「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩評 引用——テクストの交差点、あるいは作者に対する試金石として 浅野 大輝

2020年04月21日 | 詩客
 Wikipediaが好きで、気がつくとあのハイパーリンクの海を遊泳しながら眠りに落ちている。外に出られないときは特にそう。そんなんだから、きのうも朝起きて、なんなんだこの「皇嗣」ってページは、誰がひらいたんだ、おれか、と頭を掻いていちにちが始まった。
 外に出られないから——あるいは、出ても書店に行く足が向きにくいからか、ここ最近はもっぱらWikipediaに溺れているか、あとはときどき手に届く範囲の本を取って、ぼうっとしている。ぼうっとしているときに眺める本の、たとえば参考文献、あるいは好きなウィトゲンシュタインの一文一節なんかは、まるっきり古き良きハイパーリンクのようで、たぶんウィトゲンシュタインもいまのWikipediaは好きなんじゃなかろうか、やっぱりWikipediaってすごい、と勝手に思う。
 何の話だ。
 ある一続きのテクストを読んでいるときに、突如として現れるハイパーリンクは、つまりは別のテクストとのジャンクションで、気が向けばいつどのタイミングで乗り換えても良いし、帰ってこないのだって私たちの勝手である。線から線へ、テクストの縦糸と横糸の流れをつねに乗り換えて、今日もどこかのページをひらいたまま朝を迎える。

   *

 手に届く範囲の詩の本をひらけば、このハイパーリンクに非常に類似しているように思える手法に出会う。引用、と一般に呼ばれているものがそれである。

忽ち列車がすぎ
空の切り傷があって、まるで、
ウラン爆弾の速度
「高雲少量視程十五—二十粁南風二米程度」
彼の母校の校歌に出てくる似島
〽︎安芸の小富士にあかねさし 〽︎若き健児の血は湧きて
男子はコーラスで歯をきれいに揃えて歌う
(……中略……)
*作品中に広島の私立修道高等学校校歌を引用した部分があります。

(望月遊馬「写真より」[1])


 史実に取材したと思われる詩の行のあいまに現れる校歌は、ほかの行と調和しつつもどこかその引用らしさ——たとえば、その引用箇所は「〽︎」という記号により明示的に示されている——により、ほかの行と異なる位相にいるように思える。なんといえばよいか、すーっと進んできた行が、一瞬車線を変更して、すぐさま戻ってくるような感覚というか。
あるいは、次のような形はどうか。

性交なんかしなくてもよかった。
誰かとふたりで裸になってみたいだけだった。
抱きあって一緒に眠ってみたいだけだった。
だけどそれはとても難しいことだった。
誰とすればいいのかわからないことだった。
ひょっとこは美男ではなかった。
おかめは美女ではなかった。
それでもふたりは対になって踊った。
あけっぴろげな踊りを踊る神様の子孫をまねて。
(……中略……)
*鶴見俊輔著『アメノウズメ伝 神話からのびてくる道』(平凡社)からの引用・参照箇所があります。

(大崎清夏「ふたりは対になって踊った」[2])


 この詩を読んで、その最終行に出会うまでに、引用の箇所に気がつくことは一般的な事象だろうか? 「ひょっとこ」と「おかめ」についての踊りに「何かそのような伝承があるのだろう」という予想こそすれ、既存の書籍からの引用であるとは思いにくいのではないか? 個人的な知見の幅も影響していそうで、私がつまるところ無学なだけではあるのかもしれないが——この例の場合であれば引用ということには気がつきにくく、それゆえ詩の行と引用の行の境は曖昧に思える。望月作品のようにあくまで引用箇所を認識しやすいように提示するのを明示的な引用と呼ぶなら、最終的な種明かしを待たない限り引用であることを示さない大崎作品のような作品は暗示的な引用と読んで良いかもしれない。

「銀河鉄道? 池袋から出るの? 私、見たことないよ」
「いや、池袋は発着権が高すぎて買えなかったのだ。椎名町のお祭りのときにどさくさに紛れてホームの目立たないところにわしが乗り場を勝手にこしらえたのだ」
椎名町駅のホームにある銀河鉄道の乗り場は普段は誰にも見えない
「これでいいのだ!」
バカボンのパパが知恵ある言葉を囁くとベニヤ板でできた適当なつくりの乗り場が現れた
(……中略……)
*その後、松本零士先生は順調に回復し、無事に大泉学園に帰られたということを知った。しかし、それがバカボンのパパのおかげだったのかどうかはよくわからない。

