sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

東海道53次ウォーク第14弾(川崎〜大森 24年1月16日②)

2024-02-15 18:40:00 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

24年1月16日②

川崎に入ると、至るところに下のようなポスターが掲示されていた。


川崎宿について
品川宿と神奈川宿間が往復十里と長く、伝馬の負担が大きかったために、
1623年に江戸から品川宿に次ぐ宿場として設置。
去年2023年は設置から400年ということで、ポスターがはられていたのである。

八丁畷と無縁塚(11時43分)


街道が田畑の中をまっすぐに伸びていたことから八丁畷と呼ばれた。
またこのあたりでは、江戸時代からたくさんの人骨が発見されていた。
川崎宿は、震災、大火、洪水、飢饉、疫病などの災害に襲われ、
多くの人が命を落としたと記録にあります。
霊を供養するために、昭和9年に地元と川崎市で慰霊塔を建てたことから
無縁塚と呼ばれています。

小土呂橋(12時)

このあたりは、新川堀という幅5mほどの流れがあり、
東海道と交わるあたりに小土呂橋が架けられていた。







今日はお腹を満たしたり(8時頃)、カフェで休んだり(10時過ぎ)と順調である。
12時をまわったので、東海道沿いにあったお蕎麦屋さんで昼休憩。

かわさき宿交流館(13時過ぎ)




安藤広重「東海道五拾三次」浮世絵を一同に揃えている。
京・三条大橋から歩き続けてきたものにとって、
浮世絵を眺め、各宿場や道中を思い浮かべ、感慨にふける。


田中本陣跡(13時25分)



さて川崎から、この川を渡るとついに江戸・東京に入る。
六郷橋(13時35分)


この川は多摩川である。



六郷橋の中間あたりが県境、
神奈川県・川崎市から東京都・大田区に

六郷一里塚(13時51分)

一里塚の痕跡なし 




東海道終着点である日本橋まで16kmの表示(14時27分)


京急蒲田駅あたりで、本日4回目のカフェ休憩


梅屋敷(15時41分)


梅屋敷の由来
和中散(道中の常備薬)売薬所を開いた3千坪の敷地に、
梅の木百本やかきつばたなどの花々を植え、
休み茶屋を開いた。


白梅が咲き始めていた。





大森一里塚あたり(16時03分)

一里塚の痕跡なし

美原(三原)通り


大田区内では東海道の面影がまだ少し残っている一帯とか





今日のウォークの終着点、大森海岸駅(16時30分ごろ)


本日の東海道53次ウォークは、6時間、22.5km、34700歩でした。

この後京急電車で、羽田空港に割と近いホテルに宿泊。


ホテル受付カウンターを見れば、どこのホテルかわかるかな?

夕食は駅近の居酒屋で。

さあ明日は東海道ウォーク踏破!です。

今回はここまで
ではまた






東海道53次ウォーク第14弾(保土ヶ谷〜鶴見 24年1月16日①)

2024-02-11 20:46:00 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

24年1月16日①

いよいよ今回のウォークで江戸・日本橋に到着予定!

前夜(15日)に夜行バスで大阪を出て、5時半ごろに横浜駅に到着。

横浜駅(5時44分)


前回の到着地、保土ヶ谷駅に向かう。


保土ヶ谷駅(6時03分)


いよいよ今日の東海道ウォークを始める。

前回の東海道ウォーク最終地点あたり(6時07分)
まだまだ薄暗いし、空気も冷たい!


旧帷子橋跡(6時19分)


浮世絵ポイント・新町橋(帷子橋)でもある。

今は相鉄本線・天王町駅前公園になっている。


帷子川(かたびらがわ)にかかる帷子橋を渡る。(6時22分)



保土ヶ谷宿・江戸方あたり(6時34分)

だいぶん明るくなりました。

わぁお!怖そう!
剥き出しの岩の上にも家が建っています。

この近くに三ツ沢公園や三ツ沢球技場がある。

「よこはま道」説明板(6時52分)

幕末の頃、横浜開港のために、
旧東海道のこの辺りから海に向かって道を開いたようです。

神奈川区に入ったようです。(7時03分)

JR横浜駅の西側近くを歩いています。

このあたりは、神奈川の台と呼ばれていて、
海を見おろす景勝地であった。


神奈川台の関門跡(7時10分)


江戸時代、旧東海道は海沿いにあったと言うことか。


田中屋

神奈川宿が賑わっていた頃から続く料亭

坂本龍馬の妻、おりょうもここで働いていたようです。

神奈川宿・袖ヶ浦(7時15分)

安藤広重、十返舎一九の名前も見られる。

神奈川一里塚と大綱金刀毘羅神社(7時17分)

一里塚の痕跡なし。
金刀毘羅神社参道の説明板に一里塚の記述あり。

JR関係の東海道本線、横須賀線などと私鉄の京急本線など
多くの線路が走っている。(7時20分)


神奈川宿京方あたり(7時23分)


神奈川宿・青木本陣跡(7時30分)


