ゴッホが憧れ続けた、どこまでも陰翳のない、のっぺりと明るい私たちの日本。
ゆりかごのような島国に育まれしゆとり世代悟り世代Z世代α世代。
手のひらに光る薄い板を貼り付けていないと不安な私たち。
何一つ不自由のない東京の狭い一室に閉じこもり、こんなにも不自由に生きる私に、自由詩の時評というご依頼。
メール画面から目を離して本棚を見やると、変なおじさんが居た。
漂う岸辺 つまり到彼岸に
これから復活しようと思わないか
え?私はぽかんとした。
太陽は西に住むことをやめて
新しいものが東に輝いてやしないか
おじさんは私のスマホ依存を見咎めて、
若いうちから売名に溺れるなんて
よせ
言霊をこめない詩なんざ
まず 聖変化すらしないぜ
おじさん、痛いことを言うなあ……。
目を瞑ってまた開いた時、私は彼とともに太陽の神ラーの国(エジプト?)に居た。
いいかね 終りがはじまったばかり
23度27分 かたむきながら
曲りなりに回帰する
ケペリ
ラー
アトゥム
ぼくは逆語で君をくどく
くどかれてるの? 私。
はちゃめちゃな詩を紡ぎながら私たちは王家の谷を訪れた。
赤い花崗岩 立ちそこなったファラオ
エジプトにきてはじめて目にする
オベリスクが寝ていたとは
ああ肉体は悲しいな ミイラちゃん
すべては死者の書の読み過ぎだよ
手で顔を覆ったおじさんを慰めようとすると、べっと舌を出された。
なあんだ、泣き真似か。おじさんはまた自作のへんてこな歌を歌い始める。
夜もすがらOKの谷があばかれる
なぜ冷たくするの オシリスのお尻で
ナイルアドミラリ
ピラミッドナイト
コカコーラン
OKの谷って。ねえ、そんなの歌ったら怒られるよ……。
ひどい言いがかりだよなラムセス二世くん
だめだこりゃ。おじさんの口笛を武器に、バクシーシが手を伸ばしてくる怪しげな路地に二人で入り込んだ。
売春宿の窓から、不思議な女性がこちらを見下ろしていた。さびしそうな目。頬は削げ、顎は細く尖っていたけれど、長い首筋が美しくて、不思議な品格に溢れている。おじさんは声を掛けた。
いくらだい そこの上玉ネフェルティティ
高すぎる 年増が二〇〇ドルだなんて
クレオパトラだって二五ピアストル
やにっこいが二〇本入りの箱入娘
いい加減やめなって!私はおじさんの腕を引いたが、上をみると窓辺の女王様は笑顔になっていた。おじさん独特の陽気さのせいか。
ホメロスは飲んだくれ
ウェルギリウスはおべっか者
ホラティウスは腰抜け
薄暗い酒屋のカウンターで、おじさんは古の詩人たちを言いたい放題こき下ろす。
と詩の弁護をしたつもりの詩人も
科学 女 政治 海と溺れて死んだ
古来堅達は皆寂寞
惟だ飲む者の其の名を留むるあり
ほんとかね リーさん
いつの間にか隣に仙人のような風体のリーさんが座っていた。リーさんは私に手を差し出して、「李白です」と名乗った。「え、あの李白さん」「はい」どうやらおじさんの人脈はすごい。私たちは飲みに飲んだ。
百年三万六千日
一日すべからく傾くべし三百杯
シラフが意外と腹黒いね リーさん
おじさんは言葉遊びや冗談が大好きだ。
カトゥ留守?
