大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

ひじ傘雨 第七章 12

2013年05月08日 | ひじ傘雨
 「さて瑾英、参るとするか」。
 「えっ、どちらにでございますか。これより朝課ですが」。
 「朝課なぞ、一日くらい休んでも罰は当たらぬ」。
 「朝課なぞとは、晃仙さんのお言葉とは思えません」。
 あの憧れの晃仙は、もはや矢探れた俗物と成り果てたと、瑾英が悪態を付くが、朝の分も晩に行えば辻褄は合うと、全く取り合わぬ直明。
 「もっと大事な仕事だ」。
 僧にとって経を唱える以上に大事な事とはと、言おうものなら、拳が落とされることは分かっている。ここは素直に従った方が身の為である事は承知している。
 「何をしに行こうと言うのですか」。
 牛鬼が一気に脅かし、死ぬ程の恐れをもたらせば良いのではと瑾英は思っていた。
 「それでは一寸の恐怖に過ぎぬ。予め、脅かしておくのだよ」。
 にやりとする直明の横顔は、真に意地悪そうで、ぞくりと身震いがする思いの瑾英。
 黒の法衣に着替え、金襴地大師衣を掛けた直明。どこからどう見ても凛々しいのであるが、ひとつ気になる瑾英だった。
 「あの晃仙さん、お髪はどうなされますか」。
 ああと、髪を撫で付ける直明。頭を剃り上げていても、髷姿であっても、総髪だとしても、涼やかな顔立ちにはどれも似合っていた。
 「散切りの総髪なれば、問題なかろう」。
 僧の戒律も明治に入り、大分緩和されていた。
 己は、十歳までの稚児髷のほかは、剃り上げた坊主頭のみの瑾英。頭をぺちぺち叩きながら、どんな髪型が似合うであろうかと、思案してみるが、どうにも坊主頭しか思い浮かばぬのであった。
 直明に促され、向かった先は、両国にある勝海舟改め、明治新政府海軍大輔の勝安芳の屋敷である。
 六助の調べで、馬車で颯太を跳ね飛ばしたのは、海軍省に出仕の者である事が分かっていたが、表から乗り込むよりは、旧幕臣の勝を訪ねた方が早いと、面談の申し出もせずに乗り込もうといった策であった。
 「ですが、勝様と申せば、徳川様でもお力のあったお方。今では海軍省のお偉方です。そう容易くお会いくださいますでしょうか」。
 瑾英の言い分は至極最もな事であるが、鼻でせせら笑う直明。
 「会わぬと申せば、玄関先で会うまで待つ。それだけだ」。
 「そうではなく、お忙しいお身体です。屋敷におられるのや否やも分かりません」。
 そう言う瑾英を、きょとんとした顔で見詰める直明。
 「分かっていないのか」。
 「何をです」。
 「だから、こんな朝も早くから押し掛けるのではないか」。
 言われてみれば、粥座も食べずに寺を出ていた。江戸の世であれば、木戸も開いていない刻限である。
 




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