大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

ひじ傘雨 第七章 14

2013年05月10日 | ひじ傘雨
 その者の乗った馬車の暴走が幼い命を散らしたのだが、件の相手は、子に非が合ったと使いの者に見舞金を持たせただけで、自責の念も感じられないと、瑾英が続ければ、安芳も頷くのだが。
 「それでおいらに、その男を召し出せって言うのかい。それでいってえ誰なんだい」。
 「名は吉永久一と申されます」。
 吉永、吉永と勝は呟くが、どうにもぴんとこないようである。
 「海軍省って一言で言ってもよ、随分と人が多くてね」。
 海軍省だけでも、旧広島・尾張・桑名・一橋・淀の各藩邸を使用していた。
 「勝殿が知られぬ、木っ端役人だ」。
 直明が口を挟む。
 「だったらよ、その木っ端役人に謝らせればいいのかい」。
 違うと首を良くに振りながら直明。
 「瑾英、申せ」。
 「はい。その吉永久一に面会の仲立をして頂きたいと存じます」。
 ふーんと横目で瑾英を見た安芳は、そいつがどこに務めているかを調べればいいのかと聞き返す。
 「仲立だと申したであろう」。
 些か焦れ気味の直明。次第に声が大きくなるのだった。
 「仲立ってえのはよ、謝らせるって事だろう。そいつが悪かったと認めれば良いんだろう」。
 己の言葉が終わるや否や、安芳の表情が険しくなる。
 「正か、斬るつもりか」。
 「そのような事は、明治の世では流行らぬのであろうが」。
 直明の返答にほっと安堵した安芳、大きな溜め息を洩らすのだった。
 「だったらどうしようってんだい。増々分からねえ。金かい」。
 直明、更に首を横に振り、瑾英を促す。
 「脅します」。
 「おい、こりゃあまた物騒な事を言い出す、御坊様じゃねえか。おい直明様よ」。
 海軍大輔である勝の手前、口先だけの詫びを述べるだろうが、そんな体裁ではなく、己の仕出かした事への真の謝罪を貰うだけの事。その為には、幼き目が最期に見たであろう恐怖を味わってもらうと、瑾英は言う。
 「だったらよ、ひとつだけ約束してはくれねえか」。
 命を奪う事はするな。それは相手の為の命乞いではなく、直明と瑾英が罪を被らぬ為だと言う安芳に、深く頷く二人。
 「だが、そいつが再び海軍省に顔を出せるかどうかは、約束は出来んがな」。
 「相変わらず、物騒でいけねえ」。
 目で笑い合う安芳と直明。いずれが龍か虎かは分からぬが、両雄並び立つ姿に圧倒される瑾英であった。




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