Anticatones
僧は敲く月下の門
多かれ少かれ 詩句の問題にすぎんね
愚かなことに詩人は書きすぎる
ソツなく生きすぎる
都良香は羅生門の鬼と詩を唱和したらしいが
よみ人知らずでも相方にしなきゃあ
これからの現代詩 芸がねえよ
詩成らずんば 罰は金谷の酒数に依らん
それそれ その調子のお代りだ リーさん
おじさんは詩についてあれこれ言いながらリーさんに酒を飲ませ、かつ飲んだ。
途中からへーべ女神がお酌してくれて、私たち三人はHebe-erryekeになってしまった。へべれけでもおじさんとリーさんの詩に関する知識はあまりに深くて、私は会話についていくのがやっとだ。
帰りなん いざ 山中
山中 酒応に熟すべし
おや こんどは五柳先生のお出ましですか
私たちの酒盛りの席に、五柳先生つまり陶淵明が加わった。もうここがエジプトだかなんだか分からない。頭がこんがらがって考え込んでいると、五柳先生はぽんと私の肩を叩いて笑いかけた、
おばかさん 満月ですよ
さらに詩に関する議論は続く。おじさん曰く、
まったくの話 昔から今日まで
人間の馬鹿々々しさくらい 詩的なものはない
気晴らしの詩を深刻がる詩人がいる
だから すぐれた詩とはすぐれておかしい
人間が詩になめられているうちは
なんでもかでも ポエジーとなっちまうだろう
私は胸を衝かれた。そっか。私は詩になめられていたのだ。詩を深刻に捉えて、自分には解釈できないから、文学博士みたいに論文書けないからという逃げ腰が、詩になめられる原因になる。その間にも、おじさんとリーさんと五柳先生は、三人肩を組んで、
帰りなん 頭已に白し
典銭将に用て酒を買うて喫せんとす
なんて歌っている。
古人たちは立派だ
人間に頼らず 詩をもてあそび 月並に死んでゆく
個人主義的な大衆詩人にかぎらず
「遊びをせむとや生まれけむ」という今様が私の頭の中に浮かんだ。私も、おじさんみたいに自由に詩の世界に遊べるようになりたい。
おじさんは酔えば酔うほど面白い。おじさんの丹田には分厚い書誌的幻想の土台があるから、酔うとシュルレアリスム的に思いがけない面白い言葉がぽんぽん飛び出てくる。
むまれよりひつしつくれば山にさる
一人いぬるに人率てゐませ
ペドラ・ピンダタ文字
蝌蚪文字
リュコフロンのアレクサンドラ
謎ときの詩の手間を惜しめば
それだけ詩の手応えは減ってしまう
あまみやみるやにや
まきよ ゑらです おれたれ
ももすへ てづられ
しねりやみるやにや
ふた ゑらです
あらかきのみやに
まきよ ゑらです
おきおふぢがみやに
dulce est desipere in loco
次の日はカイロから地中海の方向に向かって砂漠を突っ切り、雨のアレクサンドリアを巡った。おじさんは、古代日本と古代エジプトとのかかわりがあった説を言う。
八尋白智鳥はここにも見えたんだわ
なるほど アガトダイモンの蛇とは八岐大蛇
崇神天皇の都だった磯城の瑞垣ノ宮は
このエジプト古地図でいうPlinthinetes
つまり砥石の地 アレクサンドリアに当るわけだ
舜の歴山の名をアレクサンドロス大王とする前に
出雲風土記に出る神門郡三津郷を調べなきゃいかんね
私はそんな彼に、たぶん神門郡じゃなくて仁多郡じゃない?とか茶々を入れながら、アレクサンドリアの歴史に思いを馳せた。カエサルとクレオパトラ、アントニウスの野望、破壊されたムセイオン、アレクサンドリア図書館……。
雨が上がり、虹が架かった。
虹と蜺
虹にだってオスとメスがあるようだ
滝口修造は雌の蜺について
ゆめの話を書いていたが
雄の虹との見分け方について
平田篤胤はゆめのなかで教え給うた
ほうれ 夜の白い虹にさえ根があろう
そう 指さしてから気吹之舎の翁は
