「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩評 松井啓子詩集『くだもののにおいのする日』を読む     高木佳子 

2015年02月26日 | 詩客
 松井啓子さんの処女詩集『くだもののにおいのする日』が、ゆめある舎より復刊された。1980年に駒込書房より刊行された本集は、じつに三十四年ぶりの新装復刊であるという。

 復刊の経緯は、「ゆめある舎」のサイトにくわしいが、ゆめある舎主の谷川恵さんはじめ、いくたりの詩人と詩人をとりまく出版の関係者の、おだやかで熱い要望と尽力により実現させたものであることがわかる。個人的には松井啓子さんが現在は詩からは遠ざかっておられることを知ったことがさびしくもあった。

 自費出版という形態のなかでの、少部数そして多くが謹呈という市場の在り方は、売ることを意識したというよりも、作り手のほうの、作品を纏め、かたちにする意識の具体といったほうがいいかもしれず、多くは絶版のままに入手は不可能になることが多いと思う。

 そのなかでの実店舗及びネットでの、一般読者への宛先をもつ販売の形態は、あらたな読者の獲得も意味するだろう。詩集が新たな読み手をみつけると、読み手と対話すること、そのキュレーターとしての作り手。業界の沈滞や自費出版のあれこれを考えるとき、あらたな関係性の構築を改めて考える。

 さて、『くだもののにおいのする日』を改めて読んだとき、集が醸すメルヘンチックな雰囲気と異なり、意外に暗い情念のようなものが凝っているように感じられた。


絵葉書

 柴折戸をしめると
 この庭は いつも夕方です

 鉛筆で描いた柵ですから
 わりと器用に空が暗くもできるのです
 前庭に植わったいっぽんの木から
 しいなのしいの実が落ちてくると
 顔をあげ 手をあわせて受けとめます

 この柵のむこうが海原であるかくさはらであるかは
 わたしもまだ知らされていないのです

 わたくしは出かけないでしょう

 わたくしは 裏庭の
 子どものござに
 ひとりのお茶に
 よばれていますので




 「絵葉書」より。「わたくし」の視点と語りで描かれているが、「」に注目してみたい。タイトルのように絵はがきにある「」なのか、心象なのかは明瞭ではない。
「いつも夕方」で、「前庭」にはしいの実をおとす木があり、「裏庭」には子どもがござをひろげてお茶会をしている。「」に「」があるのかは定かではないが、絵はがき故に鉛筆で「空が暗くもできる」という。庭からは出ない「わたくし」は、柵のむこうがどんな光景なのかも知らされていない。さらに裏庭の子どものお茶会が、「わたくし」のそれ以外の行動を阻害している。 閉塞性を暗示する描写があらゆる詩行から満ちているのを感じるときに、女の性と生を縛る、あらゆるものの存在をみるように思う。
 
 さらに見てみたい。

冬瓜

 きょうは思いきって
 とうがん
 というものを煮てみる

 うりでも
 かぼちゃでもない
 飾り窓もない ばかでかい野菜
 部屋に背をむけて
 薄く切りきざんで
 とろ火で煮こむ
 (後略)

 

 「冬瓜」より。厨仕事の行為のなかで、冬瓜は現在の自身を換喩して描かれているように思う。「うりでも/かぼちゃでもない」というどっちつかずの位置、「飾り窓もない」という閉塞、「部屋に背を向けて」という関係の遮断が、ゆったりとした語り口で綴られていくとき、厨仕事というありふれた日常の些事をこなしつつ、なお自身としての「今生のどうしようもなさ」のようなものを感じるのは筆者ばかりではないだろう。女性としての身体性ではなく、閉塞された精神性が各作品において繰り返し異なる形を携えて表されている。

