「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第200回 五年後、十年後 藤井 貞和

2016年11月28日 | 詩客
 若松英輔さんの『石牟礼道子 苦海浄土』(NHK100分de名著、2016・9)に、なぜ『苦海浄土』を書いたのかに答えて、「新しい詩の形を示してみたいと思った」と石牟礼さんが述べたとある。「近代詩というのがありますね。古典的な詩もあります。それらとは全く違う、表現が欲しかったんですよ。水俣のことは、近代詩のやり方ではどうしても言えない。詩壇に登場するための表現でもない。闘いだと思ったんです。1人で闘うつもりでした。今も闘っています」(「新潟日報」2016・3・27)という石牟礼さんの答え。
 池澤夏樹=個人編集世界文学全集(河出書房新社)版の『苦海浄土』が、3/11の直前(2011・1・30)に出て、多くの読者を改めて引きつけた。詩の作品は連載をへて『祖さまの草の邑』(2014)に結実する。

宇宙は お産のわずらいに
はいったのかもしれない
まだ名づけられない
創世記
父親は誰だろう
予告のような大雷鳴が
天を突き抜けてゆく日に
そんなことを感じている
小さなひとりの人間

幼児の頃から
どこまでもどこまでも歩いていったら
この世の終りの曲りくねった木の根に
とっつかまっていた 

海と空の間の
天と地のぴったり合わさるところ
誰とも何も話せないさびしい崖に
行きつきそうなものだと思っていた
そう思いながら山の中の細い細い道を
ひとりで歩いているととても恐かった
終りがくることは恐しい (前半)

石牟礼道子「創世記」


 まあ、文学史的な詩の流れというやつは、一年目、二年目、三年目、……というようにして、五年目、十年目と順行し、織り上げてゆく代物かと思うと、3/11という断層が、十年後に生まれてよい作品を一年目にあらわし、五年後の作品は二年目に生まれ、という混乱をもたらし、反対に、書かれるべき作品がまだ書かされず、というような(だれが、どこがという具体的なことでなく起きた)逆転現象を見せつけているように思われる。それ以上言うと、語弊そしてさしさわりがあるから、なかなか言えないにしても、すこし探ってみたくて、若手の女性書き手の作品をいくつか石牟礼さんに並べてみることにした(都留文科大学にて、10・16)。
 石牟礼さんの「創世記」の傍らに、

  目を閉じれば、私は消える。
  まばたきの隙に、
  あの一瞬の暗闇のときに、
  からだは別の何かへすり替わっていく。
  私が地球をはらんだのは
  誰のしわざでもない。
  まぶたの裏に一幕の宇宙をひろげて
  ここからずっと、覚えている。……(下略)


という文月悠光さんの「大きく産んであげるね、地球」を置いてみる、というような。
 あるいは、

  ……
  光狂うあぜみちに
  昏睡している。もうもうと雲が湧く。
  心臓が暗いとき、
  がらんとした明るいあぜみちは、脳髄がわっと芽吹いて
  今朝のあたらしい遺跡をつくるのだった。(それはまたたくまに消えうせる)……


と、暁方ミセイさんの「ゆきみなとをゆく人は」を置く。

  ……
  ほしいものはありますか、
  (電話線が廊下へと延びて)
  ほしいものはありません
  (断ち切られたコードをつなぐ術を探して)
  ほしかったものはありますか
  (かつて在ったものたちが空へ土へ回収されて)
  ほしかったものはありません 
  ……
  あの子
  静かに眠っている


は一方井亜稀「mirror」で、3/11以前に書かれた予言的な作品の一つ。これらの作品が五年後に、あるいは十年後にどこへゆくか、よくわからないにしても、反面で、いま息切れしている詩を書く“ぼく”たち(じゃない男性書き手たち)は、そのころになればきっと新しい遺跡で息を吹き返してくる。いまがダダイスム/シュルレアリスムから百年であることをだれも気づかなくてよかろう。
 石原吉郎さんの没後何十年、あるいは黒田喜夫さんの何年と、いろいろ思い出されることの多い一年だったと、だれの感想にもひとしおだろう。『現代詩手帖』には黒田特集を見る(11月号)。よいお年を!

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自由詩評 「離」の時代――ルネ・シャールと中尾太一―― 山﨑 修平(第2回)

2016年11月27日 | 詩客
 東京・恵比寿のシス書店にて「アンドレ・ブルトン没後50年記念展」が、九月三日~十月二三日の日程で開催された。読者諸兄の中に足を運ばれた方も多いかと考える。
 ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表したのは一九二四年。二つの世界大戦に挟まれた時代であった。第一次世界大戦を辛くも「勝利」としたフランスも、人的資源の損失や、なにより国民の厭戦感情の昂まりを施政者は看過することができず、陸軍大臣マジノの提案による攻勢よりも防衛に重点が置かれた戦略への転換――マジノ線の設置など――に傾注することとなる。
 オートマティスムなどのシュルレアリスム技法における「私」の排除あるいは「私」のなかに他者性を介在させることは、「私」の不在である時代背景がいくばくかの影響を作者に与えていることは否めないだろう。

 幸福感ある日常の生を描くことが抗いとなることをシュルレアリスム期の詩集――例えば、エリュアールであったり――から感受することは多いだろう。
 ルネ・シャール全集は、吉本素子の翻訳で二〇〇二年に新装版が青土社より刊行された。

