「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩評 詩と哲学 古田 嘉彦

2018年05月21日 | 詩客
 最近詩と哲学に関する文章を読んでいて、引用されている開高健の「哲学は理性で書かれた詩である。」を読み、哲学については半可通でしかない私であるが、それは違うのではないかと思った。

 哲学は哲学であるである限り整合性、一般性を考慮しつつ構成されるものだと思う。それが次々と組み替えられていくにしても、そのような志向がなければ、そもそも哲学である必要は無いし、我々が哲学に惹かれ続けるのは、それがそのような思惟だからである。
 それに対し詩は、「その状態(詩的状態:引用者注)は完全に不規則で、恒常でなく、意志によらず、脆弱であって、そしてわれわれはこれを偶有的に獲るとともに失う(後略)」(ポール・ヴァレリー『詩話』佐藤正彰訳)のである。
 ドウールーズ・ガタリは『哲学とは何か』で、「芸術の合成=創作平面と哲学の内在平面は、一方に属する部分面が他方に属する存在態によって(略)占拠されてしまうほどに、互いの中に滑り込むことができる。」(財津理訳)と書いたが、その例としてあげたマラルメの「イジチュール」は「詩」として成功した作品の例にならない。翻訳(西脇順三郎訳『エロディアード』、柏倉康夫訳『牧神の午後』等)でも分かる成功したマラルメの詩作品にある「詩」は、正にヴァレリーが語る「詩」であるが、『イジチュール』を例にされても、あまり説得力は無い。
 また「学」は必ず方法を考えるが、方法によって詩に近付くことはできない。『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法への序説』を書き「方法」について深く考えるところがあったヴァレリーだからこそ、当初は方法によって意志的に詩に近づくことを考えてはいたものの、やがてその困難を告白することになったのだと思う。
 『哲学とは何か』では、科学、哲学、芸術の三つの面はそれぞれの仕方でカオスと戦うのであるが、それらの接合として「脳」があると論じている。野村喜和夫の詩集『よろこべ 午後も 脳だ』は、その「脳」を意識しているのであろう。その中の「正午(よろこべ午後も脳だ)」は次のような作品だ。

 きみって
 字と絵と
 マル
 詩へ  めざめさせ  レア  麗  ぬっ    美っ
 ぷ  柄  地MID


 これは当然ながら脳の中そのものということではなく、やはり作られたものである。しかしこれが刺激となって何か動きだすのを待つということなのであろう。ジョイスの『フィネガンズウェイク』よりはこちらの方が作りものらしさが少ない。このやり方の場合、この作品のような充分な長さが脳の中らしさを作るために必要になる。勿論意味によって関連づけられないが、これらの脳の中に散在するたくさんの言葉、あるいは言葉の断片を読者が意識に沈めていった時、そこに何かいきいきとした動きが始まることかどうかを試みているのだと思う。いずれにしても、決め手は魅惑として現れる謎の密度だと思うが。
 脳の状態を作品化するというよりは、読者の意識に言葉を放りこんで、それが刺激となって動き出すものを呼びだそうとするのであれば、短さによって言葉の浸透圧を高めた俳句の方が可能性があるかもしれない。俳句は詩のように脳そのものを感じさせるには短か過ぎるが、長さゆえに濁っていくリスク、刺激が薄れていくリスクから逃れられる。

