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鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

=天理教と聖書の奥義=11    ~なぜ幕末の日本に~

2023年05月04日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

「福音は地球を西回りする」といわれてきました。
 
エルサレムに始まったそれは、小アジアからローマへと、西方向に伝わりました。
 
さらに、英国に伝わり、その後、アメリカ大陸に伝わりました。
 
+++
 
不思議に、主要な流れは、インドにも中国にも伝播しなかった。
 
東回りには伝わらなかったのです。
 
 
@@@
 
そして、ヘボン式ローマ字で有名なヘボン先生が、米国から日本にやってきて邦訳聖書をつくります。
 
これも米国から西回りしてきたとみることも出来ないことはありませんが、
これによるプロテスタントキリスト教は、すぐに、倫理宗教に堕してしまいます。
 
キリスト教風に愛は唱えますが、愛の道徳宗教で停滞してしまって今日に至っています。
 
ルーク唐沢が「ニッポンキリスト教」と攻撃しているそれですね。
 
 
 
 
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「天理王」という認識は、それを見越して御使い(天使)が、中山みきに啓示した可能性があります。
 
具体的にはそれは、幕末の天保時代に、日本列島の奈良という地で、中山みきに対して与えられました。
 
 
 
<エホバ天使>
 
天使には、創造神の代理として働くものがいます。
 
旧約聖書には、冒頭に「神であるエホバ」という語がでてきますが、
その後に出てくる「エホバ」は、そういう「修飾語無し」のものがほとんどです。
 
この「エホバ」の語が、ヘボン訳の「文語文聖書」以外では、「主(しゅ)」と記されてしまっているのでややこしいのですが、
正しくは「エホバ」で、これは「創造神の称号」です。
 
ある天使が、この称号を使って(自らに冠して)、創造主の代理として、はたらいています。
 
律法などは、この天使がモーセに与えたものです。
 
(このあたりの聖書解読は、アマゾンの『エホバはイエスの父ではない』鹿島春平太、Kindle電子ブックを参照して下さい)
 
 
+++
 
日本は、アジア大陸と日本海に隔てられた極東の孤島です。
 
エホバ天使が、この島国に、福音の奥義を、ズバリそのもので、啓示した可能性を、鹿嶋は感じます。
 
「南無天理王の命」とだけで、余計な解釈で改変しがたいようにして、中山みきを選んで、
啓示したのではないかと思うのです。
 
 
(続きます)

 

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=天理教と聖書の奥義=10    ~使徒ヨハネと天理教教祖への啓示~

2023年05月04日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

イエスの弟子(使徒)たちの中で、ヨハネは特別な人でした。
彼は、『ヨハネの福音書』を書いていますが、学者的・神学的思考をする人でした。
 
その福音書には、イエスの言動の記録するだけではなく、彼自身の神学理論も書いています。
 
 
ヨハネの福音書のなかの聖句~
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
「創造神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
 
  (ヨハネの福音書、3章16節)
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
~は、有名ですが、これはイエスの言葉ではなく、彼自身の神学理論を記したものです。
 
 
@@@
 
彼はイエスの言動を観察・記録するだけでなく、イエスという存在を存在論的・神学的に理解することを
切望していました。
 
たとえば、十字架上で息を引き取ったイエスの脇腹を、兵士が槍で刺す場面があります。
 
そのときイエスの身体から「血と水」が出ました。
 
彼はそれを自分は間違いなく見たのだ、と念を押すように書いています~。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・兵士のひとりがイエスの脇腹を槍で突き刺した。
すると、ただちに血と水が出て来た。
それを目撃したものがあかしをしているのである。
そのあかしは真実である。
その人が、あなた方にも信じさせるために、
真実を話すということをよく知っているのである。」
 
     (ヨハネの福音書、19章34-35節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
~ここでヨハネが「それを目撃したもの」というのは、自分のことです。
その「あかし」というのも、自分の証言です。
 
ヨハネは、自分でそう言っておいてさらに「そのあかしは真実である」と自分でダメ押ししています。
 
のみならず、「その人(実は自分のこと)が真実を話すということをよく知っている」
と、また自分で言っています。
 
 
+++
 
どうしてそれまでにしていうか。
 
この出来事が幻でなく、現実に起きた出来事である、ということを確かなものにしようとしたのです。
 
そのうえで「血と水がでたのはなぜか」を知ることを切望したからです。
(人間の身体なら、血だけが出ます)
 
 
@@@
 
彼は、イエスとは、「イエスの身体とは何なのか」を、存在論的に知りたかった。
 
それを何年も考え続け、霊感を受けて、ついに答えをえました。
 
結論を、福音書を書く時点になって自らの福音書の冒頭に書きました。
 
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     「はじめにロゴス(創造神の理法)があった。
 
     ロゴスは創造神とともにあった。
     ロゴスは創造神であった。
 
     すべてのものは、この方によってつくられた。
      このかたによらずにできたものは一つもない」
 
       (ヨハネの福音書、1章1-3節)
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
ヨハネは、イエスは「創造神の理法(ロゴス)の具現体」だと認識するに至ったのです。
 
 
そして、それは結果的に、今日聖書を読むものにとってのイエスの存在論になっています。
 
われわれ福音書を読むものは、これをベースにして、イエスという「存在」を認識して解読しているのです。
 
(そこまで考えないで福音書や『黙示録』を読んでいるものも少なくはありませんが)
 
 
 
@@@
 
 
以上を心に留めて、天理教の教義を、今少し詳細に見てみましょう。
 
実は、天理教の教祖、中山みきは、信徒に親神を説明する前に、まず
 
「南無(なむ)天理王の命(みこと)」という言葉だけを唱えさせています。
 
 
 
+++
 
 
その意味は以下のごとしです~。
 
 
「南無」は「南無阿弥陀仏」の「南無」で「頼ります」という意味です。
 
「天理」とは(天の理法が具現した存在)です。
 
 そして、その方は創造主(親神)であって、創造者はすべての被造物の上位の存在であるから、
  一口に言えば、「王」です。
 
「命(みこと)」は、尊い方につける尊称で、「・・・様」と解していいでしょう。
 
 
つまり、
「南無天理王の命」は、「天理王様に頼ります」です。
 
教祖は最初に、「天の理法の具現体である、天理王様に頼ります」という言葉だけをまず信徒に、繰り返し唱和させよという啓示を得ているのです。
 
 
@@@
 
これを、ヨハネのイエス認識とならべ比べてみましょう。
 
ヨハネは、イエスを「創造神のロゴス(天の理法)の具現体」といっています。
中山みきは、(親神を)「天の理法(天理)の具現体」だといっています。
 
両者はほとんど同質的な認識です。
 
 
@@@
 
 
驚くべきことです。
 
一体、ヨハネより1800年も後の幕末の日本で、中山みきにこの認識を与えたのは、誰なでしょうか。
 
創造神なのか。 イエスなのか。 あるいは天使なのか。
 
そもそも、天理教とは一体何なのでしょうか?
 
聖書の福音とならべて、どう解したらいいでしょうか。
 
筆者鹿嶋が得た当面の考えを、心に浮かぶままに次回から記してみようと思います。
 
 
(続きます)
 
 
 
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