「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第289回 暗くて深い森へ~大木潤子詩集『遠い庭』(思潮社) 黒田 ナオ

2023年10月03日 | 詩客
怖いもの、
舟の中で、
ニッキの、
飴の、
歌が
聞こえる

(p12)
         

 とてつもなく暗くて深い森があって、ごく一部だけ光があたっている。その光があたる小さな場所に、なんだか不思議でとても魅力的な風景が見えるとしたら、向こうにある暗くて深い森は、いったいどんなところで、そこにはいったい何があるというのだろう。
 この詩集『遠い庭』を読んでいるとき、私には詩のひとつひとつが、まるでその小さな光の場所のような気がした。だから、ひとつの詩を読むたびにいつも、すうっと森の奥に吸い込まれるような、なんとも頼りない不思議な気分に襲われてしまう。なのにその吸い込まれる感じが、なんだか変に気持ち良くて、私はまた頁をめくり、次の詩を読み始めてしまうのだった。

「水のある場所が好きです」
と言われて
その意味がわからなかったから
「私も水のある場所が好きです」
と言った
そうして二人で笑った
何かとてもいいことがあるような気がして
手をつないで
空に向かって歩いていった

(p65)


 深い眠りから目覚める少し前に見る夢。その夢の中で見た風景を、そのまま文字で書き写したとしたら、こんな詩になるかもしれない。とても純粋で綺麗な夢だった。だからきっと、すっきりと気持ちのいい目覚めになることだろう。

この中に入っていく、と言われて
穴が示される
中から音楽が聞こえる
遠い山の
思考がわかるようになった
もう、長くはありませんと
言われたような気がして
穴のなかに入っていく

(p79)


 いよいよ穴に入ってしまった。どこからか、これ以上そっちへ行ってはいけない、という声も聞こえてくる。しかしもう「遠い山の思考がわかるようになった」のだから引き返すことはできない。穴の中から聞こえる音楽も聞いてしまった。

短い、合図のような音がして
終わった
それが合図だと知らなかった
止めどなく涙が流れる
あたたかいので
血かもしれない
と思うのだが鏡がない
目に触れてから指を見る
光がないので
何も見えない

(p90)


 私にはなんだか、この詩は、死んでしまった人間が、はっと暗闇で気が付いた瞬間に思えてしまう。自分はもう死んでしまったのか、と。そしてその暗闇の向こうには、いったい何が待ち構えているのだろう。
 小説でも映画でも私は、きっちり結果のわかるお話よりも、どこか「つづく」という感じの残るものが好きだ。これから後は、読む人見る人のご自由に、という雰囲気。この『遠い庭』という詩集にも、そんな自由な隙間のようなものがあって、それが私にはとても心地いい気がする。この詩集のなかにある風景は、どこか死後の世界のようなものも多くて、ちょっと怖い気もするけれど、なんだか懐かしく、夕べ見た夢の中の出来事のようにも思えてくる。

池にさざ波が立って
鳥が羽で打って鎮めた
コヨーテが水を飲みに来て
梟が鳴いた
遠い場所から
手紙が届いた

(p92)


 この遠い場所とは、いったい何処のことなのだろう。もしかしたら手紙は、まだ生きていた頃の恋人や肉親から、死んだ人に届いたものかもしれない。その人はちょっと眩しそうに目を細め、遠い場所でまだ生きる人々のことを、ある瞬間だけふっと思い出す。しかしその時にはもう悲しみも執着のようなものも消えていて、ただ梟の鳴き声だけが聞こえるばかり。なんて自由に想像の翼をひろげながら、少しだけ私は、自分自身の暗くて深い森のことを思っている。

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