  ともあれ、どのような理性を通ってもここから哲学には行きつかないだろうと思う。

自由詩時評第223回 瀧村鴉樹と音声詩の越境 平川 綾真智

2018年05月13日 | 詩客
 一九四六年一月二十一日、パリのヴィユー・コロンビエ座でダダイスムの主導者トリスタン・ツァラの劇詩『逃走』が初演された際に最も注目を集めたものは、ルーマニア生まれの詩人イジドール・イズ―の乱入であった。劇の上演に先立ちシュルレアリストの詩人ミシェル・レリスが、大戦中の地下生活から生まれた本作品の紹介講演を始めた時のことだ。客席からイズ―は仲間たちと共に新たな芸術運動について叫びはじめ舞台へと駆け上がったのである。レリスが「ダダ」という語を口にした途端に起こったハプニングであった。あわてた劇団の責任者はイズ―を説得し客席へと一旦戻したが、興奮した観客たちに促されて『逃走』終演後に彼は再び舞台に立ち、大喝采を浴びることとなったのだ。「語」と戯れたダダイスムの詩の後で「語」そのものを破壊し引き出す詩を提案していくイズ―が「レトリスム」と名付けて、その日披露した概念と朗読は、音素の連鎖を美的機構とするものであった。機械と騒音を賛美するイタリア未来派の主導者フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティの実践や『ダダイスム宣言』を作製したドイツの詩人フーゴ・バルの音響詩など、様々な思想を引き継ぎながらも大胆な破壊と創出を成していくイズ―の音素の集合による芸術は、瞬時にパリのジャーナリズムが語り始めるものとなった。イズ―はフランス文学史に名を残す時の人となったのである。しかし、イズ―の栄華が長く続くことは無かった。言語を解体し内在的なコードをも超えていく音素のエネルギーは、レトリストたちが創作を繰り返すほどに新鮮さを失ってしまい世間からの関心も薄まっていってしまったのである。それを証明するかのように一九六三年十二月二十八日、パリのモンパルナス墓地にてツァラの葬儀が行われた際にイズ―は再び騒ぎを起こそうとしたが全くの失敗に終わってしまう。ツァラの墓に歩み寄ってイズ―が口を開いた途端、フランス共産党系の防衛隊が参列者たちを出口へと誘導し、皆はそれに従ったのだ。罵声や抗議の叫びを予想していたイズ―は慌てて群衆の背中に「詩人がまた一人、お巡りたちに葬られてしまった!」と叫んだが、それ以上のことは何も出来なかった。シュルレアリスムの主導者アンドレ・ブルトンが音楽を激しく弾劾し、現代にも息づく詩と視覚の結びつきを確固たるものとし続けていく中で、イズ―の音素による詩の群衆たちによる最終的な黙殺の様相は、あまりにも対照的と言わざるを得ない。