みずからを吸い込まれて消えた
気変に因りてついに曽挙し
忽ち神奔して鬼怪なり
私たちも虹に吸い込まれた。エジプトの虹は日本へと繋がっていた。
私はおじさんと肩を組んででたらめな歌を歌いながら東京の狭い一室に帰る。
考え杉
冥土の飛脚
sicut erat in diebus Noe
私は布団の中に、おじさんは私の本棚に帰る。帰り際、私は彼に訊いた。
「おじさん、私たちが旅してきたのは、エジプトじゃなかったよね?」
おじさんはそれには答えずにばちっとウインクして、
亜々志夜胡志夜の思い出
さらばサランバ
テケ・リツツ・ノ・パー
※赤字引用はすべて加藤郁乎『エジプト詩篇』(立風書房)より
ゆりかごのような島国に育まれしゆとり世代悟り世代Z世代α世代。
手のひらに光る薄い板を貼り付けていないと不安な私たち。
何一つ不自由のない東京の狭い一室に閉じこもり、こんなにも不自由に生きる私に、自由詩の時評というご依頼。
メール画面から目を離して本棚を見やると、変なおじさんが居た。
漂う岸辺 つまり到彼岸に
これから復活しようと思わないか
え?私はぽかんとした。
太陽は西に住むことをやめて
新しいものが東に輝いてやしないか
おじさんは私のスマホ依存を見咎めて、
若いうちから売名に溺れるなんて
よせ
言霊をこめない詩なんざ
まず 聖変化すらしないぜ
おじさん、痛いことを言うなあ……。
目を瞑ってまた開いた時、私は彼とともに太陽の神ラーの国(エジプト?)に居た。
いいかね 終りがはじまったばかり
23度27分 かたむきながら
曲りなりに回帰する
ケペリ
ラー
アトゥム
ぼくは逆語で君をくどく
くどかれてるの? 私。
はちゃめちゃな詩を紡ぎながら私たちは王家の谷を訪れた。
赤い花崗岩 立ちそこなったファラオ
エジプトにきてはじめて目にする
オベリスクが寝ていたとは
ああ肉体は悲しいな ミイラちゃん
すべては死者の書の読み過ぎだよ
手で顔を覆ったおじさんを慰めようとすると、べっと舌を出された。
なあんだ、泣き真似か。おじさんはまた自作のへんてこな歌を歌い始める。
夜もすがらOKの谷があばかれる
なぜ冷たくするの オシリスのお尻で
ナイルアドミラリ
ピラミッドナイト
コカコーラン
OKの谷って。ねえ、そんなの歌ったら怒られるよ……。
ひどい言いがかりだよなラムセス二世くん
だめだこりゃ。おじさんの口笛を武器に、バクシーシが手を伸ばしてくる怪しげな路地に二人で入り込んだ。
売春宿の窓から、不思議な女性がこちらを見下ろしていた。さびしそうな目。頬は削げ、顎は細く尖っていたけれど、長い首筋が美しくて、不思議な品格に溢れている。おじさんは声を掛けた。
いくらだい そこの上玉ネフェルティティ
高すぎる 年増が二〇〇ドルだなんて
クレオパトラだって二五ピアストル
やにっこいが二〇本入りの箱入娘
いい加減やめなって!私はおじさんの腕を引いたが、上をみると窓辺の女王様は笑顔になっていた。おじさん独特の陽気さのせいか。
ホメロスは飲んだくれ
ウェルギリウスはおべっか者
ホラティウスは腰抜け
薄暗い酒屋のカウンターで、おじさんは古の詩人たちを言いたい放題こき下ろす。
と詩の弁護をしたつもりの詩人も
科学 女 政治 海と溺れて死んだ
古来堅達は皆寂寞
惟だ飲む者の其の名を留むるあり
ほんとかね リーさん
いつの間にか隣に仙人のような風体のリーさんが座っていた。リーさんは私に手を差し出して、「李白です」と名乗った。「え、あの李白さん」「はい」どうやらおじさんの人脈はすごい。私たちは飲みに飲んだ。
百年三万六千日
一日すべからく傾くべし三百杯
シラフが意外と腹黒いね リーさん
おじさんは言葉遊びや冗談が大好きだ。
カトゥ留守?
