sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

東海道53次第9弾(金谷〜大井川〜島田〜藤枝 20年10月12日)

2021-02-26 15:39:54 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

20年10月12日

前日の夜10時過ぎ、大阪から夜行バスに乗り、掛川に向かう。

朝6時前に掛川駅に着く。
夜は明けていたが、10月の風は少し冷たく感じた。


東海道本線でふたつ先の金谷駅に向かう。
この金谷駅の隣りに、SLで有名な大井川鐵道の始発駅金谷駅もある。


そして前回の東海道ウォークの終着点であった金谷一里塚から
今回の東海道53次第9弾はスタートした。
時刻は朝6時22分である。

金谷宿柏屋本陣跡

大代川

大井川鐵道の線路

7時前、大井川の土手まで来る。


全長1000m超の橋を渡る。



写真では伝わりにくいかもしれませんが、流れは急である。

洲が鋭角になっている。
それほど激しい流れである。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われたことからも
分かるとおり、大雨で増水すれば、何日も足止めされた。



島田市博物館前

朝顔の松



川会所
大井川を渡るための川札を購入する場所


札場
川越人足が川札を換金する場所
札場が何軒も立ち並んでいた。

8時40分ごろ島田一里塚

そう言えば、今朝はまだ何も食べていない。
どこか食べる場所はないかと地元の人に尋ねると、
東海道からは少し外れるが、15分ほど南に歩くと
ある大型複合店があると教えてもらう。

開店は9時からで、少し駐車場で待ち、お弁当を買って食べた。
1時間ほどゆっくり休憩し、トイレも済ます。

10時過ぎ、気分一新して東海道ウォーク再開。

11時半ごろ、上青島一里塚

1時30分ごろ、志太一里塚
勝草橋公園としてきれいに整備されていた。
ここで小一時間休憩。

瀬戸川に架かる勝草橋

勝草橋を渡ると、藤枝宿。

3時ごろになり、お腹も空いた。
東海道筋にあった蕎麦屋で腹ごしらえ。

ここでちょっと寄り道。
田中城跡
日本にたった一つしかないまるい形の城。
田中城は、4重の円を描くような縄張をした珍しい城郭。

4時過ぎ、再び東海道ウォーク。
しばらく歩くが、今日は朝早くからの行動だったので、
もうへとへと状態。
何度目かの休憩を、イートインもできる大型スーパーでとる。
同時に今夜のホテルも焼津駅近くに予約した。

いよいよ今日のウォークも終わりに近づく。

5時半ごろ、鬼島の建場
建場とは幕府公認の宿場と宿場の間の休憩施設、「お休み処」があったところ。
発展すると「間の宿(あいのしゅく)」となることもある。

大井川で川留めにあうと、島田宿、藤枝宿が旅人て満員になり、
岡部宿からも進めなくなる。

さてこのあたりに、鬼島一里塚もあるようだが発見できず。
明日もう一度確認しよう。

今日のウォークもここまで、約25キロ、3万3千歩の旅であった。

偶然にも近くにタクシー会社があったので、焼津駅まで行った。
またまたホテルのサービスで夕食もついていたので、
どこにも出かけず、大浴場で疲れをとり、ぐっすり眠る。

ではまた

東海道53次第8弾(掛川〜日坂〜金谷 20年3月18日)

2021-02-22 21:55:22 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

20年3月18日

9時ごろホテルをチェックアウト。

掛川駅新幹線口(南側)

東海道本線掛川駅(北側)

9時半少し前、信号を右折して東海道ウォーク3日目がスタート。
今日もスッキリした晴天で気持ちいい。
掛川城(写真中央)が見える。


掛川城を守るためか、
敵の侵入を防ぐために、道が鉤の手にいくつも折れ曲がっている。

葛川一里塚
このそばにある菓子処で大変お世話になりました。
汚い話ですが、ホテルでトイレに行かなかったことが災いして、
ウォークの途中から我慢できなくなり、思わず飛び込んで事なきを得ました。
もちろんお菓子も買っていただきました。
本当にありがとうございました。


この辺りから、ぼちぼち茶畑が見えだした。

11時過ぎ、伊達方一里塚

11時40分ごろ、日坂宿に入る。
ここが日坂宿京方である。
宿場の治安維持のために、東西に木戸を設けた。
また幕府の法度や掟を知らせるために高札場を設けた。

川坂屋
川坂屋は脇本陣ではなかったが、
武士や公家が宿泊した、格式のある旅籠屋であつた。
現在は資料館として開放されているが、コロナ禍で休館していた。

本陣扇屋跡

日坂宿を出て、1号線と交差する地点を越えると
歌川広重狂歌東海道日坂

そして、二の曲がりと呼ばれる、急坂、急曲がりが連続する難所にぶつかる。
時間にして10分ほどだが、
心臓はバクバク、足はガクガクで、本当にきつかった。

ここを越えると、わりと緩やかな坂道になる。
道の両脇に広がる茶畑の緑がしんどさを癒してくれた。



茶畑がかなり続く一本道を歩く。

12時40分ごろ、佐夜鹿一里塚

間の宿菊川
間の宿とは、宿場と宿場の間に発展した休憩用の町場のこと。
商家が軒を連ねても、宿場ではないため宿だけはない

菊川坂石畳(京から来た旅人には上り坂が多い)

