原孝至の法学徒然草

司法試験予備校講師(弁護士)のブログです。

憲法判断の思考方法

2011-11-03 | 憲法的内容
最もテクニックに頼ってしまう,しかし,それがために苦手な人はなかなかうまくならない憲法。現在,多くの受験生が混乱しているというか,振り回されている憲法につき,若干の考察を。

まず,以下の点がどういうことを意味するかピンとこない場合,本試験で出題意図をはずしてしまう可能性があります。

<平成22年採点実感>

憲法上の問題を検討するにあたっては,判断枠組みの構築と当該事案における個別的・具体的な検討が必要不可欠である。三段階審査とか比例原則の定型的・観念的使用を戒めるとともに,それらの内容の精緻な理解を深めることが求められる。

<平成23年出題趣旨>

表現の自由に関して検討すべきことは,憲法21Ⅰが保障する権利の「領域」・「範囲」ではない。憲法上,表現の自由の保障「領域」・「範囲」があらかじめ確定しているわけではない。問われているのは,表現の自由の内容をどのように把握するか,である。

公式見解には,以上の旨が述べられています。試験委員が何をメッセージとして伝えたいか,じっくり考えてみてください。特に,「領域」・「範囲」という表現を使っている点です。しれっと書いていますが,この部分,非常に重要です。「領域」という表現は,小山先生の本なんかに登場する比較的最近よく使われている表現で,「範囲」は高橋先生の本なんかに登場するわりと昔から使われている表現です。最近の三段階審査論的立場に親和的に書いていくのか,旧来の考え方に依って立つのか,そんなことは重要ではなく,我が国において行われている憲法判断の枠組みをしっかりと理解してその上に立って考えよ,ということを試験委員はメッセージとして発信していると思われます。

憲法の答案がうまく書けない受験生の答案でよく目にするのが,「当該事案における個別的・具体的な検討」をすることなく,常に,①保護領域→②制限→③正当化,のプロセスを踏んで,いわばこの思考方法を,「定型的・観念的」に採用してしまう,パターンです。

この三段階の思考方法自体は,わかりやすいし,思考を整理するにはうってつけのものです。しかし,これを「精緻な理解を深める」ことなく司法試験の答案に応用しようとすると,

ア.①と③で書くことが重複する

イ.③で書くべきを①で書いてしまい,出題意図が求めている③の部分の検討を十分にできない

という事態を生じやすいものです。

翻って考えてみてください。百選等に掲載されている判例で,①が争われた事案って,どれだけあるでしょうか?ほとんどないはずです。21条関連でいうなら,法廷でのメモ取り,取材の自由,アクセス権,このあたりくらいのはずです。これら,「アウトプット」とは程遠い行為について,それをも21が保障するのかというテクストで問題となります。要するに,アウトプットされる類のものであれば,①で勝負はされず(①はまず問題にならず),勝負は③になっていくのです。常にいつでも①が問題になるわけではないわけです。大げさに言ってしまうと,①を論じなければいけないような事案と言うのは稀です。少なくとも,我が国の判例・実務が依って立つ考え方においては。

こと21条で言うなら,一般的には以下のように考えられていまず。高橋「立憲主義と日本国憲法<第2版>」(有斐閣)の186頁以下から一部抜粋・引用して説明します。

「表現の自由を個別人権として保障する理由は何か。それは,個人の自己実現と自己統治にとって表現の自由が不可欠と考えられるからである。」

「保障された『表現』を明確に定義すれば,後はその定義に該当するかどうかだけを判断すればよいと思うかもしれない。しかし,実際には,多様な形態で行われる表現を,保障されるものと保障されないものに明確に区分けしうるような『表現』の定義を確立することは,ほとんど不可能である。そこで,通常は,作業を二段階に分け,まず,表現の自由の及ぶ範囲を画定し,次に,範囲に入ってきた表現行為につき,その表現価値とそれに対立する価値を比較較量して保障される表現かどうかを決定するという手順で問題を考える。」

