こんにちは、sibasennです。
23年6月21日
7時前に気持ちよく目覚める。
朝食前に、誰もいない温泉につかる。
眼下には晴れ渡った芦ノ湖が広がっていた。
朝食会場に行くと、数組が食べていたが、
ほとんどは外国人客(アジア系)であった。
日本旅館なので、我々はあたりまえにお膳の前に正座して食べていたが、
外国人には苦痛なのだろう。
立膝をついたり、立ったままで食べる人もちらほら。
お給仕のおばあさんは、「モア ライス?」と言いながら
愛想よくせっせと世話をしていた。
「低い椅子でも用意してあげたら」と思いながらも声には出せず。
するとヨーロッパ系の家族があらわれた。
和食ではなく、パンやベーコン・目玉焼き、サラダや飲み物などの洋食が用意された。
同時に低い椅子も準備された。
すると「私にも」とアジア系の客が要求したのだろう、
何人かに低い椅子が用意された。
鯵の干物など和食も食べていた。
朝食の一コマであったが、和食・洋食、椅子の準備など、
お客のリクエストにどう応えるかを考えさせられた一場面であった。
せっかく「モア ライス?」と、愛想よくお世話できていたのに、、、
さて、8時50分頃にはチェックアウトを済ませる。
(8時54分ごろ)
お世話になったホテルの看板も見える。
(芦ノ湖 8時56分)
運がよければ、ここから富士山が見えるらしいのだが、
今日もやっぱりダメでした。
さて、いよいよ東海道53次ウォークのスタート。
(9時ごろ)
杉の木立の中を、気持ちよく歩く。
(9時10分ころ)
石畳の下り坂が続く。
(天カ石坂 9時40分ごろ)
(甘酒茶屋 10時過ぎ)
箱根宿と畑宿のちょうど中ごろにある。
箱根の関所を無事通過できた旅人にとって
安堵のため息とともに小休止とる場所だった。
昔の旅人を偲んで、甘酒と力餅をいただく。
隣には、箱根旧街道資料館もあるので立ち寄る。
さて、ここを過ぎると、県道732号線と盛んに交差するようになる。
勾配が急で道幅も狭く、いわゆる七曲りとも並行したり、横切ったり。
東海道を歩いてるかと思うと、732号線に出て車の危険を感じながら歩く。
県道を外れたかと思うと、石畳の急坂を下っていく。
この繰り返しで、足の疲れもピークに達する。
畑宿までの距離が1里、約4キロよりももっとあるように感じる。
このしんどさは写真ではつたわらないでしょうが、、、
(10時40分ごろ)
(10時50分ごろ)
途中で何組かのウォーカーと出会う。
ずっと坂道をのぼってきたのだろう。
そのしんどさは経験したものでなければわからないだろう。
我々は我々で、ずっと坂をくだってきたのである。
足がガクガクする。
(10時55分ごろ)
(11時30分ごろ)
(大澤坂 斜めの排水路 11時45分ごろ)
排水路は、上流側に小さな石、
下流側に大きなる石を斜めに敷き、
段差をつくっている。
(畑宿一里塚 11時50分)
ようやく、今日初めての一里塚。
茶屋での休憩含め、およそ3時間。
こんな調子では、小田原まで歩くなんて無理ではない?
そんなことも頭によぎり、
箱根湯本の日帰り温泉でも利用しようかとも考えた。
箱根旧街道地図
いくつもの急坂、距離や時間の目安が書かれている。
ここ畑宿は間宿であり、寄木細工でも有名。
(畑宿 11時55分ごろ)
もう坂道はないだろう、
あとはこのまま県道732号線を歩けばいいだろうと油断していると、
山道に入るようにと標識が、、、
山道も15分程度、やがて県道732号線に出る。
しばらく県道を歩く。
基本的にはアスファルトの下り坂なので歩きやすい。
(女転ばし坂あたり 12時40分ごろ)
馬に乗った女性が、この付近で落馬し死んだことから
「女転ばし坂」と言われるようになったとか。
このあたりには大きな宗教施設がいくつもあった。
歩き疲れたので、水分補給も兼ねて、しばしベンチで休む。
続いて奥湯本温泉のホテルや旅館がいくつも建ち並ぶ。
(湯元茶屋一里塚 13時45分ごろ)
今日二つ目の一里塚。
ここまでおりてくると、やっぱり予定通り小田原まで行くか。
お腹も空いてきたので、
食べられるお店はないかと検索し始めるが、
適当なお店はなかった。
途中、早雲寺にも立ち寄る。
(早川 三枚橋 14時40分ごろ)
向こうに箱根湯本駅が見える。
少し進んだところに喫茶店があるらしい。
そこまでなんとか頑張ろう!
箱根登山電車と並行しながら歩く。
時折り電車が走る。
東海道を少しそれてその喫茶店に着くと、
無情にもなんと臨時休業の張り紙。
気を取り直して、歩き続ける。
お腹はもうペコペコ。
(風祭一里塚 15時30分ごろ)
本日、3つ目の一里塚。
空腹も限界!
風祭駅付近に、
かまぼこで有名な鈴廣のお店があるということで向かう。
蕎麦やビュッフェやカフェのお店が3店舗あった。
営業時間との関係で、蕎麦店を選ぶ。
4時頃にようやくお腹を満たすことができた。
もう小田原の街中も近い。
東海道新幹線の下をくぐり、
板橋見附で国道1号線と合流し、
今度は東海道本線の下をくぐり、
小田原が発祥の地である「ういろう」を越え、
御幸の浜交差点で本日の東海道53次ウォークを終了する。
本日のウォークは、6時間45分、24キロ、32000歩であった。
17時を過ぎていた。
(小田原城 お堀 17時20分ごろ)
お堀の遊歩道で、しばらくの間ベンチに座り、休憩する。
(小田原城 18時過ぎ)
お城の中には入らなかったが、しばらく周りを散策。
こんな時間でも外国人観光客がたくさん見学していた。
19時前に小田原駅に向かう。
夜行バスは小田原を20時20分に発車する。
まだ1時間ほど時間がある。
16時頃にお蕎麦を食べたので、
お茶でも飲んで時間をつぶすことにした。
20年前にも小田原に来たことがあるが、
その時とはだいぶ駅構内や駅前の雰囲気が変わっていてびっくり!
ミナカ小田原(東口南方)とかラスカ小田原(東口直結)とか、
おしゃれな雰囲気に期待が膨らむ。
ミナカ小田原にあるコーヒーショップに入った。
ところがところかである
閉店までまだ1時間はあるというのに、
ホットコーヒーは売り切れていたのである。
コーヒーはエスプレッソしかないとのこと。
コーヒー専門店と銘打っていたので期待していたのに、、、。
がっかりどころか怒りさえ込み上げてきた。
憮然とした気持ちで、エスプレッソをぐいっと飲む。
コンビニでパンを買ってバスに乗り込む。
20時20分に小田原を出たバスは、三島や沼津、新富士なとに寄り、
次の朝、7時前に大阪・なんばに着いた。
さて東海道53次ウォークは、
江戸・東京まであと20里・80キロというところまできている。
もうゴールも目前です。
ただ、夏は暑いのでお休みして
秋から冬にかけて歩こうと思っています。
またよろしくお願いします。
さていきなりですが、
7月25日から8月17日までの約3週間、
オーストラリア・ニュージーランド方面へ、
バックパッカーの旅に出かけます。
その様子も少しずつブログで紹介していきますので
またお付き合いください。
今日はここまで
ではまた