  あの歩行者たち、私は長い間彼らと一緒に進んだ。彼らは、口籠りながら
  あるいは揺れながら、彼らをいつも見えるようにしている旋風のおかげで、  
  私の前を歩きあるいはジグザグに進んでいた。彼らは港に又海に到着しよ  
  う、敵の途方もない気まぐれに身を委ねようと、あまり急ぎはしなかった。
  今日この男たちが作っていた絶望の六弦の竪琴(リラ)は、霞で一杯の庭で歌い始
  めた。ウスターシュ、献身的な男、夢想家が恐怖の瞬間にではなく、変ら  
  ぬ身体の中の遠い吐息に数えられていた、彼の真の使命を予言したことは、   
  あり得ないことではない。


 詩篇「ロダン」より引用した。登場人物を整理したい。まずは作中の「」がいる。「」は「歩行者たちである彼ら」と進んでいる。読者は「」と「彼ら」の二者を追いながらも、いつしか作中における「彼ら」を作中の「」に成り代わり読み進めるような感覚を獲得しないだろうか。シャールのこの詩における「」は「」の行動原理としての欲望を有していない。「」は、眼であり鼻であり言葉として「彼ら」の行動を描写している。カメラの役割を担っている。言うならばシャールの詩の言葉が誰にも何にも寄り掛かりはしないバランスの不安定さを感じる。この点はモーリス・ブランショによるシャールの論評に詳しい。
 シャールの詩における「」は、拡散している。他者であり多者としての「」により展開していく詩は、拡散すると同時に核となる「」を持たない「」の不在を意味しないだろうか。ここにシャールの作品における「」は、「」からの乖離、すなわち拡散していく「」という「離」をキーワードと捉えることができる。


 それでは、現代詩における「離」を中尾太一作品に読み取りたい。
 『a note of faith』は二〇一四年に思潮社より上梓された中尾の詩集である。

  これを人に読ませたいという衝動、たったそれだけのことが
  一輪の花をここに咲かせている
  それを詩集の名前×××にしようと君は提案するが
  僕はまだ、帰れない街の、囀りのない路上につっ立っている詩人の魂と一緒に
  徹底した錯誤の中で歌を歌っている
  比喩の炎上、龍の天井に見える透明なビジョン
  僕が見たのはそんなものだけだ

 
 詩篇「gardenia」より引用した。中尾作品における「私」は、「私」が範疇とし負うべき生を超えた「私」をも担保して共生しているような余韻を感じさせる。拡散し離れていった「私」が再び「私」へ収斂していった時に、他者である「私」や、時代や場所をも異なる「私」を引き連れているかのように。ここで、拡散した「私」が収斂し、「私」を超えた「私」を獲得したこのスタイルを「超私性」とここでは呼ぶことにしよう。
 すると、中尾の詩における「私」の私性を読者が接した時の感情のバロメーターを濃度で表すならば、作品中唯一の「私」(読者との契約とも言えるだろうか)として詩のなかで展開していく「私」という原則から離れた超私性の「私」を、時に希薄であり時に濃厚という矛盾した「私」として享受することになる。それはつまり、一人の話者である「私」が作品を展開していくのではなく、無数の「私」によって彩られた作品の中で、それぞれ異なる「私」を「私」という唯一の一人称を持つ「私」として読むことによって得られるからである。読者は味付けを自分に委ねられた料理に接するように読者個々人の体験や経験によって蓄積された「私」という像と、中尾作品における「私」とで対峙する。あるいは共闘する。
 拡散する「私」、「私」の不在というシャールの詩における「離」と、「私」を超えた「私」の中尾の詩における「離」は、どのような意味を持つだろうか。

 作品の「私」が作者の「私」から乖離したとしても、作品には作者の「私」が内包すると考える。たとえ、作品の設定として作者の「私」が体験しえないことを書いたとしても。それはつまり、作者の私の意識の範囲外における「私」の管轄しえない他者であり拡散した「私」でもある「私」が「私」に纏うからである。すると、「私」は「私」でもあり、「あなた」でもあり、「彼ら」でもあり「3月の空」でもある。
 シャールと中尾作品から導いた「離」の時代は、「私」からの避難であり懐疑としての運動であると考える。それは現実における「私」が「私」であることへの保証を、あるいは承認を得られ難い社会背景もあるのかもしれない。だが、むしろ「私」が「私」の束縛から離れ、自由な「私」を獲得して羽ばたく言語空間が展開していくことに恍惚を覚える、そしてその恍惚こそ「私」が手放しかけた、誰かの持っていた「私」の残滓である気がしてならない。ペシミスティックな、あるいは内省的な美しい詩の持つ抗いや葛藤に、シャールやエリュアールの幸福や喜びを同時に感じる時がある。このような時に矛盾した感情や、時に不条理な「私」や「私」を取り巻く社会は、「私」が「私」であることを持て余しながら「私」から離れていくことを厭わなくなってきているのではないか。今、そのような萌芽を観る時代が来ている、そのような勘違いを私はしたい。
 