 平易な言葉で綴られた松井の詩は、平易であるゆえにまっすぐに心の奥処へ届いてくるようだ。この詩集が発刊された八十年と、それ以降に勃興したいわゆる「女性詩ブーム」の状況を併せて読解していくときに、詩人・松井啓子の立ち位置や主題がそしてより鮮やかに浮かび上がることはいうまでもないだろう。また当時の状況を具体的に把握する上で貴重な資料としていっそうの意味合いがあるだろうと思う。
 明るい陽のなかに差し出された、新装版の『くだもののにおいのする日』をより多くの読み手が手にすることを願ってやまない。

自由詩時評 第143回 嘆きの思慮——渡辺めぐみ  コマガネトモオ

2015年02月24日 | 詩客
 渡辺めぐみ『ルオーのキリストの涙まで』(思潮社、2014年)が手元にある。「女性詩」というくくりがかつてあった。まだそんなくくりのあった15年程前に少しだけ渡辺めぐみさんとご挨拶したことがある。永遠の少女のような不思議な空気を醸し出されている方で、いま目の前にあるこの、残酷なほど達観した骨太な言葉とは縁遠い印象を抱いていた。詩集の栞は女性詩の旗手として輝かしい詩人の井坂洋子氏が書かれており、それが帯に抜粋されているのだが、この抜粋がいきなり「バッグの中にこの詩集のゲラを入れて、時間があれば繰り返し読んでいた。(後略)」から始まる。バッグという単語はいかにも型にはまった女性の象徴であるし、バッグに持ち歩く、という女性生活を端的に一言で実にすっきりとリアルに彷彿とさせる効果も抜群で、この一文は不用意に唐突に女性性を匂い立たせている。帯の抜粋というものは編集者が行うと推察するが、だとすれば特定の作為に値すると勘ぐられても仕方ないように思える。この帯からはまるで詩集の中身は往年の女性詩に期待されるリアルな女性性を元にした悲喜交々が描かれている予感が漂うではないか。あくまでも往年の女性詩に「期待される」であり、実際の女性詩がすべてそうであったわけではない。加えて、女性詩というくくりを否定しているわけではない。文学史上のひとつの区分けとして、「戦後詩」と同じく、かつて、長くそういった分類が使用された経緯を新井豊美氏がライフワークとしてまとめあげたと思っている。戦後詩同様、徐々に台頭し、あるとき花開き、そして現在では衰退したと位置づけている。
 実際の井坂氏の栞の冒頭は「本詩集は一読後、緊迫感が残る。それはいったい何に由来しているのか。渡辺めぐみはかつて、「慟哭のような苦しみや悲しみを抱いて世界を見つめていることがある」と述べた。」と始まり、こちらと帯の印象とはまるで異なる。そしてこの緊迫した冒頭通り、この詩集は、なぜここまで切迫しているのか、どうして(あの永遠の少女が)ここまで冷酷な悲哀にさいなまられねばならないのか。

木の股に堕ちてゆく陽
残照の短さが
通りがかりの犬の影を引き伸ばす
生まれはどちらですか
と犬の瞳に尋ねた

(「夜勤」 10頁)

