大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

浜の七福神 40

2014年05月06日 | 浜の七福神
 唇を尖らせ俯いた円徹。うな垂れた首の細さが、年少振りを更に印象付ける。
 「でしたら、この龍を彫った、文次郎兄さんの親方の仕事ではないですか」。 
 ふっと鼻で笑った甚五郎。
 「おめえの言う事は、いちいち最もだぜ。けどよ、これも甲良一門のでえじな修行ってもんだ」。
 「あれっ、親方」。
 文次郎は言い掛けて、言葉を飲み込むのだった。
 「どうでい、やってみねえかい。それとも、御坊様には殺生は無理かい。ええ、円徹さんよ」。
 甚五郎のこれ見よがしの挑発に、僅か十一歳の子どもが乗らぬ筈もない。
 「殺生ではないと親方がおっしゃいました。これは、百姓衆を救い、龍も安らかに眠らせる為に必要な事なのです」。
 「そうだ。良く分かってるじゃねえかい」。
 円徹、龍の下で片合掌をすると、文次郎がその小さな体をひょいと肩に乗せる。
 左手の五寸釘を、龍の眼の真ん中に宛てがい、慢心の力を込めたひと振り。
 「もっと強くだ。釘が曲がらねえように、金槌は、龍に真っ直ぐに振れ」。
 「はい」。
 閼伽井屋の騒ぎに、住持が姿を現したのは、その直後であった。
 「あれ、住持のお出ましだぜ」。
 「あなた方は、拙寺で何をなされておるのですか」。
 「へい。庄屋や百姓衆に頼まれやして、龍を留めに参りやした」。
 住持が、すっと見上げれば、見事な龍の彫像のその瞳に、無骨な釘が突き刺さっている。
 「何と、何と恐れ多い。この龍は、徳川家大工棟甲良家棟梁の左甚五郎の手に寄るもの」。
 すっかりと青ざめた顔で、わなわなと小刻みに震える住持。増してや、体の一部ではなく瞳に釘を打ち付けるなど、罰当たりも良いところだと、怒りを露にするのだった。
 「さて、先程から見ておりましたが、釘を打ち付けたのは、そこな童。これでは子の悪戯と変わりませぬ」。
 目眩がするのか、住持は少しよろけて、足を踏ん張るのだった。
 「ですがね。釘を抜いたら、また畑を荒したり、牛や鶏を食っちまいやすぜ。それじゃあ、百姓衆がお困りだ」。
 「左甚五郎作の龍に釘を打ち付けたとあっては、徳川様からどのようなお仕置きがあるや」。
 甚五郎は大真面目だが。そもそも木彫りの龍が家畜を襲うなど、百姓衆の戯れ言にしか思っていない住持。万が一、それが真だったとしても、左甚五郎の木彫りを傷付けるなど、徳川に仇するのと同じであると、住職は青ざめた顔である。
 「徳川も徳川だがよ、徳川が怖くてよ、百姓衆が困ってるのを見て見ぬ振りの、役人なんぞ糞食らえだ」。





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