原孝至の法学徒然草

司法試験予備校講師(弁護士)のブログです。

人権選択の視点

2011-11-14 | 憲法的内容
和光も終盤。今日で起案も全部帰ってきまして,これまでの起案成績からすると,「普通に」やれば問題ないだろうという手応えのようなものはあるのですが,この「普通に」ってのが嫌な感じではあるんですよね。「普通に」やれなかった経験(←平成20年・論文・民事。「普通にやれなかった」んじゃなくて,「異常だった」が正しいかも:笑)があるので。

ちょっと前に質問にあった,人権選択についてです。これは,完全に公式化できるものではありませんが,いくつか視点をお示しします。

1.あまりに複数の人権を問題にしない。「最もシビアに争われる」ものに絞る。これは,出題趣旨等にも繰り返し述べられている。多くても,せいぜい2つくらいか。原則として,1つでいい。それをしっかり論ずる。

2.「最もシビアに争われる」とは,主張可能性のある人権の中で,最も強いものは何か,ということである。言うまでもなく,精神的自由権が一番強い。それで負けるなら,その他(例えば,経済的自由)では勝てないはずだから,論ずる実益はあまりない。経済的自由でいくとしたら,それは精神的自由で構成できない時である(薬事法距離制限や森林法の事件が精神的自由で構成できるか考えて欲しい)。精神的自由で構成できるにもかかわらず,経済的自由のみしか論じないならば,「では表現の自由はどうなのだ?その点について検討しなくては答えが出せないではないか」という感想を持たれるはず。

3.他者の人権を主張するより先に,自己の人権。他者の権利(例えば,閲覧者の知る権利)を援用するのは,自己の人権で勝負するのがきつい時。

4.一般条項的な13条・14条は濫用しない。これらは,民法でいうなら,信義則。個別人権で勝負できるなら,まずそちらを。

5.同様の視点で,思想信条の自由についても注意。思想信条の自由は,表現の自由や信教の自由によっても保障される場合が多い。例えば,①ある思想信条の発現としてある表現行為をしようとしたが,それが規制された場合。また,例えば,②宗教上の信念からある行為を拒否して,それに何らかの制裁があった場合。その意味で,思想信条の自由もある種,一般条項的な人権である(アメリカでは,独立に保障しない。我が国の判例でも,思想信条の自由の侵害のみを問題としたものって,多くはないですよね)。こういった場合,直接に制約される権利は,①ならば表現の自由で,②ならば信教の自由である。したがって,そちらがメインで,その判断枠組みで検討していく。思想信条の自由をも侵害する,ということは,事案の特殊性として,「~~という意味で,思想信条の自由も脅かすので,厳格な審査によるべきだ」などとして,審査基準を厳格に向かわせる事情として指摘するとよい。

6.新しい人権は,憲法上の明文がないのだから,まずは当該自由が何条によって保障されるか,特定しなくてはいけない(平成21年出題趣旨等参照)。試験に出やすいのは知る権利なので,知る権利について一言。知る権利は,21条のよって保障される類型(表現の自由の裏返しとしての情報受領権)と,13条の幸福追求権の一環として保障される情報開示請求権(自己情報コントロール権)がある。どちらの類型に属するか,現場で落ち着いて判断する。基本的には,前者だと考えていいと思う。発信者の行為がそもそも表現の自由として保障されないものや,ある情報を保障することに表現の自由の保障根拠がほとんど妥当しない場合は,後者かな,と捉えるという感覚を持っておけばいいと思われる(以上,平成21年出題趣旨等参照)。

公式っぽく総論的視点を示すなら,このような感じになるでしょうか。以下,以上を踏まえて,もう一つ。

7.誘導の問答(依頼者と弁護士の会話)があるなら,そこにヒントがある。依頼者がどのような人権を侵害されたと言っているか。弁護士として,依頼者の「口(くち)」になって法的に構成してあげる。依頼者が主張している人権を弁護士がすり替えてはいけない(問答の中で弁護士が「それは難しいですね」などと言っていたら例外)。

思いつくところを「視点」として示すと,以上のようなところでしょうか。総じて言えることは,それぞれの権利(人権)が,どういったもので,なぜそれが保障されるのか,そのあたりをがっちりと理解していると,本番で自信を持って人権選択できるようになります。

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1 コメント

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Unknown (ごご)
2012-01-27 18:21:39
はじめてコメントさせて頂きます。恐縮ですが質問をさせていただいてもよろしいでしょうか。

私は今年の試験で知る権利を展開してしまいましたが、先生の記事(出題趣旨考察)を見ると、表現行為が止められた所が問題になっているので、確かに知る権利は書くべきではないと思いました。

ところで、本文であります、閲覧者の知る権利を援用して論じるような場合、第三者の違憲主張適格の論点も合わせて論じることになるのでしょうか。
法令違憲の場合には立法事実のみを見るので、第三者の主張適格については論じる必要はなく、処分違憲について論じるときにのみ主張適格を検討するのだという理解でよろしいのでしょうか。

初歩的な質問ですみません。
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