  通りすがりの犬に生まれを問う。この「生まれはどちらですか」がリフレインされていくのだが中盤にて「生まれを知らないあたしだから」と、自ら問いかけながらこの問いを自身では拒絶する。女性詩よりも、この冷酷さは鍋島幹夫氏の「おまえはだれですか」(『三月』書肆山田、だったか『七月の鏡』思潮社だったか、所蔵が実家にて不明)を私は想起するのだが。帯もこの冷たさ、悲嘆、拒絶を体現して欲しかった。この帯では渡辺氏の詩集も井坂氏の評論もなんら代弁せずにむしろ20-30年前の井坂ブランドとしての女性詩のどまんなかを、すでに女性詩というジャンルを井坂氏が逸脱して久しいこの21世紀にして強調せしめる切り取り方であり、こうも印象を変えてしまうという状況の魔力は、いくらテクスト主義の読み手がたとえいたとしても避けては通れないと思い、ぞっとした。いま現在私が書いている論評もまた、著作権の関係もあり、論評に対して引用の割合は最小限とせねばらず、同じ轍を踏んではいまいか。書く前に構想を決めて書く方法と異なり、ここブログでは軽さのために書きながら引用がおのずと導く先に筆を進める書き方をしており、どのような内容に運ばれて行くのか文頭では自分自身もわからず楽しみにしているのだが、ありえない出口に出て驚愕することもある。抜粋と全体との相違には常に注意したい。
 さて、『ルオーのキリストの涙まで』であるが、冷酷な悲哀の源は何なのか。その答えを解くには案外にも、先ほど全力で否定した(舌の根も乾かぬうちに)、「生活」にあるとも言える。何度も繰り返すことになり恐縮だが、この詩集には、女性の生活といってイメージする性も、恋愛も、学生生活も、母性も、家族間葛藤も、お台所仕事も、会社勤めも、出産もない。しかし言葉としては父(ファーザーなので主なる父、だろうか)が出て母(マザー)が出て、姦淫する者を非難していいかとまどい,母の流産があって、病棟や戦争が出てくるのだが、それらは聖書とはつながっても、現実とのつながりは希薄だ。しかし実は、この悲哀の源をたどろうとすると、その始まりと行き先とに、突然現実が浮かび上がってくる。

わたしたちは あてどなく 川を下っていたのではない
確かにどこかに向かっていたのだった
川は広く 深く わたしたちは 透明な気体のようなものになりながら
それでいて 胸まで水につかり
泳ぐでもなく 歩くでもなく 川の中だった

(晴天 22頁)

 生活、というより生命と呼ぶべきだろうか、歴史と呼ぶべきだろうか。命の根源から、消滅までを私たちが流れて行く、その冷酷な現実への悲嘆が、失望に近いほどの強烈な悲嘆が、この詩集には通底している。

自由詩時評 第142回 口語の時代は、寒いのか。その6         萩原健次郎

2015年02月18日 | 詩客
 梅崎春生の短編小説『蜆』を読んでいた。戦後の混乱期の電車内、見知らぬ男からコートを譲ってもらう。それから、またある日の車内のできごと。ある男がすし詰めの電車から転落する。転落した男が残していったリュックサックを持ち帰ってくる。話の前半は、コートをめぐる男とのやりとりが占め、なかなか標題の「蜆」が出てこない。海の中で生きている貝がどのように話とからまるのか、想像もできなかった。そこで、話の終盤の次の一節が、貝の存在をふわりと浮かび上がらせる。

 あのおっさんの手が必死に俺の外套を掴もうとした時、俺は手荒くそれを払いのけた。
 それは意識してやったのか。意識してやったような気もするし、無意識の行動だった
 ような気もする。しかし俺は覚えている。あの時一緒に転落しようとしたリュックを
 脚で押さえたのは、あれは確かに俺は意識的だったのだ。
                <中略>
 俺は布団の中で眼を堅く閉じ、瞼の裏に咲乱れる眼花をじっと追っていた。
  プチプチという幽かな音が聞えるのだ。何かを舐めるような音だ、執拗に耳について
 離れない。蒲団から顏を出して俺は怒鳴った。
 ――何を舐めてんだ。
 ――何も舐めてなんかいないわよ。
 女房の声が答えた。音は止まない。俺はついにむっくり床の上に起き直った。
 ――あの音は何だ。
 女房も針を休めて、俺と一緒に耳を澄ました。音は床の間の方らしい。注意深く音を探りながら、俺は身体をそちらにずらした。
 蜆が鳴いていたのだ。


 話の構造が、まるで演劇空間の舞台のように鋭利に分断されていて、実に明瞭だ。明瞭という意味では、さらにこの短編では、梅崎の「言いたいこと」という論理構造と、「表したいこと」という感応構造が綺麗に分かれている。梅崎が、この一編を書きつつ身体的に感応の手を差出し表したかったのは、つまるところは、音であったろう。その音とは、本文の中でただ「プチプチ」とだけ記されている。一方で、言いたかったこととは、この本文の後に予測したように記されているように、戦後的頽落と虚無の表徴を、ひしめき合う電車内という空間にスライドさせ、リュックサックに詰まった貝の無念とからませることだったのだろう。この単純な図式には、私はさしたる思いはもたなかった。理路が、あまりにも見え透いているということもあるが、私には、ただ読後に空しく心中に鳴り響き続けた、 蜆の鳴き声の実在感であった。

