皆さま、こんばんは。
今宵はいかがお過ごしでしょうか。
『フジファブリック』というバンドのボーカル&ギターだった、志村正彦という人が好きな、しがないOLのsiamaiと申します。
ボーカル&ギター“だった”という言い方をあえてしているのは、彼がもうこの世には居ない人だからです。
皆さまは『フジファブリック』というバンドを作った、『志村正彦』という一人の青年の事をご存知でしょうか。
彼は中学生の頃に観た奥田民生さんのステージが忘れられず、ロックミュージシャンを夢見て、高校卒業後に地元の山梨県富士吉田市から2000年に上京しました。
本当は下北沢に住みたかったそうですが家賃が高くて断念し、その次の候補だった高円寺に。
そして高円寺にある『ロサンゼルスクラブ』というライブハウスでアルバイトをしたのですが、そこで偶然氣志團のメンバー(デビュー前)と一緒に働くことになります。
そこも含め、アルバイトを掛け持ちしながら地道に音楽活動を続け、『正彦は地味だけど天才』という氣志團の綾小路翔さんの後押しのもと、2004年に遂に『フジファブリック』として念願のメジャーデビューを果たしました。
デビューしてからはプロモーション活動をしたり、全国をライブして回ったり、本当に地道に活動。当時のバンドの方針やメンバーの性格もあり、テレビにあまり出ることは無かったのですが、実力があった彼らは着実にファンを増やしていきました。
メジャーデビューをして5周年を迎えた2009年。彼の中学生の頃からの夢である、富士急ハイランドでのライブも決まり、バンドとしていよいよこれから…という時でした。
彼は29歳という若さで、突然この世を去ってしまいました。
そしてその後、亡くなる前に収録していた音源『夜明けのBEAT』という曲が、2010年テレビ東京さんで放送された『モテキ』というドラマの主題歌に。
『フジファブリック』『志村正彦』にピンと来なくても、『ドラマ“モテキ”の主題歌』と言えば知ってる方も多いはず。『モテキ』というドラマはその後映画化もされましたが、主題歌はずっと『夜明けのBEAT』でした。『この曲以外考えられない』と監督が仰ったそうです。
テレビ画面から、そしてスクリーンから聴こえてくる耳に残る歌声。声はすぐそこに聴こえるのに、この世にはもう居ない人。それは私にとってかなり不思議な状況でした。
果たして彼は…幸せだったんだろうか。
あんなに頑張って頑張って、それでどれだけの人が彼を知っているんだろう。
それを考えた時、とてつもなくたまらない気持ちになり、そしてもっともっと彼の事を多くの人に知ってもらいたい…そう思い私はブログを始めました。
そのブログも今日で1000日。
私は志村君を生で観たことがありません。そんな私が書く記事を、きっと色んな方が色んな想いでご覧になっていたことと思います。
中には、気分を害された方もいらっしゃったかもしれません。
私自身、何を書いたら良いのか解らなくなることも度々あったし、書くのをやめたいと思ったことも何度もありました。(実際、1度はやめてしまいました。)
それでもやっぱり、私は志村正彦という人の事が心から好きで…だから、またこうやって記事を書いてしまうというループ。
そんな私の拙い日記が1000日目を無事に迎えられたのも、見に来てくださる皆さんのおかげだと思っております。本当に本当に感謝します。ありがとうございます。
このブログをしていて、新たに志村君のファンの方が増え続けているということを体感できるのが私自身すごく嬉しかったり。
彼が以前、自身の日記で《大事にしていたミキサーを捨てたけど誰かが持っていってしまった。》ということを書いてたことがあったんですよね。
その時に志村君は《その人からまた音楽が生まれてくれるのであれば、嬉しい。》と言ってたんです。
志村正彦って恐らくそういう人なんですよね。
だからきっと、彼が基盤を作った『フジファブリック』からまた、更に新しい音楽が生まれているこの状況を、彼はきっと喜んでいるのではないだろうか…とか思ったりしてます。今は。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/fc/d20dbe107effa6d90a1e4b86e02585f6.jpg)
『志村君の穴は埋めない』と頑張ってるメンバーと、『このメンバー以外考えられない』と彼が心から信頼したメンバー。
そんな彼らの手で進化する『フジファブリック』の音楽を、もっともっと沢山の方に聴いてもらえることを心から願って。