sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月28日 イタリア・カゼルタ)

2021-05-30 14:10:24 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月28日 イタリア・カゼルタ

雨も上がり、いい天気になっていたので、
今日こそは「青の洞窟」に行けるかもしれない。
そんな期待をふくらませて、ホテルの受付で聞いてみる。
だが英語が通じずに埒があかない。
これではあかんと、トラムに乗ってカプリ島行きの船が出る港に向かう。

だが時遅し!
9時半に船は出て、次は11時半までないと言う。
「青の洞窟」は午前中がいいと聞いていたので、今日もあきらめることにした。

再びトラムでナポリ中央駅に戻る。
今日はカゼルタに行くことにした。

カゼルタ宮殿
18世紀ヨーロッパ最大の宮殿建築と言われるほど広大な宮殿。
庭園も建物も規模といい豪華さといい桁違い。
世界遺産に登録されている。

電車で45分くらい、12時少し前に駅に着いた。

駅から宮殿まで約500mほど歩く。


カゼルタ宮殿が見えてきました。


宮殿そのものの見学は後ほどにして、
ひとまずレンタサイクルで
全長3㎞もの直線に沿って噴水や池の並ぶ道を走ることにした。









この辺りから、ギリシャ神話をモチーフにした彫像がたくさん並んでいる。




ちょっと見にくいですが、拡大してみると
写真中央、山のあたりに塔のようなものが見えませんか?
近くに行ってみて、その正体がわかりました。

滝だったんです。



この像の場面は、女神ディアナの沐浴姿を見てしまったアクタイオンが
鹿に変えられてしまったところ。

そして自分の連れてきた猟犬に食い殺されてしまうという、
恐ろしい神話をモチーフにしているとか。


滝の上まで登りました。




滝から宮殿まで、まっすぐ伸びる約3キロの道



往復2時間超えのサイクリングでした。


次は、カゼルタ宮殿内へ

宮殿内には、マーブル模様が美しい大理石がふんだんに使われ、
壁や柱、階段はまさに芸術。





広い廊下に高い天井、そして所々に見られる人や動物の大理石の彫刻からは、
宮殿にかけた労力や規模の壮大さが窺えます。







天井のフレスコ画だけでも美術館のようで色彩豊か。


その他、美しいベネチアングラスのシャンデリアや、
ドアの縁や柱、浴室の壁やベッドなどに使われたゴールドは、
宮殿をいっそう豪華で華やかに見せている。



ここには世界最大ともいわれるプレゼーピオがあることで有名
プレゼーピオとはキリストの誕生の場面を表したジオラマ風の人形たちのこと






4時過ぎにカゼルタ宮殿の見学を終えて、ナポリに戻る。
今日はホテルが変わるので、
前のホテルで荷物を受け取り、今日のホテルに向かう。
近い距離で、よりナポリ中央駅に近くなった。

さて今夜の夕飯をどこにしようかと、「地球の歩き方」を見る。
ホテルからも近いし、魚好きにはおすすめの店とあったので、
7時半ごろそこに向かう。

海鮮サラダ、エジプト豆入りパスタ、リゾットなど、
日本語でのメニューもあったので注文する。
ところがリゾットの米が固かった。これが悪かったのだろうか?


9時過ぎホテルに戻る。
しばらくして同行者が腹痛を訴える。
少し熱も出てきた。
今回の旅では、二人とも元気に過ごしてきたのに、
最後の最後になって病気にかかってしまった。
タオルで冷やしたり、薬も飲んだが、2度ほど吐いたようだ。
朝まで眠れない、辛い夜となった。

今回はここまで

ではまた


イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月27日② イタリア・アマルフィ)

2021-05-28 14:48:51 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月27日②   アマルフィ

2時過ぎに電車で、ポンペイからソレントに向かう。
ここでバスに乗り換えてアマルフィに行くのだが、
なんと目の前でバスは発車してしまいました。


仕方なく、ここソレントで1時間ほどの足止めをくらい、
カフェで時間をつぶす。
ソレントや湾を描いた砂糖袋?あまりにも美しかったのでパチリ!