さて、朝飯はまだ食べていない。
6時頃から2時間近く歩いているので休憩もしたい。
だが上には第一京浜が走っているような広い道路沿いを歩いているので、
なかなかお店が見当たらない。
お店をさがしながらもウォークを続けていると、
目の前にLというファストフード店があらわれました。
お肉の苦手な私は、今まで利用したことはなかったのですが、
ハンバーガーといってもお肉ばかりではなかろう。
と言うことでお店に入ると、フィッシュバーガーもありました。
ここで小一時間、ゆっくり休憩できたし、お腹も満たしたし、トイレもすませたし、
さあまた頑張ろう!と歩き出した。

オランダ領事館跡(8時47分)


東子安一里塚(9時14分)

一里塚の痕跡はない。GPSではこのあたりのようだ。

そしてここを過ぎると、神奈川区から鶴見区に入る。

生麦事件碑が建っている。(9時20分)


このあたりは生麦という地名。
昔は麦畑だったのかな?
そう言えば、この碑のあたり一帯にはKビール横浜工場があった。

生麦事件発生場所(9時35分)

生麦事件は教科書にも出ていますよね。
幕末の頃、薩摩藩士がイギリス人を殺傷した事件。
事件は薩英戦争に発展し、敗れた薩摩藩は攘夷から討幕へと方針転換した。





JR鶴見駅あたりでカフェタイム。
駅前は人通りも多く、賑わっていて、お店もたくさんあった。


鶴見橋の碑


鶴見橋を渡りはじめる。(11時17分)






市場一里塚(11時半ごろ)




ここを過ぎると、横浜市鶴見区から川崎市に入る。

この続きは次回に。
戸塚区から保土ヶ谷区、神奈川区、鶴見区と、横浜市を歩いてきたが、
教科書で習った幕末の頃の人物や出来事が次から次ぎと登場し、
そういった案内板、説明板も随所にあって、歴史を学べてよかった。

今回はここまで



東海道53次ウォーク第13弾23年12月27日(戸塚〜程ヶ谷)

2024-02-10 10:00:00 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

23年12月27日

今回は「青春きっぷ」で来ているので、今夜中に大阪に帰るとなると、
お昼過ぎには東海道ウォークを切り上げなければならない。

と言うことで、9時ごろにホテルを出て3日目のウォークを始める。

戸塚宿周辺散策案内板(9時25分)


戸塚一里塚(9時28分)


戸塚宿江戸方見附(9時32分)


「品濃」と言う地名が見え始めると、少しずつ上りの坂道が続く。
急坂もありしんどい!
環状2号線により東海道が寸断され、歩道橋を渡らないと前に進めない。
疲れ切っている足腰に堪える。

品濃坂歩道橋の上から(10時27分)


写真では見にくいですが、富士山が見えます。(10時29分)


品濃坂(10時33分)

江戸に向かう旅人には、最後の難所?

品濃一里塚(10時45分)

ここでちょっと休憩。

焼餅坂(11時02分)

約160mと短い坂だが、上り坂なのでやはり足腰に堪える。

武相国境之木(11時06分)

武蔵国と相模国の国境

程ヶ谷宿周辺散策案内板


境木立場跡


品濃坂、焼餅坂、権太坂と難所が続く中で、
見晴らしのいい高台で、西には富士山、東には江戸湾をのぞむ景観が素晴らしく、
旅人が必ず足をとめた名所とか。

そして箱根駅伝でもお馴染みの権太坂に入っていくのですが、
ただし、旧東海道はテレビで見る駅伝のコースではありません。

「権太坂」という地名の住宅街を歩く。(11時28分)


「権太坂」名前の由来についての案内板(11時30分ごろ)


このあたりには、小学校や高校や支援学校があった。


江戸から京・上方に向かう旅人には初めてであう難所である。
だが、江戸に向かうわれわれには、どうってことない下り坂であったし、
むしろ遊行寺坂や品濃坂などは本当にしんどかった。

権太坂から横浜のランドマークタワーが見えた。(11時40分)

横浜は海沿いの低い街にある思っていたが、
戸塚あたりは結構な高台で、権太坂あたりまでは、アップダウンが激しく、
ここで生活するのも大変だろうなと思った。

権太坂を越えると平坦な道が続き、保土ヶ谷宿に入っていく。


保土ヶ谷一里塚、保土ヶ谷宿上方見附跡(12時過ぎ)


茶屋本陣跡(12時06分)


苅部本陣跡(12時15分)


保土ヶ谷宿には、本陣の他に3軒の脇本陣があった。


今回の東海道ウォークは、ここ保土ヶ谷宿で終わりにすることにした。
ちょうどお昼だし、お腹も空いたので、イタリアンバルに入って腹ごしらえ。


問屋場跡(13時15分)


保土ヶ谷駅(13時20分)


2泊3日の東海道ウォークはこれにて終了。
今日は半日だったので、2時間40分、9.6km、1万4700歩
3日間で、約15時間、54km、8万4000歩の旅であった。
江戸まで、あと8里、32kmの地点までたどり着いている。

次回の東海道ウォークで踏破!頑張るぞ!

