「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩評 イマソラ~東直子詩集『朝、空が見えます』を読んで 髙田 祥聖

2024年01月24日 | 詩客
 「イマソラ」というハッシュタグがある。空の写真を撮って、いま自分の見ている空はこんな空だよとSNSに上げる。文章はあってもなくてもいい。二〇二四年、東直子氏が上梓した詩集『朝、空が見えます』(ナナロク社) はまさにイマソラを綴った詩集である。

 二〇一七年一月一日から十二月三一日まで、Twitter(現在はX)に毎朝、「おはようございます」から始まる一文を投稿し、その日の空の様子を言葉で伝えていました。この本はそれを纏めたものですが、一月一日以外の「おはようございます」を省略し、一日ずつを立たせ、一年を通して一編の詩のように纏めました。(「空のあとがき」より抜粋)

 本書には、東氏が何時何分何秒にツイート(Xに則って言えばポスト)したかがわかる別紙が付いている。いかにも情報化社会らしい趣向だが、SNSという大衆性のなかで、呟きというものがいかに個人的なものなのかを際立たせてもいて興味深い。
 それでは、詩となった呟きたちを読んでいきたい。

ほんのり甘く晴れわたっています。

ほんとうによく晴れています。

ミルクと蜜入り青空です。


 上から二〇一七年三月十六日、十七日、十八日の呟きである(本書では一行空けが日数の経過を表している)。圧倒的短さの呟きはやわらかな筆致ながらも、その短さゆえに断定の響きがある。「ほんとうによく晴れています」という素直すぎる呟きも、「ほんのり甘く晴れわたっています」という共感覚的な呟きも、独立した詩でありつつ、合わさってひとつの詩作品となっているところが面白い。それぞれ別の日の空であるのに、コマ送りの動画のように変化していく空を見せられているような、そんな感覚さえ覚える。
 呟きの結びにも注目したい。本詩集をお読みいただければわかるが、上のみっつに限らず、呟きの大半が「です」「います」で結ばれている。これもまた効果的で、淡々と報告を受けているような、それでいて丁寧に日々を紡いでいくような、不思議なリズムを生み出している。
 本作の魅力は、多彩な比喩表現にあると言っても過言ではないだろう。

貴重面で繊細な、長子のような青空です。
名前覚えるの苦手なんだよ、って言いそうな曇り空です。


 擬人化と言って終わらせるには忍びない、あまりにもキャラクタリスティックな空である。東氏は小説家でもあるから、こんなふうに登場人物の肉付けをしていくのかもしれない。本詩集に写真は伴われていない(ただし、とてもかわいらしい猫の挿絵はある)ので、東氏が見た空は想像するしかない。にも関わらず、「わかる」。貴重面で繊細な長子のような青空も、「名前覚えるの、苦手なんだよ」と言いそうな曇り空にもどこかで会ったことがあるような気がしてならない。否、会ったことがある。そんな確信さえ覚えるのは、東氏の比喩表現の巧みさからか。それとも、空という存在の身近さからか。こんな呟きもある。

1000年前の晴れの日と同じようによく晴れています。
30年前と同じように晴れています。
人類の歴史とは無縁の雲を、あかるくうかべている冬の空です。
無理をしなければいいのに、人も、国も。そう思えてくる、青白い空です。


 千年前の空を私は見たことはない、過去ゆえに見ることもできない。しかしながら、地球が、生物が、人類が、私が生まれたとき、もうすでに空はそこにあったということは理解できる。人類の歴史と無縁の雲とはどんな雲だろうか。逆に、人類の歴史と関わりのある雲はどんな雲だろうか。たとえば、原爆投下に伴って発生したキノコ雲は。自身の誕生以前を、戦争を、あの日の記憶を、空は思い起こさせる。
 日本の生み出した詩形のひとつに俳句がある。無季という季感のない俳句も存在するが、俳句を語るときの特徴として季語があり、「春の空」「夏の空」「秋の空」「冬の空」という季語が四季それぞれに存在する。季語は、先人たちがその季節の風物のエッセンスを凝縮させたもの。だとすれば、私たちには「空」という存在に対して何らかの共通理解があるのかもしれない。

どんなに遠くまでいけるのかわかるのかわからなくなるような、晴れです。
晴れているといえば晴れているし、曇っているといえば曇っている、ようです。
今まで言えなかったことを、今言っても、言わなくても、白いままの空なのだと思います。
わかったようなわからないような、わかってもらえなくてもかまわないような、雲がちの明るい空です。


 前記とは一転して、二面性があるような、表情を読みきれないような空である。「晴れているといえば晴れているし、曇っているといえば曇っている」、そんなどっちつかずの空はたしかに存在する。わたしたちはなにをもって晴れと感じ、なにをもって曇りと断じるのか。実景の描写のような呟きもあれば、「どんなに遠くまでいけるのかわかるのかわからなくなるような、晴れです」「今まで言えなかったことを、今言っても、言わなくても、白いままの空なのだと思います」といった心情に寄ったような呟きもある。空のなかに、あるいは空そのものに言いようのない自分の心情を見る。これもまた空の側面のひとつであり、空というものの懐の深さを思う。

 『朝、空が見えます』は三百六十五日分の空の詩が収録され、それらの詩が集まってひとつの詩ともなっている詩集である。見覚えのある空もあれば、見たことのない空もあるだろう。読み終えたとき、魅力あふれる様々な空の描写を、あるいはいま自分が見ている空を、誰かと語り合いたくなる、イマソラしたくなる詩集である。「本格的に迷子になってもいい、白い空」をあなたは見たことがあるだろうか。「海をあわだてすぎてできた空」は。「そうっとしておいてくれる、はるかな曇り空」は。

 いま、あなたがいる場所から見える空は、どんな空だろうか。

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