原孝至の法学徒然草

司法試験予備校講師(弁護士)のブログです。

平成27年司法試験「出題趣旨」(憲法)に関する若干のコメント

2015-10-26 | 新司法試験制度・情報など

皆さんご存知の通り,出題趣旨が発表されました。私なりに,コメントします。今日は,憲法です。出題趣旨を一部引用しながら,コメントしていきます。

 

 

>まず,従来は,「被告の反論」を「あなた自身の見解」を中心とする設問2に置いていたが,それを「原告の主張」と対比する形で設問1に置き,さらに,各設問の配点も明記することにした。

これまで出題側としては,「被告の反論」の要点を簡潔に記述した上で,「あなた自身の見解」を手厚く論じることを期待して,その旨を採点実感等に関する意見においても指摘してきたが,依然として「被告の反論」を必要以上に長く論述する答案が多く,そのことが本来であれば手厚く論じてもらいたい「あなた自身の見解」の論述が不十分なものとなる一つの原因になっているのではないかと考えたからである。そこで,本年は,「原告の主張」と「被告の反論」の両者を設問1の小問として論じさせることとし,かつ,配点を明記することによって,「被告の反論」について簡にして要を得た記述を促し,ひいては「あなた自身の見解」の論述が充実したものとなることを期待した。

 

→この点は,平成18年に三者フルスケールで書かせてうまくいかず,平成19年以降,出題の形式が変わったところです。過去問と出題趣旨等公式資料を分析していれば理解できているはずの点を確認するものです。要するに,私見の部分を一番書かなくてはならず,被告の反論は簡潔でよいということ。従前通りです。

 

>また,論文式試験においては,設問の具体的事案のどこに,どのような憲法上の問題があるのかを的確に読み取って発見する能力自体も重視される。しかし,本年は,論述の出発点である原告となるBが憲法との関係で主張したい点を問題文中に記載することとした。これは,後述するように,本問には平等に関してこれまで論じられてきた典型的な問題とは異なる問題も含まれており,この点も含めてひとまず平等に着目した論述を期待する見地からである。

 

→今年の出題の特徴的な点です。今年は,こういう「誘導」がないと最大のテーマである「14条は区別的取扱の要請も含むのか?」に辿りつかないと思われるのでこういう出題にした,というところだと思います。来年以降もこのパターンで来るのかというと,「?」です。ただ,こういうパターンがあったということは知っておかねばならない。

 

>本年の問題の一つは平等である。憲法第14条第1項の「法の下の平等」について,判例・多数説は,絶対的平等ではなく,相対的平等を意味するとしている。この平等に関し,原告となるBは,Dらとの比較において,これまで論じられてきた問題を提起しているほか,Cとの比較において,「違う」のに「同じ」に扱われたという観点からの問題も提起している。平等が問題となる具体的事例においては,何が「同じ」で,何が「違う」のかを見分けることが議論の出発点となることから,本問でも,まずは,Bの主張を踏まえ,「同じ」点と「違う」点についての具体的な指摘とその憲法上の評価が求められることとなる。その上で,憲法が要請する平等の本質等にも立ち返りつつ,自由権侵害とは異なる場面としての平等違反に関する判断枠組みをどのように構成するかが問われることになる。

 

→まさにここが今年のポイントでしょう。平成18年の問題を思い出します。平成18年の問題は,「表現の自由は,通常,『言いたいことが言えない』こと。では,『言いたくないことを言わされない』権利(消極的表現の事由)も含むのか?」を問う問題でした。今年の問題は,「平等は,通常,『異なった取り扱いをするな』ということ。では,『異なって扱え』という権利も含むのか?」を問う問題。この点,何のために14条があるか考えれば考察できるでしょうかね。同一取扱をすることが平等と言えないなら,異なる取扱をしてはじめて憲法の所期する平等が達成される,14条の存在理由からすればそれをも保障していると考えられるでしょうかね。ただ,ここで難しいのは,「異なって扱え」という請求権的性質まで認められるのか,ということ。これが,出題趣旨の言う,「自由権侵害とはことなる場面としての~」です。

 

>A市が上述のような考えを持つBを正式採用せず,ほぼ同程度ないし下回る勤務実績のDらを正式採用したことは,天然資源開発における安全性の確保という言わば当然とも言うべき基本的な考え自体を否定的に評価するもので,憲法第14条第1項で例示されている「信条」に基づく不合理な差別となるのではないかという検討が必要である。

 

→Bは,Dらとの関係では,「信条」によって差別されている。一方,Cとの関係では,「信条」によって「同一取扱」がされているとは言いにくい。こういう点に気付いて検討できたかどうかは,点数を分けるでしょう。

 

>また,本年の問題で,原告となるBは,Cと「違う」にもかかわらずCと「同じ」に扱われて正式採用されなかったという点からも問題提起をしている。ここで問題となるのは,BとCはいずれも正式採用されなかったところ,Y採掘事業に関する両者の意見は,結論としては反対意見の表明という共通性があるとしても,その具体的な内容が違うことに加え,BとCがそれぞれの意見表明に当たってとった手法・行動等も違うことである。したがって,ここでは,こうしたBとCとの具体的な「違い」を憲法上どのように評価するかを踏まえた論述が求められる。

 

→端的に言うと,BもCも,Y事業に反対なのであるが,Bは「建設的な」,「市民の安心を達成したい」という見地からの反対意見で,Cは,そうではないのですね。要するに,Y対策課の存在意義に沿う反対意見のBと,そうではないCとでは,同一取扱をする合理性・相当性がない,ということでしょうね。

 

>本年のもう一つの問題は,表現の自由である。すなわち,Bは,自分の意見・評価を甲市シンポジウムで「述べたこと」が正式採用されなかった理由の一つとされたことを問題視しているので,そこでは,内面的精神活動の自由である思想の自由の問題よりも,外面的精神活動の自由である表現の自由の問題として論じることが期待される。

 

→19は総則規定,21は各則。21でいけるなら,21でいく。21でいけない時に,19。本問はシンポジウムでの発言があるので,21でいける。

 

>その際には,意見・評価を述べること自体が直接制約されているものではないことを踏まえつつ,「意見・評価を甲市シンポジウムで述べたこと」が正式採用されなかった理由の一つであることについて,どのような意味で表現の自由の問題となるのかを論じる必要がある。そのような観点からは,上述のような理由により正式採用されないことは,Bのみならず,一般に当該問題について意見等を述べることを萎縮させかねないこと(表現の自由に対する萎縮効果)をも踏まえた検討が必要となる。

その上で,この点に関しては,正式採用の直前においてもBが反対意見を述べていることなどから惹起される「業務に支障を来すおそれ」の有無についての検討も必要となる。その検討に当たっては,外面的精神活動の自由である表現の自由の制約に関する判断枠組みをどのように構成するかが問われることとなるところ,例えば,内容規制と評価し,表現の自由が問題となった様々な判例を踏まえた判断枠組みも考えられるであろう。どのように判断枠組みを構成するかは人それぞれであるが,いずれにしても,一定の判断枠組みを用いる場合には,学説・判例上で議論されている当該判断枠組みがどのような内容であるかを正確に理解していることが必要である。その上で,本問においてなぜその判断枠組みを用いるのかについての説得的な理由付けも必要であるし,判例を踏まえた論述をする際には,単に判例を引用するのではなく,当該判例の事案と本問との違いも意識した論述が必要となる。

 

→ここは,特に真新しいことはないですね。これまで言われ続けてきたようなことです。


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