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 こうした歴史の中で音素と音声による詩へと批評的な意識を持って介入し、更なる芸術領域として実証しているのが瀧村鴉樹氏だ。二〇一七年九月十二日、動画配信サイトを利用した詩の朗読会「文学極道公式ツイキャス・第十二回・自作詩朗読枠」にて発表された瀧村氏の音声詩作品『ぽ』は、視聴している全員にとっての事件であった。呼吸音の後、言語を解体し音素へと還元された「po」という発声が、音階を変え明滅するように現出して作品は幕を開けていく。氏が発する自然音に近い音素の連続は次第に楽音へと変わり、コモン・プラクティス時代の豊穣なる音楽言語と結びつき調性に基づく破裂音の構成力動へ、世界を旋転させていく。緊張感の中を時間と有機的な現象の立脚が強勢と音圧に飛翔し、やがて楽音たちの踊る変移は一定の規則性を持ち始めるのだ。静謐なミニマル構造の時間の中で支点存在となった「po」の明瞭な発出の合間からは、いつの間にか「金星」や「白濁した」などの単語が囁かれだし「po」の跳躍は新たなる地平を提示していく。音程を変えながら繰り返されていく「po」は言語の囁きの中で自己破壊を起こし、もはや元の音素ではいられない。「ni」へ変転され「tu」の連続へと拡張され無限の奥行きを獲得し、いつの間にか現存在が小宇宙で浮遊し解放されていることを知るのだ。詩作品『ぽ』が展開されていく間中、誰もが息を飲み驚愕のあまり画面上へコメントを書くことも忘れてしまっていた。作品が終わった後も多くの者が放心状態となり、徐々にコメント欄は通常の思弁的な考察などは置き去りにして多数の感銘を告げる言葉で埋め尽くされていくこととなった。配信が終わった後、何人もが「音声詩を初めて知った」「音声詩に感動した」と語彙を失った感想をSNS上で交し合わざるを得ないくらいに『ぽ』は視聴者全員の心を掴み、皆に衝撃を与えたのである。瀧村氏が発する音素の構成たちは、一人ひとりに「音声詩」とは何かを体感させ聴覚としての詩の特異点を乗り越えさせたのだ。
 発話の総体でもある言語とは、それによって社会集団が共同のはたらきをなすところの恣意的な音声表象の一組織である。幼児が産出された社会集団の中で得ていく主観的体験を所与の共同体内言語による相互作用を通し自己形成を行っていく時、音声は文化体系の習得へと直接的に働きかける力を持つ。解体された音素は、文化共同体が発達するより以前の原初から身体に獲得されていた抽象概念そのものに他ならない。瀧村氏の音声詩作品『ぽ』は私たちを構築している言語文化を一瞬にして剥ぎ取り、剥き出しになった初源的な感覚構成の自我へと直面させていく。誰もが絶句してしまったのは、音素の中で文化を剥がれ弱々しくも野生に蠢く自分と出会ってしまったからだ。自明の真実を拒否する自分が音素の中に陳列され、隠し立てすることなど出来ない残酷なツールとして位相の変化の上で反芻されていくのである。鏡像体となり跳ね上がる音素「po」は、次第に西洋音階という秩序を獲得し始め祈祷であった頃の拍動を緩やかに帯びながらも歴史を作り、個と包摂する共同体を発達させる人類の進化そのものとなる。ミニマルな構成が見えてきた時には西洋文化が強く希求した東洋文化への概念が全体から既に立ち上がっており、そのまま歴史上を通過し成されてきた自己という贈与が再獲得されていく。「日本語」で囁かれる単語は踏み込まれていく主体形成を問題化する私たち自身の姿だ。自身を所与の文脈中に見つけ出した時、もはや発される音素は「po」ではない。「tu」など変化した音素は、望み進んでいく主体と文明の相互形成である。貫徹された音声の中でこそ初めて、認識の未来は可能となるのだ。
 音声詩『ぽ』は、瀧村氏が「文学極道公式ツイキャス」上でも明かしているように、実は誌面上で発表された詩作品の朗読である。しかも『瀧村鴉樹の詩的考察と実験による作為的発狂理論』(2012年・秘密結社イデア)に収載されている詩作品『ぽ』は驚くべきことに、コンクリート・ポエトリーであり強度を持った視覚詩なのである。フォトショップを使用して余白まで美術的な力動を持った『ぽ』の視覚的メディア性からは、他者が瀧村氏の音素の創出を再現することは不可能であると断言しても良い。音声詩にとって記号的なダイアグラムの作用をしている氏のコンクリート・ポエトリーは、朗読のために読み解かれる言語素材などではなく視覚的/造形的なオブジェであり図形楽譜としての要素を持っているのである。シュルレアリスム以降、確固たるものとなっていた視覚と詩の領域が、黙殺されさえしていた音楽的イマージュと音素的な詩の領域との深い溝を越え、瀧村氏によって結節され創出前進を始めたのだ。ブルトンに弾劾され続けていた音楽的イマージュはフランスの作曲家エリック・サティを通過し、アメリカの作曲家ジョン・ケージたちによって《カートリッジ・ミュージック》など不確定要素を前面に押し出した概念的現代音楽として発達してきていた。日本では作曲家の武満徹が《シュルレアリスムの音楽家》を目指し、詩人の瀧口修造たちから学んだ詩的概念を音楽化する営為に取り組み成功を収めてきていた。フランスの詩人アンリ・ショパンたちはエレクトロニクスを使用し音響詩を発達させ、誌面という強大なメディアに囲まれる中で繰り返し実験を続けてきた。それら全てを踏まえた歴史的背景の中、音楽的な分野と視覚的な分野が詩という営為の中で婚姻していく途方もない難業を、なんとも軽やかに瀧村氏は達成してしまったのである。瀧村氏の視覚詩を音声詩として立ち上がらせる創出行為は歴史的事件であり、もはや先験的な贈与として立ち現れていく歴史そのものなのだ。