ここで突然話は変わるのですが、
実は中高生の時、合唱クラブに所属していました。
音楽の授業では、何曲かナポリ民謡を歌いました。
「サンタルチア」「帰れソレントへ」「カプリ島」など。
みなさんもきっと歌ったことがあるんじゃないでしょうか?

今、私はその“ソレント”に居るのです。
思わず「帰れソレントへ」を口ずさんでしまいました。

さて3時半ごろ、バスはアマルフィに向かって動き出しました。

ソレントからサレルノにかけて約40キロメートルにわたる海岸は、
「世界一美しい海岸」と呼ばれている。
断崖絶壁に張り付くように建つ白い家屋の街並みと
紺碧の海とのコントラストは、きっと美しいだろう。

あいにくの小雨で、だんだん薄暗くなっていきますが、
アマルフィの海岸線の景色を、写真で感じとってください。






















バスは5時ごろアマルフィに着きました。

アマルフィ大聖堂






細い階段や路地を歩く。
お土産物店がいっぱい!
でもあいにくの雨で、観光客もまばら、、、



ドゥオモ広場にある噴水




切り立った断崖にカラフルな建物が建ち並ぶ。



荒い高波が襲ってくる。

みなさんはご覧になったでしょうか?
映画「アマルフィ 女神の報酬」
波が荒くてわかりにくいですが、
この海辺で織田裕二と天海祐希の語り合うシーンが撮影されました。



6時ごろ、バスはサレルノに向かって出発。
暗くなりかけているので、海の色がいっそう濃い。



7時ごろサレルノに着く。


お腹も空いたのでレストランを探してメインストリートを歩く。
ファストフードのようなお店に入る。

8時過ぎに電車でナポリに向かう。

9時過ぎナポリ中央駅に着き、
近くのスーパーでお菓子や飲み物を買ってホテルに戻る。

ナポリにはもう1泊するので、新しいホテルを予約した。
さて今日も小雨模様だったが、明日は晴れるだろうか?
「青の洞窟」には行けるだろうか?

今回はここまで

ではまた

イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月27日① イタリア・ポンペイ)

2021-05-26 15:39:27 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月27日①   イタリア・ポンペイ

さて今日はどこに行こうか?
一番に行きたいところは「青の洞窟」だが、
9時ごろホテルの人に聞いてみる。
ところが英語が通じずに、しかも小雨が降っているのであきらめて、
二番目のポンペイに向かうことにした。

9時30分ごろナポリ中央駅

ナポリ中央駅から30分ほどでポンペイに着く。
ガイド付きツアーを申し込む。
ところが女性ガイドの横柄な態度にムッとする。
初めにカフェに通されて、飲み物を注文するよう促されたり、
ツアー出発までに何やらと手間どったり、
出発したかと思ったら電話がかかってきて長話をしたりと、
もう私ぐらいの歳のものには考えられない態度にキレてしまった。
それでもまあなんとかツアーは出発!

*ここでポンペイについての一口メモ
紀元79年8月24日、ヴェスビオ火山の噴火によって
発生した火砕流によって一瞬にして地中に埋まり、
18世紀に発掘されるまで火山灰に埋もれていた。
火山灰が街を隙間なく覆い尽くしたことで
壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められ、
結果として街は非常によい保存状態のまま保たれることになった。

石畳の敷かれた道路は京都のように碁盤目で、水道網が発達し、
公共水場が設置され誰でも水にアクセスできたといわれている。
古代のローマ人は現代に近い清潔感を持っていたそうで、
浴場が大人気だったとか。
発掘以降は外気に晒されて崩壊が進んでいるため、
修復作業が常に行われている。

古代ローマの生活が見えるポンペイ遺跡は世界遺産に登録されている。


11時ごろようやくツアー出発。






パジリカ
裁判所として使われていた。
建物の一部と、柱の土台部分が主に残っていました。


マーケット


壺などの出土品
ワインの生産に使われていた。
石膏の遺体(上の写真中央含む)
発掘の最中、あまりに多くの不思議な形の空洞が現れることから、
石膏を流し込んで固めてから周囲の堆積物を取り除くと、人型が現れた。

