「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第202回 ボブ・ディランから始めて現代詩の潮流を問う 宇佐美 孝二

2016年12月18日 | 詩客
 ■まず、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞から話そうか

 現代詩時評としては、やはり2016年ノーベル文学賞がアメリカのロックシンガー、ボブ・ディランに授与されたことを取り上げないわけにはいかないだろう。
 様々な媒体で取り上げられているボブ・ディランのノーベル文学賞受賞。久々のアメリカからの受賞(数日間連絡が不能。賞を受けるかどうか注目されたが、結局賞を受けると意志表示。しかし授賞式には欠席)。だが、果たしてディランは詩人なのか歌手なのか、あるいはその両方を兼ね備えた存在なのか。また受賞が文学的業績に値するものなのか、というところに焦点が当てられているようだ。
 世間の、「受賞が妥当か」という問題はさておき、まずノーベル文学賞なるものがどのような性質をもつものなのかを検証することが必要だろう。当賞が「世界最高レベルの賞」だという認識はすこし足りないのではないかと思うのだ。(あくまで一般的な認識にそって言えば)世界的な権威ある賞には違いないが、もうひとつ「世界に還元すべき賞」だという認識はあまり語られない。ダイナマイトを発明しそれが戦争に使われた反省の念から賞が創設されたという、ノーベルの遺志を再認識すべきではないだろうか。
 つまりこういう推理だ。今回のボブ・ディランのノーベル文学賞受賞は、シリア内戦をはじめとするアメリカをけん制する意図があったのではないか。周知のようにディランは、60年代のベトナム戦争を批判する反戦フォーク歌手として登場してきた。ノーベル文学賞委員会は、その彼の戦争批判(プロテスト)の歌をもってアメリカ自身や世界を覚醒させたいという意図があった、というと穿ちすぎだろうか。
 世界はシリア内戦から拡大した難民問題など、未だ解決できていない難問であふれている。忘れられたかもしれないが昨年(2015)のノーベル文学賞授賞者は、ジャーナリストのスべトラーナ・アレクシェービッチなのだった。彼女は、アフガニスタン紛争やチェルノブイリ惨事を通して、「ソ連崩壊後の個人」を描き出した人。生まれたウクライナ(旧ソ連領)はロシアとヨーロッパ、中東の境辺りの、地政学的にも重要な位置にある国である。アレクシェービッチは、そのウクライナに生れベラルーシに住んでいるが、ヨーロッパに亡命していた時期もあったようだ。
 ノーベル文学賞委員会は、ジャーナリストと(移り変わりはあるが)反戦ロック歌手に文学賞を与えることによって、アメリカとロシアという大国間の戦争構造を非難していると考えられなくもない。それがどれだけ有効かは別として、こういった“政治的配慮”は、これが初めてではない。1957年にノーベル文学賞を受賞したフランス領アルジェリア出身の作家アルベール・カミュの時は、1954年から始まったアルジェリア独立運動と関係しているとも言われている。1962年アルジェリア独立は、カミュにとって複雑な立場だったという・・・。(そういえば、先日観た映画『アルジェの戦い』は傑作だった!)
 さてボブ・ディランの受賞を文学関係者と音楽関係者とでは当然受け止め方が違う訳だが、それぞれの反応ぶりはどうだろう。「ミュージック・マガジン」誌は、12月号でいち早く「文学としてのボブ・ディラン」を特集した。音楽関係者は総じて、ディランの受賞に讃美の声を上げている、といった風の反応だ。和久井光司という“総合音楽家”は「ディランの歌詞が宗教的な重みをもつようになった・・・」と手放しの誉めようだ。アメリカ文学研究者の堀内正規は、「大衆音楽には見られなかったような高度な隠喩を用いたとか、ハイカルチャーの文学の影響を取り入れたとか、思いがけない語彙で韻を踏みまくるとかということは、いずれもとても興味深い問題ではあるが、必ずしも決定的な要素であるわけではない。むしろボブ・ディランが「ライク・ア・ローリング・ストーン」で“How does it feel?”とあの声で問いかけるとき、他の何語にも翻訳不可能な“feel”を、聴く者すべての脳の中に永遠に残すあのやり方は、どう考えても、言葉そのものの力の発現であるという点で、〈詩〉そのものに他ならない。」(p47)というところが妥当な評価だという気がする。  
 また、「週刊金曜日」は11月18日号で「ボブ・ディラン」を特集し、ディランの信奉者である、シンガーソングライターの友部正人と、同じく中川五郎の対談を組んでいる。中川は「文学とは紙の上の表現であって音や演奏や声とは関係ないと考えている人たちが多いんですよ。でも、古代ギリシャの吟遊詩人、ホメーロスを持ち出すまでもなく、文学の最初の形態は文字よりも声で伝えられていました。」とこれもまともな文学観とディランの評価を語っている。