 現代詩の定義として現代の詩であることが条件である。こう述べると言葉遊びのようだが、現代とは常に過去の蓄積のことである。こうしてパソコンのキーボードを叩いている間にも現代は過去になり現代詩は過去詩として生を永らえる。有限であり確定した事実としてやがて迎える死と、書くことによって現代から過去へと移りゆく詩と、私たちは常に過去の私たちの生を経て生を紡いでいる。一人しか存在しない「私」は拡散している。「離」の時代の私たちは夥しい量の「私」の置き場に戸惑いつつも現状をやがては愉しむのではないか。SNSに、卒業アルバムに、銀行口座に、過去の詩にいる「私」を。
 それが「前」であろうと「後」であろうと、どのような状況であろうとも私たちは、それぞれの「私」が発する声を残す。生を享けることによって示される道が仄かに明るくなることを幾度も騙されながらも信じてゆきたいと考えている。業ではあるが、おそらくはこれこそが人間だと思う。
 二回に亘りお読みくださりありがとうございました。


参考文献
 中尾太一『a note of faith』思潮社、2014年
 ルネ・シャール『ルネ・シャール全詩集』青土社、2002年
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自由詩評 回転と落下 ― 左川ちかと小柴節子 ― 依光 陽子

2016年11月27日 | 詩客
 以前、大江健三郎賞記念対談の中で大江健三郎が「しばしば日常的な言葉でありながら、小説をはるかに超えた規模で、人間の核心に突き刺さるものが詩だと考えています」と語っていたその言葉を、強く実感する二人の詩人に出会った。一人は小柴節子、もう一人は左川ちか。
 きっかけは『現代詩手帖』の詩誌月評でカニエ・ナハさんが採り上げていた詩。小柴節子「Wind」。

  さようならで始まり
  さようならで終わる物語を
  思い出を聞くように聞いている
  さらには
  樹々の葉脈が
  ふるえる舌の音のように聞こえてくる朝もある


 何気ない導入部分をぼんやりと目で追っていて「樹々の葉脈が/ふるえる舌の音のように聞こえてくる朝もある」という箇所でどきりとした。夥しい数の樹の、その無数の葉の一枚一枚に這い巡り分岐した葉脈が、全身に走る血脈と同期する。樹々の葉脈、神経細胞の樹状突起、軸索、シナプス。それは微小な「ふるえる舌の音」のようだという。身体全体が研ぎ澄まされていなければ感じ取れない音だ。そして次の一連で詩人が「寝室」にいることが明らかになる。

  寝室にはあちこちで拾ってきた
  あるいは捨ててきたものたちが
  血を流し
  狂い咲いている
  行きつくところまで
  行かなければならなかったのに
  行けなかった


 「行きつくところまで/行かなければならなかったのに/行けなかった」。悔恨とも諦念とも受け取れる独白。詩は続く。

  わたしはいつか
  みうしなった耳になるかもしれない
  ぬきさしならない存在を
  蝸牛にみたてて
  孤独の坂をくだってゆくが
  辿りつけない


 「みうしなった耳になる」とはどういう状態だろう。はっきりとはわからない。言葉では説明できないが、私の細胞はわかっている。蝸牛という渦の中をらせんに流れるリンパ液のように、暗いところを生ぬるく独り下ってゆく感覚が。
 四連目では「かすかに声の残っている下着」「胎内にいたはずのいのち」「死体を焼く臭い」というモチーフが出て来て、詩人の回想とも受け取れる部分だが、そこにも死が漂っている。そして五連目は「四十年めの夏がきて/てのひらのなかに/死の国が宿っていることに/気づかされる」と、間近に迫った死の存在が描かれ結末を迎える。

  日付は無限にあとずさり
  還ろうとする道には
  さようならの風だけが
  こっちへおいでと手招きしている

小柴節子「Wind」(「蒐」5号)より


 「帰」ではなく、あえて「還」という字を使ったのは自らの生を無と位置づける覚悟なのか。日付が無限にあとずされば、自らの誕生さえも超えて全ての無へ通じる道だけが現れよう。そしてそこで手招きしている「さようならの風」は、冒頭部分へと響きを返す。あの「物語」は作者自身のものだったのだと気付く。詩人は既に己れを突き離していたのである。考えてみれば生の連鎖は死の連鎖でもある。小柴節子という詩人の遺稿となった作品だ。自らの死を受け入れながらのこの冷徹な眼差しは一体どこから来るのか。小柴の所属していた詩誌「蒐」に発表された作品を見てみたい。(北海道から発行されている「蒐」は2013年創刊)

  (…)
  正しい名前で
  わたしを呼んではならない
  魂の内壁に潜む声で
  わたしに語りかけてはならない
  わたしは更に
  わたしを生きてしまうに違いないから

  生まれ落ちた瞬間から
  人は死に向かう生を生き
  生に向かう死を
  死ななければならなかった
  (…)

小柴節子「落下」(「蒐」4号)より


 この詩の「生に向かう死を/死ななければならなかった」には何度も立ち止まってしまう。「生に向かう死を死ぬ」は輪廻転生のことを言っているのではない。「死を死ぬ」のだ。生から死への必然、生物学的な死とは別に、「わたしを生きる」意思に対して決着をつけること、つまり精神的に死を受け入れる覚悟を言っているのだ。
 この「魂の内壁に潜む声」は次の詩の中では、ある予感として描かれている。

  呼ばれていた
  その声には聞き覚えがある
  いつ どこであったか
  さだかではないにしても
  確かに聞いたことがあると思った
  (…)