壁画





浴場は当時ポンペイで非常に人気のあった施設で、
遺跡内にはいくつもの浴場がある。

そのうちの一つであるフォロ浴場




脱衣所の他、水風呂やサウナもあったとか。



パン屋などが並ぶ食堂街のような場所もある。
食べ物を温めるところや、冷蔵庫のように食品を保存しておくところまでも。
パン屋にはパンを焼くための焼き釜まで!(写真がないのが残念!)












貴族であった人物たちの邸宅跡

フレスコ画





モザイク画

入口にある小さな牧神の像
像の本物はナポリの国立考古学博物館に移されており、
ポンペイ遺跡にはそのレプリカが展示されている。











一応ツアーは終わり、あとは自由に散策

体育場

ポンペイ遺跡の一番東に位置する円形闘技場
奴隷や捕虜たちによる闘いのほか、
演劇など当時の市民の娯楽の場としても機能していた。

剣闘士たちが通った廊下など舞台裏も見ることができる。

残りは写真のみ紹介









いかがでしたか?
古代ローマの人々の暮らしの様子が伝わったでしょうか?
全てではないかもしれませんが、
現代の私たちの暮らしぶりと変わらないものが、そこにはあったのです。
でも一瞬の火山噴火と火砕流により、全てを飲み込まれてしまったのです。
石膏の遺体は、その時の人間のもがき苦しんだ様を伝えてくれています。
そして2000年間埋もれていた街が蘇ったのです。
でもあまりにも大量の灰が覆ってくれたことにより、
当時の街や人々の息づかいまでもが蘇ったのです。

日本に戻ってからケーブルテレビで「ポンペイ」という映画を見ました。
もちろん映画ですから、当時ポンペイで現実に起こったものとは違いますが、
私がこの目で見てきたポンペイ遺跡と重ね合わせ、
思い出しながら、何度も見ました。

さてこの後、アマルフィに向かいます。
ここもまた織田裕二の映画とダブってきます。

今回はここまで

ではまた

イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月26日 イタリア・ナポリ)

2021-05-24 13:46:32 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月26日 ナポリ



2時半ごろナポリの空港に降り立つ。
バスでナポリ中央駅まで行く。
ナポリの第一印象は、汚い、ゴミだらけ。
(駅前広場は本当にゴミが散乱していた)

気を取り直して、ホテル探し。
駅前で「地球の歩き方」にも出ている三つ星ホテルに飛び込むが、
満室と言うことで断られた。
事前予約がないと難しいのか。
次も断られて、3つ目の家族経営二つ星ホテルに飛び込む。
愛想よく迎え入れてくれた。
先の2つの無愛想な接客とは大違い!
連泊すると言うことで、TAX分は負けてくれた。

4時過ぎにナポリ市内散策に出かける。
写真を見ながらナポリを感じてください。

カプアーノ門

サンタ・カテリーナ・ア・フォルミエッロ教会
教会内部

旧市街 スパッカ・ナポリを歩く。
雑多で危険な香りのするスパッカナポリの見所を紹介



ナポリの守護聖人であるサン・ジェンナロのオベリスク

長い歴史を感じることができる下町で、迷路のように入り組んいる。


古い教会やクローチェ通りには老舗の菓子店などがあり、
どこか懐かしい雰囲気がする。


洗濯物がぶら下がっているのも見えます。
なんとも庶民的な街である。




ダンテ広場


インマコラータの塔
ジェズ・ヌオーヴォ広場には重厚なオベリスクが建っていました。

ジェズ・ヌオーヴォ教会の中に入りました。





スパッカナポリからナポリ湾、海に向かって歩く。







ヌオーヴォ城
ルネッサンス建築によって作られたお城です。
フランス風に作られた円筒型の塔や、非常に高い城壁などが特徴です。


続いてガレリア・ウンベルト1世(後ほど詳しく)も見えてきた。



サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂が見えてきました。
ローマのパンテオンをモデルに建てられたそうです。

