修習仲間とちょいとしゃべっていたら,領置は強制処分だという立場をとる受験生が意外と多くいるらしい(そういう学説が出ている??)。任意提出は自由意思に基づくものだからいいとしても,領置されると終局処分が決まるか,公判終了後まで還付されないのが通常だから,強制処分と捉えるらしい。
…司法試験では受け入れられないと思われます。なぜならば,少なくとも現在の実務は任意で固まっているからです。「争いのある」点であれば,判例・実務の立場に反論をしたうえで私見を述べることも許されるでしょうけれど,「固まっている」点については,そこから逸脱することは,定期試験では許されても,実務家登用試験たる司法試験では許容されないように思われます。
そもそも,この点については,議論の実益はないものと思われます。仮に領置は強制だと捉えたところで,それ自体は法に規定されたもので,その法は令状を要求していませんので。あるいは,そうではなくて差押令状を取れってことになるのかなぁ??
法律学を学ぶ者の姿勢としては,既存の考え方に縛られずに議論することは非常に良いことです。この点,LS生は一般的に優れた姿勢を持っています。しかし,司法試験を見据えた場合,それは時に有害ですらあります。
受験生が依って立つべき考え方を,まずはしっかりと押さえること。受験生の皆さんが,実務法律村で活躍するためには,実務法律村のしきたりのもと,実務法律村の方言で物事を語れるようにならなくてはいけません。新参者は,まずはそれに従わなくては,村に受け入れてはもらえません。そのしきたりを変えようと思ったら,まずは村の中で認知されてから,です。このあたりは,割り切ってしまった方が,結果としてはよいです。その意味では,正当防衛の防衛の意思不要説もあまりお勧めではないです。
判例の立場で足場を固めてしまうのは,短答対策としても有効です。短答と論文は常にリンクさせて勉強するべきです。
…司法試験では受け入れられないと思われます。なぜならば,少なくとも現在の実務は任意で固まっているからです。「争いのある」点であれば,判例・実務の立場に反論をしたうえで私見を述べることも許されるでしょうけれど,「固まっている」点については,そこから逸脱することは,定期試験では許されても,実務家登用試験たる司法試験では許容されないように思われます。
そもそも,この点については,議論の実益はないものと思われます。仮に領置は強制だと捉えたところで,それ自体は法に規定されたもので,その法は令状を要求していませんので。あるいは,そうではなくて差押令状を取れってことになるのかなぁ??
法律学を学ぶ者の姿勢としては,既存の考え方に縛られずに議論することは非常に良いことです。この点,LS生は一般的に優れた姿勢を持っています。しかし,司法試験を見据えた場合,それは時に有害ですらあります。
受験生が依って立つべき考え方を,まずはしっかりと押さえること。受験生の皆さんが,実務法律村で活躍するためには,実務法律村のしきたりのもと,実務法律村の方言で物事を語れるようにならなくてはいけません。新参者は,まずはそれに従わなくては,村に受け入れてはもらえません。そのしきたりを変えようと思ったら,まずは村の中で認知されてから,です。このあたりは,割り切ってしまった方が,結果としてはよいです。その意味では,正当防衛の防衛の意思不要説もあまりお勧めではないです。
判例の立場で足場を固めてしまうのは,短答対策としても有効です。短答と論文は常にリンクさせて勉強するべきです。
ただ今回
ちょっと脅かしすぎなんじゃないでしょうか?
領置=強制処分説をとったとしても、法律に特別の定めがある以上、その文言通り要件はかわらず令状は不要という点では争いはないはずです。
これは、刑法で過失犯の共同正犯を認めるか、互いに対する注意義務を認めて単独犯の同時犯に解消するかという説の対立のように、理論的構成だけの
対立で、要件自体はほとんど変わらず、どちらで書いたからといって
点が変わると言うことはないでしょう。
占有の取得の場面では任意処分、
その後還付されないという場面では強制処分という
説明され方もなされているようです。
判例・実務が任意処分だから任意処分なのだと
思考停止する方が危険なのではないでしょうか。
判例・実務の立場をとるにしても、
どうして強制処分ではなく任意処分なのか、考えることが不要になる訳ではないでしょう。
防衛の意思不要説や、共謀共同正犯否定説のように
要件が大きく変わり、
本文中の事情ががっさりつかえなくなるというような場面では、
判例実務に真っ向から否定するような説はソン
というのはわかりますが
。
今回の記事での言及の射程は,本文中の言葉をそのまま引用すると,判例・実務が「固まっている」点についての話なんです。法律実務家が「共通了解」としている点においては,それを逸脱するのは痛手を負ってしまう,ということです。
というのはですね,私自身が平成20年・民事なんかで,これで痛い目を見ているんですね。敗因分析をした結果,また,複数の合格者に見てもらった結果,これが致命傷だったんだろう,と結論付けました。得点率30%を割ったんですから,あの時は本当に目の前真っ暗でした。ホント,致命傷どころではなく,即死でした。で,同じ過ちを繰り返しちゃいけないので,
「実務家がおよそ採らないであろう立場を採るのは実務家失格=不合格(司法試験では受け入れられない)となる。実務家であっても考え方が分かれる点は,どちらに立っても許される。ただ,判例は先例性があるのでそれに従って立場を選択すべきである。判例に反する立場を採るなら,判例の立場そのものが妥当でないか,あるいは,判例の射程が及ばないことを論証したうえで私見を展開すべきである」
って,こんな感じのことを六法に書いておきました(笑)