Anticatones
僧は敲く月下の門
多かれ少かれ 詩句の問題にすぎんね
愚かなことに詩人は書きすぎる
ソツなく生きすぎる
都良香は羅生門の鬼と詩を唱和したらしいが
よみ人知らずでも相方にしなきゃあ
これからの現代詩 芸がねえよ
詩成らずんば 罰は金谷の酒数に依らん
それそれ その調子のお代りだ リーさん
おじさんは詩についてあれこれ言いながらリーさんに酒を飲ませ、かつ飲んだ。
途中からへーべ女神がお酌してくれて、私たち三人はHebe-erryekeになってしまった。へべれけでもおじさんとリーさんの詩に関する知識はあまりに深くて、私は会話についていくのがやっとだ。
帰りなん いざ 山中
山中 酒応に熟すべし
おや こんどは五柳先生のお出ましですか
私たちの酒盛りの席に、五柳先生つまり陶淵明が加わった。もうここがエジプトだかなんだか分からない。頭がこんがらがって考え込んでいると、五柳先生はぽんと私の肩を叩いて笑いかけた、
おばかさん 満月ですよ
さらに詩に関する議論は続く。おじさん曰く、
まったくの話 昔から今日まで
人間の馬鹿々々しさくらい 詩的なものはない
気晴らしの詩を深刻がる詩人がいる
だから すぐれた詩とはすぐれておかしい
人間が詩になめられているうちは
なんでもかでも ポエジーとなっちまうだろう
私は胸を衝かれた。そっか。私は詩になめられていたのだ。詩を深刻に捉えて、自分には解釈できないから、文学博士みたいに論文書けないからという逃げ腰が、詩になめられる原因になる。その間にも、おじさんとリーさんと五柳先生は、三人肩を組んで、
帰りなん 頭已に白し
典銭将に用て酒を買うて喫せんとす
なんて歌っている。
古人たちは立派だ
人間に頼らず 詩をもてあそび 月並に死んでゆく
個人主義的な大衆詩人にかぎらず
「遊びをせむとや生まれけむ」という今様が私の頭の中に浮かんだ。私も、おじさんみたいに自由に詩の世界に遊べるようになりたい。
おじさんは酔えば酔うほど面白い。おじさんの丹田には分厚い書誌的幻想の土台があるから、酔うとシュルレアリスム的に思いがけない面白い言葉がぽんぽん飛び出てくる。
むまれよりひつしつくれば山にさる
一人いぬるに人率てゐませ
ペドラ・ピンダタ文字
蝌蚪文字
リュコフロンのアレクサンドラ
謎ときの詩の手間を惜しめば
それだけ詩の手応えは減ってしまう
あまみやみるやにや
まきよ ゑらです おれたれ
ももすへ てづられ
しねりやみるやにや
ふた ゑらです
あらかきのみやに
まきよ ゑらです
おきおふぢがみやに
dulce est desipere in loco
次の日はカイロから地中海の方向に向かって砂漠を突っ切り、雨のアレクサンドリアを巡った。おじさんは、古代日本と古代エジプトとのかかわりがあった説を言う。
八尋白智鳥はここにも見えたんだわ
なるほど アガトダイモンの蛇とは八岐大蛇
崇神天皇の都だった磯城の瑞垣ノ宮は
このエジプト古地図でいうPlinthinetes
つまり砥石の地 アレクサンドリアに当るわけだ
舜の歴山の名をアレクサンドロス大王とする前に
出雲風土記に出る神門郡三津郷を調べなきゃいかんね
私はそんな彼に、たぶん神門郡じゃなくて仁多郡じゃない?とか茶々を入れながら、アレクサンドリアの歴史に思いを馳せた。カエサルとクレオパトラ、アントニウスの野望、破壊されたムセイオン、アレクサンドリア図書館……。
雨が上がり、虹が架かった。
虹と蜺
虹にだってオスとメスがあるようだ
滝口修造は雌の蜺について
ゆめの話を書いていたが
雄の虹との見分け方について
平田篤胤はゆめのなかで教え給うた
ほうれ 夜の白い虹にさえ根があろう
そう 指さしてから気吹之舎の翁は
みずからを吸い込まれて消えた
気変に因りてついに曽挙し
忽ち神奔して鬼怪なり
私たちも虹に吸い込まれた。エジプトの虹は日本へと繋がっていた。
私はおじさんと肩を組んででたらめな歌を歌いながら東京の狭い一室に帰る。
考え杉
冥土の飛脚
sicut erat in diebus Noe
私は布団の中に、おじさんは私の本棚に帰る。帰り際、私は彼に訊いた。
「おじさん、私たちが旅してきたのは、エジプトじゃなかったよね?」
おじさんはそれには答えずにばちっとウインクして、
亜々志夜胡志夜の思い出
さらばサランバ
テケ・リツツ・ノ・パー
※赤字引用はすべて加藤郁乎『エジプト詩篇』(立風書房)より
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