王宮
前はプレビシート広場

少し丘の上にあがる。



7時前、マルゲリータ発祥の店ブランディに向かう。


やはり本場のマルゲリータは美味しかった。

でもマリナーラは日本で食べているのとは違っていた。
食べていると、ふたりの日本人観光客がやってきた。
昨日「青の洞窟」に行ったけど、波が高くてダメだったと教えてくれた。

8時過ぎにお店を出てホテルまで歩いて帰る。

ガレリア・ウンベルト1世
天井部分の鉄とガラスで造られたドームが美しい。

夜なので閑散としていますが、
ショップやカフェが立ち並ぶ、ナポリ屈指のショッピングモール

床には星座のモザイク画(ちょっと見にくいかも)

サン・ジェンナロのオベリスク

9時過ぎにホテルに戻る。
さて「青の洞窟」「ポンペイ」「アマルフィ」など、
先程出会った観光客の話も参考にして、明日からの予定を考える。

今回はここまで

ではまた

イタリア・中欧・カタールの旅(スロバキア、チェコ、ドイツ、ポーランド まとめ)

2021-05-22 11:17:28 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

今回は、
スロバキア、チェコ、ドイツ、ポーランド(3月16日〜25日)のまとめです。
地図に落とすと、下のようになります。


3月15日夜10時過ぎ、スロバキア・コシツェの駅近くのホテル泊

3月16日
聖エリザベス大聖堂と聖ミカエルチャペル(右手前)
コシツェのシンボル的存在

パスでバルデヨフに向かう。
城壁に囲まれた要塞都市で旧市街は世界遺産

聖エギーディウス大聖堂の塔の上からの景色

3時ごろバルデヨフからバスでレヴォチャに向かい、6時ごろ着く。
城壁に囲まれた旧市街にある、歴史的な建物を改装した雰囲気のあるホテル泊

3月17日
ホテル前には旧市庁舎(左)と聖ヤコブ教会

レヴォチャからバスでスピシュ城に向かう。
バスを降りてから、城をぐるっと囲むような道を、日差しがきつい中を歩く。
スピシュ城
「天空の城ラピュタ」のモデルとも言われる。
城からの景色
なぜだか「おお牧場はみどり」を口ずさむ。

バスを乗り継ぎ、夜の9時前にバンスカー・シュティアヴニツァに着く。
飛び込みで入ったホテルのレストランで食べた豆入りスープが美味しかった。


3月18日
午前中は、鉱山都市のバンスカー・シュティアヴニツァを散策。
世界遺産にも登録されている。
泊まったホテルの受付で、
「Do you know this song?」と拙い英語で尋ね、
続けて「おお牧場はみどり」を口ずさむ。
「メロディは知っている」と答えてくれた。
私の英語が通じた瞬間に拍手👏

午後はバスでスロバキアの首都ブラチスラヴァに向かう。
フラヴネー広場(旧市街の中心地)

ブラチスラヴァ城からドナウ川を眺める。

ブラチスラヴァから電車でチェコ・ブルノに9時ごろ到着。
遠くに聖ペテロ聖パウロ大聖堂が見える。

3月19日
ブルノ近郊にある、クロムニェジーシユの庭園群と城に向かう。
ここも世界遺産に登録されている。

イギリス様式庭園
自然の風景を取り入れている。

フランス様式フラワーガーデン

クロムニェジーシユ城


続いて、ブルノ北東60kmに位置するオロモウツへ。
世界遺産の聖三位一体柱

ブルノに戻り、今夜の宿泊先であるアパルトマンへ。

昨夜がドミトリーのような宿泊施設だったが、
同じような値段で豪華なマンションの一室に宿泊。
我々の中では昨夜の宿がもう一つだっただけに「天と地」を味わった。

駅前近くのレストランでのディナーも大満足!

