【享吾視点】
『オレ、やっぱり、キョーゴと一緒に白高行きたい。高校生になっても、こうやって、たくさん一緒にいたい』
その村上哲成の言葉に、グラグラと揺れていた心が一気に傾いた。
オレも、村上と一緒にいたい。この穏やかな時間を手放したくない。
そして……、自分の実力がどれだけあるのかを、試してみたい。村上がいてくれれば、オレは本気を出すことができる。
(お母さん、ごめん)
学区トップ校を目指すことは、母の負担になることは目に見えている。でも……でも。オレは、村上と一緒にいたい。
『一緒に白高行こうって、背中、押してくれ』
そう言うと、村上はパアアッと目を輝かせて、『行こう!行こう!白高行こう!』と大はしゃぎしてくれた。
こんな時間が、ずっと続けばいい。
***
今までは、学校で行われるテストは、成績が10位以内に入らないように、わざと空欄を作って調整してきた。でも、今回の期末テストは初めて本気をだした。結果、英語と社会が1位。国語と理科が2位、数学は3位。まあ、おおむね予想通りだ。やはり、理数が弱いな、と反省する。
「享吾、すごい順位上げてきたなー」
「…………渋谷」
順位発表のあった翌日の放課後、下駄箱の前で、同じバスケ部だった渋谷慶に声をかけられた。
「全教科3位以内ってどんだけだよ。すげえな」
「…………。そんなことはない。理数は渋谷に負けてる」
「それ、逆いえば英国社は勝ってるってことだから!」
あはは、と笑った渋谷はあいかわらずキラキラしてる。
「もしかして、享吾も白高?」
「…………」
質問に無言で肯く。
昨日の夜、期末テストの結果と共に、父と母には『白浜高校を目指したい』と伝えた。母は案の定、真っ白な顔になったけれど、父は『それはいい』と笑って賛成してくれた。
うちの父は、母とは正反対で、物事を深く考えない楽天家だ。オレが松浦暁生を殴ってしまった時も、事情もたいして聞かず、さっさとオレを連れて松浦の家に謝りに行き、話を丸く収めてしまった。天性の営業マン、と自称しているだけのことはある。
兄も父に似て、明るく楽しい人だったのに、中学の時にトラブルに巻き込まれてからは、すっかり大人しくなってしまったので、うちは父がいないと、火が消えたようになる。
オレが白高に行くことにより、うちがどう変わるか、という不安から、立ち止まりそうになるけれど、村上哲成にバシバシ叩かれた背中の温もりを思い出して、一歩、一歩、と踏み出す。
「ああ。白高、目指そうと思ってる」
決意を持って言葉を足すと、渋谷は「そっかそっか」とうんうん肯いた。
「おれもー。でもおれ、ア・テスト足りてないから、本番相当気合い入れないとでさ。今、今まで生きてきた中で一番勉強してる」
「……そうか」
「白高目指して!お互い頑張ろうなー」
キラキラをふりまいて、渋谷慶は行ってしまった。
(渋谷も白高か……)
同じバスケ部の上岡武史も白浜高校を目指すと聞いている。渋谷と上岡の『緑中ゴールデンコンビ』を高校で復活できるんだ、と思うと少しホッとする。渋谷はオレとの接触プレーのせいで怪我をして、夏の大会を最後まで出ることができなかったので、高校で二人の活躍を見られるなら、この罪悪感も少しは減ってくれるかもしれない……
ふうっと大きく息を吐いて、自分の下駄箱に向かおうとした、その時だった。
「享吾。お前、白高行くのか?」
「…………」
刺々しい強い言葉に、ギクッとして立ち止まった。振り返ると、当然、そこには松浦暁生がいた。
(村上は一緒じゃないのか?)
瞬時にそのことを思う。村上はホームルーム終了後、さっさと松浦の教室に向かったようだったのに……
そのオレの疑問の視線に気が付いたのか、松浦は鼻で笑って言った。
「テツは先生に呼ばれて職員室行った。ってか、お前、どんだけテツのこと気にしてんだよ」
「……別に」
「別に、じゃねえだろ。同じ高校まで目指すなんて、けなげだねえ」
ククク……と笑う松浦。ムカつく……。松浦は意地の悪い視線のまま、言葉を継いだ。
「でもあいつはオレの『シンユウ』だから。お前が一番になることはないから。残念だったな」
「…………」
それは、否定しない。こんなやつでも、村上は松浦のことをとても大切にしている。松浦の前ではオレと話すことも避ける。
前にオレが松浦を殴った時も、村上はオレの前を素通りして、即座に松浦に駆け寄っていった。あのシーンは今思い出しても胸が痛くなる……
「あーああ。オレもN高やめて白高いこうかなあ」
「え?」
呑気な松浦の声に我に返った。今、何て言った? N高やめる?
