「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第285回 詩美と時代と存在証明 平居 謙 

2023年06月11日 | 詩客

 何年か前に、現代詩集評をこの「詩客」に連載した。その時は、前回はあれ書いたから今回はこれ書こう、次回はどれにしよう、などといろいろ迷った。今回は1回限りの単発なので、最近考えていることを2つだけ書く。ひとつめは〈人は何で詩や文学を書くのだろう〉ということ。もう一つは、〈時代は詩や文学の中でどのように書かれるのだろう〉ということ。いずれも大きな問題で、簡単に書けることではなさそうだが、親愛なる詩客読者のために。できるだけ手短に書いておく。


 昨年4月から大阪文学学校(通称 文校 本稿てもそう呼んでおく)に講師として関わっている。文校は小野十三郎が始めたもので、プロのライター養成所という趣とは少し異なっている。もちろん文校でも賞を狙って切磋琢磨する書き手は少なくないし、世に出て文章で人々を楽しませるということは必要なことである。僕自身も小説や詩を楽しんで読んだ覚えがあるからここにいるのだ。しかし何のために書くかということになると話はずいぶん違ってくる。


 文校校長の細見和之が新入生に向けた挨拶の中で「文学は生活の糧にはならないかもしれないけれど、生きる糧として大いに有益なのだ」みたいなことをもう少し上手い表現で言っているのを聞いて、柄にもなく感動したことがあった。最近話題のチャットGPTなんかがそのうち人知では到底及ばない一大スペクタクルを創作してくれることだろうし言葉の組み合わせの妙に関しても、そのへんの詩人なんかチャットGPTの足もとにも及ばないだろう。賞狙いで小説や詩を書いていた人は全部廃棄なさるがいい。自分のために書くという、もっとも本質的な役割だけが残ることになるだろう。それで僕は、いよいよ大阪文学学校再注目だな、などと漠然と考えていた。


 そんなことを考えていたら、いやまてよ、文校だけじゃない「東京荒野」もある!小野十三郎と同じような心意気で、東京で文藝誌を出し続けている湯原昌泰もいるじゃないか!とたった一度だけ東京で顔を合わせた、若々しい編集者の顔が浮かんできた。小野十三郎と同じ思いで、なんて書いてしまったか、湯原の思いは正確には僕は知らない。だが傍からみてると、文学の役目の中で、食うため(経済、売れるため)ではない、生存のため(自分を生きるため)という文学の根底的な役割を字通り命がけで保証しているのが「東京荒野」というシステムであり、それを支えているのが湯原昌泰という編集者である。


 湯原昌泰は公式プロフィールによると〈1984年生まれ。茨城県出身、東京都在住。自分の原稿を掲載できる場がなかったことから、2015年、季刊誌東京荒野を発行。抒情詩の惑星管理人。〉である。もう少し詳しく知りたくて、本稿を書くタイミングで本人に尋ねると「東京荒野」を始める前は10年間音楽活動をしていたそうだ。新人賞などに応募していたが、なしのつぶてで、それ以外のやり方はないのかと思い、自分で雑誌を作り始めたのだという。彼は、出会った人に原稿を書いてもらいたいと思っており、10年来の友人や、表現活動経験のない人にも原稿も依頼しているらしい。こだわりの一つとして創刊時より定価1000円を貫いているというが、詩集や詩誌を、作っている立場からいえば、これはなかなか出来ることじゃない。紙代、印刷代だけでもどんどんあがるのである。読み捨てられることもよし。身近な雑誌を目指していると彼は言った。文学が駄目になりつつある今を生きる時代の意地のような存在である。


 もうひとつは、〈現代という時代〉がどう描かれるかということについて。最近小網恵子『不可解な帽子』(水仁舎)という詩集を読んだが、それがとてもよかったのだ。全篇が見開き2ページに収まる心地よさ。潔いほど短いけれども短いと感じさせない、ぎゅぎゅっと詰まった感じが悦楽である。その中に「記憶」という作品がある。この詩は輝くほどにまで潔い。

「記憶」
木道から見ると
山の麓に黄色の帯のように
エゾカンゾウの群落がある
あと一週間もすれば
紫色のノハナショウブがとって代わると言う
季節はぐんぐん進んでいくのだ

 五千年前は海だったという湿原
津波や火山灰を浴びた記憶もあるらしい

私たちは疫病の流行で三年会えなかったから
空白を埋めるように
まわりのことを話してたけど
やはり戦火の燃える地へと辿り着いてしまう

火の粉は少しずつ地図を焦がし
じわりと広がってきている
この地から少し行けば隣国の島が見える

ノビタキの嘲りが聞こえる
この湿原が木に覆われた森へと
やがて変化していく
それだけは真実らしい
        (全文)