(野崎有以「銀河鉄道999 椎名町発 大泉学園行き」[3])


 こうなってくると、よくわからない。
 ここでは、人口に膾炙している赤塚不二夫『天才バカボン』のフレーズをはじめ、松本零士による人気作品『銀河鉄道999』のモチーフなど、名作漫画由来のキーワードが繰り返し登場する。引用的ではあるが、最後に引用の文献が「」で記載されるのかと思いきや、そうした通例も破られて、そのまま後日譚が続けられ、引用ということはあくまでも宙ぶらりんのまま詩は終わる。引用という扱いをせず、名称や何かのキーフレーズを置いてみただけで、そこに別のテクストへの入り口が発生するという現象は興味深い。
 明示的に、暗示的に、あるいはそれらとは異なってキーワード的に、作品に引用を取り入れるということは、つまり常に読者を他のテクストという別車線へと導き込むような行為である。それは非常にハイパーリンクに似ているが、一方でその引き込む強制力は、おそらく文章に現れる引用の形の方が強くなる。文字情報を読み取るという線形な認知の在り方もあって、読者は飛ぶかどうかを選択可能なハイパーリンクに比べたら、直接そこに書き記されている引用の脇道に飛び込むことから逃れられないのである。
 目に飛び込んでくる詩の行は、常にその場その場で評価されていると言える。そのさなか、引用は常に唐突であり、常にその一瞬前の引用ではない行とは別の空間を作り出す。ハイパーリンクという比較的若い技術——と言ってももうかなり手垢がついた——と見比べてみると、作品における引用という手法の不思議さが際立つようにも思えてくる。

   *

引用、引用と何度も言ってはいるが、そもそも引用とは何か?

( 名 ) スル
①古人の言や他人の文章、また他人の説や事例などを自分の文章の中に引いて説明に用いること。 「古典の例を-する」
②ポスト━モダンの芸術や建築で作品の中に過去の様式や他人の作品を部分的に組み入れる手法。

(「大辞林」第三版[4])


 上記の辞書的な定義と照らし合わせるなら、詩歌における引用とは、概ね②の意味が大きいだろう。つまりは、説明のためというよりも、ある過去の作品を引いてくることで自身の作品の強度を増そうという意図の方が大きいわけである。
 このとき、どうしてもこれらの引用は、著作権との兼ね合いを考えなくてはならない。著作権が継続されている作品を、著作者の許諾なく自由に引用として利用できるような場合は、一般に以下のように定められている。

引用(第32条)
[1]公正な慣行に合致すること,引用の目的上,正当な範囲内で行われることを条件とし,自分の著作物に他人の著作物を引用して利用することができる。同様の目的であれば,翻訳もできる。(注5)[2]国等が行政のPRのために発行した資料等は,説明の材料として新聞,雑誌等に転載することができる。ただし,転載を禁ずる旨の表示がされている場合はこの例外規定は適用されない。

(文化庁「著作物が自由に使える場合」[5])


 上記における「公正な慣行に合致」「正当な範囲内」とは、過去の判例などから、以下のような条件を満たすことを指すとされることが多い。

・明瞭に区別されていること
・主従関係があること
・引用の必要性があること
・量・範囲が必要な範囲内であること
・引用方法が適切であること
・慣例に則るものであること

(参考:「他人の著作物を適法に「引用」する際のルール」[6])