この後「青春18きっぷ」をつかい、
普通電車や快速を乗り継ぎ、日付が変わる頃に大阪に戻る。
途中名古屋で下車して夕食をとる。


今回はここまで
ではまた

東海道53次ウォーク第13弾(平塚〜戸塚 23年12月26日)

2024-02-02 18:46:00 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

23年12月26日

9時ごろホテルを出て、東海道ウォーク2日目がスタート。

平塚駅(9時)


平塚と聞いて思い出すのは、湘南ひらつか七夕まつりと
サッカーチームのベルマーレ平塚(現在はベルマーレ湘南)くらい。

道路が広々としている。
ちょっと調べてみると、
1945年7月16日深夜から17日未明にかけての大空襲で焼け野原となり、
戦後復興にあたって広い道路をつくったとのこと。

馬入一里塚(9時15分)


馬入橋(相模川)を渡り始める。(9時20分過ぎ)


ふと後ろを振り向くと、茶色っぽいビルの向こうに富士山が。


もう少し歩くと、はっきりと富士山が見える。


橋の向こうには東海道本線が走っている。


橋を渡り終えると、堂々たる富士山が。(9時30分)


富士川など富士山麓付近を歩いた時も、沼津や三島、そして箱根や小田原を歩いた時も
ほとんどお目にかからなかった富士山ですが、ついに念願の対面!

実はこの日は、何度も富士山を見ることができました。

この馬入橋を渡ると、平塚市から茅ヶ崎市に入る。

旧相模川橋脚(9時50分)


南湖の左富士(10時過ぎ)

碑は逆光で文字が見えないが、、、

青空にくっきりと浮かぶ富士山


「左富士」はここ南湖ともうひとつ、
吉原宿(静岡県富士市)でも見ましたね。


茅ヶ崎駅(10時40分ごろ)

茅ヶ崎駅に立ち寄り、カフェでひと休み

茅ヶ崎一里塚(11時20分ごろ)


このあたりは平塚と違って道路が狭い。
松並木も残っているが、車がビュンビュン通っていくので危ない!


牡丹餅立場(11時45分ごろ)

「立場」とは、宿場と宿場の距離が遠い場合、
その途中に休憩施設として設けられた茶屋など。
ここ菱沼立場は、牡丹餅を名物とした茶屋があったことから呼ばれた。

茅ヶ崎市から藤沢市に入った。

四ツ谷一里塚(12時40分ごろ)



藤沢宿京方に入ると、下のような案内板が目立つようになる。


このあたりは遊行寺の門前町、宿場町として栄えた地域。


藤沢宿問屋場跡(13時40過ぎ)

宿場で人馬の継ぎ立てを行う場所

藤沢宿蒔田本陣跡(13時45分)


旧桔梗屋(13時50分ごろ)



江ノ島弁財天道標(13時53分)

このあたりは浮世絵ポイントであり、高札場もあった。




遊行寺橋(14時05分)


橋を渡り、少し行くとふじさわ宿交流館がある。


さていよいよ箱根駅伝でも難所の急坂として有名な遊行寺坂を上っていくのだが、
約700mの急坂をのぼるためにも、遊行寺でちょっとひと休み。
靴を脱いで足を投げ出す。

藤沢宿見附(江戸方)(14時28分)


遊行寺坂一里塚(14時32分)


遊行寺坂を上がりきる直前で、
「憲法九条を守り、いかそう」の横断幕発見!(14時40分)

こういうものを見つけると、ついつい写真を撮りたくなる。

まもなく藤沢市から横浜市戸塚区に入る。(15時ごろ)




そう言えば、今日はまだお昼を食べていない。
あるカレー専門店に入る。(15時40分ごろ)

食べ終わって窓から外を見ると、見えました。
夕焼け空に富士山?(16時20分)

店員さんにも確認すると、やっぱり富士山でした。

お腹もふくれたし、富士山も見えて力をもらったので
さああとひと踏ん張りするか!

原宿一里塚(16時53分)


そしてまたまた見えました、富士山。(17時ごろ)


大坂松並木(17時12分)


「大坂」ということだけあって、結構な下り坂(17時30分)




戸塚宿上方見附(17時35分)


戸塚宿澤邊本陣跡(17時51分)


戸塚町問屋場跡(17時54分)


17時を過ぎると、駆け足でどんどん暗くなってくる。
そろそろ18時なので、今日の東海道ウォークも戸塚駅で終える。

今日のウォークは、6時間で22km、34000歩である。

今夜のホテルは戸塚駅東口にとる。

少し休んでから、晩ご飯を食べに出かける。

戸塚駅・トツカーナモール内のそば居酒屋でいただく。
関西人には少し濃いめの味だったが、美味しかったです。




明日は半日ほど歩いて大阪に戻る予定。
二日間みっちり歩いて、疲れもたまっているが、
一晩ぐっすり眠れば回復するだろう。

今回はここまで
ではまた