 口語、しゃべり言葉について考え始めた本稿であるが、前回は、映像喩について述べた。それに対置して、梅崎の本編を挙げたのは、ここに映像喩とはまた違った回路から表出される音像喩を「聴いた」からである。今、私は梅崎の本編の優れた点を述べる旨はないが、ただ一点、それを抽出してみると、このように思える。
 梅崎の言いたいことは、戦後まもないこの時代の普通の民の、濁り切った虚無的呻吟であったろう。その呻吟を、作者はなんと、半濁音混じりの「プチプチ」と表徴しているのである。しかもさらに軽快なカタカナ表記である。この稚戯めいた響きに、梅崎の底知れぬセンスを感じたのである。

 たとえば、文芸の書き手に交差し宿る喩を、いったん身体喩と仮定してみよう。この身体喩とは、「書かれたもの」と「書いた人」が身体において即一に成就すると言ってみれば、文芸の本望である。この身体喩を、さらに器官喩と言ってみよう。そうすると、映像喩とは、眼という器官の喩的成就であり、音像喩とは、耳の器官の喩的成就なのだ。
 では、口語、実際に書き手の身体から、発露して表出された「音」とは、器官という回路を通過した音像喩なのだろうかと自問してみた。
  梅崎の「プチプチ」は、像に還元されない。それは、先にセンスと書いたが、生身の身体が為した(発した)音なのである。身体は、情況の内にあって病を得、傷を受け、頭で考え、器官で感じ、前へ歩き出し、声も発する。身体は、この世と喩的に混濁し続ける。そうしたことを前提とすれば、口語、しゃべり言葉とは、身体喩の内にある『口唇喩』ではないのかと考えてみた。音像喩は、音を一旦像に還元し、それを、書き手が表出しようとするもっと大きな論理的な構造に付着させようと企図される。ところが、口唇喩とは、口唇という部位から響いてきた音そのものであり、どんな像とも交差することはない。
 「プチプチ」は「プチプチ」という梅崎春生の身体であり、口唇の所作にすぎない。私は、そのことに着目した。

 山本陽子の詩篇を引用してみる。

  遙かする
純みめ、くるっく/くるっく/くるっくぱちり、とおとおみひらきとおり むく/ふくらみとおりながら、
わおみひらきとおり、くらっ/らっく/らっく/くらっく とおり、かいてん/りらっく/りらっく/りらっく 
ゆくゆく、とおりながら、あきすみの、ゆっ/ゆっ/ゆっ/ゆっ/ とおり、微っ、凝っ/まっ/
じろ きき すき//きえ/あおあおすきとおみ とおり//しじゅんとおとおひらり//むじゅうしむすろしか
つしすいし、まわりたち 芯がく すき/つむりうち/とおり//むしゅう かぎたのしみとおりながら
たくと/ちっく/ちっく すみ、とおり、くりっ/くりっ/くりっ\とみ」とおり、さっくる/さっく
ちっく/るちっく すみ、とおりながら
純みめ、きゅっく/きゅっく/きゅっく とおとおみ、とお、とおり、繊んじゅん/繊んく
さりさげなく/まばたきなく/とおり、たすっく/すっく/すっく、とお、とおりながら
すてっく、てっく、てっく

<中略>
ひびき透おり吹き
     ふためき、はたと墜として、はたり、/途断え、やみ、蔽い

   吹く、吹く、吹く、おとないかぜ透おり、おとなしかぜ渉り、
   吹く、やすらぎ//すずしやぎ
  りり、 りりり、りりり

    夜する/ふんわり、かげろう 薄すまめぎ/口開き拠ち、
 夜切り、浮きたち、ひろひろ透おり、澄み透おり透おり明かりするながら、
 絹ぎ/すき/消え/さやとおり 澄まり静まり夜する口開切り拠ち
 
