sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月24日① アウシュビッツ)

2021-05-15 11:51:15 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月24日①   アウシュビッツ

朝は6時半ごろ目覚める。
急いで簡単な朝食を取る。
簡単と言っても、パン、シリアル、コーヒー、グレープフルーツジュース、
それにハムとチーズもついていた。
アウシュビッツには電車で行こうと考えていたが、
バスが便利だとホテルの人に教えてもらった。

8時過ぎのバスで1時間40分ほど揺られる。
小さいバスで満席だったので、ずっと立ちっぱなしでした。
しかも幼児がずっと泣いてぐずりっぱなしで、
あやすお母さんも本当に大変でしたが、
混み合っているバスにずっと立ちっぱなし状態だったので
早く着かないかなあと、正直イライラしていました。

10時少し前にアウシュビッツに着きました。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下の土地から
ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、
同性愛者、捕虜、聖職者、エホバの証人などが強制収容所に送られた。

労働に適するかどうかで振り分けられる。
適する者は過酷な労働が課せられ、使い捨てされていた。
適さない者(女性、子ども、老人など)は絶滅させられる。



インフォメーションセンター
トイレもすます。

修学旅行のような学生グループ、ツアー、個人など
結構たくさんの人たちが訪れていた。

さあ、いよいよこのゲートをくぐります。
ARBEIT MACHT FREI   働けば自由になる 
よく見るとBの上下が逆になっています。

収容されるユダヤ人たちは「働けば自由になる」と信じて
このゲートをくぐったのだろう。
でも、、、
それを思うともう涙があふれてくる。
同時にナチスに対する激しい怒りも。


収容されている人たちによる“オーケストラ”の写真。

この収容所が“人道的に”運営されていると主張するためのカモフラージュか。

収容所に新たに到着した人には明るい曲、
労働に向かう被収容者には行進曲を奏でたとされ、
奏者は特別な待遇を受けることができたのだとか・・・。


ガス室の模型

収容されていたユダヤ人たちが使っていたおびただしい食器

だまされて連れられてこられた人たちから取り上げたトランクやカバンの山
写真はないが、義肢・義足、ブラシや歯ブラシ、メガネ、靴など
ありとあらゆる日用品類が、それぞれ部屋ごとに展示されていました。

だが女性の髪の毛を刈りとって集めた髪の毛の山(2トン)を見たとき
もう言葉は出ませんでした。
しかも髪の毛は織物にされたそうです。

その他、収容された人々の写真(入所日、死亡日)、衣類なども展示されており、
まともに見ることはできませんでした。


収容者を識別するマーク?


収容所職員の部屋

収容されている人たちの三段寝床
このあまりにも大きな落差に驚きと怒りが、、、

死の壁

たくさんの人たちが銃殺された場所です。
壁には弾が貫通した跡が残っています。

大量虐殺に使われた毒ガス  
チクロンBの空き缶の山  その量25トン


ガス室と死体焼却炉
シャワーだといって服を脱いで、入らされるんですよね。
この場所で大量虐殺が行われたということ。



ヘスの絞首刑台
ルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘスは、
第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所の所長を務め、
移送されてきたユダヤ人の虐殺(ホロコースト)にあたり、
ドイツ敗戦後に戦犯として絞首刑に処せられた。

電気が流れる有刺鉄線が張り巡らせてある。

監視する建物(左端)も。
脱走することなどはできない。


ひとつひとつの展示が重く心にのしかかってきて、苦しくなりました。
こんなことが本当にあったなんて・・・とても信じられません。
でもこれが今から80年ほど前にあった戦争の真実の姿です。
広島や長崎の原爆資料館とともに、ずっと後世に伝えていかなければなりません。

今も悲しいことに世界のどこかで戦争や紛争が起こっています。
日本は武力ではなく対話で問題を解決するという憲法9条があります。
核兵器禁止条約が発効した今、
世界中に誇れる宝をいつまでも光り輝かせていきたいと思います。

ここアウシュビッツにも、多くの若者が訪れていました。
広島や長崎にも修学旅行などで中高生たちが訪れています。
彼らにこの思いが受け継がれ、世界中に広がることを願っています。



すっかり恐怖や怒りで心が寒くなり、からだも冷えてきたので、
カフェで簡単なランチ(お茶)する。

今回はここまで

ではまた