏えい事件などが素材にならないかぎり、三段階審査を知らなくて問題になるようなことはないのかなと・・・

つらつらと書いてしまいすみません。
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Unknown (はら)
2011-02-26 17:58:55
匿名@横浜さん,お久しぶりです!

そうです,その通りです。よく勉強されていますね。まさに,「あまり変わらない」のでありまして,私は記事冒頭に「特別な考え方ではなく」とした通りです。

そして,三段階審査論の「考え方」が威力を発揮する場面もその通り,報道の自由などが問題になった場合です。おっしゃる通り,知らなくて困る,ということはありません。

適用違憲の場面で,基本的に定義付け衡量論で書いていくのも,そういったスタンスで良いと思います。ただ,それでうまく論じられない場合も想定されますので,他の方法でも論じられる準備はしておくことをお勧めします。

引き続き,頑張って勉強してください!
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Unknown (k2)
2011-03-07 00:26:36
僭越ながら、非常にバランス感覚のあるご意見だと思いました。
いわゆる予備校講師の方の多くや、従来の論証ブロック学習が肌に合う方は、三段階審査論に否定的であると思います。少なくとも肯定的な方は少数であると感じております。

私なりに考えてみたのですが、なぜ三段階審査論に否定的なのかというと、従来の合格者及び論証ブロック学習が肌に合う学生は三段階審査論の考え方で「実践(本番で答案を書くこと)」をしたことがある方が皆無であるからだと思います。
やはり、得体の知れないものに肯定的な評価をする人はなかなかおられないのかもしれません。

しかし私は少なくとも司法試験レベルの憲法と民訴の理論面に関しては、もっと事案に即した自由闊達な(もちろん基本的な定義等を踏まえた)議論が望まれていると感じています。

型にはまっていれば一定程度の点数が取れる科目ももちろんあると思います。しかし、自分はメンドクサイことはやらない、知らなくていい、ではすまないのは実務でも同じではないでしょうか。

どうも保守的というか、「自分の知らないこと」を極端に恐れる方々が三段階審査論に否定的なのではないのかなあ、と思ってしまいました。

もちろん、芦部流違憲審査基準論の考え方の有用性は変わらないですし、コメントなさっている方の意見にもあったように、問題を解くための「考え方、内容」が非常に重要だと思います。
三段階審査論もその一つの「考え方」であるはずです。

非常に読みにくい文章になって申し訳ありません、新しい考え方を排除せず耳を傾ける先生に感動したためコメントいたしました。

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K2さん (はら)
2011-03-07 01:14:54
コメント,ありがとうございます!そうなんですよね,一つの「考え方」だと理解するのが適切なのだと思います。

学説というのは生き物ですので,まさにこの憲法判断の枠組みも今,活発に活動している時期なのだと思います。例えば,刑法で,団藤・大塚→平野→前田・大谷→山口・西田等(敬称略)と変遷していっているように,憲法ではアメリカ流からドイツ流に変遷していっているのかもしれません。これから先,どういう風になっていくかはわかりませんが…。

いずれにせよ,柔軟に考えていくのは大事なことだと思っておりますので,本テーマに関する私自身の考えも,この先,変わっていくかもしれません。

また,他のテーマについても,ご意見を聞かせてください!
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