(山本陽子全集第二巻(漉林書房刊)より『遙かする、するするながら』部分)


 身体喩の即一的な成就など、それは容易いことではない。行為として、たとえばサーカスの空中ブランコの演者、綱渡りの綱の上に立つ人、雪山を単独行で歩く登山家などは、為者としては為し得ているとも言える。ところが、それこそが喩であると言えるが、ただ身体的行為にすぎないとも言える。 それは、見る者にとっては、他者の眼前の行為であり、すでにして像として映る。像に還元するという迂回の必要はない。
 では、山本の詩もこうした、為者の内実にとどまるのかというと、ただそれだけではない。言語、文字というそれ自体の喩に還元しているのである。ただ、読んでみると、そこには、映像も音像も、とぎれとぎれになり、還元を拒んでいるようにも思える。
 それは、梅崎の「プチプチ」とまったく同じ口唇喩のようなものかというと、近いとはいえ違ったものにも思える。ただ、映像への還元という迂回は、むしろ書き手自身が避けている。避けていることもひとつの迂回とも言えるが。
 「吹く、吹く、吹く、おとないかぜ透おり、おとなしかぜ渉り、吹く、やすらぎ//すずしやぎ りり、 りりり、りりり」ならば、「プチプチ」に近しい。秋風の中、虫が鳴いているのであろう。その感じを口唇が、言葉で鳴らしている。
 「夜する/ふんわり、かげろう 薄すまめぎ/口開き拠ち、 夜切り、浮きたち、ひろひろ透おり、澄み透おり透おり明かりするながら」もまた、同じような音を鳴らしている。
 「絹ぎ/すき/消え/さやとおり 澄まり静まり夜する口開切り拠ち」では、さらにそこに、羅(うすもの)の着物地が見え、さらに透明な夜の空気を想像させる。ところが、書き手は、読み手に像を結ばせようとは考えていない。それは、詩を書く為者である、身体の透明性だけを、ただ紙の上に響かせ、鳴らそうとする行為の方が先行し、結ぼうとする像を壊し、阻害しようとしているかのように感じられる。
 
 梅崎の「プチプチ」もそうであるが、山本における身体成就が、映像への還元という方法を経ることなく為し得る、自由詩の新しい隘路と思えてくる。


                             つづく

自由詩時評 第141回 『TiP!の真剣交換日記』から 伊藤浩子 

2015年02月06日 | 詩客
 人間の弱さについて考えるときいつも思い出す言葉がある。「私はひとりの他者である」というランボーの名句がそれだが、この言葉は自己言及の不完全性に基づく人間の脆弱性をよく言い当てている。つまり、私とは〇〇と書いている私であり、同時に〇〇と(シニフィアン、大文字の他者によって)書かれている私でもある。疎外と分離。精神病理はそこを目がけて襲ってくる。それをここでは一種の「弱さ」として仮定し、そこから発せられた言葉について考えてみたい。

カニエ、うそつきのカニエ
ヤツが書いていることは全部ウソだ

かつてカニエは「日記が書けない」と書いていたが
そんなもん、ウソに決まっている
現にカニエは「日記が書けない」という日記を書き、それを公開していたのだ

日記が書けない、というのがウソならば
カニエは日記が書けるということになる


 矛盾。だから「カニエはうそつきだ」という。転記していて泣きそうなくらい笑った訳だけれど、この切り出し方、最高だと思うのは私だけだろうか? そして稀代の「うそつき」カニエの嘘は存在論にまで発展していく。

だいたいカニエや山田が本当のことを書いたかどうか以前に
カニエや山田なんて奴がいるのか、そもそも疑わしい
(略)
初めて会ったときに
「カニエです」
とは言われたが
「本物のカニエです」
と言われたことは一度もない
(略)
もしかしたら
「カニエです」は
「(ニセモノの)カニエです」
という意味かもしれないし
「山田です」は
「(ミヤマクワガタの)山田です」
を省略して言っているのかもしれない