3月20日
ブルノの街歩きはしてなかったので、
同行者一人で世界遺産のトゥーゲントハート邸に。

ブルノから、まずはトゥシェビッチへ。
ユダヤ人地区散策。
シナゴーク
ユダヤ人墓地

続いてテルチに移動。
淡い色合いがとてもメルヘンチックでかわいい。
お菓子でできているように見えて、食べてみたい衝動にかられる。
これ以降、よく似た家や街並みを見ると、
必ず「テルチ、テルチ」と叫ぶくらいに印象的な街だった。

6時半を過ぎていた。
バスを乗り継げば、なんとかプラハに行けるかも?
11時ごろにプラハに着き、バスターミナル側のホステルに宿泊。

3月21日
市内ツアーバスとヴルタヴァ川遊覧クルージングでプラハを満喫!

いくつもの教会や宮殿、建物からなるプラハ城
衛兵交代式も行われていた。
またここで2009年4月5日にオバマ大統領が「プラハ演説」をした。

カレル橋は欄干に並ぶ30体の聖人像と
似顔絵や風景画を描く人、露天商、大道芸人などが
たくさんの観光客を迎えて賑わっていた。

旧市街広場ではストリートミュージシャンの演奏に聴き入る。
天文時計
時計塔の上から見た広場と街並み

3月22日
いよいよアウシュビッツに向かうのだが、
ドイツ・ドレスデンを経由することに。

9時にバスでプラハを出て、12時前にドレスデンに到着。

ツヴィンガー宮殿
中庭は無料開放

聖母教会(フラウエン教会)
マルティン・ルター像

そして、夜の10時ごろ、ポーランド・ヴロツワフに到着。
ヴロツワフ市庁舎

3月23日
小雨煙るヴロツワフ散策

世界遺産の百年記念ホール

ヴロツワフ旧市街

思わず「テルチ、テルチ」と叫んでしまう。

夜の8時前にクラクフ中央駅に到着。
近くにはバスターミナルもあり、その辺りで宿をとる。

3月24日
6時半ごろ目覚め、ホテルでの朝食を済ませ、
8時過ぎのバスに1時間半ほど揺られてアウシュビッツに到着。

「働けば自由になる」との、嘘のゲートをくぐる。
このゲートをくぐると、労働に適するかどうかで振り分けられる。
適する者には過酷な労働が課せられ、使い捨てされた。
適さない者(女性、子ども、老人など)は絶滅させられる。

だまされて連れてこられた人たちから取り上げたトランクやカバンの山。
他にも、食器類、歯ブラシ、メガネ、靴、義肢など、
ありとあらゆる日用品類が、それぞれ部屋ごとに展示されていた。
私が最も衝撃を受けたのは、
女性の髪の毛を刈り取って集めた2トンの髪の毛の山でした。

死の壁

ガス室と死体焼却炉


続いて、ビルケナウに移動。
「死の門」をくぐって鉄道の引き込み線が敷かれている。

粗末な板敷の造り

一つの仕切りの中で数人が寝起き

丸い穴はトイレ
1日朝夕2回で、時間も決められるなど、生理的欲求までも管理されていた。

大きなショックを受けてクラクフに戻ってくる。
旧市街の中心である中央市場広場

3月25日
クラクフから南東15kmにあるヴィエリチカ岩塩坑に行く。
美しすぎる塩の地下宮殿

坑夫たちの手による塩彫刻の数々
「最後の晩餐」の塩彫刻も。

採掘や運搬につかった大仕掛けの道具

一旦クラクフに戻り、今度は世界遺産のカルヴァリア・ゼブジトフスカへ。
カルヴァリア修道院
これを囲むように28の礼拝堂が建つ。

イタリア・ナポリに飛行機で飛び立つために経由したカトヴィッツェ
四つ星ホテルの朝食に満足!

そして、11時ごろイタリア・ナポリに飛び立つ。

いよいよ旅の最終、再びのイタリアです。
思いっきり観光を楽しむぞ!

今回はここまで

ではまた