きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

勉強する自分の形に咀嚼する

2015-12-23 15:00:02 | 徒然に2014-2015
5月の書きため。

萩本欽一さんが大学に行くという記事を見る。
痴呆に立ち向かうという気持ちもさることながらその具体的な方略にさすがと思う。

勉強するということは自分の形に咀嚼できるということなんだなと改めて想う。
参考書を読むだけではそれができない。
自分なりにまとめるというのは1つの方法だが、えらくまとめられすぎている参考書もあるしで高校生の時に困ったことがある。

闇雲に問題をひたすら解いて、突破したのが教員免許の資格認定試験とSTの試験。
傾向とか過去問とかをネットで調べまくり、そのお題に沿って、参考文献を見ながら解答を自分なりに作ったり、あるいはひたすら問題を解いたり。
問題を解くということは問題を自分の中に取り込むことだと気付く。

実は今、平日のみだが朝4時起きで20分だけこういう感じで勉強している。今年の春、出勤前の早朝ランを止める口実を作るために始めたのだが、少しずつ重ねていくと、勉強というのは咀嚼できる形でないと身に付かないし、咀嚼できる形にするには手間暇がかかると云うことが分かる。

本来、勉強というのは、誰でもどこでもどういう形ででも気持ちがあればできる筈。お金の問題は、学校に入るときはどうしてもつきまとうものが、実際にそれしかないというケースばかりではないとも思う。これを言っている間はやはり言い訳にしかならない。
気持ち次第で、工夫はいかようにでもできる。

もっと早く気がつけば良かったと思うが、まあ、それができないのもまた然り。


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