大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

浜の七福神 64

2014年05月30日 | 浜の七福神
 「おおい。そこの坊、釣れねえようだな」。
 河内は高槻城下の川の畔で、一服していた甚五郎。目の前の子どもが釣りをしているが、半時過ぎても一向に獲物を釣り上げる様子がないのに焦れて、声を掛けるのだった。
 「坊、この川に魚はいるのかい」。
 こくりと頷く子ども。どれ見せてみろと、川面を覗くと、囮がぷかりと浮かび上がってしまっている。
 「その囮じゃ釣れねえな。囮ってえのはよ、水に沈んで泳がねえとな」。
 「やけど、ほかにあらへん」。
 「だったら諦めるんだな。囮がなけりゃあ、どんな名人だって無理ってもんさ」。
 甚五郎、大笑い。この男の口の悪さは、相手が誰であろうとて遠慮がない。半べそをかき出した子を見兼ねた文次郎が割って入る。
 「親方、未だ五つか、六つのがきですぜ。大人げねえ。坊、釣りは楽しいかい」。
 「あそびじゃないんや。おとんに、食べさせたいんや」。
 おやっと、甚五郎の眉が動く。
 「おめえがじゃくて、おとっつあんにか」。
 父が病に伏せて半月ばかり。活計もなければ、日々食べるのにも事欠く有様で、医者になど診せられようもない。
 せめて美味い物を食べれば、病いも遠のくとの一心から釣りを試みたが、一向に釣れないと、幸太と名乗ったその子は悲しそうに俯くのだった。
 「そうかい。見上げた心掛けだぜ。笑って悪かったな。許してくんな」。
 言うなりひょいと腰を上げ、何やら川縁を歩き出したかと思えば、流木を拾い上げた甚五郎。流木を、鼻歌交じりに八寸ばかりの鮎に削り上げるのだった。
 「幸太、これを囮にやってみろ」。
 先刻から、甚五郎の行いを怪訝そうに見ていたが、言われるままに、手渡された囮を川に放つと、瞬時に竿がしなって大きな鮎が掛かるのだった。
 「おっちゃん、釣れた」。
 「そうかい。良かったじゃねえか」。
 満面の笑顔で、これで父親も少しは精が付くだろうと、甚五郎に礼を言う幸太。そんな小さな頭を撫でながら、ひとつだけ約束があると言うのだった。
 「いいかい。この鮎は、ずっと水に浸けて置くんだぜ」。
 「なんでやろか」。
 「そりゃあよ、魚ってえのは、水から揚げられたら死んじまうだろう」。
 ああっと、頭を抱える円徹。
 「文次郎兄さん。親方の鮎は見事な彫りだけど、あれも絡繰りですか。それとも、川の流れに流されていただけではないのですか」。
 鼠や蟹と同じに、絡繰りなのかと思えなくもないが、水の中での仕掛けとなると、そう容易くはない筈と円徹は考える。
 「おめえも相当に頑固だぜ。おめえだって、竹の水仙が枯れたらてえへんだって、言ってたじゃねえかい」。
 至極最もではある。ほかは絡繰り細工と疑ってはいたが、水仙に関してだけは、己でも何故あの時、そう思ったのか不思議でならないのだ。
 「良いじゃねえかい。そうやって頭を捻ってみるのも、修行のひとつだ」。
 「親方、私は、絡繰り細工ではなくて、御仏を彫りたいのです」。
 不思議な木彫りではなく、魂の入った仏像を彫りたいと円徹。
 「おや、円徹。おめえの目は節穴かい。どいつもこいつも、魂があるから動くんだぜ」。
 「そんな…。ですが寺の阿弥陀様は動きません。阿弥陀様に魂が入っていないなんて、罰当たりが過ぎます」。
 唇を尖らせる円徹。阿弥陀如来でも己が彫れば、動き出すのや否や。言われてみればその通り。返す言葉のない甚五郎だった。



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