鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.6 「明るい学校・松下政経塾」

2012年08月03日 | 政治見識のための政治学




 日本政治の無能化が目に余るようになるにつれて、松下政経塾の駄目さかげんが取りざたされるようになりました。
雑誌で特集され、本まで出ている。ここの卒業生政治家が無能だというのです。

 何処が無能なのでしょうか?
ウェーバーの「鋭い概念」はそれも浮上させてくれます。



<生の体験情報>

松下政経塾に関しては、筆者は生の体験情報を持っています。
この設立計画がマスメディアで報じられていたある日、
鹿嶋は神奈川県茅ヶ崎市に建設中だったこの塾を訪ね、情報収集をすることが出来たのです。

これにはお世話になった人も少なからずいます。
内情に触れるようなことを書くのは、恩義に反するのはよくわかっています。

だが、あれからもう30年以上たっています。
そろそろ時効です。
日本のためでもありますので、書かせてもらいます。




<えっ? この若い社員が?>

鹿嶋は当時PHPとの間に出来ていた関係をたどって、紹介してもらいました。

政経塾では二人の松下社員が設立準備を進めていました。
40代に至らないかのような若い人だったと記憶しています。

「えっ?」と思いました。
こんな若い人がこの一大政経塾を?・・・と。

だが、幸之助さんは会社経営においていつもこういうやり方をされるようでした。
素人的な人に責任を持たせて、やりながら成長していくことを信じます。
そして、彼らが成功するまであきらめずやりぬくのを待つのです。




<何かが足りない・・・>

お二人にはカリキュラム図も見せていただきました。

まだ未完成でしたが、その大枠を見せてもらいました。

そこには、演説術や会話術、交友術などの時間が設けられていた様に記憶しています。
英会話の時間もいくつか設けられてありました。

「演劇もやらせます」と自信ありげに言われたのが印象に残っています。
プロの演出家に指導してもらって、塾生に演劇をさせる、
それは政治家の技能として必要だ、ということでした。
今流に言うパーフォーマンス力ですね。

これから他の専門科目の時間を組み込んでいく、
一流の専門家を呼んで講義してもらう、ということでした。




 調査を終えて当時住んでいた逗子の自宅に帰った鹿嶋の心に、
何か根本的に足りないものがありそう、という気分がわき上がりました。

すぐ気づいたのは、哲学が薄い、ということでした。
技術・技法ばかりで、政治精神を根本的に培う哲学思想、これをじっくり吟味する科目がない。

当時鹿嶋はそれを軽く考えていました。
まあ、40才そこそこのメーカー会社員が思いつくのはこれくらいのものだ。
だが、彼らもいずれ成長して気づいていくだろう。そういう二つの気持ちが交錯していました。




もう一つあった。

それが、政治につきものの野獣的世界を運営する能力育成の領域でした。
この世界に物的暴力手段を用いて対処する、その能力育成のためのプログラムが設けられていない。

具体的なイメージのために敢えて端的な名前をつけるならば
、陰謀学、騙し学、裏切り学、諜報学、色香学、悩殺学ですね。
さらに、こんな名称は許されないでしょうが暗殺学のようなものも必要かも知れない。

実際、陰謀学・騙し学的な知識の欠如が、後に、卒業生に問題を引き起こします。

永田といいましたか若い国会議員がガセネタメールにだまされた。
それと知らずに政権与党の幹事長の責任をしぶとく追及しました。
当時同じ党の代表だった前川誠司が一緒になって執拗に追求した。

だがそれは騙しメールだったことがまもなく明らかになりました。
こんな問題で国会の場が紛糾したなどというのは国際的にも恥ずかしいことでした。

騙し学的知識の欠如がそれを生みました。
二人は共に、松下政経塾出身の国会議員でした。




<明るく「軽い」政治学校>

 政治哲学の吟味学と陰謀学、諜報学などが訓練科目にないことが、
この政経塾に明るい印象を形成していました。
鹿嶋にはそれが同時に「軽い学校」という感覚を与えていました。

 まあ、これも必然的だったかも知れません。

 そもそも松下さんが、政経塾の助走段階として政治に向けて持った関心のはじまりは、「無税国家」でした。
政治だってサービスだ。これを賢く制作し販売すれば正統な収益が上がるはずだ。
それでもって政治機関を運営すれば税金というのは要らなくなるのが道理だ。

それは経営能力の優れたものならば、出来るはずだ。

~そういう楽観論が松下政経塾設立の前段階にありました。
幸之助翁ははいろんな機会に、無税国家論を主張していました。

松下氏はこういう風に経営の面だけから政治を見ていました。
ドロドロの野獣的側面には目が開けていませんでした。

松下氏だけでなく、会社経営者の政治学は、概してこんなものです。
そしてそれは通常、ビジョンだけで終わります。

ところが松下氏には経営で成功を収め続け、経営の神様といわれてきたという自信がありました。
かつ幸之助翁は人生の晩年にさしかかっていました。

だからそのビジョンが実現するように思え、かつ、実現せねばという使命感も芽生えたのでしょう。

政経塾設立に踏みだし、いつものように若い社員にゆだねたのです。





<教育は電気製品のようには作れない>

だが、政治能力の育成というのは、電気製品のような物質商品を改善していくのとはかなり違っています。

物質商品は現状観察が容易ですが、人間の政治能力の実情は認識自体が難しいのです。

その結果、教育機関に幼稚さがある場合、それはそのまま残っていきやすいのです。




<獣性世界の認知は洞察力に必要>

 野獣的世界の知識は、人に現実洞察力を訓練させるにほとんど必須知識です。
政治世界では、野獣的領域もあるのが現実です。

暗く重い世界です。汚れたきたない世界です。
だがたとえ美観に反しても、これも含めて見ることは
政治社会の「現実実在」をリアルに見ることに繋がっています。

そして実在をリアルに見ることは、洞察力を養う大前提なのです。
獣性領域を視野に入れないと言うことは、意識が空想の世界に住むことです。
その意識状態では洞察力は育成されないのです。




<洞察力がなければ口先番長になるしかない>

政経塾OBの民主党・前川誠司が、「口先番長」と言われるのもそれによります。
洞察力がなければ、口先だけで渡り歩くしかないのです。

そして現在、松下政経塾出身の国会議員が、なんと、38名もいつのまにやらいます。

政経塾国会議員たちの「軽さ」と現実洞察の無能さは目を覆うばかりです。
そしてこともあろうに、この中から、ほとんど偶然に首相まで出てしまった。
小沢一郎氏の「二大政党の夢」の曲がり角から、ひょんな結果になってしまった。

それは国家に巨大な損失をもたらし続けています。
松下翁の無税国家の夢などとっくの昔に吹き飛んでしまっています。
逆に財務省に示唆されるままに、増税に走っている。
洞察力なき人間は、事務方の言うように動くしかなくなるのです。

幸之助さんの志は大とすべきです。
私財を投じるのもなかなか出来ることではありません。

だが、政治の世界では、人の行為は動機でなく結果で評価されます。
残念ながら、冷たいようですが、幸之助翁の晩年の夢は、悲惨な面を多く含む結果を生んでいます。

ウェーバーの天才的概念は、その構造をも浮上させてくれるのです。






コメント (4)
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