  盛り上がった誘惑に
  風はすばやく入り込み
  未遂のように川は流れる
  ふるえる昆虫が
  星の悲しみを伝えにくる

  気がつくと
  呼んだはずの声は
  聞き取れないほど遠ざかり
  わずかな疲労感だけが
  わたしに残った

  渺々とした薄が原に
  ひとり立ちすくむわたしは
  いつか
  男の喉にすみついた
  斑猫のことを思い出していた

小柴節子「わたしを呼ぶ声」(「蒐」創刊号)より


 呼ばれた声も呼んだ声も遠ざかって「男の喉にすみついた斑猫」という無音の残像を残す。人が近づけば逃げ、着地しては後ろを振返る、道教えという別名を持つ斑猫。色のない薄原に、一点の天鵞絨のような躰。金属発光体のような躰に集められた色彩、青・緑・赤・白。そして次の詩ではやや輪郭を濃くして「届かないはずの声」として登場する。

  見えないものが
  ふと見えてしまう瞬間がある
  届かないはずの声が
  うすく耳朶をふるわせることがある
  (…)

  淵はにごりを帯びた
  苔色の内景を晒し 
  どこまでもつづく落下を生きている
  足を浸すと
  近づけそうな気がした
  わけへだてなく
  いのちの昏みを
  共有できる気がした
  火ぶくれの舌でわたしを苛む
  日月からも遠くはなれて
  (…)

小柴節子「淵」(「蒐」3号)より


 いのちある故に痛みを感じる火傷。火ぶくれの舌で苛まれる月日となったとしても、いのちは美しいものの比喩(生への肯定とも言えようか)でなければならない。

  (…)
  火傷はまた
  美しいものの比喩でなければならなかった
  そうでなければ
  これほど痛むはずがない
  破棄された約束に
  これほど陶酔できるわけがない
  (…)

小柴節子「火傷」(「蒐」2号)より


 舌の音、昆虫、声、耳、火、落下、ふるえ。音ではない声、見えないもの。これらのイメージに導かれて小柴の詩に近づき、その心の底に触れようと淵を覗き込む時、まだ近づくなと言われている気がする。だが今はそれでいい。いつか彼女の詩がすとんと胸に落ちる日がくるとわかっているからだ。

 カニエ・ナハさんは小柴節子「Wind」を採り挙げた翌月、遺作「血脈」を挙げ、「もし左川(ちか)が生きのびて、そして六十代半ばで(…)声を発したとしたら、このような詩になったのでは」と書かれていた。私はカニエさんが言われる左川ちかの「生死の淵源から響いてくるよう声」を聞かずにはいられなくなった。手にしたのは「左川ちか詩集」(昭森社1936年刊)である。
 まず「昆虫」という詩に摑まれた。

  昆虫が電源のやうな速度で繁殖した。
  地殻の腫物をなめつくした。

  美麗な衣裳を裏返して、都会の夜は女のやうに眠つ
  た。

  私はいま殻を乾す。
  鱗のやうな皮膚は金属のやうに冷たいのである。

  顔半分を塗りつぶしたこの秘密をたれもしつてはゐ
  ないのだ。

  夜は、盗まれた表情を自由に回転さす痣をのある女を
  有頂天にする。

左川ちか「昆虫」


 「昆虫が」と始まるこの詩。繁殖した昆虫、女のように眠る都会の夜、昆虫となったワタクシ、顔半分を塗りつぶした秘密(誰の?)、摩訶不思議な痣のある女を有頂天にさせる夜、と、次々と主役の変わる回転劇場のよう。斯くもシュールな言葉の円舞。昆虫と化した無機質な「私」の描写はどこか戸川純の「蛹化の女」を思い出させて、かなり好きな世界だ。
 次に「青い馬」という一篇。

  馬は山をかけ下りて発狂した。その日から彼女は青
  い食物をたべる。夏は女達の目や袖を青く染めると
  街の広場で楽しく回転する。 (…)

左川ちか「青い馬」より


 馬の首をかき抱き発狂したニーチェ。この馬から想を飛ばしてタル・ベーラは「ニーチェの馬」を撮った。もちろんこれらの事とこの詩には何の関連もない。しかしどこかあの馬のその後の行動と想像に遊んでしまう。「馬は山をかけ下りて発狂した」このワンフレーズはこの詩の全てであり、瞬きも息継も許さぬ速さで読者を射貫く。その後、シュルレアリスム的なシーンを引き連れながら最後に「海が天にあがる」と「青」のイメージで結ばれるのだが、どこにも馬は青かったとは書かれていないのである。馬の発狂を契機に海が天にあがったとき、全ての「青」が完成する。
 一般的に青は空の色、海の色の象徴として使われる。だが読み込んでいくと左川ちかが使う時の青は死のイメージを伴っていることに気づく。小柴の、どちらかと言えば埋火のような赤とちがって、かなり明度と透明度の高い色だ。死をこのような明度で捉えた表現者はかつていただろうか。

  料理人が青空を握る。四本の指跡がついて
  ――― 次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれ
  てゐる。
  たづねてくる青服の空の看守。
  日光が駆け脚でゆくのを聞く。
  彼らは生命よりながい夢を牢獄の中で守つてゐる。
  刺繍の裏のやうな外の世界に触れるために一匹の蛾
  となつて窓に突きあたる。
  死の長い巻髪が一日だけしめつけるのをやめるなら
  ば私らは奇蹟の上で跳びあがる。