 こうした条件を眺めて心配に思うのは、果たして作品中への別のテクストの取り込みは、引用ないしその他の技法として適法と捉えられうるものなのかどうかということである。
 引用の条件を上から見ていくと、これらはいずれもある引用の実施が、その引用元に対する何某かの効果を生み出すことによってこそ、引用であるとして捉えられている。たとえば、評論である記事の一部を引いて、その記事をほかのテクストとも付き合わせて論じる。あるいは、自由詩評で詩を引きながら、その詩や関連する事項を論じる。これらはつまり、ある引用をする目的がその引用元の何かに対して評価や批評による見え方の変化といった効果をもたらす、ということによってその引用性が担保されている。
 それに対して、詩歌などの作品になんらかの形で別のテクストを引き込むというのはどうか? これは、先に引いた①の意味での引用であるとはいえないだろう。というのも、ある作品——論のように説明的な文章ではない、詩歌などの作品——がある引用を行うのは、その引用元に対する効果というよりも、その作品自体に対する引用元からの効果を期待するもののように思えるからだ。先に述べたとおり、この場合には②の意味合いでの引用と捉えられることになる。
 先ほどまで引いた各詩作品(望月作品・大崎作品・野崎作品)を改めて見たとき、これらは完全にその自身への効果だけを狙った引用をしているわけではなく、その引用元への効果という逆照射もある程度効果として持っているように思う。しかし、あくまでも論としてではなく、詩として作品があるために、より意識されるのはやはり自身を補強する効果としての側面なのである。
 そのように考えるなら、これらのような使用方法はどのくらい許容されているものなのだろう?

[質問] 立体作品の表面に、フォトコラージュをプリントしました。 コラージュ素材は、自分で撮影したものではなく、出版物等から収集したものですが、問題 ないでしょうか?
[解説] 条件が必要です。 素材の写真著作物の著作権が消滅していれば、原則としてその利用許諾の必要はありません。著作権が有効である場合で、その写真を複製、展示等する場合には、許諾が必要です。まずは、出版社に問い合わせてみましょう。出版社の同意が得られても、この質問の場合は素材の写真が変形されており、著作者が持つ著作者人格権にかかわるので、著作者に改変利用の許諾を受ける必要があります。他人の肖像写真を利用する場合には、写真に撮影されている本人の肖像権に配慮しておくことも重要です。この質問の場合での利用は、本人の肖像が変形されているためにその利用の態様によっては、本人が名誉を害すると感情的になることも懸念されるからです。

(「東京工芸大学芸術学部 作品制作と著作権Q&A集」[7])


他人が著作権を有する写真(元写真)を無断で用いて自分の作品を制作することは、写真(元写真)の著作権の侵害行為となる。パロディ等のフォトコラージュは、他人が著作権を有する写真(元写真)に改変(コラージュ)を加えるときに著作権侵害が発生する。特に、著作者に許諾を得ずに行ったパロディの制作(元写真の改変)は、著作権(著作者人格権、翻案権等)の侵害となる(上記事例参照)。
(……中略……)
翻案については「江差追分事件」(最判平成13年6月28日)において、翻案と判断するための基準が示されている[注25]。この基準に従って他人の写真著作物を利用したパロディ制作について検討すると、まず①他人の写真著作物と似た写真を撮影する行為は他人の写真著作物への「依拠」であり、②パロディはその性質上、元写真の「表現上の本質的な特徴を直接感得する」ものであるから、パロディは翻案権侵害となる。フォトコラージュに元写真の本質的特徴が感得できないときは、著作権侵害等を免れることができるが、それではパロディの意味が喪失する。また、一定の要件[注13]を満たすことで、引用として許容される可能性はあるが、判例上支持されていない。

(鈴木康平・松縄正登「フォトコラージュの諸問題—著作権、技術、社会倫理上の問題を中心として—」[8])


 ここでは主としてフォトコラージュ、写真におけるパロディについての指摘であるが、これらの問題は、こうした画像に限った話とはいえまい。
実態として他者の著作物の改変を含むような、コラージュと見受けられる詩作品や表現については、完全に禁忌とまでは言えないものの、場合によっては著作権違反を侵すリスクがある。批評のための引用という形は認められている一方で、作品それ自体を作るあるいは強化する目的での引用・コラージュ・パロディと言った手法は、場合によっては他者の著作物を侵しているものと捉えられる場合があるわけである。
 表現と法の二者の間で、いかに適切なふるまいを自身で選び取れるか。引用を自作品に取り入れる時、作者としてその法制度上の難しさに直面せざるを得ないことを、私たちは認識していなくてはならない。

  *

 ハイパーリンクを行き来する生活のさなかで、次から次へと異なる他者のテクストを飛び回っていると、いつのまにかそれぞれのテクストが溶けあって、一体のものに思えてくる瞬間がある。
 詩歌に現れる引用も、現れ方としては唐突・異質ながら、実態はその異質さを自作品に取り込んで一体の美的感覚を創出しようという試みのひとつであって、それは行き着くところまでいけば一体の融合物になるのかもしれない。
 唐突・異質を取り込もうと欲する交差のさなか、作る側としても、読む側としても、私たちは自身の作品に対する見方や寄り添い方が果たして適切なものであるのか、試され続けているのである。


