sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

東海道53次ウォーク第14弾(保土ヶ谷〜鶴見 24年1月16日①)

2024-02-11 20:46:00 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

24年1月16日①

いよいよ今回のウォークで江戸・日本橋に到着予定!

前夜(15日)に夜行バスで大阪を出て、5時半ごろに横浜駅に到着。

横浜駅(5時44分)


前回の到着地、保土ヶ谷駅に向かう。


保土ヶ谷駅(6時03分)


いよいよ今日の東海道ウォークを始める。

前回の東海道ウォーク最終地点あたり(6時07分)
まだまだ薄暗いし、空気も冷たい!


旧帷子橋跡(6時19分)


浮世絵ポイント・新町橋(帷子橋)でもある。

今は相鉄本線・天王町駅前公園になっている。


帷子川(かたびらがわ)にかかる帷子橋を渡る。(6時22分)



保土ヶ谷宿・江戸方あたり(6時34分)

だいぶん明るくなりました。

わぁお!怖そう!
剥き出しの岩の上にも家が建っています。

この近くに三ツ沢公園や三ツ沢球技場がある。

「よこはま道」説明板(6時52分)

幕末の頃、横浜開港のために、
旧東海道のこの辺りから海に向かって道を開いたようです。

神奈川区に入ったようです。(7時03分)

JR横浜駅の西側近くを歩いています。

このあたりは、神奈川の台と呼ばれていて、
海を見おろす景勝地であった。


神奈川台の関門跡(7時10分)


江戸時代、旧東海道は海沿いにあったと言うことか。


田中屋

神奈川宿が賑わっていた頃から続く料亭

坂本龍馬の妻、おりょうもここで働いていたようです。

神奈川宿・袖ヶ浦(7時15分)

安藤広重、十返舎一九の名前も見られる。

神奈川一里塚と大綱金刀毘羅神社(7時17分)

一里塚の痕跡なし。
金刀毘羅神社参道の説明板に一里塚の記述あり。

JR関係の東海道本線、横須賀線などと私鉄の京急本線など
多くの線路が走っている。(7時20分)


神奈川宿京方あたり(7時23分)


神奈川宿・青木本陣跡(7時30分)


さて、朝飯はまだ食べていない。
6時頃から2時間近く歩いているので休憩もしたい。
だが上には第一京浜が走っているような広い道路沿いを歩いているので、
なかなかお店が見当たらない。
お店をさがしながらもウォークを続けていると、
目の前にLというファストフード店があらわれました。
お肉の苦手な私は、今まで利用したことはなかったのですが、
ハンバーガーといってもお肉ばかりではなかろう。
と言うことでお店に入ると、フィッシュバーガーもありました。
ここで小一時間、ゆっくり休憩できたし、お腹も満たしたし、トイレもすませたし、
さあまた頑張ろう!と歩き出した。

オランダ領事館跡(8時47分)


東子安一里塚(9時14分)

一里塚の痕跡はない。GPSではこのあたりのようだ。

そしてここを過ぎると、神奈川区から鶴見区に入る。

生麦事件碑が建っている。(9時20分)


このあたりは生麦という地名。
昔は麦畑だったのかな?
そう言えば、この碑のあたり一帯にはKビール横浜工場があった。

生麦事件発生場所(9時35分)

生麦事件は教科書にも出ていますよね。
幕末の頃、薩摩藩士がイギリス人を殺傷した事件。
事件は薩英戦争に発展し、敗れた薩摩藩は攘夷から討幕へと方針転換した。





JR鶴見駅あたりでカフェタイム。
駅前は人通りも多く、賑わっていて、お店もたくさんあった。


鶴見橋の碑


鶴見橋を渡りはじめる。(11時17分)






市場一里塚(11時半ごろ)




ここを過ぎると、横浜市鶴見区から川崎市に入る。

この続きは次回に。
戸塚区から保土ヶ谷区、神奈川区、鶴見区と、横浜市を歩いてきたが、
教科書で習った幕末の頃の人物や出来事が次から次ぎと登場し、
そういった案内板、説明板も随所にあって、歴史を学べてよかった。

今回はここまで



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