それで,ここから先は裏が取れないので何とも言えないのですが,誰よりも多く本試験の採点をしてもらっての感覚・感想が,そう(=記事の通り)なんです。「いいか,悪いかは別として」,難しいことを書いたり,こだわりを持って書いたりするよりも,「判例をベースにした,作問者の作り出す問題の”流れ”」に乗って,淡々と,ただ,正確に・丁寧に論じていくことが,最も確実に合格点を超えるんです。過去問を何度も書いてみて,この感覚というかコツが掴めてからは,110/200を切らないような自信が出てきて,本試験でもそういう結果になりました。
それで,ココで言う,
「判例をベースにした,作問者の作り出す問題の”流れ”」≒判例・通説・実務≒法律実務村のしきたり
「正確に・丁寧に」≒しっかりと理解する,足場を固める
ということになるわけです。私なりの合格答案の必要条件です。
で,領置の話は,実務系の本(講義案やイケマエなど)や現役の検察官(さっき電話で確認しちゃいました:笑)の話を踏まえるに,やっぱり「固まっている・しきたり・共通了解」に属するということでいいのではないかと思います。
そして,上の「必要条件」は,「固まっている」点のみならず,見解が分かれうる点でも通有性があるので,「対試験」という見地では,それが最も確実性が高いのであろう,というわけで,今回の記事の内容です。
>判例・実務の立場をとるにしても、どうして強制処分ではなく任意処分なのか、考えることが不要になる訳ではないでしょう。
これは,全くその通りで,もっとも,考えるのが不要とまでは私とて思っておりません(という趣旨で書いたつもりです:汗)。その「どうして~なのか」まで含めて,判例の考え方をしっかり押さえて,固めておく。ただ,結論として,別の方向に行きたくても,「試験では」それに「乗って」おく。
合格と不合格の両方の経験を踏まえて,こんなふうに思うんですね。
今思えば、先生が指摘された視点が欠落していたんだなと思います。その修正ができずにあっという間に論文で3連敗してしまったものです。
私はむしろ、もっともっと脅してほしいなと。自戒のためにも。先生はブログ上でかなりオブラートに包んで表現されることが多いように感じますが。藁にもすがりたい者としては…
何としても合格したいのです。
うーん(^_^;)領置の法的性質は争いありますよね。
東北ローの佐藤教授などは強制処分説にたってますし、
自分の知っている考査委員の先生は、取得過程は任意処分であるが、その後の返還しなくて良いという態様を見ると強制処分であるという説明をされてました。
基本書や判例で任意処分と明言してるものってありましたっけ?
予備試験でリベンジされるのですね。初志貫徹されることを,陰ながら応援しております。今回の記事で伝えたかったことは,まさにその「視点」です。ここは忘れぬように勉強してくださいね。でも…。この3回ルール,本当に修正ができないとあっと言う間に過ぎ去ってしまうのですよね。今度は,一発で決めてください。
新65期さん
文献としては,イケマエが取調べなんかとともに「刑訴法上の任意捜査」の具体例として挙げていて,検察講義案が「任意捜査」のカテゴリーで紹介していて,講義案(司法協会)は,「強制処分としての差押えと遺留品又は任意提出物の領置」という書き方をしているので任意であることを前提としています。手元でざっと確認できるのは,以上になります。
昨日,現役Pが言っていたことを紹介すると,「領置調書見なよ~。『用が済んだら返してください』『用が済んだら処分してください』って言って,提出されているわけでしょ?嫌だったら出さなきゃいいわけだし,強制の要素ってないか,あっても極めて小さいわけよ。そうやって出されたものが強制ってのは,ちょっとね。理論的には言えなくないけど,実際の感覚からするとね」とのことでした。私もこんな「感覚」ではあります。領置調書は,実務修習で実物を見てください。提出者が自筆で書きますから,現役Pが言うように,これを強制するってのは実際のところ考え難いように思います。
この法的性質論は,結論に影響を与えないので,深く議論されてきたわけではありませんし,正直,私としても現役Pと同じ感覚で考えていて,それ以上,深くは考えてきませんでした。
合格者である新65期さんにちょっと伺いたいのですが,この法的性質論って,ローの授業でそれなりに採り上げられたんでしょうか?YESかNOかだけで構いませんから,お暇な時に教えていただけると嬉しいです。
事前課題,頑張ってくださいね~!
…いずれにしても,例えば,平成22年の刑訴の問題で大きく展開すべきことではないんですよね。
上の方のコメントに関連してですが、刑事訴訟法を司法試験に向けて学ぶ上で、根本の根本のところの由来・ルーツの部分まで意識して学ぶものでしょうか。合格者や実務家の一般的な水準でどうなのでしょうか。現在の状況で、大陸法系・英米法系の発想というのは、もはやないように思うのですが。。。判例にしても学説にしても。
不躾かつ低レベルな質問で申し訳ありません。
もっとも,現在においての日本の刑事訴訟法は「中庸」と捉えて差し支えないはずで,判例・学説もそのルーツの部分を意識はしていないはずです。その意味では,こと司法試験対策としては(予備組さんの質問にお答えすると),「意識しない」「一般的な合格者は意識していない」というふうになろうかと思います。それよりは,我が国の捜査・公判実務を知って,前提として学んでいく方が,理解が深まります。
この辺が国会に信頼を置くか、裁判所に信頼を置くかという、フランス系と英米系の違いが顕著に表れていて面白い所だと思います。
もっとも、深入りは避けて、はら先生のおっしゃるように判例をしっかり理解することの方が、司法試験には先決でしょうね。