「二段階で問題を考える場合,範囲の判断においては範囲を広くとり,とりあえず表現の自由の射程内に入れておいて,次の段階で,そこで問題となっている表現の価値の性質・程度を厳密に衡量するという発想になるのが通常である。そこで,範囲の画定についてはそれほど厳密さを強調する必要はなくなり,むしろ範囲を拡大する傾向にある。」

「今日では,いかなる内容であれ,一応表現の自由の保障の射程内にあると考えている。特に,かつては射程外と考えられていたわいせつ的表現,名誉毀損的表現,プライバシー侵害的表現,商業広告なども,今日では一応表現の自由の範囲に入るものと考えるようになった。」→<注>わいせつ表現や名誉毀損表現についての有名判例の類が,ああいった利益衡量をしているということは(③正当化の議論をしているということは),そうした表現も21の「範囲」「領域」に含まれることを当然の前提にしているわけです。

以上のような基本的な考え方をイメージしやすく使えるため,私はこのブログの中で,「入口はざっくり保障して,正当化で精緻に検討するのが我が国の憲法判断の方法である」などと表現してきたんですね。

さて,もう一度,今年の公式見解を引用して,それを大胆に解釈してみます。

<平成23年出題趣旨>

(Ⅰ)表現の自由に関して検討すべきことは,憲法21Ⅰが保障する権利の「領域」・「範囲」ではない。(Ⅱ)憲法上,表現の自由の保障「領域」・「範囲」があらかじめ確定しているわけではない。(Ⅲ)問われているのは,表現の自由の内容をどのように把握するか,である。

(解釈)

(Ⅰ)本問は,映像たれ流し行為といっても,アウトプットするものだから,21条の保障のもとにあることは異論がないであろう。わいせつ表現や名誉毀損的表現だって21条の保障のもとにあると考えられているのだから,本件の映像たれ流し行為が21条の保障を受けないというのは,これまでの我が国の憲法判断の方法を逸脱するものであって,実務家登用試験においてそれは認められない。(Ⅱ)アウトプットする行為については,21の保護を受けるものとそうでないものの境界,すなわち21の「領域」・「範囲」というのはおよそ想定できないのである。(Ⅲ)だから,そして,実際の訴訟において主戦場になるのも,その表現がどんな性質のもの,例えば,自己実現・自己統治という保障根拠に照らして厚く保障されるものなのかそうではないのか,そういったあたりを検討して,本件場面における判断基準を説得的に定立してほしいのだ。要するに,これまでの憲法判断の上に立って,正当化の議論をしてほしいのだ。

こんなふうになりましょうか。出題趣旨の(Ⅰ)や(Ⅱ)の書きぶりからは,被告の反論としても,「原告の行為は21として保障されない」というのは無理筋であって,書いても評価にならない,ということが推測されます。

だから,答案としては…

<公式見解を無視した答案>

第1 Xの主張
1 Xの行為は21で保障される
*自己実現の価値があることを強調。
2 制限されている
*得てして長く書き過ぎてしまう
3 正当化
*再び,自己実現の価値があることを強調して厳格審査基準

第2 Yの反論
1 Xの行為は21で保障されない
*自己統治の価値なく,自己実現も希薄で保護に値しないなどと書く。これが我が国の憲法判断からかなり逸脱してしまう(無理筋)ので,印象がよくない。
2 制限されていない
*何か理由を付けて制限されていないという。得てしてこれも結構無理あり。
3 正当化
*再び,自己統治の価値がないことなどを強調する。

<公式見解に従った答案>

第1 Xの主張
1 中止命令によってXの映像配信の自由が制限していることを認定。
2 映像配信行為の表現の自由としての価値
*X自身の自己実現の利益もあるし,閲覧者の知る権利に資するし,何より,高度情報化社会においては情報流通過程を保護することが大事。⇒厳格に。
3 一発全面中止は手段として過剰。

第2 Yの反論
1 映像配信行為の自由としての性質
*自己実現の価値なく,表現の自由としての保障根拠の一つを完全に書く。問題は,表現者の自己実現・自己統治であり,閲覧者のそれは反射的利益にすぎず考慮すべきでなく,また,21はもともと発信行為を保障するもので情報流通過程は保護されない。⇒緩く
2 あてはめ