■作家、詩人たち

 翻って、紙媒体で文学活動をしてきた作家、詩人の反応はどうか。ツイートされた中から拾ってみると、英作家のサルマン・ラディッシュは「オルフェウス(ギリシャ神話の吟遊詩人)からファイズ(パキスタンの詩人)まで、歌と詩は密接な関わりを持ってきた。ディランは吟遊詩人の伝統の優れた継承者だ。素晴らしい選択だ」と好意的だ。スコットランドの作家、アーヴィン・ウエルシュは「私はディランのファンだ。だがこれは、年寄りで訳の分からないことを早口にしゃべっているヒッピーたちの腐りかけの前立腺からもぎ取られた浅はかな懐古趣味の賞だ」。今さら受賞なんて笑っちゃうぜ、とノーベル文学賞そのものに異議申し立てをしているようだ。ホラー小説で知られる作家のスティーブ・キングは「ボブ・ディランがノーベル賞を受賞したことに興奮している。不道徳で悲しいこの時期に素晴らしく、かつ良いことだ」と常識的な反応ぶりだ。
 文学者とりわけ詩人たちの反応はどうだろうか。拾おうとしてみたが、あまり詩人たちの声は聞こえてこない。その中で、詩人・作家の松浦寿輝は、「文学の領域はどんどん広がるべきだし、小説や詩と限定するのは文学概念を貧しくするだけだから、広がるのはいいことだと思います」と伝え聞く。こちらは好意的だが、ほかの詩人たちはけっこう辛辣な意見もあるようだ。
 今さら述べるまでもないが、ノーベル文学賞委員会の授賞理由は「(ディランが)アメリカの輝かしい楽曲の伝統の中で新しい詩的表現を生み出してきたこと」である。つまり、ディランの詞や唄のなかの「詩=ポエジー」を評価した、ということなのだ。あるいは「伝統」と「詩的創造」の融合が評価されたということだろう。アメリカの歌、とりわけ、ジャズやフォーク、ブルース、ゴスペル、黒人霊歌にまで遡る唄の系譜が、ディランの詞のなかに詠みこまれているということか。詞のなかに含まれる俗語や隠語、あるいは彼独特の嗄れ声までが文学性に富んでいると評価されたとみていいいのだろうか。それなら他の歌い手、(生きていればだが)よく言われるジョン・レノンが受賞していてもおかしくはなかった・・・という理屈にもなる。ま、答えは風のなか・・・?

■詩の世界の潮の分け目か

 とはいうものの大きな視点で捉えれば、このボブ・ディランの文学賞受賞は詩の世界の、潮の分け目になるような予感がする。いや、潮の分け目のなかに、ボブ・ディランの文学賞が象徴的にはまり込んだ、というべきだろう。これもよく言われるように、詩とは古来、口から口へ伝えられてきた口承(口誦)文学である。「詩」は古くは「詞」であって、書き言葉文化は口誦の肉声というものを消してしまった歴史がある。ディランの受賞は、文字のなかに隠された肉声の復活をも意図していたと言うと深謀遠慮すぎるだろうか。
 詩の朗読という行為が、ここ何年かに亘って盛んに繰り返され、日本だけでなく世界中でなされている背景にはこの「肉声」というものが文字の裏に隠され、それも文学だと言う暗黙の了解があるのかもしれない。またそれは文字の原初性への復権であるともいえるし、長く続いてきた黙読文化がもたらした価値観の反転であるのかもしれない。そうした“先祖がえり”をしながら我々の文化は繰り返されてきたのだが、いままたその蘇生をすることで詩はあらたな価値を見出したのだと思いたい。
 かつて、アフリカ系の女性詩人の朗読をユーチューブで見たことがある。彼女の朗読スタイルは独特で、台本も見ず大きなジェスチャーを交えながら怒鳴るように朗読していたのが非常に印象的だった。日本人は台本を見ながら朗読することが一般的だが、外国人はパフォーマンスというか、ジェスチャーの大きい方が受けは良いようだ。
 詩が、文字文化の黙読を受け入れ発達してきたのは活字文化の影響下だ。詩人たちは、詩を書くこと、読むことで表現してきた。いままた、朗読という表現が再び脚光をあびてきたのは、詩人たちが積極的に朗読行為に参加してきたためだ。これが詩と声の融合の表れと見るべきか。詩と詞が、ディランに象徴されるように、詩と声は新たな展開・融合として流れの本流に立ち現れて来る予感がするのである。この傾向をもつ優れた詩の書き手は多いが、特に日本の詩人では伊藤比呂美あたりは名実ともに筆頭だろう。ドイツ在住の多和田葉子もやはり詩を、文字のなかに肉声を取り入れた表現を展開している一人だ。
 ディランが評価された「伝統」とは、過去から伝わり、また現在から遡及できる機能である。我々は大きな文化表現の流れのなかで、自分たちを過去・未来と繋がる表現者として認識すべきだろう。