  私は死の殻を脱ぐ。

左川ちか「死の髯」


 詩人にとって外の世界は「刺繍の裏のやう」だという。表面の美しい模様、規則正しい針の運びと相反して、滅茶苦茶に色彩が交差し、切られた糸の端々がおぼつかなく立ち上がり、ある部分は色という色を重ねて厚く、一方ある部分は小さな甲虫が止まることさえ宥せぬほど過敏だ。わたしたちは特に意識しなければ、表面だけの世界の内側に身を置くことで安穏と日々を終え、敢えてその裏側まで踏み出すエネルギーを失っているのではないか。詩人は生の本質に食い込んでモノを見ることを欲しているのである。見せかけの美しさの裏にあるもの、生動している世界の混沌に触れるため、詩人の精神は一匹の果敢な蛾となり窓を突き破ろうとする。この蛾の姿は、速水御舟「炎舞」の、あの螺旋に昇っていく焔と交わりながら、しかし決して焼かれることのない冷たさを湛えた白い蛾と重なる。
 「死の髯」に現わされたモチーフは次の詩でも繰り返される。

  髪の毛をほぐすところの風が茂みの中を駈け降りる
  時焔となる。
  彼女は不似合な金の環をもつてくる。
  まはしながらまはしながら空中に放擲する。
  凡ての物質的な障碍、人は植物らがさうであるやう
  にそれを全身で把握し征服し跳ねあがることを欲し
  た。
  併し寺院では鐘がならない。
  なぜならば彼らは青い血脈をむきだしてゐた、背部
  は夜であったから。
  (…)

左川ちか「眠つてゐる」より


 死の長い巻き髪、その髪をほぐす風が焔となったとき、外の世界、生の混沌へと飛び出した彼女は、己の生命の循環を「金の環」として空中に放擲するのだが、それがいくら回転しても受け入れられることなく「寺院では鐘がならない」のである。そしてここでもまた「青」が出て来る。誰もが眠っている夜の出来事は生者からも死者からも承認を得られない。「青い血脈」を持った彼らとは、詩篇「前奏曲」の中で「樹木は青い血脈をもつてゐるといふことを私は一/度で信じてしまつた」と語られ、樹木のことだったと知る。

 左川ちか。明治44年2月12日北海道余市町生れ。昭和8年上京。昭和11年1月7日胃癌のため世田谷区の自宅で死去。享年24歳。左川ちかの兄と伊藤整は友人であり、伊藤整の「若い詩人の肖像」の中に川崎愛子という名で出て来る左川ちかは、伊藤に翻訳を見てもらいジェイムズ・ジョイス詩集『室楽』の翻訳を刊行している。ジョイスの用いた<意識の流れ>の技法はちかの詩の端々に見られる。その一種オートマティックなイメージの連鎖が、今読んでも全く古さを感じない。普遍性ゆえなのか、或いはその登場が早すぎたのか。「窓の外には鈴懸があつた。楡があつた。頭の上の/葉のかげで空気がゆつくり渦巻いてゐるのを私は見/てゐる」と始まる詩「暗い夏」も詩人の天賦を感じさせる<意識の流れ>を見ることができる。

  (…) すべてのものは重心を失つて
  室内から明るい戸外へと逃げる。其処は非常なすば
  やさでまはつてゐる。私は次第に軽くなつてゆくの
  を感ずる。私の体重は庭の木の上にあつた(…)
  家は入口をあけはなして地面に定着してゐる。スレ
  エトが午後の黒い太陽のやうに汗ばんでゐる。私は
  それらのものをぼんやり見てゐる。私は非常に不安
  でたまらない。それは私の全く知らないものに変形
  してゐるから。(…)
   目が覚めると木の葉が非常な勢でふえてゐた。こ
  ぼれるばかりに。窓から新聞紙が投げ込まれた。青
  色に印刷されてゐるので私は驚いた。(…)
  杖で一つづつ床を叩く音がする。空家のやうに荒
  れてゐる家の中に退屈な淋しさである。階段を昇つ
  てゆく盲人であらう。(…)  そして私は昨日見
  た。窓のそばの明るみで何か教へるやうな手つきを
  してゐる彼を。(盲人は常に何かを探してゐる) 彼の
  葉脈のやうな手のうへには無数の青虫がゐた。私は
  その時、硝子に若葉のゆれるのを美しいと思つた。
 
左川ちか「暗い夏」より


 同じく<意識の流れ>の手法で書かれた左川ちかの、最も長く、そして最後の作品と思われる「前奏曲」だが、それまでの詩と変わらず淡々と流れるように書かれていながらも、生の果てに意図せず早く行き着いてしまったかのような驚きと諦念の溜息が聞き取れる。「雨漏りのあとのついた黄色な天井」「鋲で到るところに小さな穴がある壁」のある部屋に横たわっている詩人の言葉の次々。

  (…)
  私はなにかしら逃してはいけないものを失つたや
  うな気がする。子供が紛失したものをいつ迄も諦め
  きれずに、めぐり合はせを待つあの時と同じやうに。
  それからまた捕へてみたいと思つてもそこは湯のや
  うに生温いだけで再び戻つて来るものはない上半身
  が急に軽くなつたやうな気がすると、何事も思ひだ
  せなくなつて、もはや過ぎ去つたといふことがそん
  なに魅力をもたなくなる。


 「本を読むことも煙草を吸ふこと/も出来なくなつた」詩人は「一本の樹に化して樹立の中/に消えてしまふだらう」と自らを予感し、「私は今まで生きてゐると思/つてゐただけで実は存在してゐないのかも知れない/のだ」と思索を巡らす。終日樹木を洗った雨と地上との二重奏を聴きながら。