こんな感じになるのではないかと思います。本問で,①「領域」「範囲」は問題にならないはずです。少なくとも,主戦場には,絶対にならない。事案を離れて,「定型的・観念的」に考えてはいけない。個別・具体的な検討が可能になるためには,高橋教授の本から抜粋させていただいたような,骨太な基礎的思考をしっかりと固めることが必要です。

と,ここまである程度真面目に書いて,以下,ちょっと本音。

三段階審査論は,至極正しい思考方法で,むしろ当然の思考方法なんですが,受験生の多くが天からの授かりもののように捉えて,絶対視してしまって,それで墓穴掘ってしまってるんですよね。出題趣旨もそういうニュアンス。骨太な基礎的理解があって三段階審査論的な立場で考えていくならいいんですけど,それなくして,しかも中途半端な三段階審査論的思考ををして,常に自動販売機でジュースを買うがごときの発想をしてしまうんで,事案の個別性に着目できないんです。こういう状況を試験委員はわかっているわけだから,そして,これだけ警鐘を鳴らしているんだから,三段階審査論的発想がピタッとはまる問題なんて出るわけないんですよ。平成21年にまず「自動販売機的」という警告を送って,平成22年は三段階審査的発想がまず通用しないことが明らかな生存権・選挙権の問題を出して,それでもやっぱりダメだったので,採点実感で「三段階審査」という言葉まで出して強く警告して,それで,平成23年(今年)は,①領域・範囲が問題にならないアウトプット型の問題をどんと出した。それでも①領域・範囲を云々する受験生が多かったので,より具体的に,①領域・範囲を論じるのではない,と出題趣旨で具体的に明示してくれた。試験委員に言わせれば,出題趣旨等を読んで「推して知るべし」ではなく,「もう具体的に言ってしまえ。何でそういう思考をしてしまうんだ」というところなのかなぁ。大事なのは,思考マニュアルの表面的理解ではなく,基本的な思考方法の骨太な理解・体得です。私は,こう思います。


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7 コメント

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Unknown (既卒)
2011-11-03 17:06:11
いつも勉強させていただいております。次回2回目の受験生です。毎回受験生視点での指摘がされていて、非常にありがたいです。

既卒同士でゼミを組んでおり、ちょうど最近この点について勉強していたのですが、煮えきらないまま終わっていたところでした。ですが、今回の先生の論考を読んでようやくしっくり来ました。ありがとうございます。

今回のテーマとは別に、憲法では人権選択も難しいところだと思います。例えば、私は今年の問題で22条を論じてしまいました。また、プライバシー権についても気になってかなり言及しました。この点について何かアドバイスはないでしょうか?

それから、まもなく修習を終えられると思うのですが、さしあたりどのような講座を持たれるのでしょうか?やはり先生に御指導いただきたいと考えていますので、差し支えがなければ教えていただきたく思います。よろしくお願いいたします。

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Unknown (Naoko)
2011-11-03 22:20:22

とても参考になりました。
新司法試験の憲法の再現答案を読んでいて
気になることがあります。

憲法判例の原文を読んでみると、原告の主張
で審査基準の指摘(こうだから厳格審査すべき)
をしているところを(おそらく?)見たことありません。
それにもかかわらず、試験の答案では必ず審査基準の
書き分けをした答案に出会います。

審査基準を定立し、そこにあてはめることで、三段
論法の形になったしまりのある答案になりますし、
審査基準の定立に至るまでに憲法の骨太な理解を
示すことができるのもわかるのですが、審査基準は
自己の見解でのみ示せばいいような気もしています
・・・

やはりそれぞれの主張で、各審査基準の主張もすべき
でしょうか?