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 瀧村鴉樹氏は高知の自然豊かな地区に生まれ育った。物心ついた頃には祖父のワープロを叩いて遊んでおり、小学生の頃には既に何本もの小説を書き上げていたと言う。大自然の中を歌いながら通学して、葉擦れの音色や拾った小石の感触と戯れ独自の五感を育んでいった。十四歳の時、前半部位に詩が添えられた氏の小説を読んだ教頭先生から「君は詩を書くべきだ。才能がある」と言われ、本格的に詩を書くようになる。実は高知詩壇の重鎮であった教頭先生が貸してくれた山田かまちの作品集に衝撃を受けたことも、詩創作への専心を後押しすることとなった。その後、氏は高校での放送部や演劇部での活動を経て大阪の芸術大学で映像造形を学び始める。大阪という都会で人間観察を行い続け、アンダーグラウンドでのパフォーマンスなども行い実践を通し舞台構成についても学び続けていく。多くを吸収していく刺激的な都会生活であったが、いつも身近にあった自然の乏しさに寂寥を感じたり詩を書くことが報われない作業だと実感したりと、無力感に襲われることも多々あったと言う。高知に帰ることとなった際、氏は帰路途中に故郷の山が萌えている姿を見て、感動のあまり涙が止まらなくなったそうだ。葉擦れの音色や拾った小石の感触を久しぶりに味わい、愛とは何かの一端を掴み、これを最終的に書くのだ、そのために全てを経験してきたのだ、と創作における自己動態を悟ったのだ。一つひとつが繋がりだしていくのを実感すると、詩作においても楽しんでいる自分を発見し始めた。音楽活動にも乗り出し、自分のやっていきたいことを優先するようになり作品も奥行きを増していった。決まった形式などなくて良い。活動の幅が広がっていく中で、楽しみ始めた瀧村氏の詩は豊穣に愛を具現化していったのである。
 そして氏は『詩のボクシング2013年・高知大会』に団体出場する際、音声詩へと辿り着いている。一緒に活動していたメンバーが音楽的な詩をやりたいと望んだことが、きっかけだったそうだ。メンバーの意見を念頭に置きながら最高の詩の朗読形式を模索して日常を過ごしていた或る日、瀧村氏は天啓を得たようにミニマルと音素を基底とした「音声詩」の姿を閃いたのだと言う。しかも驚くべきことに、なんと氏は「レトリスム」や「音響詩」へと触れることなく自分で「音声詩」へと到達しているのだ。高知で始めた音楽活動やアニミズム的自然の音たち、これまでの人生経験が全て一つに繋がっていき出来上がっていった作品への希求が、先達たちの歴史的な文学動向を氏個人の中で発生させ超えさせたのだ。先鋭的な作品形態に自らで到達した氏たちが団体優勝を果たし全国大会でも活躍したことは、あまりに当然の結果と言っても良いだろう。独自の多元的に関係づけられた音の可能性を徹底的に追求する氏の「音声詩」は、それだけ初めから衝撃的だったのである。
 個々の音素や言語の音色に固有の時間を見出し絶え間ない推移そのものへ「詩」を見出し創出していく氏の「音声詩」は、最近ではエレクトロニクスとの融合を遂げ新たな段階を迎えてきている。二〇一八年四月十七日「文学極道公式ツイキャス・第四十二回・自作詩朗読枠」にて発表された音声詩『蒼の腐食』は、電子媒体でミキシングされた自然音と声を背景に絡み合うように発されていく言葉の音素たちが、音高と音色の混合された精緻で領域相互の関係性をポリフォニックに展開して多層的空間を創造していき、視聴者から大喝采が起こった。フランスの作曲家ピエール・シェフェーズの「ミュージック・コンクレート」やドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンの「ライヴ・エレクトロニック・ミュージック」を想起させる強度の詩の動向を、眩いまでに氏は先端で体現し提言し続けているのである。
 瀧村氏は現在、オープンマイクの主催や詩誌『夜鷹』の発行、現代詩サイト『文学極道』での選考委員など、枠に決して捉われることのない様々な活動を行っている。また前述した「文学極道公式ツイキャス」では司会進行を務め、全くの初心者や熟練の書き手、別ジャンルの熟練者など様々な者が参加するオープンマイクを作り上げ、絶大な人気を誇っている。毎週火曜二十一時から四時間配信している動画配信サイト「ツイートキャスティング」を利用したweb上での詩の朗読会/オープンマイク「文学極道公式ツイキャス」は各回ごとに「自作詩朗読枠」と「即興詩枠」を交互に行っており、地域に居ながら誰でも参加できるという斬新な形式や瀧村氏の軽快なトークと評論コメントが話題を呼んで、毎回どちらの枠も盛況を博している。「即興詩枠」でお題を投稿していたリスナーたちが詩を書き始めたりと、氏の現代詩の普及面における貢献度も突出しており実に甚大だ。複数の芸術分野が支配したり、他の芸術分野と統合したりすることはよくあるが、個の詩人上で能動的に統合され相互連関の中に創造されていく在り方は稀だ。氏が起こす奇跡的現象は我々に、高度情報化社会におけるグローバル化と残存地域のミクストメディア性を改めて発見させていく。領域拡張として現代詩のビッグバンを発生させた瀧村氏の創作は、今後も驚愕の事件を起こしていくだろう。イズ―が最終的に黙殺された音素は、瀧村氏によって越境の詩として実証され今、次なる総合的知覚の極致へ立とうとしているのだ。

■参考文献:
『現代音楽キーワード事典』著:D.コープ、訳:石田一志/三橋圭介/瀬尾史穂
                             (春秋社、二〇一一年)
『言葉のアヴァンギャルド―ダダと未来派の二十世紀』著:塚原史
                             (講談社、一九九四年)