自由詩時評第201回 詩を書き続ける理由~北川透『なぜ詩を書き続けるのか、と問われて』 駒ヶ嶺 朋乎

2016年12月06日 | 詩客
 最近、この題名を知って、惹かれたので読んでみた。“なぜ詩を書き続けているのですか”という問いに対する明解な答えを、私自身はまだ見出せないでいる。詩を書き続ける理由についての詩を書いてみたことがあるが答えには至らなかった。私にとって詩は、思考の訓練、あるいは逃げ帰る場所、ミューズの懐、親しい庭、永遠に到達しない憧れ、いろいろな意味での“よいもの”すべてなのだが、すべて後付けの理由である。結局なぜ、書いてしまうものが詩でないといけないのか。現代詩みたいな、“非定型でリズムも自由でありながら一見して詩とわかるようなもの”にまとめてしまう原動力がどこから湧き出てくるのか、答えられない。ただ、生きているとほぼ同義のように、そこに詩が、詩のようにして在る。小生が生まれる前から詩を書き続けている北川透氏という理性詩人がどのような回答を持つのか興味がある。
 『なぜ詩を書き続けるのか、と問われて』(思潮社、2015年)の項は最終項で、「裂け目」「渇き」「遅滞」「ちちろ虫」「天使狩り」「導管」の6編からなる。

過疎の廃屋の内部で おまえの思考の
    カーブが止まる その時こそ
      ぼろぼろになってる木刀
     最期は 相打ちでいこうか

(「裂け目」 166頁)


 6編とも大変アグレッシブな、マスキュリンな印象を残す詩である。年齢を経てなお、男性的生命力に溢れているようにも思う。この詩集には2010年初夏から2013年暮れまでの詩が収載されている、つまり、東日本大震災をはさんで時系列的に配置したとのことが覚え書きにある。「わたしは大震災以後のことばに自覚的だが、しかし、そのために書き方や文体を変えようとはしていない。」とされ、震災後の作品には「以後」「遺骨」や「行方不明」という単語を用いた題名の作品が出てくるが、これらは震災後でも変わらず筋肉質な攻撃性に彩られており、震災のことを思うと私は苦しくて読めない。震災に関連した詩についてはいくつかの総括がある。今年初頭に前橋文学館で開かれていた震災から5年、当時を振り返る展示(検索すると「詞のちから」という題だったようだ)にぶらりと立ち寄る機会があり、改めて当時の詩壇を振り返った。個々人の秀でた作品があったのはもちろんのこと、全体としても言葉が原始から持つ鎮魂性・呪術性に回帰し、それまで現代詩の主流であった理知的攻撃性が一斉にしずまったことが想起された。あの時期にそれとは極めて対照的な作品群を敢えて書き続けていたことに特異な強靭さがあるのだろう。詩は、あの大きな喪失の時、悲しみに暮れるマスに寄り添い、励まし、落ち着かせたり納得させたりしてくれたが、その間、そのような集団感情には敢えて距離をとって寄り添わない、励まさないことで、北川氏は何をとりこぼさないよう努めたのか、何を保持しようとしたのか。おそらく播種としてのこのような営為が明確な収穫に至るにはもっと時間の経過が、俯瞰的展望が必要だろうと思う。私にとっては本詩集に収められた、震災からほど近い一連の詩は、いまでも苦しくなってここに引用できないほどだが、どんなに温かい気持ちであっても一斉に全体の針が同じ方向を示すという特殊な状況は、単一性という危険をはらむ。集団の多様性・多義性の確保のために、この理性詩人は敢えてこのような舵を切ったのかもしれない。
 そんな周りの空気に流されようもない強靭な精神の書き手が詩を書き続ける理由について、その回答はさらっとあとがき「覚書」にある。

いつからか、詩はわたしにとって、身体に例えれば循環器になっている。これまで幾度も直面した、生活上や精神上の危機を、いちおう乗り越えられてきたのも、書くという行為、特にその中心に詩があったからだ、と思う。(中略)
詩は時に衰弱や死に脅かされる、わたしを生かす循環器だったし、これからもそうあり続けるだろう、とあえてここに記しておく。

(173頁)

 意外にも極めて繊細な精神が記されていた。詩集には「わが循環器たち」とう詩群もあり、一篇ずつに他界した書き手達の名が記され、墓標のようになっている。詩や詩人に駆動され、詩人が血を巡らせ新たな詩を生み出す。人を生かすものとしての詩を、北川氏も強く認識しているのではないかとセンチメンタルな解釈をして許してもらえるだろうか。やはり“詩を書く”ということはここでも、“生きている”とほぼ同義なのかもしれない。