【註】
[1]「現代詩手帖」2020年2月号(思潮社) pp. 14-17
[2]前掲書[1] pp. 25-27
[3]前掲書[1] pp. 74-76
[4]https://kotobank.jp/word/%E5%BC%95%E7%94%A8-11444
[5]https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/gaiyo/chosakubutsu_jiyu.html
[6]https://ec-houmu.com/right/chosakuken_quotation.html
[7]https://www.t-kougei.ac.jp/static/file/qa201405.pdf
[8]「日本感性工学会論文誌」Vol. 12 No. 1 (Special Issue) pp. 123-133 (2013)(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjske/12/1/12_123/_pdf)

*上記註のうち、Webサイトについてはいずれも2020年4月15日閲覧。

自由詩時評第246回 いのちとしてのことば~伊藤芳博『いのち/こばと』(ふたば工房)、金永郎『金永郎詩集』(土曜美術社出版販売) 青木由弥子

2020年04月14日 | 詩客
 大切なことを伝える手段として「言葉」しかないときに、その「言葉」が信用できないものであったら。あるいは、言葉にされない、思惑のようなものが透けて見えてしまったとしたら…… covid-19の世界的な蔓延が続いている。後手後手の対応、あるいは明確な方向性の見えない、その場しのぎのような対応ばかりが「言葉」として流れてくる政府の「公式」見解を見ながら(聞きながら、とは、到底、言えない)静かに冷えていく心を、読むこと、書くことで温める。時折、坪庭のような小さな庭に降りては、根詰まりを起こしている椿の鉢を植え替えたり、芽吹き始めたサルスベリの枝をぼんやりと眺めたりしている。東日本大震災の時にも、押し寄せる無力感から逃れるように庭に降りた。いつも通りに咲き始めた早咲きの桜を思わず葉書に写生したものの、家に飾る気にはならず、旧知のシスターに送ったりした。自分には、祈る言葉すらない。その空虚を抱えたまま、インターネットの投稿掲示板をのぞき…… 日々流れ、消えていく言葉に「応答」を始めた9年前のことを思い出す。それが、自分一人のものとして読む詩ではなく、他者と関りあうものとして読み、そして書く詩の世界に足を踏み入れたきっかけでもあった。

 家族の者とたわいない話で笑い転げながら、それでも鬱々とする心を扱いかねているようなときに、ことばの贈り物のような詩集が届いた。純白のカバーに包まれた、伊藤芳博の『いのち/こばと』。冷たい白ではなく、あたたかい、生成りのような白、布目の型押しがほどこされた風合いのある紙質である。右端に控え目に、やわらかなトーンで著者名と詩集名が記されている。カバーを外して現れる詩集も、より細やかな布目の白。暖色系の鼠色の見返しとのコントラストが美しい。
 「教員生活の四分の一を特別支援学校で過ごし、子どもたちに言葉を伝えることができたことに幸せを感じている。言葉にならないことばをいのちとして感じることができたことに、詩を書く者としても感謝している」と述懐する伊藤の“感じ方”を読む。

  ユウくんは目がみえないので
  きょうしつのなかでは
  マットにすわっていることがおおいが
  ひのひかりがやってくると
  じぶんではっていって
  まどのところでささえてもらい
  おかあさんにほおずりするみたいに
  ふふーん と
  ひかりにむかって目をほそめているのである

  きょうしつのまえをとおりすぎるとき
  ユウくんがゆれていると
  しぜんとちかづいていって
  ならんでそとをみているのだが
  ユウくんにみえるものが
  ぼくにはみえないので
  目をつむっていると
  ゆりかごのなかにまよいこんでしまうのである

  引き寄せられるものによって
  引き寄せられるもののために

  気づくと
  だれもいなくなった教室のなかで
  ぼくは窓枠に両肘を突いて
  沈んでいった夕陽を見ているのである
  お母さんを求めて今にも泣き出しそうな
  赤子の目をして

