大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

浜の七福神 44

2014年05月10日 | 浜の七福神
 永富町から鍛冶町の大きな通りを神田川へと向かい、筋違橋御門を渡り、川沿いに材木商が軒を並べる佐久間町を浅草御蔵へ向かえば、程なくして浄念寺である。 
 昼日中であれば、江戸の喧騒に包み込まれそうな区々も、明けやらぬ空の下では、雨戸を立てた軒に、ただ埃が舞い上がるのみである。 
 万林が側にいなければ、到底足が竦んで歩く事も侭ならないくらいに、町は静まり返り川面さえもが引きずり込まんと掏る地獄の入り口のような黒い流れを讃えていた。
 「おやっ、誰かいるようだぜ」。
 浄念寺の四方は、寺と小屋敷、堀に囲まれ、実に閑散としている。こんな夜更けにこの辺りを歩いている者があるとすれば、それは一層剣呑な者という事になる。
 小屋敷の塀の陰に隠れて、様子を伺えば、提灯の仄かな灯りに、薄らと二つの陰が写る。
 灯りが門から堀の方へと消えると、不意に口元を綻ばせる万林だった。
 「何でい。それでぷいっと出て行きなすったのか」。
 「万林さん。何の事ですか」。
 見上げた円徹の肩に手を置いた万林。その事には触れずに、住持に暇乞いだと、門へと急ぐのだった。
 だが、どうにも門を潜れない円徹だった。
 「どうしたんだい」。
 「こんな刻限では、住持様はお休みになられています」。
 「でえじょうぶだ。たった今まで、へそ曲がりの天狗がいたんだ。起きてなさるさ」。
 へそ曲がりの天狗が、何の事かは分からなかったが、万林の言葉通り、庫裡屋には灯りが見えた。
 そして、思いのほかいや期待外れなほどに、住持はあっさりと円徹の還俗を許してくれたのだった。
 円徹の考えが正しければ、万林がへそ曲がりの天狗と言ったのは、甚五郎の事に他ならない。そして、口では弟子入りを認めないと言った直ぐ後には、寺を訪れ円徹の先行きを思案してくれていたのだ。
 「あのう。へそ曲がりの天狗って言うのは、親方の事でしょうか」。
 「それは、万林が言ったのかい」。
 あの野郎と、甚五郎は苦い笑いを天に向ける。



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