 短いけれども詩の中には随分長い時間軸が突き刺さっており、容易に抜くことはできない。津波の記憶と燃える地図のイメージは、詩集全体の中の静かなイメージとは裏腹に、どぎつく、色濃く僕には迫ってくる。強い言葉は全くつかわれていないし、短くさらっと書いているのに不思議である。中でも驚いたのが、その〈地図〉の話題が出てくる連、ちょううど索引の真ん中あたり〈私たちは疫病の流行で三年会えなかったから~やはり戦火の燃える地へと辿り着いてしまう〉の一連である。この詩句のとおり、われわれは丸三年近く会えなかったし、そのうちにロシアによるウクライナ侵攻まで始まって、物理的にも気分的にも最悪の時期を過ごしたのだ。大いに飲んだり楽しんだりという文化が後退し、どこか身構えた、自分の身を守るにはどうしたらいいかを常に考えさせられるような環境に突入してしまっている。いろんなことをいっぱい言いたい、共有したい。そんな思いもあって、新型コロナ禍がやや沈静したことをいいことに、盛んに出歩いたりするのである。話すことはいっぱいある。それなのに話は〈困ったことだね〉というところに行きついてしまう。


 この三年間、われわれには数えきれない辛い日々があったはずだ。それなのにここには、わずか一連。ここ数年のことが僅か四行に見事に略述されている。さらに言えば〈五千年前は海だった~〉の二行と空白の一行を含めた八行で、二〇一一年以降の世界の略図が書かれ切っている。もし人類がこの先も続くのだとして、「日本史」のような科目が残るのだとしたら、今の時代はこのように〈触れて〉終わりになるのだな、六〇数億の命の苦しみもわずか数行に凝縮される。これが現実の姿なのだと考えると、逆に世界でいきてゆくことが面白くさえ感じられ始めた。


 回りくどく言い訳がましい時代である。おためごかしの言葉の流行る気持ちの悪い現在である。その中で潔い存在や表現だけが、ほんとうに美しく響く。


自由詩時評第284回 杉本真維子「OPQ」について 小峰 慎也 

2023年06月08日 | 詩客
 杉本真維子『皆神山』(思潮社)に、「OPQ」という作品がある。
 結婚に対する抵抗感をふくむアンビバレントな評価のせめぎあいを題材に、「」と「きみ」が何をやっているのかぎりぎり定位できないかたちで部分的な像として存在させられている作品といっていいのか。
 男にはじめての家を案内でもされているのか、そこには「これから」という気配と、「かつて」という気配が二重写しにされたような、「内部にさわるおそれ」が描出されている。

内臓のような家具類をさわり
いるか?
いる。
片言で済むならひとと
暮らしてもよい、
という総意がわからない


 「いるか?/いる。」は何のことをいっているのだろう。この二人にとってすでに前提となっていて読者には前提となっていない何かがいるのか、登場人物(「きみ」?)が建物の中を移動して姿が見えなくなったところでの「いる」という確認なのか。前者であればわからない対象の「出現」であるし、後者であれば、語り手の見え隠れの劇を感じるところだが、それを決定できないことから、実際にはこの情報のかたちそのものに「とらわれる」ことになる。と同時に。中にいる人は「片言で済」んでいる。しかし、外から見ると(読者にとっては)何が済んでいるのかわからない。「片言で済む」ということの外にも内にも立って、そのことがいいことなのか悪いことなのかを葛藤させる装置になっている。ようするに、「片言で済む」ということを(読者に)体験させつつ、そのこと自体をためす、ということになっている。そのあとの三行は、「片言で済むならひとと/暮らしてもよい」とされることに対する抵抗感として、「本音」が出てしまったことによる硬さというかバランスの悪さに踏み出している。つづいて、

きみの名は
「OPQではないのか?」

同名の、スナックなら知っている


 ここの展開。突然、通俗的な物語に出てきそうなことばの展開に謎の順列が乗って飛び出してきている。
 この詩集でも多くは、ものごとに対する評価の葛藤が主-客、全体-部分が定まらない書き方で、張力を保ちつづけるという、表現のストレスにみちている。しかし、そのこととは別(?)に、表現が「作品」になるわからない力が働くことがあるとして、「OPQ」のこの部分はそれに当たっている。それまでのストレスフルな拮抗の力を、通俗な展開と謎の順列で突き破っている。必然とは逆の、何かわからないよろこびへの接続が、どんな予断もなく見出されている。
 この「きみ」は、スナックで何かを踏んだり、おつまみをつまみぐいしたりして、夫婦について考えながら育ったらしい。スナック経営者の子どもなのか、「家庭を知ることはできなかった」とある。引き棚が取りはずされ、男だけが残ったあと、ラスト。

雨の大学の裏通り
ふるい故郷の一点の恥
泥濘の水をすいあげ
きみ、看板のように、
光れよ


 最初、この「光れよ」は少し弱いと思った。けど、思いなおした。光るということばは普及しすぎていてあつかいがむずかしい。このことばをまともに信じるとたちまち何もいってないようなところに落ち込みかねない、と思ったのだが。ここの「光れよ」はまともに相手に向かうのではなく、少し「こちら」に倒れている。それは「きみ」が語り手自身である可能性から来る、自分自身への「光れよ」でもあることから来る、小さいいいかたになっている。そのことが「きみ」だけでなく、「光る」ということばも救っている。そして、音として少し足りないところを選びながら、一気に軽くなる。主張しないし、消滅しない。そういう光りかただ。