  あしたに会えますように

「いのち/ゆりかご」 全行


 迷うことなくひかりに呼ばれ、抱擁を交わしているかのようなユウくんの心を充たしているものを、「ぼく」は見ることができない。母を求める赤ん坊のように、切なく求めているのに、その呼びかけに応えることができない。そこには、教え導く“教師”ではなく、「しぜんとちかづいて」いく者、ならんで共に見ようとする者の姿がある。無理に判ろうとするのではなく、赤ん坊のようにまっさらな始まりの者として、ユウくんの感じ取っている世界を学んでいきたい、と願う想いがある。

  とんとんとんとん
  ゆびからゆびへ
  とんとんとんとん
  ぼくのみぎてセリちゃんのひだりて
  なにをつたえているのかわからないのだけれど
  てんじょうをみているセリちゃんのよこで
  はりがねのようなゆびに
  とんとんとんとん

  とつぜん
  「うっ」とだけこえをだしたセリちゃんは
  くるまいすにみをまかせ
  からだもくびもうごかせないまま
  すぐにたんをきゅういんしてもらって
  どこかをみている
  どこをみているのかわからないのだけれど
  まるまったちいさなつぶてが
  かすかにうごく
  とん
  と そのとき
  とつぜん天使にみえたのだ
  そのひとみがいのちそのもののようにすきとおり
  そのくちもとがいのちそのもののようにうるおい
  あ 天使だ
  でもぼくは天使をみたことがない
  天使ってどんなかおをしているのだろう
  しゅんかんにきざしたふしぎなうちゅう
  セリちゃんのいのちがとんとんとゆらすので
  ぼくのいのちが天使のようになったのかしら
  かのじょとぼくのうちゅうにあらわれた天使は
  かのじょのひとみやくちもと
  ぼくのあたまのなかをとうめいなリズムでめぐり
  ぼくのうれいをつつみこみ
  かのじょのうつろをだきしめて
  もういちどぼくのなかで天使という言葉になった
  セリちゃんはねむってしまったのだろうか
  天使はすぐにきえさり
  言葉だけがいきどころをなくして
  とんとん
  なにかをつたえようとしていないセリちゃんの
  なにかをつたえようとしているぼくの
  ゆびとゆびは
  天使のとびらをノックしているようだ

「いのち/てんし」 全行


 一部だけ抜き出すと、作者が「セリちゃん」を過剰に理想化しているように読めてしまうので、全行を引いた。最初、「ぼく」は、「セリちゃん」が「なにをつたえているのかわからない」ということに囚われている。 それは、“意味”や“意志”を求めようとしているからだ。しかし、詩の最後では、「なにかをつたえようとしていないセリちゃん」に、「なにかをつたえようとしているぼく」に変化する。そのきっかけとなるのは、「あ 天使だ」という稀有の瞬間の訪れである。それは、「ぼく」と「セリちゃん」とが、不思議な力で“通じ合った”一瞬と言い換えてもいい。意味や意志という「なにか」ではなく、ここに居る、生きて居ることそのもの、いのちまるごと、のような「なにか」の交感。いのちといのちとがお互いの存在を確認しあった、という、ただそれだけの……しかしだからこそ透き通るように輝かしい一瞬が、そのことへの気づきが、「ぼく」には天使によって与えられたもの、と感じられたのだ。
 とんとんとんとん、というリズムが伝えているものは、そこに居る、という触覚の情報である。それ以上でも以下でもない。「ぼく」が「セリちゃん」に意味や意志を求めている間、気づかなかったこと。しかし、「天使」が訪れた後には、お互いが触れ合える場所に居るよ、君もぼくも一人ではないよ・・・その感覚の確認をするための「とんとんとんとん」であることがわかる。最終行が、「天使のとびらをノックしているようだ」と締めくくられているのも象徴的だ。部屋の中・・・うかがい知ることのできない場所にいるセリちゃんの魂に向かって、控えめに、でも、ここに居るよ、ご機嫌いかが、こんにちは…… と伝えるノック。「ぼく」は、無理やり「とびら」を開けようとはしない。人と人との最も本質的な挨拶が、ゆびとゆびとの間で交わされているのだ。

 切実にわかろう、寄り添おう、近づこう、としながらも、「ぼく」は過剰な共感や推測で、わかったつもり、になってしまうことを慎重に避けているように思われる。そのことがよくわかる一節がある。

  「お母さん どうしてレイちゃんは
  どんなときでもにこにこしていられるんですか」

  なんでもないことのように返ってきた
  「わたしのお腹のなかに
  怒りと悲しみを置いてきてしまったので
  わたしが代わりに
  いつも怒ったり悲しんだりしています」