  (…) 楡は裸になつた。ここでは時間は葉
  が離れる方へ経過してゐるやうに思はれる。誰しも
  心では年齢を欺きつつ 一つの輪は賑やかな日の記
  念であり、過去へ続く鎖ともなるから。色褪せたす
  べては空中に散乱して最後の歩調を待つてゐる。段
  々近づいてくる空しい響き、それは樹間をさまよふ
  落魄の調べであらうとは。自然の転移、また定めら
  れた秩序が唇の上で華やかな夢を望むのか。

左川ちか「前奏曲」より


 詩そのものの才気から詩人としての才気へ。この「前奏曲」からは、左川ちかの生への悔恨を感じ取ってしまう。小柴のように突き抜けた静けさがないのは、その死が若すぎたからか。

 小柴節子と左川ちかが同じ北海道の隣町に生まれた(小柴節子は倶知安町生まれである)と知ってから、いつしか雪のイメージを持ちながらの二人の詩を読んでいた。最後に左川ちかの「冬の肖像」を挙げる。

  (…)空を支えてゐる木たちがその重
  さに耐へられないやうな時に雪が降るやうに思はれ
  る。
  (…)
  其処は夢の中の廊下のやうに白い道であつた。
  触れる度に両側の壁が崩れるやうな気がする。並木
  は影のやうに倒れかかつて。その路をゆく人影は私
  の父ではあるまいか。呼びとめても振り返ることの
  ない背姿であつた。夜目にも白く浮かんでゐる雪路、
  そこを辿るものは二度と帰ることをゆるされないや
  うに思はれる。幾人もの足跡を雪はすぐ消してしま
  ふ。死がその辺にゐたのだ。人々の気付かぬうちに
  物かげに忍びよつては白い手を振る。深い足跡を残
  して死が通りすぎた。(…)
   風であつたのか。戸を叩くやうな音で目が覚める。
  カアテンを開けると窓硝子が白い模様をつけて、そ
  の向ふでははげしく雪が降つてゐる。

左川ちか「冬の肖像」より


 物かげに忍び寄って振られた「白い手」は、小柴の「さようならの風」の「手」と同じ手だ。今、左川ちかの遺された数少ない詩を読んできて改めて小柴節子の「Wind」を読み返してみると、なんという温かさだろう。全てを静かに肯定した心を覆うふわりとした雪のような温かさ。ああ、やはりその通りだった。初めから抱いていた一つのイメージ。それは図らずもジェイムズ・ジョイスの『DUBLINERS(ダブリナーズ)』の『The Dead(死せるものたち)』における最後の場面だ。二人の詩人の原風景の中の雪が全てをリンクさせていたのだ。
 螺旋に落下してくる小柴節子の雪、勢いよく回転しながら中空に留まっている左川ちかの雪。私はこの冬、これらの雪を、窓越しに見ることができるだろうか。

カサカサッと窓ガラスを打つ音がして、窓を見やった。また雪が降り出している。
(略)
雪がかすかに音立てて宇宙の彼方から舞い降り、生けるものと死せるものの上に
あまねく、そのすべての最期の降下のごとく、かすかに音立てて降り落ちるのを
聞きながら、彼の魂はゆっくりと感覚を失っていった。

ジェイムズ・ジョイス「死せるものたち」(柳瀬尚紀訳)
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自由詩時評第199回 野村 喜和夫

