「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第292回 ニューヨークに棲む幽霊たち~『コーネルの箱』(チャールズ・シミック著) 黒田 ナオ

2024年01月05日 | 詩客
 『コーネルの箱』は、ジョゼフ・コーネルというアメリカの造形美術家について、チャールズ・シミックという詩人が論じている美術評論の本だ。1992年にアメリカで出版され、日本では2003年に文芸春秋から出版された、30年くらい前の本である。わたしはたまたま知り合いの方から「あなたが好きそうだから」と、2年くらい前に、この本をいただいた。そしてその本を、最近再読することになり、とても心惹かれる部分が多かったので、ここでぜひ紹介させていただきたいなと思い、取り上げることにした。

 本のなかではシミックが、コーネルのコラージュ作品やら彼の創作活動について、いろいろな角度からイメージを膨らませ解説文を書いている。もちろんコーネルの作品の写真もたくさん載っていて、その写真を見るだけでも充分に楽しめる。そして最後の訳者あとがきのなかでも、この本の翻訳者である柴田元幸さんが、この本を読み初めてコーネルや詩人シミックに出会った人も、彼ら自身や彼らのたどった人生について、もっと深く理解できるように、詳しく解説してくださっているのが嬉しい。
 
 コーネルの作品に添えられたシミックの解説文は、どれもそう長くなく、それぞれにタイトルがついていて、解説文というよりまるで散文詩だ。だからこの本は、お洒落な詩集を眺めているような気分で読める。そしてその散文詩のなかで現れたり隠れたりするコーネルの孤独な幻影が、ニューヨークに棲みつく幽霊みたいな気がして、とても魅力的だった。

P22 〈異国の旅人〉
 一羽の白い鳩が、二頭の石のライオンに守られた図書館の大理石の階段をつついている。なんだか夢みたいだと思った。
 次に、その鳩が通りに面した占い師の店のテーブルに乗って、ハートのキングの目をつついているのを見た。
 次に、鳩は夜明けに自転車で六番街を走る異人の男の肩にとまった。


 これはただ実際にニューヨークの町であるだろう風景を描写しているだけなのだが、ひとつひとつの文が、まるで映画のワンシーンを見ているようで、どこからか音楽でも流れてきそうな感じがする。
  
 ニューヨークの古本屋や古道具屋を漁って、古い書物、ポスター、小物などを集め、それらを木箱に収めて、小さな宇宙をつくる。それがジョゼフ・コーネルの主たる方法だった。人形、白い球、ガラス壜、バレリーナや中世の少年たちの肖像、パイプ、カラフルな鳥、金属の輪やぜんまいなどを精妙に配置して作られたそれらの小宇宙は、子供のころ誰もが親しんだ玩具を連想させる一方で、どこか神秘的で、霊的とさえいえる拡がりを持っている。誰にでも真似できそうでいて、その荘厳な郷愁ともいうべき雰囲気は、この芸術家にしかないオーラをたたえている。(柴田元幸氏、訳者あとがきより)

 そのときの天候や時間にもよるのだろうが、ときどき突然ある場所でふっと、何か不思議な気配を感じることがある。ごく普通の何気ない場所を歩いているのに、風景をたどるうち、そこに棲む何者かにとり憑かれたような、頼りない気分になってしまうのだ。コーネルの造形作品には、そんなどこか懐かしい幽霊が棲み着いている。
 
P43 〈未知の国〉
 アメリカはいまなお発見されるのを待っている。その浮浪者たち、詩人たちは、探検の旅に乗り出す古の航海者に似ている。都市のなかにさえ、地図製作者たちが空白のままに残した場所がいまなおあるのだ。

 ある種の詩人にとって、町とは、詩と切っても切れないものという気がする。詩は、町のいたるところに存在する。町を歩き町を漂い、町のあらゆる場所を彷徨いながら、そのとき人はもはや、ただ町を歩いているというのではなく、いつの間にか自分自身の深い胸の内を彷徨っているのかもしれない。どこまで行っても永遠に抜け出すことの出来ない不思議な迷宮に迷い込んでしまったのだ。

 コーネルはひとり町をとぼとぼ歩き、書物、レコード、版画、パンフレット、古い映画のフイルム、踊り子の衣装の切れ端など、町の小さな欠片のようなものを集め、それらをコラージュにして、自分の中にある幻を彼の作品として、魅力的な箱に仕上げていく。その作品の中からシミックがまた、彼の中にある幻を見出し、散文詩を作り出す。そしてそれを読んだ人もまた、自分の中にある町と、そこに漂う幽霊を思い出す。それらは全てが、とてもうっとりとした時間であり出来事であり、心ときめく楽しみのひとつなのではないかと思う。

 わたしはときどき町の中に、天国に行ってしまった人たちや、この人生において、もう二度とめぐり会うこともないだろう人たちの面影を、ふと感じることがある。その気配や匂いのようなものは、どうしようもなく愛しく懐かしく、しかしそれだけに、もう二度と会うことが出来ない悲しみは、しばらくの間わたしを暗くて深い井戸の底へと封じ込めてしまう。
 
 それでもなお懲りずにわたしはまた、そんな町の幽霊たちを求めて、見慣れた町の曲がり角を曲がり、その向こうへとつい一歩、足を踏み出すことになる。そしてどうしようもない切なさに捕らわれながら時間を止めて、ひとり立ちつくす。それから、その暗い井戸の底からなんとか抜け出そうとして、ペンを取り出しメモをとり、今日も詩を書き続けていくのだろう。

P75 〈判読不能な力〉
 「古い街中の曲がりくねった襞の中、一切が、恐怖でさへが興趣となる所」とボードレールは書いた。都市は巨大な幻象マシーンだ。単独者たちのためのスロットマシーン。夢想の貨幣、詩の、秘密の情熱の宗教的狂気の貨幣、マシーンはそのすべてを兌換してくれる。判読不能な力。

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