  お母さんの絶望と希望のなかを
  レイちゃんは
  ゆらゆらすすんでいく

  腹の据わったという表現があるが
  表現ではなく覚悟なんだ
  なにも言わないレイちゃんの
  ゆらゆらとした表現の支点に
  お母さんの覚悟が座っている

「いのち/ふしぎ」後半


 最も「レイちゃん」の身近にいる「お母さん」が、了解し、受け止めている確信。それを、覚悟だと感じる「ぼく」。教師であると同時に、一人の人間としての眼差しが受け止めた発見と驚き、感動を素直に書き留めているところに強く惹かれた。

 詩集の冒頭に、恐らくは保護者の体験を教師として聞き取ることから生まれたであろう作品「いのち/えらぶ」が置かれている。生まれた子に、障碍がある、と告げられた時点から、自分の死後、この子は生きていけるのか、兄弟姉妹たちの将来はどうなるのか……生まなければよかった、という言葉すら頭の中に渦巻く時間を経て……「この子はわたしを望んでいる」「この子はわたしたちを選んで生まれてきてくれた」という受容と覚悟と確信に至るまでの時間。エドナ・マシミラの詩「天国の特別な子ども」に触発された箇所がある、という注記もある。長年の教師としての体験が凝縮されて生まれた作品であろうけれども、「ぼく」自身の体験談ではなく、想像力を極限まで働かせて“当事者”の気持ちを代弁する形で歌っているということが推測される作品だ。そこに難しさと危うさも内包されてはいるのだが・・・以前、この時評で紹介した宮尾節子の『女に聞け』集中の一篇の言葉を引いて、その危うさを補完しておきたい。

  日本人は、当事者でないことに引け目を感じる。
  また、当事者でもない者が、と周りの目もきびしい
  ――それに、負ける。
  (中略)
  当事者でないことを恐れない
  ――それは、想像することを恐れない、ということだ。
  ――それは、想像せよということだ。

  わたしは想像する。
  当事者について、想像する。
  当事者ゆえに、語れないことを(言えないことを)。
  (中略)
  当事者ゆえに、恐れることを――。
  当事者でないものは――、恐れないでいられる。

  もしも、当事者ゆえに、黙り
  当事者でないゆえに、黙ってしまえば
  いったい、
  世界は誰が語るのか。
  いったい、世界は誰が変えるのか。

(宮尾節子「誰が世界を語るのか」)


 伊藤が仕事を通じて汲みとったものを採り上げてきたが、この詩集自体がユニークな試行を試みていることも付言しておきたい。「こばと」「カラス」「あかり」などは、一見すると言葉遊び風の“かろみ”を有している。ことば、の一文字が入れ替われば、こばと、と新たな意味・・・というよりも像が現れる。「おことおなん」「おとこおんな」「おおなんということ」ちょっとした言い間違いが生んだ発見や笑いが発想源かもしれないし、一文字一文字を大切にする心が見つけた面白さであるのかもしれない。「あかり」は、文字を自在に出し入れしながら、人の心の灯、生きることをそっと見守る営みの明りに思いを馳せていく。何かに行き詰っているとき、ふっと視点をずらすことで救われたり、緊迫感や緊張が予想外の笑いでほどかれることがあるが、そんな心の柔軟体操に通じるような楽しい作品。子どもたちとも大いに実践してほしいような試みである。
 後半に納められた、過去の自作を引用したり、父の作品を引用したりして新たな一篇に再編する、という試みにも興味を惹かれた。過去の私と現在の私との対話。自身の年表を付す伊藤の、小休止と新たな出発を記念する詩集であるのかもしれない。

