「お母さん、見て見て~。雲が面白いよ!」
いままで、それほど雲に目がいかなかった長男がここに引っ越してからというもの、2階のウッドデッキから見える雲が面白くて仕方ないらしい。時に早く流れたり、ふわふわのわたあめみたいだったり。「あ~、乗りたいなあ」とうっとり口調の長男。
都内で働いていた頃はビルの隙間の空眺めることすら忘れてたな。雲眺めたり月眺めたり・・・なんかこういう日常を忘れるところから心も身体も不自然になっていくような気がする。言葉はいらなくて、こういうただ眺めたりすることの中に大事なことがいっぱいあるなあ、と思う今日この頃です。
さて、実は先日自分の気持ちをスッキリさせるためだけの日記を書いてアップしちゃって、後悔。2時間後くらいには削除しました(笑)。“不安と怒り”を世の中を変えるための原動力にしている反原発の人たちにへこまされて、いや同じ変えるでも希望とワクワク感にしようよとか思っちゃったんですねー。でもね、母に諭されました。
「間口は広いほうがいいのよ。共鳴感を求めたら虚しいだけ。いろんな人がいていい」
う~ん、さすが生きてる年数違います(笑)。子供のため、明るい未来のため、向かってる先が同じなら、そこへ向かう方法は色んな道があっていい。・・・頭では分かってるつもりでした。でも、あまりの攻撃的な言動、ネガティブワードに自分と違う考え方の人に排他的な態度に疲れちゃったんですね。でも、彼女たちを違うと思う私も、また批判的な気持ちを抱いてる場合じゃなかったんだな~。
人にはいろんなステージがあって、その時々にぴったりの出会いがあって、自分自身で色々と気付いていく。
入り口は“不安や怒り”であっても、時期がくれば、いや不安は何の解決にもならないと自分で体験して気づいていくのかもしれないわよ、と。だから間口は広くていい。同じを、共鳴感を求めるからおかしなことになる・・・はい、そうですね。
その“不安と怒り”でいっぱいの人たちと話して、数日間気持ちがすごく後ろ向きになっていたのですが・・・そんなとき知り合いの大西くんのブログを読んではっとしました。
大西くんは福島の地で自然学校をやっている野人王(テレビチャンピオンにもなったんですよん)。火起こし師。いま南会津の地で、子供たちのためにこめらの森というプロジェクトに取り組んでいます。
逃げる話し、逃げない人、放射能を恐れない人たちへのバッシング(?)に疲れていたとき、放射能の恐ろしさをよく勉強して知りつつも同じ福島にとどまり、福島の子供たちのために前に進んでいる彼らのプロジェクトを知ったのです。そのとき、なぜだかぶわーっと前向きな気持ちがわき起こったのです。彼らはイキイキと生きてる、って。
“根っこ”を育むことをずっと大切にしてきた大西くんの自然学校。さすがです、全てはつながっていて、気づきなんですね。前述の人たちを話していて何がストレスだったかというと、そこにさまざまなものとのつながりがなかったからなんです。恐れるのは放射能汚染のことのみ。ほかにも色々とつながっているのに。自分の生活全てがつながっているのに、そこはスルーで責めるだけなんだなあ。
ゴミに関することが書かれていた、この日の大西くんの日記は、特にうんうんと頷きながら読みました。
↓
この捨てられたヒトたちはどこへ行くのだろう。
普段、見えないものに蓋をするような暮らしも
どこかで私たちにつながっている。
放射能を恐れるが、
今まではどうだったのだろうか。
ポポイ!とゴミを捨てたその先に、
私がいて、あなたがいて、生き物がいて、子どもたちがいる。
ビンも山ほど捨てられている。
リサイクルもされるのだが、
消費する思考、価値観がそのままでは、
どんなことが起きても不思議ではない。
ゴミ処理場で働く人々。
原発で今も働く人々。
同じじゃないのか。
うんうん、そうなんだよね。そして、目に見えない汚染の恐怖は確かにあるけれど、目の前に活かされてる生物がある、空がある、雲があることも忘れたくない。汚染されていても、やはり恵みは恵みであり、感謝なのだ。不安で、その美しさに気づける心まで見失いたくない。
今回の天災、人災全てを気づきのチャンスと思って前に進む人々のかっこいいこと。本当に勇気づけられます。
ゆっくりとではあるけれど、私もまた少しずついろんなことに気付きかされている。あとはそれをどう生かしていくか!いかしかたが分からないから、寄付とか署名とかそういう形しかまだ取れないけれど、もっと具体的に行動に移したいな。まだまだ模索中ではあるけれど、子供たちと一緒に目の前の恵みも堪能しながら、未来へ向かって前へ前へ進もう。前向きな気持ちをくれた福島の地の友人に感謝
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