2016年11月23日 | 詩客
 まず、来住野恵子『ようこそ』(思潮社)。なんと光に満ちている詩集であろうか。それは詩の内容が明るいということではない。むしろ存在の暗い奥底にまで降り立っている趣がある。だが、そこからの上昇があるのだ。そのエネルギーがおのずから放つ光、とでも言えばいいだろうか。
 来住野恵子は、西脇順三郎を読むことからその詩的歴程を始め、ロサンゼルス滞在中に、吉増剛造によって「ユリイカの新人」として見出された。この二人の大詩人の感化もあってか、彼女の想像力はごく自然に宇宙を感受しつつ、極微の自己をそこに在らしめることの眩暈を存分に生き、悲しむことができる。しかしそれだけではない。彼女独自の、何かしら宗教的な感性がその宇宙大的な空しさを貫くのである。つまり光だ。あるいは光への希求だ。ほとんど無私なまでの。「微塵なす符はゆるやかに回転し/あてどない沈黙を踊る/わたしの灰が吹き転がってゆくさき/どんな必然にもひらかれて落下するひかり一枚」──この「ひかり一枚」とは、こうして得られた詩的言語の輝きのことでもあろう。
 それにつけても、カバーに使われている北川健次のコラージュ作品が意味深い。フォンタナの絵画を思わせる白紙の亀裂から天使がひとり抜け出ようとしているが、手に抱えた石板のようなものは、亀裂の深奥からかろうじて持ち帰ったというようだ。そこに何か書かれているとしたら、それこそがこの詩集『ようこそ』という「みずみずしい神秘の傷痕」なのである。
 覚和歌子『はじまりはひとつのことば』(港の人)。詩集タイトルからは、ただちに、「はじめに言葉ありき」という新約聖書のフレーズが想起されるが、とくに関係はないようだ。というか、いたって人間的レベルでも、すべてのはじまりは言葉であり、とりわけ、一篇の詩や物語は、どこからか「ひとつのことば」という種子がやってきて、誰かに慈しみ育てられ、花を咲かせ、やがてそこからまた種子が落ちるのを待つ場のようなものである。そういう創作行為への深い信頼がこの詩集を成り立たせている。
 ただし、その誰かはあくまでも誰かであって、あまりしゃしゃり出てはならない。現代詩の多くが、モナド的な私性を強調しすぎて、みずから張りめぐらした罠に身動きできなくなっている蜘蛛さながらにも思えるとき、覚は、注意深くその私性を後退させ、かわりに、誰でもそこに入って発語できるような、透明な詩人主体になろうとする。
 その結果、すてきに開かれた詩空間が誕生した。「やがてからだは祈るために必要な/一筆書きの線になる」というようなすばらしいフレーズも見出せる。覚自身の言葉を借りれば、彼女は「宇宙のどこかにある源泉なるものからのエネルギーを地上に届ける」ことに成功しているのだ。ということは、「はじめに言葉ありき」の超越的世界ともどこかで通じ合っているのかもしれない。
 なお覚は、私が捌き手をつとめる「しずおか連詩」の参加詩人でもあり、詩集中には「ひとり連詩」の試みなどもあって、うれしいかぎり。
 大木潤子『石の花』(思潮社)。読み終えて、ミニマルな天地創造に立ち会ったような思いだ。大木潤子といえば、かつては制度化された言説を逆手にとるような、どちらかといえば饒舌な語りの魅力を放つ詩人であったと記憶する。それがうってかわって、この『石の花』では、左側のページにだけ、数行(場合によってはたった一行)の短い言葉が印字されているだけ。なんとも驚くべき変容である。詩人の実存に何があったのか。おそらくは危難のさなかで執り行われた再生の儀式の、きわめて物質的かつ象徴的なプロセスの開示がこの詩集であろうと推察される。
 はじめに光と闇の原初的な交錯があり、それを縫うように石という形象が次第に浮かび上がってくる。まさに「石を結ぶ」だが、すぐに「わたしは結ばれた石」とあって、主体と石とが重なり合う。ここがポイントであり、再生の儀式といま呼んだゆえんである。ただ、主体はひとまず不感無覚の無機物になるというのだから、むしろ死の擬装というべきか、さらに、「石の蕾/花開くとき、」と、一転また花との隠喩的な結びつきが予示されるにいたって、儀式はいっそう重層した様相を呈するかのようだ。
 このあたり、私はふと、近頃亡くなった現代フランスの大詩人イヴ・ボンヌフォワの詩作を思い出す。「深い光があらわれるためには/痛めつけられてきしむ夜の大地が必要だ」とボンヌフォワは書いたが、ここでも、「石の花」とは、死を介してますます物質性大地性と結ばれた現存の、暗い輝きを放つ光のことであろう。
 ここでしばし、ボンヌフォワ追悼を。いまでもときおりこの詩人の詩を読むことがあるが、それは日頃ふくれあがった詩への欲望、言葉やイメージの勝手な増殖や跳梁を鎮め、あるいは戒めるためだ。詩の行為にそんなエネルギーは要らないとボヌフォワは言う。むしろひとつひとつの語をみつめ、掘り下げ、そこを深くたしかに存在が住まうような場所とせよ。ボヌフォワを読み終わったあとは、もっとも意味深く冬というものを経験したような気分、とでも言ったらいいのだろうか、きづたの裂けた葉、夕陽を受けてさむざむと輝く山の中腹の家の窓ガラス、そのような、現存ということのぎりぎりシンプルな形象だけが、私のクリアされた想像力のなかに、何かかけがえのない染みのように浮かび上がって、しばらくは消えないでいるのだ。合掌。
 時評に戻って、最後は、萩野なつみ『遠葬』(思潮社)。待望の詩集である。数年前、「現代詩手帖」新人作品欄の選者を私がつとめていたときに、抜きん出て美しい詩を投稿してくる人がいた。それが萩野なつみであったが、このたび、ようやく第一詩集を上梓するにいたったのである。
 詩集は四つのパートに分かれ、それぞれに、夏からふたたびの夏への季節のめぐりがうっすらと対応している。それらを貫いて、「遠葬」「雪葬」「春葬」「夏葬」と、「葬」のつくタイトルの詩が配されているのが目につく。かと思うと、「気管をすりぬけるように/蜩が鳴いている/からだの奥で」とか、あえかでみずみずしい生命のイメージがちりばめられる。遠い生誕の秘儀はいまここに繰り返され、またひるがえって、あらかじめの死の記憶へとつづいてゆくかのようである。
 同様に、覚醒も眠りも、「骨壺」も「産道」も、はたまた「はらわた」も「彗星」も、ここに紡がれる詩の言葉の時空においては、存在の生起という本質的な出来事の、容易に反転しあう表と裏にほかならないのだ。「水門のむこうに/乱反射するまひる/遮るもののない青/もし/言葉を持たない遺書があるなら/この景をあなたにおくる」。
 とびきり時評的に言えば、ここには、詩の散文化や大衆化という今日的な波をしなやかに打ち返すように、謎の提示であるメタファーへの信頼と、改行や余白へのこまやかな配慮と、要するにまっとうな現代詩が息づいている。繰り返すが、萩野なつみの登場は長らく待ち望まれていたのである。
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自由詩時評第198回 肉体と言葉 瀬崎 祐

2016年11月12日 | 詩客
11月となり、マラソン大会が各地でおこなわれる季節となった。先週は大阪マラソンがあり、32,000人のランナーが御堂筋などの大阪市街を走った。
 私もあまりに鈍った肉体を危惧して50歳頃からジョギングを始めた。はじめは1kmを走るのもやっとだったが、そのうちにゆっくりとではあるのだが、フル・マラソンも走ることができるようになった。先週は大阪マラソンを走り、来週は岡山マラソンを走る。若いころからなんの運動もしていなかった身体には、42.195kmを走ることは、本当に辛い。それでも走る。なぜ?
 