 昨年の秋に刊行された新・世界現代詩文庫17、『金永郎詩集』も紹介しておきたい。1903年に朝鮮全羅南道康津郡に生まれる。1920年に来日、青山学院中等部に編入(このとき、後にアナキストとして活動する朴烈(パクヨル)と同じ家に下宿)。青山学院大学で英文学を専攻するが、関東大震災で帰国。1930年に「詩文学」を創刊、「純粋抒情詩」を追求、朝鮮語で抒情詩を書き続ける。1940年以降は日本統治から解放されるまで断筆。日本統治下でも一貫して神社参拝、創氏改名、断髪令を拒否した静かな抵抗の人でもあった。1950年、仁川攻防戦の最中に飛んできた砲弾の破片を被弾して、47歳で没した。
 韓成禮(ハン・ソンレ)の解説によれば、金永郎(キム・ヨンナン)は「新文学派」を代表する抒情詩人であるという。「1925年から1935年まで10年間の朝鮮文壇は、プロレタリア文学派と民族文学派間の対立の時期だった。1927年に「海外文学派」が純文学論を主張して文壇論争が触発され、これをきっかけとして純文学運動としての「詩文学派」がより具体化された……彼らは日本帝国主義の抑圧から逃れるために純文学に逃避し、民衆の悲しみの代わりに、芸術至上主義や耽美主義を論じ、芸術の純粋性を主張してその理論を樹立した。しかし彼らは少なくとも、歴史的現実から来る苦痛を忘れたわけではなかった。「詩文学派」は、朝鮮プロレタリア芸術同盟「カップ」の政治的傾向の強い詩に積極的に反発し、政治性や思想性を排除した純粋抒情詩を目指した……内容と形式の有機的調和による自由詩創作と、意識的な言語の彫琢、隠喩と心象の意識的な活用が詩文学派の詩的傾向である・・・新しいリズム感覚と斬新な現代語の駆使によって真の意味で韓国現代詩の出発点となり、金永郎らにより韓国詩は、それ以前とは明確に異なる芸術的レベルに到達した」「金永郎は西欧文学の影響を受けながらも、韓国の伝統的な詩形を現代詩の中に取り入れ、伝統的なものと現代の西欧的なものとの接木作業に成功した
 同時代の日本の詩文学の動きと合わせて考えても興味深い。私は日本語の翻訳を頼りに、韓国の詩の美点や完成度などを間接的に味わうことしかできないのだが、金永郎が多用したという土地の言葉やニュアンスにも深い知識を持つ韓成禮の訳した詩篇の中から、心に響いたものを何篇か紹介しておきたい。

 まずは、韓国の伝統的な韻律を活用した四行詩から。

  草の上に結ばれた露を見る
  まつげに見え隠れする涙を見る
  草の上には精気が夢のように昇り
  胸は切実に口を開く

  あの歌さえも目を丸くして消えれば
  喉の奥の玉を水の中に捨てよう
  陽とともに昇っては沈む 雲の中のヒバリは
  新しい日、新しい島 新しい玉をくわえて来るだろう

  香りがしないからと捨てるのならば
  私の命を摘まないでください
  寂しい野花は野辺に枯れ
  分別のないその人のつま先で居眠りをするだろう


 続いて、二行四連の作品。

  私の昔の日のすべての夢が 一つ残らず運ばれて行った
  空の果てに届く所に 喜びは住んでいるのか

  静かに消える雲を見送れば
  虚しくも 心の向かうのはそこだけ

  涙を飲んで喜びを探そう
  虚空はあれほどに果てしなく青い

  腹這いになって涙で刻もう
  空の果てに届く所に 喜びが住む


 詩作への情熱を歌う詩にも共感を覚える。

  降仙台の針のような石の端に
  取るに足らぬ人間が一人
  彼はもはや
  燃え上がる湖に飛び降りて
  自らを燃やしてしまった方がよかった人間

  もう何年になるのか
  その恍惚に出会っても この身をすぐに投げ出せず
  そのまばゆさを見ても 歌はいつまでも歌えないまま
  押し寄せる波と闘っては越え
  苦しめられた心だから 時には涙が浮かんだ

  降仙台の針のような石の端で すでに
  燃やしてしまった方がよかった人間

※降仙台(カンソンデ)金剛山の水晶峯にある台。土や石などで高く積み上げられて周りを見渡せる場所。


 最後に、「一握りの土」と題された詩を。

  もともと平静な心ではなかっただろう
  無理にのこぎりで引いて千切れ千切れに裂いた

  風景は目を引くことができず
  愛が思いを乱させないのだ

  諦めて恨みもせずに生きている

  いったい私の歌はどこへ行ったのか
  もっとも神聖なものはこの涙だけ

  奪われた心をついに取り戻せず
  飢えた心を十分に満たせず

  どうせ体もやつれた
  急いで棺に釘を打ち込め

  どのみち一握りの土になるのだ