「松浦は、N高に野球推薦……」
「なんだけど、なんか、最近、野球もどうでもよくなってきてさ」
「…………」
「だってよー」
松浦は二ッと笑うと、声をひそめて言った。
「野球よりも女とやってた方が気持ちいーからな」
「…………は?」
「あ、ドーテーには分からない話か。悪い悪い」
「…………」
なんだその勝ち誇ったような言い方。バカバカしい。
「白高の野球部もそこそこは強いしなー。白高行って、野球部入って、適当にやるってのも手なんだよなー」
「……………」
「白高の方が女引っ掛けやすそうだし。やっぱそうすっか。そうすれば今までみたいにテツに雑用頼めるし。うん。オレも白高行くか」
「……ふざけんな」
こないだ殴ってしまったときと同様に怒りがこみ上げてきた。
「そんな理由で……」
「別にいいだろ。テツも絶対に喜ぶ」
「!」
何を……っ
「あいつはオレのことがだーい好きだからな」
「………っ」
それはそうだけど、でも……
「だからあいつ、オレの言うことなんでも聞くぞ? 宿題もやってくれるし、テスト対策のノートも作ってくれるし、部屋も貸してくれるし」
「だからそれっ」
思わず叫んでしまった。
「宿題とかノートとかはともかく、部屋借りるのはもうやめろよ」
オレの腕の中に倒れた村上の苦しそうな顔を思い出してカッとなった。半笑いの松浦に詰め寄る。
余計なことだって分かってる。でもここでやめさせなければ、こいつはずっと、村上を苦しめ続ける。
「松浦に部屋使われること、村上が嫌がってんの、知ってるだろ?」
「…………」
スッと、松浦から笑みが消えた。
ほんの少し考えるような顔をしてから、松浦はまた馬鹿にしたような表情を浮かべた。
「………そういや、一度そんなこと言ってたけど、今は何も言ってこない」
「……」
「言わないってことはOKってことだろ。テツも興奮して喜んでんじゃね? 女が使ったベッドで寝れて……」
「寝てねえよっ」
我慢できず、ガンッと下駄箱を蹴りつける。松浦が「は?」と眉を寄せたので、思いきり胸倉をつかんでやる。
「村上はお前に使われてから、自分のベッドで寝てない。リビングのソファーで寝てる」
「…………え」
「…………」
「…………」
目を見開いた松浦を見たら、少し冷静になってきた。胸倉から手を離し、一歩下がる。
「これからもっと寒くなるっていうのに、このままソファーで寝てたら、絶対体調崩す。受験のとき風邪でも引いたら、お前どう責任とるつもりだよ」
「…………」
「…………」
「……………享吾」
松浦がかすれた声で、つぶやいた。
「テツは……お前にそんな話までしてんのか?」
「…………」
「オレが使ってから、ベッドで寝てないって……」
「…………」
ベッドで寝ていない、という話は聞いたけれど、理由は聞いていない。でも、そんなことを教えてやる義理はない。
「…………。親友だって言うなら、親友の嫌がることするのやめろよ」
「…………」
睨みつけてくる松浦。こんな奴が親友だなんて……
「オレだったら、絶対に、村上の嫌がることなんてしないのに」
「…………」
「!」
ハッとした時には遅かった。
左頬に衝撃が走り、気が付いた時には、下駄箱に背中を打ち付けていた。見上げると、顔を真っ青にした松浦が拳を握りしめて、震えながら立っていて……
「い……っ」
痛い、と言葉に出す前に、「わーーー! なんなんだよーーーー!!」という声が聞こえてきて、そちらを振り返った。村上哲成だ。前にオレが松浦を殴った時には、オレに見向きもせずに松浦に駆け寄った村上。
今度は……今度は、どうする? 村上?
と、思ったら、
「キョーゴ、大丈夫か?!」
「!」
あっさりと、松浦の前を素通りして、村上はオレのところに来てくれた。
(村上……っ)
思わず、その腕に縋り付くと、真っ青だった松浦の顔が真っ赤になっていって……
「は……はははっはは……っ」
こらえきれず、笑い出してしまった。村上、オレのところに来てくれた。来てくれた……っ
「お前……っ」
真っ赤な松浦が更に真っ赤になりながら叫んだ。
「お前ムカつくんだよ!ムカつくんだよ!」
「は……はははははっ」
松浦。傑作だ、その顔。ざまあみろ。
「なに?なんなんだよ?」
オロオロとして松浦を見上げつつも、オレから離れない村上に、ますます笑いが止まらない。ざまあみろ、ざまあみろだ。
この後、先生が数人やってきて、オレを保健室に、松浦を職員室に連れていくまで、オレは笑い続け、松浦は叫び続け、村上はオロオロし続けたのだった。
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お読みくださりありがとうございました!
これで前回の終わりと終わりが合いました。
もう27回なんですねえ。中学時代は、30回くらいで終わらせる予定だったのに……。むむむ。
次回、金曜日更新予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
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