金谷石畳(京からきた旅人にはうれしい下り坂)

木立に囲まれた静かな峠に430mほどの石畳道。
町民一人ひとりがボランティアとして、石を運び丁寧に復元した。

石畳茶屋
2時ごろ、ここに立ち寄ってコーヒータイム。
美味しいケーキをいただきました。

2時40分ごろ、金谷一里塚

東海道53次8弾はここまで

今日は、18キロ、2万4千歩の旅でした。

3時前にJR金谷駅から電車を乗り継ぎ、
8時過ぎに大阪駅に戻り、9時ごろ自宅にたどり着きました。

ではまた

東海道53次第8弾(見附〜袋井〜掛川 20年3月17日)

2021-02-18 17:35:18 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

20年3月17日

今日も晴天、気持ちのいい朝です。
9時30分過ぎにホテルを出ると、
ジュビロ磐田のマスコットと対面!

見附宿京方
西木戸風モニュメント



旧見附小学校
1875年(明治8年)に落成した、
現存する日本最古の洋風木造小学校校舎
しばし校舎内を見学
明治期の学校、授業風景、遊び等を再現、展示。
農家で育った私にとっては懐かしい農具の数々も展示されていた。

見附宿江戸方



ここを過ぎたあたりに阿多古山一里塚があるが、確認できず


太田川

12時半過ぎ、木原一里塚

1時過ぎ、あるコーヒーチェーン店で昼食

2時半前に袋井宿京方

ここ袋井宿は、
やたらと「東海道どまん中」を押し出してくる。

どまん中茶屋
袋井宿江戸方

松並木

3時過ぎ、久津部一里塚
袋井東小学校敷地内にある。


本当に松並木には癒される。

5時前に大池一里塚

6時過ぎ、逆川橋あたり

6時30分過ぎ、暗闇に掛川城が浮かぶ。

今日の東海道ウォークはここまで、24キロ、約3万1千歩の旅でした。

この後、7時半ごろ掛川駅新幹線口近くにとったホテルにチェックイン。
夕食はホテル内のレストランで済ます。
本当に今日はよく歩いたなあ。
大浴場でゆっくり足をのばし、一日の疲れをとる。

ではまた

東海道53次第8弾(浜松〜天竜川〜見附 20年3月16日)

2021-02-15 23:41:06 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

20年3月16日

コロナ禍で旅行もままならない日々が続く中、
結果的には、緊急事態宣言が発令される以前で、
コロナ感染が比較的落ち着いていた3月中旬に東海道旅に出かけた。

6時半ごろ家を出て、地下鉄で大阪駅まで。
大阪駅からは新快速で米原まで行く。

途中、東海道本線近江長岡駅
写真では見にくいが、小雪が舞っていた。

いくつか乗り継いで、
浜松駅のひとつ手前、高塚駅で降りる。

12時過ぎ、いよいよ東海道53次第8弾がスタートする。

きれいな青空に、松並木がスッキリと映える。

1時過ぎ、若林一里塚

2時ごろ、浜松の市街地に入る。

川口本陣跡

浜松駅付近で昼食をとお店を探したが、
閉店していたり、ランチ時間が過ぎていたため断念。
先を急ぐ。
市街地からも外れ、空腹も限界を超えつつあったので、
3時ごろファミレスに入る。

4時ごろ、馬込一里塚

東海道本線天竜川駅付近


この松並木を過ぎると
5時過ぎ安間一里塚



六所神社・舟橋木橋跡


5時20分過ぎ、天竜川の土手にあがってきた。

普段は新幹線から眺めていた天竜川、
その雄大さを、じっくりと自分の目に焼きつける。

美しい夕焼けの中、900メートルほどの橋を渡る。

ここを渡ると、浜松市から磐田市に入る。
向こうの空に富士山が見えたような、、、
写真ではまったく見えませんが。

夕闇が迫る中、先を急ぐ。
6時半ごろ宮之一色一里塚

今夜のホテルはJR磐田駅そばにとった。
だからそこまで何としても歩かなければならない。
暗い夜道を30分ほど歩き、7時過ぎにホテルに着いた。

今日の東海道ウォークはここまで、15キロ、約2万歩の旅でした。

ホテルでひと休みして、駅近くの居酒屋で夕食。
大浴場で足をのばして疲れをとる。

ではまた




東海道53次第7弾(白須賀〜舞坂 19年12月24日、25日)

