=万里の長城=
さて「政治見識のための政治経済学」、これから学説理論から一転して、現実の問題に入ります。
政治というのは、現実世界の現実の場で行うものです。
日本には関わらざるを得ない大国があります。
その最も大きなものが、米国と中国です。
これが現実の政治の場を形成しています。
この二つの国に関わらないで国家運営をしていくことは日本には出来ません。
そしてそのためには、これらの国をよく知ることは必須なのです。
まず、中国という国、国民性を考ることに突入しようと思います。
<国家の創成者、秦の始皇帝>
大国中国は、いつからどうしてあんなに大きな広域国家になったのか。
ローマ大帝国もそうですが、昔は沢山ある地域部族国家の一つでした。
それがどうしてあんな大帝国になったのでしょうか。
ローマも興味あるテーマですが、まずは中国という大国について考えます。
中国もまた、最初は小さな部族国家が併存する空間でした。
各々が他者を恐怖して、戦争を繰り返していました。
戦国時代(BC403-221)と言われる時代には、「戦国の七雄」といわれる
七つの戦国部族国家が並立していました。
それらをすべて征服し、従わせて一大広域国家として成立させたのは、秦の始皇帝(BC259-210)でした。
帝は物理的に広域国家空間を形成しただけでなく、
その空間を「一つの国家空間」と人民に感じさせる政策を実施しました。
<漢字を共通文字にする>
その一つが「漢字という文字」を全域に普及させ共有させる政策でした。
部族国家、諸侯国家が群立する中で、人民には民族統一を願う気持ちは常にありました。
だがそれには「我々は一つ」と人民に思わせる強烈な要素が必要でした。
始皇帝は、それを作り上げたのです。
彼がとった主要手段は全土に渡る文字の共有化でした。
その文字は具体的には漢字でした。
漢字は単純な象形文字から始まった文字でしたが持続的に発展し、
孔子(BC552-479)の時代にはすでに、彼の思想を表現するほどの記号として
成熟していました。
始皇帝は、これを征服地全土の共通文字にさせました。
この試みによって、人々の間には、
「我々は同じ言語を使う単一民族だ」という意識が確立したのです。
文字というものは、それ自体の中に、
その言語特有のものの考え方、思想を内包しています。
同じ文字言語を用いることは共通した思想を抱くことにつながっているのです。
始皇帝は武力だけでなく、国家運営センスにおいても飛び抜けた人でした。
<万里の長城の築城を開始>
人民に国家意識を増す画期的手段を、始皇帝はもう一つ打っています。
万里の長城の築城開始がそれです。
万里の長城は、外敵の侵入を防ぐ塀である、という常識が普及しています。
だがそれは政治的に幼稚な見解です。
あの広大が国土のすべてを、あの高く厚い(広い)壁で取り巻くことなど出来ません。
実際長城の建設は、その何百年後の明の時代にも続行され、なお未完成の部分が沢山あります。
またもし完成したとしても、それが機能するようにメンテナンスするのが大変です。
国境を画する長大な城壁の上に、一定距離ごとに監視兵を置かねばならない。
かつ、有事の際に素早く駆けつけられる軍隊をすべてのブロックに配置しておかねばならない。
そんなこと、経済的に不可能です。
<中国という小宇宙空間>
だが始皇帝は築城を開始しました。
開始はしましたけれど、始皇帝の在位時代(11年間)に出来た長城など、ほんのわずかです。
だがそれでいいのです。
長城の建設プロジェクトで始皇帝がもくろんだ成果は物理的なものではないからです。
かれはそれが建設されていることを通して、
人民に「我々は中国という空間のなかの民である」という心理を創成しようとしたのです。
このプロジェクトを続行していると、人民は
「我々は対外的に防衛すべき独立空間の中にいる」という感覚をもてるのです。
「長城の内側に一つの閉鎖的な小宇宙」を感じ始められるのです。
漢字という文字の共有化と万里の長城プロジェクト、
~この二本柱でもって始皇帝は茫洋とした広大な空間に
国家アイデンティティ(National Identity)意識を創成することに成功しました。
わずか11年という短い在位期間のうちにこれをなした。
帝は比類なき政治天才だったのです。