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Unknown (はら)
2011-11-04 19:21:47
既卒さん

そうですね,人権選択も難しいところ。今回の記事点のの前段階に来る問題ですね。これについては,後日,記事にしようと思いますので,少々お待ちください。

もう一点のご質問に関しては,時期が来たらお知らせしますので,しばしお待ちくださいませ。


Naokoさん

それは,どちらかというと,民訴(民事実務)の問題です。法格言である,「汝,事実を語れ。されば,我,法を語らん」に答えが集約されています。審査基準をどう設定するかは,「法を語らん」の部分なんですよね。さりとて,原告はそれについて何にも言及しないってことはないのですが,準備書面等で法解釈上の主張をしても,判決文にはそれがそのまま引用されるとは限らないんです。だから,判例の原文を読んでも,原告から審査基準についての言及はなかったのでは,と思ってしまうんですね。

答案と実務における書面は違います。原告が提出する準備書面は,「事実を語る」ものですが,答案は結論に至る思考過程を示すものです。したがって,答案では,規範にあたる審査基準の提示が,原則としてそれぞれの立場で必要になります。ただ,憲法の出題趣旨等を読むに,「原告はフルスケール,被告は私見の中で言及すればよい」ですので,被告からの審査基準の提示は必ずしも必要ないのではないかな,と思います。モデルを示すと,

第1 Xの主張

~<①>~<②>,であり,<厳格>に審査すべきだ。本件では~~。

第2 Yの主張及び私見

1 Yの主張 

原告が厳格に審査すべきとして挙げる理由は①と②だが,<①への反論>,<②への反論>であり,原告が言うほど厳格に審査すべき事情はない。←具体的に基準の提示までしなくてもよいと思う。

2 私見

被告の主張の点の<①への反論>はごもっとも。しかし,<②への反論>は,<②への再反論>である。また,<原告の主張の補強>からすると,<基準の提示>を基準に判断すべき。本件では~~。

こんな感じの構成でもいいのかな,と思います。原告と私見では,きっちりと基準を提示する必要があるのかな,と思います。少なくとも私はそういう答案を書いて合格しました。
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Unknown (Naoko)
2011-11-05 10:07:17

先生の丁寧な説明でなんだかスッキリしました!
参考にさせて頂きます!
また分からないことがあれば質問させて下さい!

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Unknown (はら)
2011-11-07 19:11:58
どうぞ~,ご遠慮なく。

合格に向けて,頑張って勉強してくださいね!
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Unknown (yasushi)
2011-11-16 12:13:10
質問に便乗させていただきます。



先生の上記のモデルの私見部分で
「<②への反論>は,<②への再反論>である。」としている部分なんですが、このように反論でも一応筋が通ることを主張してるにもかかわらず,これをさらに私見で評価し直して再反論するというのは、かみ合った議論ができ、さらに考える力がアピールできて理想だと思うのですが、実際には難しく本番では常に思いつくとは限らないような気がします。

だからこそ、「<原告の主張の補強>からすると」の部分は、原告ないし被告の主張に補強の余地を与えておいて、私見で補強することで、なんとか議論をかみ合わせ、考える力を最低限アピールするという戦略なんでしょうか。
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Unknown (はら)
2011-11-16 18:32:19
概ね,おっしゃる通りの趣旨で書いています。注意すべきは,だからといって,原告の主張で「出し惜しみ」はしてはいけないということです。出題趣旨等によれば,原告の主張はフルスケールでする必要があるし,また,弁論主義からすると,原告の主張していない全く新しい視点を出してはならないからです(その意味で,同じベクトルであることを示す意味で『補強』という言葉を使いました)。

確かに,現場で「深い」議論をするのは難しいのですが,一つの視点として

事実は複眼的・多面的・両面的に評価できる

ということを意識しておくと,主張・反論型を論じやすくなります。ある規制が,直接的制約とも言えるし,間接的付随的制約とも評価できる(多くの判例は,間接的付随的制約として緩やかな基準を導いていますが,それらの判例で逆の,すなわち,直接的制約であるとの評価ができないか考えてみてください)。そういったところの,自分なりのジャッジの「根拠」を書いていくのが,「私見」の部分で,原告の主張は,原告の主張を一方的に示すものです。

以上をヒントに,検討してみてください!
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