 作家の村上春樹も、よく知られているように、走ることを趣味としている。それもかなり早いランナーである。40歳代には3時間半でフル・マラソンを完走していたということだから、市民ランナーとしてはエリート・クラスの走力である。
 その彼のエッセイ集「走ることについて語るときに僕の語ること」(2007年 文藝春秋社)では、240頁にわたってなぜ自分は走るのかを確認している。彼はこのエッセイ集について次のように言っている。

僕としては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかりを小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのようにして生きてきたか、自分なりに整理してみたかった。

 それでは走るという肉体行為をしている間、その人の存在はどのようなものなのだろうか。詩を書いたり、小説を書いたりという、表面上は肉体行為をともなっていない時間を生きている場合と違うものがあるのだろうか。

僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている。

僕は身体を絶え間なく物理的に動かし続けることによって、ある場合には極限まで追いつめることによって、身のうちに抱えた孤独感を癒やし、 相対化していかなくてはならなかったのだ。意図的というよりは、むしろ直感的に。

川のことを考えようと思う。雲のことを考えようと思う。しかし本質のところでは、何にも考えていない。僕はホームメードのこぢんまりとした空白の中を、懐かしい沈黙の中をただ走り続けている、それはなかなか素敵なことなのだ。誰がなんと言おうと。

村上が、走っている自分を記述している部分を何カ所か抜き書きしてみた。同じ肉体行為でも短距離走などの無酸素運動になると状況はまったく異なってくるのだろうが、実際に有酸素運動である長距離走をしている人には、上に引いた村上の文章は感覚的にとても判りやすいと思う。

 このエッセイ集には、彼が参加したいくつかのマラソン大会のことも書かれている。さらには我が国での100kmマラソンの頂点であるサロマ湖ウルトラ・マラソンや、走るだけではなく水泳、自転車も組み合わせたトライアスロン大会へ出場したときのことなども書かれている。
 彼がどのように自分の肉体と会話をしながら自分自身をコントロールしているかを読むのは、具体的、実際的なレベルの話として面白い。

しかし、村上春樹の場合、彼本人が言っているように「運動を続けているのは「小説をしっかり書くために身体能力を整え、向上させる」ということが第一目的」である。彼には、小説を書くための道具としての肉体、という捉え方があるようだ。
 ここではもう少し話を先に進めたい。

 今回私が考えたいのは、弱っている人にも届く言葉はあるか、ということである。弱っている人に向かって発するだけの意味のある言葉はあるか、ということである。

 弱っているという内容は二つに分かれるだろう。
 そのひとつは心が弱っている場合である。これはここでは検討する場合には当たらない。なぜなら、心が弱る場合は必ず言葉が介在しているからだ。したがって心が弱っている人への言葉の役割は非常に大きいものがあることは自明である。

 今回は、もう一つの身体が弱っている場合、これについて考えたい。身体が弱り、肉体的にぎりぎりである場合に、果たして人は言葉を受け入れることができるのだろうか、という問題である。
 生まれながらにして、あるいは後天的な何らかの理由で、呼吸器をつけて酸素を取りこまなくてはならない人がいる。歩行したり、手を動かすこともままならない人もいる。直す術のない痛みにとらわれている人もいる。
 人間は肉体的には常に不平等である。なかには生まれたときから不平等であったりもする。そんな不平等な肉体で生きていく存在であるのが人間だ。

 言葉は、そんな肉体の辛さに拮抗する意味を持ち得るだろうか。呼吸を助けることもなく、痛みを取ることもできない言葉は、ドーパミンなどの脳内アミンを活性化する力を持ちうるだろうか。いや、この言い方は正しくない。そのような力を持つ言葉はあるだろうか。
 肉体の辛さを受けいれた上でなお存在しつづける存在になることを助けてくれる意味を持つ言葉はあるのだろうか。具体的な意志伝達などの有用性を待たない言葉をわざわざ発語する者として、上述のような言葉に近づくことはできるのだろうか。

 これはどこまでも判らない問題である。
 しかし、それならばこそ、発語するものはこのような言葉にせまる努力をいつも意識しなくてはならないだろう。

 私事になるが、私が長距離走をするのは、肉体を甘やかせた状態で詩を書きたくない、ということが根底にあるように思える。もちろん大した速さで走っているわけではないが、私にとっては肉体を精一杯の状態に追い込もうとしている。
 肉体が辛くなれば、精神状態にも余裕はなくなる。辛さに耐えるなかで脳内からは余分なものが削ぎ落とされていく。そして必要なものだけが残ってくる。理念的に言えば、必要な酸素を必死に取り込んで、乳酸の蓄積した大腿を必死に動かし続けて、そんな肉体的な状態でもなおかつ捨てられない言葉を求めている。

 おそらく村上春樹の言う「僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている」ということはまったく正しいのだと思う。その空白から生まれる言葉を求めていることに他ならない。
 自分の言葉に誠実であろうとすれば、自分の肉体を甘やかしてはいけないのだろう。甘やかされた肉体からは、甘やかされた言葉しか出てこないのだから。
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