2021-02-11 20:40:53 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

19年12月24日

ホテルの部屋からの一枚
浜名湖が見渡せる。

ホテルを9時半ごろ出て、タクシーで昨日の地点まで戻る。

10時過ぎ、昨夜車を乗せてもらった人の実家あたりから2日目がスタート。




写真はないが、白須賀宿内のポイントを紹介。
曲尺手は、直角に曲げられた道のことで、軍事的な役割を持つほか、
大名行列同士が、道中かち合わないようにする役割も持っていた。

11時20分ごろ潮見坂公園

ちょっと見にくいけど、遠州灘が見える。
ここは、街道一の景勝地で、江戸に向かう道程では、
初めて太平洋の大海原や富士山が見ることが出来る場所であり、
古くから旅人の詩情をくすぐった地である。
今でもその眺望は変わらず、訪れる人を楽しませてくれる。

潮見坂の手前にある、おんやど白須賀でひと休み。
ここは歴史文化や、旅人の交流休憩施設。

そして12時ごろ潮見坂

距離は短いが、結構急な坂である。
我々には下り坂であったが、後ろから押されている感が強く、
つんのめりそうになったくらいで、足がガクガクした。
江戸から京に向かう旅人には、
本当にきつい上り坂であろう。

坂を下ると、平坦なまっすぐの道が続く。
この手前あたりに白須賀一里塚があったらしいが、発見できず。

松並木
旅人の疲れを癒してくれる。

棒鼻跡
ここは新居宿の西境で、一度に大勢の人が通行できないように
土塁が突き出て枡形をなしていた。 
棒鼻とは、駕篭の棒先の意味があるが、
大名行列が宿場へ入るとき、この場所で先頭(棒先)を整えたので、
棒鼻と呼ぶようになったともいわれている。

そばにたい焼き屋さんがあったので、買って食べた。

新居一里塚

新居宿を通り抜けていくと、2時ごろ新居関所跡に到着。
箱根関所と並んで重要な関所だった新居関所は、
「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まった。
近世の関所の建物としては現存する唯一のものとして、
国の特別史跡に指定されている。

ガイドの人に1時間ほどかけてゆっくり案内してもらう。

東海道線と並行しながらアスファルトの道を歩く。
疲れも空腹もピークに達し、4時前にコンビニでイートイン。


浜名湖を渡る。
冬至のころで、昼間の時間が一番短いので、
4時半過ぎに夕陽が沈みかけ出した。

弁天島

5時を過ぎると、あたりはもう暗い。
私のiPadでは写真を撮ることができない。
今日の東海道ウォークもそろそろ終わりにしたいが、
なんとかJR舞坂駅までは行きたい。
焦りながらも先を急ぐ。
写真はないが、いくつかポイントを紹介。

北雁木;大名や幕府公用役人が利用した船着場
舞坂宿脇本陣跡(茗荷屋)、舞坂一里塚、東海道舞坂宿長池松並木など、
私の目で確認したもの。

今日の東海道ウォークはここまで、約20キロ、2万7千歩でした。

さて今夜のホテルを予約するため、Wi-Fiが拾えるコンビニに入る。
浜松駅近くで、大浴場のあるホテルがとれた。
7時半ごろ舞坂駅から浜松駅に向かう。
夕食は近くの居酒屋で、お酒と浜松の美味しい肴をいただく。
大浴場でゆっくり足をのばして浸かり、疲れをとる。

19年12月25日

今日は夕方までには大阪に戻らなければならない。
そのために、お昼過ぎには浜松駅に戻りたい。
いつものように9時過ぎにホテルをチェックアウトし、
舞坂駅まで戻る。

ここから第7弾3日目がスタートする。

東海道舞坂宿松並木

国道1号線ではないが、並行して走っているので車は結構走る。
そんな真っ直ぐな道を歩く。
割とあたたかくて気持ちがいい。

篠原一里塚


また写真はないが、間の宿篠原跡は確認できた。
もう少し進むと、JR高塚駅がある。

時間は11時をまわっている。
できれば浜松の宿まで歩きたいのだが、
そうすると夕方までに大阪には帰れない。
潔くあきらめることにした。

今回の東海道53次はここまでとしよう。

今日は、6キロ、8千歩の旅でした。

JR高塚駅から浜松駅まで行き、
青春18切符を使って大阪に帰ることにした。
予定していた時間よりは早く浜松駅を出た。
ただ名古屋あたりで、何やら列車トラブルが起こったようで、
名古屋駅で途中下車して、3時ごろ遅めの昼食をとる。
イタリアンの店でクリスマスを祝う。

結局大阪駅には7時半ごろ着き、8時過ぎに自宅に戻る。

今回はここまで

ではまた