 そう、それに、そもそもの太初(アルケー)から言っているではないか、カニエはうそつきだと。だからこそ、語り手は葛藤するのだ、目の前にいるこの人物を「カニエ」と同定していいものかどうか。そして語り手は葛藤に忠実だ。思考は続く。

人間は、わたしは人間であると気づく前に言葉を発するし、
近藤は、わたしは近藤であると気づく前に近藤と言うだろう

山田は今、確かに言葉を発しているが、
まだ自分が、ミヤマクワガタだと認識していないだけなのかもしれない
しかし、もしかしたら山田はミヤマクワガタではないかもしれないという可能性だって、ある

何故なら俺は人間の何たるかを知らないし
ミヤマクワガタの何たるかはもっと知らない

まぁ山田がミヤマクワガタであろうと人間であろうと
山田は山田であるのは確かだ
いや山田が山田でなかろうと
山田は山田に違いない
カニエがカニエでない限り
カニエはカニエであるだろう

だから俺は次に彼に会ったらこう言うだろう
「(どちらにせよ)山田くん」と。
「(ニセモノだろうと)カニエさん」と。


 なんてやさしい言葉、本当に本当に久しぶりに読んだ。
 自己言及の不完全性とは、自己が「自分とは〇〇である」と述べたときに生ずる、疎外された他者としての自己が存在することを指す。私たちの使う言語そのものの構造がその原因なのだが、にもかかわらず、「お前はいったい何者なのだ?」と私たちは等しく、常に急き立てられている。何に? もちろん、シニフィアンによって。その網の目に絡めとられることが精神病理だと言ってよい。そんなとき、手がかりになるのが、「(ニセモノだろうと)カニエさん」と言ってくれる他者の存在、まなざし、声なのだった。しかも、忘れてはならないのは、この言葉の前段階にある葛藤の存在である。自分がなにものなのか、迷い、不安になっている者に対し、迷うことなく「取りも直さずお前はカニエなのだ」と突きつけることは、場合によっては暴力にもなるだろう。そのことを、語り手はどこかで知っているらしい。やさしいと感じる所以である。
 「詩であろうとなかろうと/あなたがこれを読んでいるように」とこの詩篇は続くのだが、この言葉のとおり詩の形式は多種多様にあるだろう。一方で、詩の(目指すべき)内容は、以上見てきたような、疎外された自己としての他者、言葉さえ奪われた他者に触れたときに生ずるものなのかもしれないと、ひとまず言えそうだ。だから一晩、寝ておきて、昨夜書いたものを見直したとき、それが自分で書いたもののように感じられなかったのなら、出来不出来はともかく、それこそが詩の真髄、醍醐味なのかもしれないと、無責任に言ってみて筆を置く。
 ところでkindle版には著者紹介が載っているのだが、その一部を最後に紹介する。

カニエ・ナハ(本名:権田源五郎)
1960年9月12日生まれ。幼少期を横須賀で暮らし、七歳の頃米軍パイロットと撮った写真は今でもお気に入り。中学生になると横浜に出入りし、ポロシャツとベストを組み合わせたその姿は70年代末のハマトラファッションの女子大生に多大なる影響を与えたと言われる。(略)
橘上(本名:長谷部和美)
1977年生まれ。十四歳の時に「笹塚あやねの妹オーディション」に合格し「八嶋りほ」の名前で芸能活動開始。デビュー・シングル「LOVEギュッギュ」はオリコンチャート26位を記録。(略)
山田亮太(本名:ウトカン・リゼル/Utokan Lisl)
1993年マケドニア生まれ。多種多様な民族が入り乱れるバルカン半島で育ったためか、様々なカルチャーに興味を持つようになる。(略)
世界意志(本名:空気と光と友情)
この本の著者であり読者


 三人と世界意志の今後の活躍に期待したい。